その1 剣道部 リュウの場合
「熊谷が?」
俺が聞き返すと虎徹がこくこくと何度も頷いた。
『らしいぜ』
と額にシワを寄せているわりに嬉々とした様子で、
『光がさ、猫田先輩から聞いたんだって』
と続けた。
あぁ、なるほど。先輩から聞いたなら間違いないのかも知れない。
それにしたってあの熊谷瞬が。まさか本当に、あの人と恋に落ちているとはね。
いつだったか、噂好きの虎徹が言ってきた。
『熊谷瞬って知ってるか?』
俺はその時彼の名前を知らなくて、誰?とだけ返したと思う。
『モデルみたいな体形したイケメン!』
何だよ虎徹自分の事?と思って顔をしかめた俺に、
『運動神経が良くて、ダンスすっげー上手いんだって』
と付け足した。
「…そんな奴いたっけ?」
虎徹は長い手足を持て余し気味なところがあるから、運動において上手く作動しないことが時々あった。
『ちょっと色黒の奴だよな、エキゾチックな感じの1年生』
虎徹の後ろからひょっこりと現れた光が『よっ!』と片手を上げた。
手に持ったパックのジュースをチュウチュウと音をたてて吸いながら、虎徹の横に『よいこらせ』とおじさん臭く座る。
「有名なのな」
『俺と同じくらいね』
自慢げに話す虎徹に光がわざとらしく失笑して、
『そいつにさ、変な噂があるんだよ』
と小声で言った。
「変な噂?」
俺達は1日の内にある少ない休み時間をこの風通しの良い中庭で過ごしている。
暑い陽射しが俺達を照らしていて、光がジュースを光の早さで飲み終わるのも頷けた。
『かっこ良くてクールに見えるけど女子には優しくて性格も良い、勉強もそこそこ出来るから勿論モッテモテなのに彼女を作らない訳は、男が好きだからじゃないか、ってさ』
「いや待って情報量が多過ぎる」
ジュースで口が潤ったのか早口で捲し立てる光にそう伝えると、
『いやだから、男が好きなんじゃないかって、ウ・ワ・サ・よ?』
男が好きだというくだりを2回とも小声で言って、終いには言葉を一つ一つ句切って言う光に妙な気持ち悪さを感じながら、
「へぇ」
と返すと、
『なにお前そんだけ?!』
とつんざく大声が返ってくる。
「えー?」
その他になんて返せば良いやら。光はいまいち俺の返答に納得がいかないみたいだった。
『なんかさーもっとないのかよ?まじで?!とか嘘だろ?とか』
不満そうな光を見ながら思うこと。それって結局同性愛者に嫌悪感を抱いている奴の反応だろ。
悪いけど俺は、そんな反応返せないよ。
「あー」
はは、とこの湿気の中、自分の声だけが乾いているのがわかる。
『つまんねーのー』
と子供みたいに言う光に悪気がないこと、わかってるよ。
いつもの俺たちならどんな小さいことにももっと過剰に反応してぎゃあぎゃあ騒いでるもんな、だけど、このテの話には、俺はノれない。
だって俺の好きな人も、男の人だから。
『いやでもまさか、生徒会長ととはねー』
『やるなよぁ』
『やるよねぇ』
でこぼこな二人の気の合う会話に引き戻される。あの日と同じように、同じ場所、同じ流れ。違うのは季節がほんの少し進んだことくらい。
「生徒会長とだって?」
背の高い虎徹を見上げたあと、
『中々のゴシップだよな』
とストローを噛む光に視線を下ろす。
『相手が相手なだけに』
『そこら中で話題になってる』
虎徹が立っているので見上げるのが大変なのに、隣の光が座ったままなのだから首の運動が顕著になる。
『勿論3年生も大騒ぎだ』
あぁせめてどちらか一方が喋るか、
『俺たち2年は蚊帳の外』
光が立って虎徹が座ってくれればバランスが良いものを。
何度も上下させた首の運動を一度止めて、
「それ、学校はどうするって言ってんの?」
と聞くと、
『さぁ?』
なんて気の抜けた返事が上から降ってくる。
「さぁって」
『俺たちには…よくわかんね』
ゴミ箱はすぐ側にあるのに、相変わらずいつまでもストローを噛む光が呆けたように言った。
あぁ、そうかも知れない。もしかしたら世界は、あの二人を中心に廻っていて、俺たちはその周りにいるだけの存在なのかも知れない。物語の主人公はいつだって、ドラマティックに生きているじゃないか。それに比べて、俺は。俺は-
『あ、でも竜は復本先輩と仲良いじゃん、なにか聞いてないの?』
「え?」
『あそうだ、あの人会長と仲良いじゃんか、何か言ってた?』
「…いや」
『『…ふぅん』』
でこぼこの二人が、揃って返した。
あぁ、本当に。世界は俺の知らないところで、廻ってる。