ぼろぼろの勇者を泊めてみた
それは、良く晴れた日だった。
僕は、小川の近くの木陰に座って、本を読んでいた。
すると、声をかけられた。
「こんにちは、少年。」
「こんにちは。」
僕は読んでいた本を閉じて、声の主を見た。
声の主の、その彼のぼろぼろの様子に、僕は驚いた。
「だ、大丈夫ですか?」
僕は本を地面において、彼に駆け寄った。
男は襤褸を纏い、全身に傷の痕があった。髪は白髪混じりで、明らかに尋常ではない。
戦争から帰ってきたと言われても全く不思議ではない、それほどの様子だったのだ。
しかし、彼は駆け寄る僕を制して頷く。
「大丈夫さ。見た目はこんなのだけど、どうってことない。」
彼は微笑みを浮かべて言った。
「そんなことよりさ、この村に宿ある?今日泊まりたいのだけど。」
彼の問いに困った。
ここは辺境の村。王都からは遠く離れ、滅多に客人など来ない。旅人ですら殆ど寄ることはないのだ。勿論宿などない。
「ありません。」
僕は思わずうつむいて言った。
彼は明らかに疲れているようだったし、彼に文句を言われるかもしれない、そう思ったのだ。
しかし、彼は存外軽く頷いただけだった。
「そっか。ならいいや。」
そういうと、彼は「次の村まで歩くか。」と呟いて、僕に背を向けた。
僕はぎょっとした。
次の村、と彼は軽く言ったが、そんな軽く行けるような距離ではない。この村一番の馬乗りが全速力で走っても丸一日かかるのだ。
ましてや徒歩で行くとすれば、確実に日が落ちるまでに着かない。自殺行為だ。
僕はその傷痕だらけの背中を見て、居ても立ってもいられなくなって、彼に言った。
「あの、僕の家に泊まりませんか?」
彼はぴたり、と立ち止まって、振り返った。
「良いのかい?君の家族に迷惑が掛かるんじゃないのかい?」
僕は首を横に振る。
「構いませんよ。家族は居ません。僕一人ですから。」
とうに家族はいない。5年前から僕は独りで暮らしている。
僕はまだ子供だけれど、近所の人たちが良くしてくれるから、暮らしには困らない。
彼は目をぱちくり、と瞬かせて言った。
「じゃあ、お言葉に甘えさせてもらおうかな。」
僕は彼を自宅に案内する。
「あの、名前を伺っても良いですか?」
僕は彼を見上げて言った。彼は僕よりもずっと長身で、体格もよい。戦士だと言われても驚かない。
「俺?あぁ、名乗ってなかったな。」
人に名乗るのは久しぶりだ、と呟いてから教えてくれた。
「俺はアレジフォード。仲間からはアレ、と呼ばれていた。」
そう言って、遠い過去を見るように目を細めた。
「仲間、ですか?」
目の前のアレさんは、どう見ても独りだ。仲間がいるようには見えない。
もし、仮に仲間が他にもいるのなら、僕の家では狭すぎる。
でも、僕の心配とは裏腹に、彼は言った。
「死んだ。もういない。今は独りだ。」
そう言って彼はわずかに目を伏せる。
まつげの間から覗く、その緑の瞳には、酷く静謐な悲しみが見えた。
僕は気まずくなって、彼から目を反らした。
そうか。
彼の仲間は、死んだのか。
悪いことを聞いてしまった、と思った。
僕が思うに、仲間を喪う悲しみは、きっと家族を喪う悲しみと同等だ。
もしかしたら、産まれた時から半ば強制的に一緒に居る家族よりも、自分の意思で一緒に居る仲間を喪う悲しみの方が、大きいのかもしれない。
アレさんは笑う。その瞳には既に悲しみは見えない。
まるで、感情を分厚い壁で分断したかのようだった。
「いいんだ。それより少年、君の名前は?」
「クロクスです。」
僕は答える。
「ちなみに、どうしてそんな格好をしているのですか?魔物にでも襲われましたか?」
この辺にも、魔物は出る。最近はめっきり出なくなったが、油断は禁物だ。
もし彼が魔物に襲われたのだとしたら、まだ近くに魔物が出るかもしれない。
すると、アレさんは豪快に笑った。
「ハッハッハッ!魔物、魔物ねぇ。」
彼の、あまりの笑いっぷりに、何か変なことでも言ったのだろうか、と心配になる。
彼は唐突に聞いてきた。
「君、俺の職業なんだと思う?」
僕は咄嗟に答える。
「えっと、戦士ですか?でも、最近は戦争なかったはずだし、なんだろう。分かりません。」
僕が首を傾げれば、彼は少しだけ悲しそうに微笑んだ。
「俺は、冒険者だ。それも、『勇者』に近いな。」
僕は驚いた。
この世界で『勇者』といえば、王よりも尊いと言われるほどの存在。滅多にいない。
それに、その『勇者』は通常『パーティー』というのを組んでいるはずだ。しかし、今、彼は独りだ。
もしかして、亡くなられた仲間、というのは彼のパーティーのメンバーだったのかもしれない。
本来、この世界の冒険者には、『冒険者の加護』という魔法が掛けられている。魔物に襲われて死ぬことはない。
きっと、彼の仲間は事故で亡くなったのだろう。『冒険者の加護』は魔物限定だ。それ以外の死は免れることができない。
彼の悲しげな微笑みは、そう言う意味なのかもしれない。
僕はそう勝手に納得した。
彼は遠い目をして言った。
「それで、いろいろあってな。何とか魔王は倒したんだが。」
「え?」
魔王倒した?
「魔王、倒したんですか?」
僕は口から心臓が飛び出すほどに驚いた。
魔王といえば、この国を脅かす魔物の王。それを倒すのは、ここ何世紀かの悲願だ。
それを、目の前の男が倒した、だと?
