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忘れられた令嬢は空の瞳に恋をする  作者: きゃる
第一章 幸せな今
2/7

初めての恋

甘酸っぱい恋をぜひ╰(*´︶`*)╯♡


 思い返せば私の記憶は、三年前に樂斗(らくと)さんと出会ったところから始まる。


 ガス灯に浮かび上がる、緑の屋根に白い壁の洒落(しゃれ)たカフェ。閉まったばかりの店の横に立つ白い服の女――それが私だ。銀糸の入った青い制服の青年が、私に近づく。


「君、こんなところでどうした。そんな恰好(かっこう)で何を?」


 彼の腰に下がった刀を見て、とっさに「逃げなければ」という思いが頭に浮かび、身を(ひるがえ)す。でも疲れ切っていたのか、身体に力が入らない。つまずいて倒れる寸前、伸びてきた彼の腕が私を支えた。


「危ない! いや、怪我(けが)もそうだが、いろんな意味で。若い女性が夜道に一人、しかも薄着一枚では危険だ。ほら」


 青年は、当然のように自分の上着を脱いで私に着せかける。その時初めて顔を上げ、私は彼をじっくり(なが)めた。


 藍色のサラサラした髪、精悍(せいかん)で整った顔、優しい光を(たた)える空色の瞳は誠実そうだ。

 本能で彼を信頼できると感じた私は、その腕の中で気を失った。


 目覚めた私は、お店の二階にある和室で布団の上に寝かされていた。驚くことに、私は自分のことを何一つ覚えていない。……いえ、正確にはたった一つ『鷹花(ようか)』という名前だけは、すぐに答えることができた。


 私が気を失っている間に、側にいた女性が汚れた私の身体を()いてくれたそうだ。彼女はその時、太ももの内側にある(あざ)に気づいたと言う。


「痣……ですか?」


 それすら記憶になかった私は、ためらいもなく着せられていた浴衣(ゆかた)(すそ)をめくる。


「あ、本当ですね」


 ちょうどその時、誰かがふすまを開けた。


「なっ……。いったい何を!」


 私を助けた青年が、驚き固まる。

 私は浴衣の裾を下ろすことも忘れて、彼をポカンと見つめた。


 ――背の高い彼とこの女性は、ご夫婦かしら?


 初めはそんなことを考えた。

 後から二人が姉弟だとわかり、私はなぜかホッとする。


 青年は『樂斗(らくと)』と名乗り、「君を保護したのは俺だから、回復するまで面倒をみる」と宣言した。「記憶がないなら、取り戻すまでここにいていいよ」とも言ってくれる。

