その2 バスケ部 カエデの場合
あぁ、自分の無力さを思い知るよ。
まさか瑞樹兄さんが瞬と一緒に、俺たちを残して姿をくらますなんて、ね。
『楓』
「何?」
振り返ると目の下を赤くして泣き腫らしたらしい太鳳が立っている。
「…泣いたの?」
口を一文字に結んで眉を寄せる太鳳を見て、胸が痛い。
兄さん、何やってんだよ。太鳳が泣いてるよ。あんなに可愛がっていたじゃない。それなのに-
愛には勝てないのか。
じゃあ俺たちに向けられていたあの陽だまりのような優しい眼差しは何?あれは愛じゃなかったの?兄さん。
瞬も瞬だ。俺たちの兄さんを、心安らぐ場所を、あっという間に奪っていった。
兄さん、太鳳は、1年にしてバスケ部のエースなんだ。二人を見に行くよって言ってたじゃない。それが、どうして-
どうしてこう違うんだろう。
兄さんは持ち物があまりにも多すぎた。両腕からあふれ、引きずるようにしていたに違いない。
色んなものから好かれ過ぎてた。それがどんなに彼を特別で孤独なものにしてきただろう。彼が歩く道を、勝手に作ってしまっただろう。見えない道が既に出来上がっていて、"良くできたもの"をずるずると引きずりながら歩く気持ちが、俺には到底、理解できないから。
兄さんをよく知らない人たちは知った顔をして言う。
『瑞樹は俺たちとは違う』
俺は知ってた。兄さんがその言葉を聞くたびに荷物を増やしていったこと。小さな体にのし掛かるように、ずしんずしんと重荷になっていったこと。
大人たちだって例外じゃなかった。先生と言う立場の人間も、兄さんをまるで神童か何かのように崇め頼り、時に利用した。
兄さんはそれに気がついていても首を横に振ることはなかった。
そこらの大人よりもずっと優れていた兄さんは、頭の悪い振りをして、従順な良い子でいた。俺はそんな兄さんを見て胸が痛かった。皆の理想形で有り続けようとするのが辛く見えたんだ。
俺はバカだから、兄さんと俺たちの何が違うのかなんて少しもわかりはしなかった。
瑞樹は違う、なんて言って彼を遠ざけて、神格化する。それが兄さんにとってどれ程苦痛だったかそいつらは知ってるだろうか?
愚かだ。そうやって開き直る前に自分の無力さを認めれば良かったのに。無い物ねだりをする前に、自分を磨けば良かったんだ。
兄さんを連れ去ったのは俺たちの友達。でも、もしかしたら兄さんが瞬を連れて行ったのかも知れない。俺はどちらとも、すごく親しかったはずなのに。何もわからないうちに、消えていった。
兄さんと瞬が知り合いだなんて、俺、全然知らなかったんだ。
皆何もわかってないって思ってた。
表しか見えてない、そのくせ疑り深くて、複雑に考えすぎてるって。
物事はいつだってシンプルで、単純で、明確で。俺の見ている世界は真実を写しているって、思ってた。
でも思い知ったよ。
無力な俺には、未熟な俺には、そんなものは見えていなかった。
それで良いんだと甘やかしてくれていた誰かに-
兄さんに見せてもらってた、美しい世界の中を生きていたんだと。
今となっては兄さんが俺に見せていた姿が本当に兄さんのものだったのか、全然わからないんだ。
俺は、俺たちは、この場にする事もなく取り残された。
あぁ、俺も愚かなあいつらと、きっと何も、変わらない。