「信じられないって顔をしているな。」
クク、とアレさんは笑う。
「無理もない。とにかく俺は、魔王を倒して、その報告をしに王都へ向かう途中だ。」
そんなすごい人だとは思わなかった。
道理でぼろぼろなわけだ。そりゃ、傷痕だらけにもなる。
「そ、それなら、その辺の役人に言えば、迎えの馬車出してくれるんじゃあないですか?」
僕は彼に言った。
迎えの馬車どころか、凱旋パレードもしてくれそうだ。
しかし、彼はかぶりを振った。
「いいや。自分の足で、ゆっくり帰るさ。急ぐ旅路ではないからな。かつて仲間と一緒に歩いた道を、今度は独りで、彼らを思い出しながら。」
やはり、彼の仲間は魔王退治の際に、亡くなったのだ。
確かに、彼の言う通りなのかもしれない。
彼らを思い出し────────冥福を、祈りながら。
そう言った時の彼の瞳には、隠しきれないほどの絶望が垣間見えたような気がした。
無理も、ない。
「だから、最近魔物がでないのですね。」
僕はアレさんに言った。
「ありがとうございます。あなたが魔王を倒してくれたからですね。」
すると、彼は虚を突かれたような表情になった。
「あ、あぁ。」
それから、考え込むようなそぶりを見せた。
そして、ぽつりと呟いた。
「ありがとう、か。」
僕にはその真意は分からなかったけれど、きっと彼には何か思うところがあったのだろう。
仲間が、亡くなっているのだ。
安易にありがとう、何て言ってしまったが、少し軽率すぎただろうか。
そうこうしているうちに、村の端に建てられた小さな小屋に着いた。
「ここです。狭いですけど、どうぞ。」
僕は、アレさんを迎え入れる。
「おぉ、ありがとう。」
彼は、小屋のなかをきょろきょろと見回す。
「自由に使ってもらっても構いませんよ。少し待っていてください。」
僕は彼にそう言って、小屋を出た。
招待したからには、食料も寝る場所もきちんとある。
だけど、彼は全身傷痕だらけだったので薬草を採りにいくことにしたのだ。
それほど、彼の傷痕は深かった。致命傷だったであろう傷も多い。よく死ななかったな、と思う。
じつはこう見えて、僕には治癒魔法の適正がある。自分で言うのもなんだけど、結構実力はある方だ。
だからこそ、余所者の僕がこの村で暮らしていけるのだ。近所の人がなにかと良くしてくれるのは、僕がこの能力を持っているからにほかならない。
万が一魔物が出て、誰かが怪我をしたときに、僕がいればなんとかなる。だから住まわせてくれる。
正直、どこの村も、無償で子供を養うほどの余裕はないのだ。自分達の得にならないことはできない。
それが冷たいとは思わない。みんな、自分がいきるので精一杯。僕も、そうだ。
この村で、僕は医者の真似事をして生計をたてている。だから、彼の傷痕を見て、大体の見当がつくのだ。
必要な薬草を採り終え、小屋に戻る。
すると、小屋の窓が開いていた。それは別に構わないのだけど、問題は、そこからゆらりゆらりと細く煙が立ち上っていたことだ。
心臓が微かに跳ねた。
小火かとも思ったが、それにしては煙が小さすぎる。しかし、原因は分からない。ともかく、原因を探らないと。
アレさんは大丈夫だろうか。
僕は小走りで小屋の中に飛び込む。
「おぉ、お帰り。何していたんだ?」
小屋に入った瞬間、アレさんは呑気に言った。
彼の手には、葉巻。
煙の正体は、葉巻だったのだ。
ひと安心する。
紛らわしいな。
「あ、もしかしてクロクス、肺が弱かったりするのか?」
彼は慌てて葉巻を揉み消そうとする。
僕は首を振る。
「そんなことはないですけど。」
でも、葉巻の煙の臭いを嗅いで、彼に言う。
「でも、その葉巻はあまり体に良くありませんよ。」
しかし彼は目を伏せた。
「分かってるよ。でも、これがないと、気が狂ってしまうんだ。」
それを聞いて、少し嫌な気持ちになる。
依存性か。
銘柄にもよるが、葉巻は依存性がかなり高いものがある。一度依存すれば、抜け出すのは極めて難しい。
この村にも何人か煙草中毒の患者がいる。
この国では、酒よりも煙草の方が安い。特にこの地域は煙草の原料を作っているから、なおさら手に入れやすいのだ。
正直、香りを嗅いだだけでは、銘柄を断定することはできない。
だけど、分かる。
「ダメですよ。」
僕は少しだけ責める口調で言った。
「それ、葉巻に似せた、違法麻薬じゃないんですか?」
アレさんは心底驚いた顔をした。
勿論、間違っている可能性もあった。僕だって全世界の葉巻の銘柄を知っているわけではないし、違法麻薬の臭いを全て知っているわけでもない。
どちらかというと、そちらの可能性に掛けたかった。
しかし、彼は無情にも首を振った。
「良く分かったね。まさかこんな辺境の村の、しかも子供にバレるとは思ってもなかったよ。」
彼はぐしゃり、とまだ火の着いている葉巻を握りつぶした。
熱くないのだろうか。
火傷用の薬草は、確か戸棚に入っていたはずだ。
そんな、的はずれなことを考えた。
「僕は、少しばかり医術を嗜んでいるので。」
僕はすべての窓を開け放した。
葉巻は吸っている煙よりも、その他の煙の方が何倍も害が多い。違法麻薬ならなおさらだ。
アレさんは火の消えた葉巻を吸い殻入れに入れて、言った。
「どうする?役人に突きだすか?」
なんだか面白がっているような口調だ。
それが少しだけ気に障った。
自分のことなどどうでもよい、となげやりにしているような感じがしたからだ。
医療に携わる人間として、そういう人間は癪にさわるのだ。
だから、できるだけ冷たい口調で言った。
「本来なら、そうすべきなのでしょうね。」
すると、アレさんは意外そうに目を瞬かせた。
「しないのか?」