 優しい言葉に目頭が(うる)んだ。

 でも、私が最近面倒をかけているのは、姉の芽衣子さんのような気が……。



 *****



「……花、鷹花」


 樂斗さんの声で我に返る。

 いけない、名前を呼ばれていたみたい。


「はい、なんでしょう?」

「明日は店も休みだし、俺も非番だ。たまにはどこかへ行くか?」

「いいですね! 芽衣子さんはどこがいいですか?」

「あたし? もちろん遠慮しておくわ。馬に()られたくないもの」

「馬ですか? この辺にいるとは思えませんが……」

「人の恋路を邪魔するやつは、馬に蹴られて……ってね?」

「???」


 帝都は都会で、お金持ちは新しくできた「車」というものに乗るようになった。そのため馬が怖がって、この辺はめったに馬車が通らない。

 首をかしげる私と、肩をすくめる芽衣子さん。樂斗さんは困ったような顔をしていた。




 あくる日、私は樂斗さんと一緒に帝都近くの河原に来ていた。二人とも着物姿だけれど、樂斗さんは着流し姿もよく似合う。


「本当に、こんなところで良かったのか?」

「はい。ずっと気になっていました」


 カフェの常連、典雅さんがこう教えてくれたから。


『釣りをしなくても、川は見るだけでもいいぞ。水には心を(いや)す効果があるらしい』

『そうなんですね。いつか行ってみたいです』

『いつとは言わず、今からでも……』

『ほらほら鷹花、他のお客様がお呼びよ。それからあなた、この子にデートの誘いなんて百万年早いわよ』


 百万年後は、誰もいないと思うの。

 芽衣子さんはたまたま機嫌が悪かったらしく、私は早々に追い払われてしまった。

 その日の話はそれで終わり。

 けれど川には、いつか行ってみたいと思っていたのだ。


 樂斗さんが笑いながら、河原に真っ白なハンカチを広げてくれる。


「どうぞ、お嬢様」


 お嬢様という言葉を聞いて、頭の(すみ)に何かが浮かぶ。でもそれは、煙のようにあっという間に消えてしまった。


「どうした? 遠慮せず、座るといい」

「ありがとうございます」


 赤い生地に白い小花柄の着物は、芽衣子さんに借りたもの。汚したくないので、正直助かる。帯は淡い亜麻(あま)色、帯紐は浅葱(あさぎ)色を合わせていた。私より背が高い彼女の着物にしては、丈や袖の長さが私にぴったりだ。


 私は樂斗さんが用意してくれた白いハンカチの上に座り、彼の横で川をボーッと眺めた。


 吹く風は優しく、時々聞こえる鳥の声。

 自然の中にいると、自分がちっぽけな存在に思えてくる。過去を忘れた悩みなど、大したことがないような。建物に(さえぎ)られない空は広く、抜けるように青い。


 ふいに樂斗さんが立ち上がり、川に近づく。

 彼が石を投げ入れると、あら不思議。ただの石が、水面をピョンピョン()ねていく。

 興奮した私は、彼に走り寄る。


「すごいです! どうすればそんなふうにできるのですか?」

「簡単だ。平らな石をこう握って、回転させれば……」


 彼の大きな手が、私の手を包んで石を握らせた。ただそれだけのことなのに、近づく距離に胸が苦しい。そのため、私は――。


「すみません。石を握り潰してしまいました」

「そっちの方がすごいな」


 せっかく握らせてくれたのに、平らな石は私の手の中で砕けてバラバラに。

 緊張すると、なぜかこうなってしまうのだ。

 力が強すぎて、私は彼に嫌われた?

 唇を噛みしめて、泣くのを必死に我慢する。


「たまたまだろう。気にするな」


 姉の芽衣子さんから事情を聞いて知っているはずなのに、彼はどこまでも優しい。


「それよりこれを。今度は強く握らないでほしい」


 樂斗さんが袖のたもとから取り出したのは、桃色のリボンがついた金色の鈴だった。彼はそれを私の手のひらの上に置く。


「これは?」

「街で手に入れた。可愛い音を聞いた時、鷹花を思い出したんだ」


 熱くなった(ほお)をごまかすように、私は金色の鈴を顔の前で振ってみた。


「本当ですね! 綺麗な音です。ありがとうございました」


 返そうとする私の眼前で、樂斗さんが首を横に振る。


「持っていてほしい。鷹花のために買ったんだ」

「あ……ありがとうございます」


 私は贈り物の鈴を握らないよう、手の平でそっと包む。


「すでに察しているとは思うけど、俺は君が好きだ。このままずっと(そば)にいてほしい」


 突然の告白に、私の心臓が早鐘を打つ。

 驚きと喜びがごっちゃになって、顔がますます熱くなる。

 けれど――


「過去を思い出せない女など、気持ち悪くはないですか?」

「どうして? 鷹花は鷹花だろう。一生懸命頑張る姿と笑顔が好きだ」

「私にはなんの取り柄もありません。だから、笑うしかなくて……」

「明るい君に癒されている者は大勢いる。だが、つらい時には無理して笑わなくていいんだ。俺はそのままの君がいい。これからは、俺に君を支えさせてくれ」

「樂斗さん……」


 夕日に輝く水面(みなも)を眺めながら、私は優しい人の優しい言葉を胸中で反芻(はんすう)する。


 本当はもう、とっくに気づいていた。

 彼の姿を見るだけで、心がときめくわけを。

 彼の声を聞くだけで、顔が(ほころ)ぶ理由を。


「私もあなたが好きです」――素直にそう言いたい気持ちを、私の中の何かが押しとどめた。


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