その5 サッカー部 カンザキの場合
白と黒のそれを蹴っ飛ばして、綺麗に弧を描くのを見つめていた。
緩やかな放物線の先に猫田の姿が見える。
「あいつ、あんなとこにいるならここに来りゃいいのに…」
生徒会長の逃避行だかなんだか知らないが、俺は上手くなりたいんだ。個人でも、チームでも強くなって、皆で勝ち上がりたいんだよ。
もうすぐ俺たちは引退なんだ。俺たちの夏は、これが最後なんだよ。他のことになんか構ってられない。猫田お前も、そんなところでぼんやりしてないで、早く俺の対に位置どれよ。お前と俺と、揃ってやっと完成するんだ。
サッカーは楽しい。ボールを蹴って、あの四角い網の中にぶち込む。ただそれだけ。それだけのゲーム。でもそれをするには体力は勿論知力も必要で、身体のあらゆる全てを使って、言葉通り全身でプレーする。
俺がそれをしている時、どれだけ高揚しているか分かるだろ?
したいことを出来た時の爽快さといったら。今の猫田の気休めよりもずっとずっとスッキリするのに。
消えた生徒会長に想いを馳せているのか?確かにお前は前より少し変わったけどさ。
『またああしてるのか』
「来栖」
『神崎、お前も声かければいいのに』
「…バスケ部は?」
『今休憩』
背の高い彼は暑そうにシャツの首元をバタバタと前後に動かして、風を送る。そりゃ体育館の中は風通しも悪いしな、なんて自分も暑さを思い出したかの様に額を拭った。
『若手の育成か?』
「猫田がいなきゃ話になんねー」
『お前の場合はな』
後輩たちがグラウンドを駆ける。俺の蹴ったボールを使って試合を始めたのを、俺は職員会議の長引いた顧問の代わりにコーチさながら様子を見ている。
『瑞樹がいないと』
「淋しいか?」
『勿論』
「ふぅん」
『他人事だな』
「他人だよ」
俺は生徒会長とはたいして面識がない。
サッカーをするために学校に来てる俺とは違う世界を生きていた人だ。ただ、猫田は会長と何かしらの形で面識があって、仲睦まじい、と言うわけではないけれど、二人で話している場面が見られた。そうやって二人で話すようになってから、猫田はサッカーだけじゃなくて授業にも顔を出すようになったし、ああして屋上でぼんやりすることも少なくなったのは確かだったんだ。
俺はそれが何となく悔しかった。
俺が声をかけても、あんな風に目に見えて変わることはなかった。それでも猫田もサッカーが好きだから、部活だけはしに来ていたけど。それが"ちゃんと"学生らしくするようになったのに。
でも今はグラウンドを駆ける後輩達と飛んで行くボールが見えるのに、またあの場所にいるんだ。つまり今は少なくともサッカーよりも大事な何かがある。そしてそれはきっと会長との思い出に浸ること。
それが俺は、何となく-
『うちのエースが』
「…太鳳?」
『そう。すこぶる調子が悪くてな』
「会長のせい?」
『…いや、それだけじゃない』
「ふーん」
『熊谷瞬とも仲が良かったようで』
「…なるほど」
二人からないがしろにされた気分だろうか?
『僕は何も出来なかった、そう言って泣くんだ』
「何か知ってたの?」
『二人の間に何かある事は、知っていたようだ』
首を突っ込まずに見守っていたってことか?
『大事だからこそ、踏み込めなかった。そう言ってた』
「…そう」
ああ、どうして大事なものは、その姿を見えなくしてしまうのか。
側にあればそれで良くて、大切にしてきたつもりなのに。壊れないように、両の目で見守って、暖かく。それなのにどうして-
「俺の大事なものは―」
『うん?』
「俺の大事なものは、今なんだ」
『…うん』
「今なんだよ」
あの二人がどこかに消えても、俺には全く関係ないんだ。俺が大切にしたいものは今この瞬間で、過ぎていった思い出を振り返る暇はない。
だけどさ、俺の周りはそうじゃないんだ。俺に関係のない出来事も、来栖や猫田にとっては関係があって、他を省みない俺でも結局、その大きな流れに巻き込まれてる。
『お前は大丈夫だよ』
来栖は半袖をこれでもかってくらい肩までめくって、
『大丈夫だ』
そう言って体育館へと戻る。休憩時間が終わったようだった。
何の根拠もない大丈夫という言葉は、それでも俺に突き刺さるものがあって。ぐ、と涙をこらえた。なんでこんなに泣きそうなのか自分でもわからないのに、涙なんて、流せるかよ。
全く本当に、ふざけてるよな。何で俺が関係ないあいつらのせいで、こんな風に。
照らしつける陽が眩しくて、振りきるように顔を上げた。
屋上にいたはずの猫田は姿を消していて、その行く先がこのグラウンドじゃないってことは俺にもわかった。
「大丈夫って、何がだよ…来栖のアホ」
自分の世界を変えたあいつらには、新しい世界が眩しく見えているだろうか。
だけどあいつらが世界を変えたところで、やっぱり俺には関係ない。
俺の周りが関係あっても、やっぱり俺には関係ない。
俺は全然変わらない。
全然、変われない。