僕は頷く。
「どうせ、この村に役人なんて殆どいないので。」
こんな辺境の村に来る役人なんて、対して役に立たない、なにもしない人だ。
だからこんな僕のような余所者が住めるのだけど。
「ですが、その代わり。」
僕は、彼に近づく。
「なんだ?分けろって言うのは無理な話だぜ。」
そんなわけないだろ。
「話を、聞かせてください。」
僕は彼の目をまっすぐと見据えて言った。
「どうしてそれを使っているのですか?」
僕の質問に、アレさんは答えにくそうに窓の外を見た。
どんな理由があっても、違法麻薬は駄目だということは分かっている。
しかし、その理由の如何によっては、なんとか麻薬中毒から抜け出させることが出来るのではないか、と考えたのだ。
若干傾きかけた淡い橙色の日の光が、部屋に漂う煙を希釈していく。
彼は、なかなか答えなかった。
部屋の煙が目視できないぐらいに薄まった時、漸く彼はゆるゆると口を開いた。
「本当なら、『そんなのあんたには関係ないだろ』と言うところだが、それだと君は納得しないだろうね。」
彼は僕の目を見ずに言った。
彼は濁った緑色の瞳を、窓の外、遠くに向けている。
何を見ているのかは、僕には分からない。
僕は頷いた。
アレさんは、僕をちらりと横目で見て嘆息した。
「仕方ないな。」
「長い話ですか?」
僕が聞くと、彼は無言で頷いた。
僕は、部屋の奥においてある龜から水を組んだコップとパンのかごを彼の前に置いた。
それから、昼御飯の残りのコーンビーフと、木苺のジャムを添える。
「質素ですが、好きに食べてもらっても良いです。食べながら話しましょう。」
僕がそう言うと、彼はうなずいて、パンをひとつとった。
そして、彼は水を一口飲んで、僕を見た。
「最初は、関係ない話に聞こえるかもしれないけど、とりあえず聞いてくれるか?」
間髪入れずに頷く。
「話してください。」
僕が頷くと、彼は静かに語り始めた。
「ある日、俺は、魔王退治に出掛けた。」
「なんのことはない。『勇者』になるのは、冒険者の夢だからな。少しばかり腕が立つ俺は、仲の良かった魔術師、聖霊師、戦士とパーティーを組んで、『魔王』退治に出掛けたんだ。」
俺がリーダーだった、と彼は付け加える。
「仲間は、その時に死んだ。いつ、死んだと思う?」
アレさんは、僕に聞いた。
僕は答える。
「魔王を倒す時ですか?」
普通に考えて、魔王を倒すときに、瓦礫やなんやらの崩落に巻き込まれて死ぬ可能性が一番高いように思う。
魔王の攻撃で死ぬことは、殆どない。
確かに、『冒険者の加護』にも限度があって、遺体が残っている、というのが条件だ。なので、魔王退治の際に木端微塵になる魔法や、全身溶かしてしまう魔法に当たってしまったら蘇生出来ないこともある。
しかし、アレさんは首を振った。
「ちがう。」
「では、いつ?」
魔王を倒したあとに、油断して事故に巻き込まれたのだろうか。
「魔王城に着く前に、二人死んだ。」
彼は酷く乾いた声音で言った。
「俺ともう一人は魔王城には着いた。だけど、もう一人も魔王にまみえることなく、死んだ。」
ひび割れそうなほど、乾いてささくれだった声音だった。
どくり、と心臓が鳴った。
まさか、ということは、魔王と戦ったのは、彼一人ということなのか?
たった一人で魔王と戦って、生きて帰ってこれただなんて、それこそ信じられなかった。
彼は弁明するように言った。
「言っておくが、あいつらが弱かった訳じゃない。あいつらの名誉のために言っておくが、強さで言えば、それぞれの分野で『最強』と呼ばれるぐらいには強い奴等だった。」
そして、目を伏せる。
「俺一人じゃあ、魔王は倒せなかった。」
「じゃあ、どうして。」
彼は僕の質問には答えずに、逆に質問してきた。
「なぁ。魔王を殺すのは、悪か?」
唐突な質問にフリーズしかけたが、僕は首を横に振った。
そんなの、善いことに決まっている。
みんなが望んでいることだ。魔王を殺さなければ、僕らは永遠に魔物に怯えなければならないのだから。
すると、もう一度彼は問うた。
「じゃあ、魔物を皆殺しにするのは、悪か?」
これにも首を横に振る。
魔物を倒すのは当たり前だからだ。
アレさんはその答えに満足したかのように頷く。
そして、少し考えるようにして、また聞いてきた。
「じゃあさ、これは善か?」
彼は、パンを引きちぎった。
なんだろう。
「手の施しようがなくなった仲間を、殺すのは?」
「────!」
一瞬、呼吸ができなくなった。
「仲間を、殺す?」
僕は、衝撃のあまり、馬鹿みたいに鸚鵡返しをするしかなかった。
今までの質問と、ベクトルが全く違うじゃないか。
しかし、そんなことは意に介さず、彼は頷く。
「そうだ。」
「それは。」
僕は口ごもった。
手の施しようがなくなった仲間。
それはきっと、不治の病に侵された患者の様なものだろう。
僕はそれなりに、実力はある。
だけど、時にはどうしても治せない病にぶつかる時もある。何度も、経験した。
「倫理的には、どれだけ手の施しようがなかろうと、助ける努力をすべきでしょう。」
事実、僕はそうした。どう頑張っても助からないのが分かっていても、最期まで患者に治療した。どちらかと言えば、治療した『フリ』になるのだろうけれど。
それでも、必死に治療されている、と思うだけで、生きる気力になることもあるのだ。最終的には死ぬとしても、寿命が伸びることはある。
それが、最善だと思っていた。
無論、今もだ。
だけど、そうでないときもあるのも、知っている。
「だけど、合理的には、手の施しようがなければ殺すべきでしょう。薬と食料と体力の無駄ですから。」
僕は、うつむいて言った。
