また会う日まで
「……いや。正直に言うと、もっと多くを望んでいる。鷹花さえ良ければ、近いうちにその先へ――」
少し照れながら、樂斗さんが未来を語る。
だけど私は一緒になろうという申し出に、頷くことはできない。彼の望むその先に、私はいないから。
私は素手で車をとめた。
そのことを聞いたはずなのに、彼は私の身を真っ先に案じてくれて。
――だからこそ、私はここには居られない。
叔父の所有する研究所は権力者達と繋がっており、人体実験を平気で繰り返す。政府の依頼を受けて研究している節もあり、その存在は脅威だ。私と関わる者は、危険な目に遭うだろう。
だから、離れよう。
私の大切な人達を巻き込んだり、傷つけたりしないためにも。
「鷹花、暗い顔してどうした? あくまでも俺の希望で、無理強いはしたくない。ゆっくり考えて返事をしてくれ」
「……わかりました」
この場で返事ができたなら、どんなにいいだろう。
『私もあなたが好きです。ぜひお嫁さんにしてください』
そう、胸を張って言えたなら。
あなたの隣にいたことで、私は幸せな夢を見た。
このままともにある未来を――。
けれど夢は所詮夢で、本来は望むべくもないことだ。
零れ落ちる涙を悟られまいと、私は唇を噛んで上を向いた。
澄やかに晴れた青空を、一羽の鳥が横切っていく。
「トンビか。珍しいな」
空に向かって伸ばされた、たくましい彼の腕。
その腕を眩しい思いで見つめた私は、同じように手を伸ばす。太陽の光が指の隙間から差し込んで、輝いて見える。
「綺麗……」
思わず漏らした私の横で、空色の瞳が笑みを湛えた。
「今頃気づいたのか? 俺はとっくに知っていたぞ。手だけじゃない、鷹花はどこもかしこも綺麗だ」
「えっ……?」
一瞬、何を言われたのかわからなかった。
樂斗さんは、私が自分を褒めたと思ったの?
「ええっと……」
「鷹花、好きだよ。身も心も綺麗な君と、この先もずっと一緒に生きていきたい。それが俺の素直な気持ちだ」
答えに迷っていると、樂斗さんが真剣な表情で私を見下ろした。
スッと通った鼻筋と整った顔の輪郭、涼やかな目元と煌めく空色の瞳。私の空はここにある。愛しい人の姿を、心に焼き付けておきたい。
溢れんばかりの想いを閉じ込め、私は無理に笑って見せた。
楽しい時間はあっという間。
気づけば夕暮れで、そろそろ帰る時間だ。
川の水面は以前と同じくらい、キラキラしていた。けれど私の心は全く異なり、悲しい思いを抱えている。
「このまま、時が止まればいいのに……」
小さく声を発すると、樂斗さんが苦笑する。
私の願いはただ一つ。
叶うことならあなたの隣で、普通の女の子として普通の暮らしがしてみたかった。
「……鷹花?」
名前を呼ばれて見上げると、樂斗さんの端整な顔が近づく。
私はそっと瞼を伏せた。
この瞬間の喜びと胸のときめきを、いつまでも覚えておきたくて。
私はこの日、愛しい人と初めての接吻をした。
夜半に降った雨は、早朝には止んでいた。
そのせいで周囲には、霧が立ち込めている。
これなら霧が、姿を隠してくれそうだ。
私は袋に入れた小さな鈴を取り出して、次いで『LUCK―MAY館』を振り返る。
「さようならも言わずに、ごめんなさい」
そっと呟き、背を向ける。
未練は断ち切らなければならないとわかっているのに、彼にもらった鈴だけは、どうしても手放せなかったのだ。お守り代わりに胸元にしまい、歩みを進める。
ここからは、私一人の戦いだ。
逃げるのではなく、立ち向かうため。
広い空を、いつの日か笑顔で見上げられるように――
そして全てが終わったその時は、大事な人達の住むこの場所へ、空色の瞳のあなたの元へと帰りたい。
叶わない恋でもいい。
あなたが私を忘れても、今度は私が覚えているから。あなたと同じ街に暮らして、あなたと同じ空が見たいの。
また会う日まで。
あなたはどうか、元気でいてね。
*****
二ヶ月後――。
夕方前のこの時間は閑散としているので、店長のあたしとしてはゆゆしき問題だ。あの娘がいなくなってから、こんな日が多くなってきた。
「芽衣子さん、さっきの話の続きだけど……。鷹花ちゃんは、誰にも内緒でいなくなったんだよね?」
「ええ。思い詰めた様子だったから、そっとしておこうと言ったあたしがバカだったんだけど」
「芽衣子さんでも間違うことがあるんだな。で、弟くんはそのあとを?」
「そう。どうしても彼女を探すんだって、官憲をあっさり退職したの」
――鷹花がいなくなった後の、樂斗の行動は素早かった。辞表を出した翌日に、自分の刀と革袋を担いでここを出て行ったのだ。
その日、玄関まで見送りに出たあたしは、弟と言葉を交わす。
『どうしても行くの?』
『ああ。鷹花を守ると約束したから』
『きな臭い匂いがするけど、それを承知で?』
『もちろん。彼女を一人で泣かせるわけにはいかない』
決意を秘めたその顔は、我が弟ながらカッコ良かった。
『それなら気をつけて、としか言えないわ。あとはここで帰りを待っている、としか』
『そうしてくれ。彼女と行き違いになっても困るから』
『まあ頑張りなさいな。そういえば、その鈴……鷹花とお揃い?』
鷹花は桃色だったが、樂斗は水色の紐のようなものを付けていた。二人が初めて出かけた翌日に、彼女が嬉しそうに見せてくれたから、しっかり覚えていたのだ。
『ああ。こんなことなら、もっといいものをあげれば良かったな』
『それは帰ってからのお楽しみ、ね。男なら、好きな子は生涯大事にするものよ』
『離婚した姉貴が言うと、妙に説得力があるな』
『うるさいわね。いい、一人で戻って来るんじゃないわよ』
『心得た。それじゃあ』
刀に結んだ鈴が、ちりんと小さな音を立てる。
一切の迷いなく旅立つ弟に、あたしは笑顔で手を振った――。
「まっ、そんなわけよ。あたしはまた、すぐに会えると信じてる。さ、そろそろ混むから、ひやかしは帰った帰った」
「ひっどいな。常連客が店の名前が変わった理由を聞いただけなのに」
あたしは「ふふ」と笑って店の外に立て看板を出しに行く。この時間のお薦めは、あの子の好きな果物たっぷりのパンケーキ。
「鷹花、みんなが帰りを待っているのよ? あんたを『化け物』と言った車の持ち主は、こっちでとっちめておいたから。あなた達、今頃どこにいるのかしらね」
店の看板にはこう記されている。
『LUCK&YO館』――樂斗と鷹花に幸運を。
空はどこまでも青かった。
もちろん全てフィクションです(^^ゞ。
相変わらずの亀更新ですが、よろしくお願いいたします。