私の真実
それから数日後。
私は忙しい芽衣子さんに代わって、大きな商店へメリケン粉(小麦粉)を買いに行くことになった。かき入れ時に抜けても平気なのは、給仕に不慣れな私だけ。威張って言うことではないけれど、樂斗さんはドジなところも可愛いと言ってくれる。
無事に買い物を終えて店を出た途端、私は黒い車から降りてきた黒服の男達に囲まれてしまう。
「お前が鷹花だな」
いかにも怪しい人達に、自ら名乗るはずがない。
「失礼ですが、あなた方は? ……キャッ」
いきなり車に連れ込まれそうになった。
買い物かごを振り回したせいで、メリケン粉が零れて辺りは粉だらけに。
「お前達、何をしている!」
「樂斗さん!」
「チッ、官憲か。相手が悪い」
偶然通りがかった彼に、私は助けられた。
けれど襲われた理由がわからず、震えが止まらない。
私の名を呼ぶ彼らは何者?
私はどこから来たの?
黒服の男達は、私の過去を知っているのだろうか?
正体不明の男達に狙われた怖さと、以前の自分を思い出せない焦り。その日の夜に体調を崩した私は、樂斗さんの勧めもあって、回復後もなるべく店に出ないようにしていた。
「ええー、鷹花ちゃん、今日も休みかぁ。これじゃあ、なんのために来たのかわからないよ」
「芽衣子さんはきっついもんな。まあ、コーヒーだけは美味しいけど……わぶっ」
階下から聞こえる声にも恐怖が募る。陽気に笑う彼らの中に、黒服の男の仲間がいるとしたら?
本来なら今頃は、お客様の冗談に笑っていたはずだ。給仕として役に立たなくても精一杯勤めていたし、お店のことは好きだった。淹れたてのコーヒーと甘い香りに包まれたあの場所にいると、心が落ち着くから。
お客様の元気な声と店の明るい雰囲気には、いつも救われていた。
『私は決して一人じゃない』
そう感じるほど、カフェは私の日常だった。
「日常?」
ふと、頭の中にある光景が浮かぶ。
白い壁に白い天井、鋼鉄製の無機質なベッド。薄茶の髪の眼鏡をかけた白衣の男性が何かを話しかけるが、顔がぼやけてよくわからない。
頭が痛む。
あの人は誰?
そして、私はいったい――。
「鷹花、変わりはないか? 巡回を強化しているが、男達の目撃情報が少なく、なかなか捕まらない」
「樂斗さん!」
「そんな顔してどうした。また具合が悪くなったのか?」
「いいえ。大丈夫だから、心配しないで」
「それならいいが、くれぐれも無理はするなよ。俺が君を必ず守るから」
樂斗さんは心配症だ。
それでなくても私は、好きな人に無理をさせていた。彼は同僚と担当地域を交代し、私が襲われないように警戒してくれているのだ。
心苦しくてうつむく私に、交代で様子を見に来た芽衣子さんが笑ってくれる。
「弟は武道の達人だから、大船に乗ったつもりでいなさい」
「でも、樂斗さんにもしものことがあれば……」
「そんなことを言ったら、同じ言葉を返されるわよ。相手を大事に思うのは、鷹花だけじゃないってこと。男なら好きな子の一人や二人、守れなくてどうするの」
「いえ、好きな子が同時に二人はちょっと……」
芽衣子さんと笑い合う。
だけど、彼女が去っても不安な気持ちは拭えない。
早く思い出さなくちゃ。
浮かび上がらない記憶の底に、ヒントはあるはずなのに!
「樂斗さん……ごめんなさい」
何もわからない自分が歯がゆくて、思わず呟く。仕事を終えて戻ってきた樂斗さんは、いつものように私の頭をポンポンと撫でてくれた。その優しい仕草に、無性に泣きたくなってしまう。
――好きになったのが、あなたで良かった。私が記憶を取り戻しても、一緒にいてくれますか?
半月後。
私は元通り、カフェで給仕として働くことになった。
急に襲われたあの日以来、男達の姿は見かけない。目の前で黒い車が停まることもないので、車を見るたびビクビクしたり隠れたりするのは、もうやめよう。
ただでさえ店は繁盛しており、常に人手不足だ。私が欠けるせいで、お客様の楽しい時間を壊してはならない。
そんな中、事件は起こった。
表の通りで慌てたような声がする。
「あの車、真っ直ぐ突っ込んでいくぞ!」
叫び声が聞こえた次の瞬間、一台の車が猛スピードでお店の正面扉に激突した。あろうことか車はまだ、動きを止めない。
「うわあっ」
「ひゃあ」
「危ないっ!」
混乱の中、反射的に身体が動く。
私は持っていたお盆を放り投げ、車の前に走り出た。大事なお客様と芽衣子さんに怪我をさせてはならないと、その一心で。
車に向かって手を伸ばした直後、私の手に車のボンネットが激突。ぐしゃりと歪む。
――いえ、歪んだのは車の方だ。
「ひぃっ」
「車を一撃で?」
「ば、化け物だ!」
飛び込んできたのは緑の車で、運転席から出てきた人が、「急にブレーキが効かなくなった」と青ざめている。黒服の男達とは関係ないらしい。
だけど私は、お店にいた人のざわめきの方が気になった。みんなに恐怖を与えた上、「化け物」と言われたことで、ある映像が頭の中でめまぐるしく再生されていく。
私は――……!!!
「鷹花、あんた平気なの! とにかく二階へ。手当てをしなさい」
芽衣子さんの言葉に、私は素直に従った。
お客様を怯えさせてはいけない。ただそれだけを考えていたのだ。
二階へ上がり、後ろ手にふすまを閉めた。
その瞬間、涙が溢れて止まらない。
切望していた過去の記憶が、こんなにも忌まわしいものだったなんて――。
◇◆◇
私の名前は鷹束鷹花。
鷹束財閥の総帥である父と、華族の母との間に生まれた。幼い頃は一人娘として、何不自由ない生活を送っていた記憶がある。けれど、原因不明の事故で両親が亡くなると、穏やかな生活は一変した。七歳の時、実の叔父の手で見知らぬ場所に連れて行かれたのだ。
「本当にいいんですか?」
「ああ。若い身体の方が、適合性があっていいだろう」
「確かに。おっしゃる通りですね」
白衣の男達が叔父に媚びへつらい、小さな私を見て笑う。
叔父は、双子の兄であった私の父の片腕として事業を切り盛りしていた。しかし、私の両親亡き後は早々に私を引き取り、財産と屋敷をそのまま引き継ぐ。そして「静養」との名目で、自身が所有する山奥の研究所へと私を放り込んだのだ。