最善なんてものは、時と場合によるのだ。
数学の最適解みたいに、これと決まっているわけではない。
「だよな。勇者パーティーって、いつもギリギリなんだわ。資金援助なんて殆ど誰もしてくれねぇし、物資も自分達で運べる分しか持ち歩けない。」
俯いていたから、彼の顔は見えない。
「だから、手の施しようがない奴の面倒なんて、見れないんだよ。それに最期、あいつは自ら俺に『殺して』なんて頼んで来たしな。」
むしゃむしゃ、と固いパンを咀嚼する音が聞こえた。
「なんてこと、頼んできやがるんだ、と思ったね。」
視界の端に、彼のがさついた手が見えた。
彼はその手をきつくきつく握り締めている。じわり、と赤い血が滲み出ているのが見えた。
僕は彼に聞いた。少しだけ責めるような口調だったかもしれない。
「それで、殺したんですか。」
「そうだな。」
彼はあっさりと頷いた。
「ご病気だったんですか、その人。」
彼がいいや、と言った。
そりゃそうか。病気を持っている人を、魔王退治に連れていけるわけがないか。
「彼は戦士だったんだけど、戦士って色んなポーション使うんだ。」
それは知っている。
戦う前には、興奮剤。
戦いが終われば、鎮静剤。
各種身体の強化剤。
怪我をすれば、治療薬。
僕のような治癒系のヒーラーがいても、限度がある。一度に治せる怪我は限られているのだ。
そこまで考えて、僕はある可能性に気がついた。
健康な戦士でも、手に負えないほどになる可能性に。
「もしかして。」
「君ならわかるかな。」
彼は僕が治した部分を撫でながら言った。
「あらゆる薬を使いすぎてね。副作用で、脳に障害を追って、正気を保てなくなったんだ。」
彼は悲しそうに目を細めた。
「それに、薬って使えば使う分だけ、慣れちゃうらしいね。同じ量じゃ満足できなくなる。」
僕は頷く。
「戦士は、戦いの度に薬を飲んでいた。何度も戦いを繰り返すうちに、薬の量は増えていった。それだけではなく、薬を飲む間隔も短くなって、終には戦いがなくても薬を飲むようになった。」
彼は、水を一口飲んだ。
とても苦しそうだった。
「戦士は、最期、五分に一回、何かしらの薬を飲まないと暴れるようになっちゃってさ。敵だけじゃなく、パーティーメンバーも傷つけるようになった。」
大変だった、と彼は言った。
薬物中毒者の暴れ方の尋常のなさは、知っている。この村でも、一度出たことがある。
死者こそでなかったものの、彼を取り押さえようとして、何人もの怪我人が出た。
「ある日、戦士は暴れて、魔術師の左手を切り落としちゃったんだ。」
「そんな。」
僕は唾を飲んだ。
「幸い、魔術師は治癒魔法も少しは使えたから、彼女、すぐに引っ付けていたけどね。」
安心して、思わず息をつく。
「だけど、彼女の腕を切り落としたことで、戦士は正気に戻った。そして、地面に転がる彼女の左腕をみて、罪悪感を感じたんだろうな。そして。」
───────────殺してってさ。
彼は、静かに言った。
「要は、薬漬けになって、どうしようもなくなって、仲間も殺しかけたので、殺せってことだ。」
そこまで聞いて、僕は思わず声を荒げた。
「どうして、薬品に詳しい人を連れていかなかったんですか!少なくても、薬の組み合わせ次第では、そこまではいかなかった!」
よほど、パーティーのヒーラーがヤブだったのか。
薬品の調合は、僕でもできるのに。
「そうすれば、そうすれば防げたでしょうに!」
そこまで言ってしまって、少し落ち着く。
言い過ぎた、とは思わなかった。
彼は、僕から目をそらし、言った。
「聖霊師がその役目を果たしていたよ。」
「じゃあ、どうして。」
僕は悲痛に叫ぶように聞いた。
「ねぇ、君はさ、コンビーフは好きかい?」
突然の話題変換だった。
「そんなの関係────。」
「答えろ。」
アレさんが僕を睨んでいった。
これまでと違う彼の乱暴な口調に、僕はしぶしぶと答えた。
「まぁ、好きですよ。」
「だよね、こうして常備しているくらいなんだから。」
アレさんは微笑んだ。
「人間は、食べないと死ぬ。これは絶対なんだ。そして、食べるというのは、殺すと同義だ。」
彼は僕に言い聞かせるように言った。
もしかしたら、彼は彼自身に言い含めていたのかもしれない。そう思ったのは、後日のことだ。
「例えばこのコンビーフ。」
アレさんは、コンビーフをフォークで掬い、パンに乗せた。
「牛を殺しているよね。」
僕は頷いた。
彼は満足げに微笑む。
「そして、食べる。目の前にあったら、食べない訳にはいかないよね。勿体無いから。」
それはそうだ。
彼はパンにかじりついた。そして、咀嚼し、嚥下する。
でもさ、と彼は言った。
「もし、この牛が、命乞いしてきたら?」
「・・・。」
ごくり、と唾を飲んだ。
答えられなかったのだ。
アレさんはシニカルに口の端を歪めた。
「君は、その牛を食べられるかい?」
僕は牛を初めて屠殺した時のことを思い出した。
臭みが残らないように、血抜きをするのだ。
牛の、頸動脈の辺りを大きなナイフで切りつける。勿論、暴れないように拘束して。
牛の、絶叫が聞こえる。どうあがいても死ぬしかないのに、それでも生を渇望して、暴れる。
心が締め付けられたような気がしたのを覚えている。その夜は牛の血の匂いが体にべっとりと付着したような気がして、皮が剥けるほど全身を洗った。それでも全身にこびりついているような気がして、眠れなかったのだ。
その上、人間の言葉で命乞いしてきたら。
『助けて。』『殺さないで。』『お願い、お願い。』
絶対、無理、だ。
僕は、ゆるゆると首を横に振った。
「だよね。」
彼は目を伏せて言った。
「特に、君のように、治癒能力のある人はそうなんだろう。助けようと思えば、助けられるもんね。」
でもさ、と彼はパンを机の上においた。
「食べないと、死ぬんだよ。だから、俺たちは魔物を狩って食べた。そして、何が嫌かってさ、魔王城に近くなればなるほど、魔物の知能も上がる。だから、人の言葉で命乞いしてくる魔物が現れる。」
耳を、塞ぎたくなった。
その先が、予想できたから。
アレさんはそんな僕に構わず、続ける。
「それでも、命乞いする魔物を、狩って裂いて解して捌いて焼いて潰して煮て茹でて、そして、喰らう。毎日毎日毎日、来る日も繰る日もくる日も、そうするしか、ない。」
あぁ、と口から声が漏れた。
殆ど、喘鳴だ。
「もしかして、聖霊師さんは。」
「そ、自殺だ。」
なんてことのないように、彼は言った。
「ある日さ、人の言葉を話す魔物を殺した。一匹殺せば残党が群れで襲ってくるから、群れを一つ、皆殺しにしたんだ。男も女も、子供も老人も、尊きも卑しきも、一切合切関係なく、慈悲もなく、だ。」
彼はまるで昨日見た夢を知人に喋るときのように、言った。
「別にそんなことをしたのはそれが初めてってワケじゃあない。それどころか殆ど毎日、群れ一つ、酷いときには村一つ皆殺しにしていたんだ。」
本当に、世間話のような話し方だ。
それが、かえって、悲壮さを際立たせる。
「仕方なかった。俺らだって好きで魔物を皆殺しにしていた訳じゃない。でも、どれだけ嫌でも食べないと死ぬし、一匹殺せば仲間が襲ってくるから、仲間を守るためには、皆殺ししかなかった。」
彼は、唇を噛み締めてうつむく。
「その夜だった。いつもみたいに、獲った魔物の肉を食べて、素面じゃとてもやってられないから、これをみんなで吹かしたりして、騒いでいた。」
彼は葉巻を取り出して僕に聞いた。
「吸っていいか?」
僕は頷いた。医療に携わる者として、あるまじき行為だとは思うけれど。
だけど、パンも掴めないほどにぶるぶると震える彼の両手を見たら、止める意味もないとわかる。
ここまで禁断症状が出てしまえば、僕にはどうすることも出来ない。禁断症状が進んで、暴れられても敵わない。
僕に治せるのは、あくまで肉体的な損傷であって、依存性のような精神的な損傷は治せない。
だから、頷いた。
「でも、その葉巻によって侵された呼吸器は、僕に治させて下さい。」
僕がそう言うと、彼はゆっくりと頷いた。
僕は彼の気管支の辺りに指をおいて、心の中で詠唱する。
(神よ。現し世を遍く照らす、神よ。この者に、祝福を与えんことを。)
「今施した術は、一年ぐらいは持ちます。ですので、一年はその葉巻を吸っても呼吸器には害はありません。」
僕は『呼吸器には』を強調した。
アレさんが頷く。
「依存性や脳味噌は駄目ってことか。」
「えぇ。僕にはどうすることも出来ません。」
僕は俯いて首を振った。
フッと彼は笑って、葉巻に火を着ける。
「みんな、ラリっていた。俺も、魔術師も、聖霊師も。特に、まだ生きていた戦士は、その他の薬と相まって相当やばかった。薬の調合していた聖霊師がもう、半ばイッちゃってたからな。」
だから、調合も無茶苦茶だったんだろう、と付け加える。
不規則な紋様を描きながら、紫煙が窓の外へと誘われて昇っていく。
僕は、その様子をぼんやりと見ている。
「だけど、聖霊師が急に正気に戻ったんだ。」
彼が煙を吐き出す。
「正気に。」
僕は煙を吸っても大丈夫なように、自分にも術を施した。
「そして、夜空を見上げて言った。『空ってこんなに、綺麗だったんだ。』ってな。」
彼は上を見上げた。
「確かに、信じられないぐらい綺麗で清らかな満天の星空だった。俺らは全身魔物の血に汚れて、これ以上ないってほど穢れていたというのに。」
そこには、天井があるだけだ。
しかし、彼の瞳には、きっと、星空が見えているのだろう。
その日、仲間みんなで見た、満点の、星空が。
そう思った。
「次の日の朝、聖霊師はいなくなっていた。」
「いなく、なって?」
あまりにも唐突な展開に、思わず聞き返す。
「そうだ。心臓だけ見つかった。」
彼は淡々と続ける。
「心臓、だけ?」
確か、アレさんは聖霊師は『自殺』だと言っていた。しかし、心臓だけ残す自殺なんてあるのだろうか。
まだ魔物に襲われたという方が分かるが、それだと『自殺』ではない。
彼はつらそうに目を細める。
「遺書と一緒に、瓶詰めにされてさ。」
「び、瓶詰めっ!」
僕は思わず、手に持っていたフォークを取り落とした。
「そ、それは、どうやって!」
彼は自分の心臓の辺りに手をおいた。
「自分で心臓を抉りとって、絶命する数秒の間に瓶に捩じ込んで、蓋をしたんだろうね。」
絶句した。
そんなことが、可能なのだろうか。
いや。
理論上は、可能、なの、だろう。
出来ないことも、ないかもしれない。
でも、それを実行するには、一体どれだけの覚悟がいるのだろうか。
「他の部位は、事前に自分に術をかけて、消滅させるかどうかしたんだろうね。とにかく、遺書と瓶詰めの心臓しか残っていなかった。」
彼はふう、と煙を吐き出す。煙は不随意に揺らめいて、彼の表情を曖昧にさせる。
言葉が、でなかった。
なんと言えば良いのかも分からなかった。
「遺書には、なんと?」
喉の奥から引きずり出すように問うた。
すると、彼は部屋の隅に置かれた鞄から、紙を持ってきた。
彼が動く度に、煙が揺蕩う。
「読んでもいいよ。」
そう言って、紙を差し出す。
紙は、隅が擦りきれていながらも破けてはおらず、長い間、大切に運ばれて来たのがよく分かる。
何が書かれているのだろう。
『ごめんなさい』だろうか。
いや、『あとは任せました』とか?
はたまた、『もう耐えられません』などの恨み言だろうか。
それとも、無茶苦茶な薬を調合していたことへの懺悔か。
僕は破かないように慎重に紙を開く。
「これは。」
僕は、一目見ただけで、紙を畳んでしまった。
それは、読むに耐えない内容だったからではない。
そもそもそんなレヴェルですらない。
「読め、ない。」
そう、読めないのだ。
そこに書いてあるのは、否、書かれているかどうかも分からない。
圧倒的に、判読、不能。
赤黒い、血だと思わしきインクで、無茶苦茶に書きなぐられている。
それは、既に文章の体をなしてはいない。ただただ、凄絶なまでに、叩きつけられた、もの。
見ていられない。見ているだけで、生きていることを否定されるような感覚に陥った。
「だろう?」
アレさんが優しく紙を取り上げた。
僕の体はがくがくと震えていた。
震えが、止まらなかった。
下手な文章よりも、僕を揺さぶる内容だった。心に、ダイレクトに鮮明に、負の感情を突き刺してくる。
遺書かどうかも、見当がつかないほどの、絶章。
だけど、あれはまさに、遺書だった。
遺書といわずに、なんと言おうか。
「あいつの心情は分からない。」
彼は紙を大切そうに、まるで宝石かなにかのように鞄にしまう。
「きっと、俺が素面だったら、止められたんだろうな。いくらなんでも、さ。」
アレさんは、諦めたかのように微笑んだ。
「アレ、さん。」
僕は、思わず、彼の名前を読んだ。
彼はふるふると頭を振って、言った。
「今さら、そんなことを言ったって仕方ないよな。」
「撤退しよう、とは思わなかったのですか?」
僕は、彼に聞いた。
聖霊師が自殺して、戦士が死んで。
そんな、仲間が二人も死んで、なお魔王退治を続行するなんて、無茶も良いところだと思った。
それこそ全滅する可能性の方が高い。
彼はパンを再度手に取ると、一気に頬張る。
「思わなかった。」
どうして、と問えば、彼は無表情に言った。
「どうしてだろうな。」
彼は新しい葉巻を取り出し、火をつけた。大して美味しくも無さそうに煙を吸い込む。
「理由の一つは、撤退するには遅すぎたことだな。引き返して人の村に戻るよりも、魔王城の方が近かった。撤退したとしても、きっと、保たなかっただろうな。水も食料もその他の物資も、それから、精神力も。」
気づけば、日は完全に落ちていた。僕はランプに火を着ける。
僕が思うに、一番保たないのは精神力だ。
水も食料も物資も、これまで調達できていたのなら、なんとかなる。
しかし、精神力に関しては、補給が難しい。
アレさんが、ちろちろと蛇の舌のように揺れる火を見つめて言った。
「そして、もう半ば自棄だったんだ。」
彼は長く煙を吐き出す。
「自棄、ですか。」
「そう。ここで引き返してしまったら、死んだ仲間に顔向け出来ない、とかそんな殊勝な考えじゃない。ただ、もう本当に、自棄だったんだ。」
彼は僕の方を見つめた。
僕の方を見つめてなお、僕を見ていなかった。
彼が見つめているのは、過去なのだろう。過ぎ去った、取り返しのつかない、過去。
「俺と魔術師の二人になって、生きて帰って来れるなんて、二人とも思ってなかった。戻ったところで、既に精神的に壊れかけていたし、まともな生活に戻れる訳もない。」
彼は自重気味に嗤った。
「せいぜい、薬漬けで気が狂って、二人仲良く癲狂院行きが良いところだ。それなら、まあ、前に行こう、みたいな?」
彼は葉巻をまた握り潰した。
「惰性みたいなもんさ。とにかく、魔王を倒すのだけが生きる理由だった。でも、前向きな感じじゃない。どちらかと言えば、強迫観念に近いな。」
アレさんは顔こそ嗤っていたが、そこには、言い表せないほどの暗然とした闇が隠されているようだった。
「そもそも、二人とも、これに脳が侵されてまともな判断なんてできていなかっただろうし。」
彼は、葉巻の残骸を、吸い殻入れに入れる。
「そう、ですか。」
まともに彼の顔を見ることが出来なかった。
突然、パンっとアレさんが手を叩いた。
驚いて顔をあげると、彼は不自然なほど満面の笑みを浮かべていた。
────────怖い。
そう思った。
「ともかく、だ。俺たちは魔王城についた。」
どうして、だろう。
普通の英雄譚なら、ここからは心をワクワクさせて、いかに勇者が魔王を倒すのかを心待ちにして、彼の話に耳を澄ませるというのに。
目の前に勇者がいる以上、魔王を倒す『ハッピーエンド』しか見えないというのに。
どうしても、僕には、嫌な予感しか感じられない。
彼は続けた。
「魔王城について、すぐに魔王に決闘を挑んだ訳じゃない。いくら自棄とはいえ、そこまで犬死にする気もなかった。」
意外だ、と思ったが、口には出さない。
「もう俺らには、治療薬も身体強化剤も魔法増強剤も、そんなに残っていなかった。聖霊師は一番最初に死んでいたから、効率よく調合できなかったんだ。
だから、チャンスが一回しかない。それをはずせば、ただ死ぬ。」
彼は静かに言った。
「だから、俺たちは二手に別れて、魔王の行動パターンを解析していた。魔法が使える魔術師は変装して城の小間使いになった。俺は、気づかれないように見ているだけだったから、実質魔術師の独壇場だよな。」
彼は陽気に言った。
部屋にこもっていた葉巻の煙も、既に外に出ていってしまっている。
「泥臭いスパイごっこも功を奏した。そして、大体情報を集め終わって、そろそろ腹をくくろうとした時だった。」
彼はにやにや笑って、僕を見た。
なんだか、嫌な予感だ。
「なんと!俺が潜伏していることが、魔王の宰相にバレちゃったんだ!」
じゃじゃーん、と彼は爆笑しながら言った。
いや、全く笑えないのだが。
自分の顔から血の気が引くのが分かった。
だけど、僕の顔色なんか全く気にならないのか、彼はそのまま続けた。
「どうよ。魔王の宰相だ。魔王ですらない奴にバレたんだ。馬鹿みたいだよなぁ、なぁクロクス。」
ガハハ、と豪快に笑う。
そして、僕が笑っていないのに気づくと、急に不機嫌な顔になった。
「笑え。笑えよ!」
そう怒鳴って、机を叩く。
パンがいくつか、ごろごろと地面に転がっていった。
目は既に焦点が定まっていない。
キャラの変貌ぶりといい、目といい、麻薬が相当回っているようだ。
僕はこれ以上彼の期限を損ねないように、口角をあげて、無理矢理に笑顔を作る。
やっぱり、葉巻は吸わせるべきではなかったかもしれない。
アレさんは、僕のぎこちない笑みでも満足したらしく、また爆笑しだした。
「まぁ、結局、宰相は倒した。」
それを聞いて、安心した。
しかし、彼の次の言葉に、僕は卒倒しかけた。
「じゃあ、問題ないじゃ──────」
「死んだけどな。相討ちっていのかな、とにかく、宰相も殺して、俺も死んだ。」
───────────え?
「でも、『冒険者の加護』が。」
僕は震える声で言った。
彼は手をヒラヒラと振る。
「後で聞いたんだけど、魔術師が駆けつけたとき、俺は右目しか残っていなかったらしいんだ。」
「み、右目しか?」
「そう。全身磨り潰されたみたいになっていて、右目だけが、地面にコロンって馬鹿みたいに転がってたんだとよ。」
彼は自分の右目を指差した。
それだったら、いくら魔物に殺されたとしても、『冒険者の加護』は発動出来ない。
蘇生は、不可能なはず。
じゃあ、どうしてこの男は、存在しているのだろう。
偽物?
だとしたら、ここでバラしたら意味がない。
もしかして、目の前にいるのは、『勇者』ではなく、魔術師なのか?
だとしたら、なにも隠す必要はない。端から魔術師と名乗れば良い。嘘をつく理由が思い付かない。
何者、なんだ?
「死者の蘇生魔法でも使ったんですか?」
僕は軽いノリで聞いた。
不謹慎かもしれないけれど、本当に冗談だったのだ。
そもそもこの世界には魔法でも出来ないことが三つある。
湿度0%からの水の精製。
時間移動。
そして、死者の蘇生。
この3つの魔法だけは、個人で扱うことはできない。
出来た者がいるとすれば、その者は崇められる以前に、危険人物として殺されてしまう。
それほどの魔法だ。
果たして、彼は。
「そうだよ。」
軽く頷いた。
「そんな、そんなこと、可能なんですか!」
僕は思わず身を乗り出す。
もし仮に、死者の蘇生魔法があるならば、とても危険だ。
しかし、それでいて、どうしても知りたい。もし実在するならば、不治の病で亡くなった人も、蘇らせることが出来る。
アレさんは、そんな不安と興味と恐怖が混ざった僕の瞳をみて、目をそらした。
そして、水を一口のむ。
「──────────だから、今ここに俺がいる。」
彼は今までのハイテンションぶりから一転、冷静な口調で言った。
「目を覚ましたのは、魔王城の誰も来ないような屋根裏部屋だった。」
良かったですね、と言いかけて、やめた。
彼の目が、異様に凪いでいたからだ。
「目を覚まして周りを見回すと、それはそれは懸命な『看病』の跡が見えた。」
どうしてだろう。
彼の言葉が、皮肉じみているような気がする。
勇者と魔術師の、美しい友情の場面なのに。
酷く薄ら寒いような気がして、背筋がざわざわと粟立った。
「床には、どこから調達したのかしらないけど、とにかくいくつもの書物が散らばっていた。
───────きっと、あいつは死者蘇生の魔法について調べていたのだろうな。」
彼はポツリ、と呟いた。
「やっぱりさ、死者の蘇生なんて、ヤバい魔法な書いてある本だから、危険な書物のわけだ。だから、書物自体に、開いたら寿命が減ったり、腕が吹き飛ぶような、そんなさ、洒落にならないような呪いが掛けられているものもあった。」
僕は嫌な予感がして、尋ねた。
「それじゃあ、魔術師さんは。」
アレさんは悲しそうに微笑んだ。
「いや、本の呪いでは死ななかったみたいだ。流石、というか、なんというか、すべて無効化されていた。」
かはは、と乾いた笑みをこぼす。
しかし。
「本の呪いでは、ですか。」
その言い方がなんとなく引っ掛かった。
彼は頷く。
「そこで諦めてくれたら良かったんだ。書物の呪いやら、死者蘇生のやり方をみて、やっぱり死者蘇生なんておおそれたことは出来ない、と逃げてくれれば良かった。」
彼の声は、悲痛に響いた。
アレさん、泣き笑いのような笑みを浮かべた。
「成功、させちまったんだ。」
本来、喜ぶべきところだろう、と思う。
『勇者を想う、彼らの友情の証として、不可能とされた死者蘇生の魔法が発動しました。勇者は甦り、遂に───。』
だのに、どうして彼はこんなに悲壮に満ちた表情を崩さないのだろう。
僕は彼から目をそらし、俯いた。
「どんな、やり方だったんですか?」
「さあな。俺には詳しくは分からない。」
「わからない、ですか。」
甦ったあと、魔術師に聞かなかったんだろうか。
彼は静かに頷き、続けた。
「俺が目を覚ました時、床に散らばっていたのは書物だけではなかった。」
「何が、散らばっていたのですか?」
もしかして、魔術師さんの死体だろうか。
「部屋中に魔方陣やら、呪文やらが散らばっていた。
その中には、あいつ自身の体を、俺の体に変化させる、なんてものもあったし、あいつの血肉を用いて、人間を再構成させるなんて呪文もあった。体力回復の魔法も、精神力をあげる魔法も、狂ったように使った形跡があった。」
彼は、淡々と言う。
きっと、感情を入れる余裕など、ないのだろう。
あまりの壮絶さに、呼吸が、しにくい。
そんなことをしたら。
そんな、ことを、したら。
彼は冷静に言った。
「分かると思うが、俺が目を覚ました時、魔術師は既に、
───────────────人間ではなくなっていた。」
もはや、驚きもしなかった。
当たり前、だ。と思った。
「人間でなかったどころか、有機物ですらなかったな。」
彼は無理矢理口を引き歪ませた。
「石に、なっていた。」
「石?」
思わず聞き返す。
「等身大じゃない。ちょうど、親指ぐらいの。」
彼は指で大きさを示して見せた。
僕は聞く。
「なんで、魔術師さんだと分かったんですか?」
「その石が話しかけて来たからな。本人が言うには、『命の石』みたいな存在になったらしい。」
にわかには信じられない。
この世からは『命の石』は失われたと聞いている。
ただし、『命の石』なら、死者を蘇らせることが出来てもおかしくない、とも聞いたことはある。
というか、『命の石』って、人間から出来るのか。
「今も持っているんですか?」
「いいや。」
え、まさか捨てたのだろうか。
いや、そんなことはないだろう。魔王退治の時に砕けてしまったとか、そんな悲劇的な感じなのだろう。
「本人に言われたんだ。『飲め』って。」
「は?」
「いやだから、『飲め』って言われたんだ。魔術師だった石に。飲み込めって。」
いや、言葉は理解できる。文法的にも、理解は出来る。
しかし想像の斜め上を行く答えに、僕は言葉をなくした。
「だから、飲んだ。」
さらっと彼は言った。
「飲んだって。」
仲間を飲んだ?
そんなの、仲間を食べたみたいなものじゃないのか?
いくら、頼まれたからって。
仲間を殺すよりも、質が悪い。
彼は口を歪ませた。
「仕方ないだろ。あの石は、精製後約三時間で消滅する。その前に取り込まないと、俺も死ぬ、と言われたんだから。」
彼は左手をさすりながら言った。
精製後、三時間で消滅する。
だから、この世に残っていないのか。
いや、そんなことではない。
「死者蘇生は、まず肉体を再構築させる。そして、意識が戻ったあと、三時間以内に『命の石』を取り込まないと完了しない。あいつは、そう言っていた。」
彼は、静かに言った。
「あいつを取り込まないと、俺もあいつも死んでいた。それどころか、あいつの努力を、すべてぶち壊すことになる。」
呪いをかぶって。
無理矢理に体力や魔力を回復させて。
強引に精神を駆使して。
己の肉体を犠牲にして。
自分を、石にして。
「そうしてまで俺を生き返らせようとしてくれたあいつの努力をむざむざ捨てることなんて、そんなこと、そんなこと出来るわけないだろ!」
彼は強い口調で、絶叫するように言った。
僕は、頷くことも出来なかった。
唐突に理解した。
彼らがいたのは、僕がいるような世界ではなかったのだ。
生きるか、死ぬかなんてそんな生ぬるい世界ではない。
死が前提の、生きている方が異常な世界だ。
ふう、とアレさんは息を着いた。
「俺はあいつを飲み込んだ。あいつの最期の一言は『生きてちゃんと魔王を倒せ。ボクたちをこんな風にした原因の魔王を、ぶち殺して』だってよ。」
とんでもねぇ遺言だ、と彼は呟いた。
そして、静かに静かに、続けた。
「ともかく、俺は独り生き残った。」
その目は、正気か狂気か。
「とっとと遺言どおり魔王を倒して、そして、死のうと思った。」
そう言って微笑む。
まるで、死のような静寂を包み込んだような微笑みだった。
彼は自分の左手首の血管をなぞる。
「もう仲間はいない。みんな死んでしまった。元はと言えば、俺が魔王退治に誘ったからだ。俺のせいで、みんな死ぬ羽目になった。」
俺のせいだ、と付け加える。
「せめてもの餞に、俺は死力を尽くして魔王に挑んだ。怖くはなかった。
どちらにしても死ぬ、と思えば、なにも怖くなかった。ただ、仲間とまた会えるのだけが楽しみだった。」
アレさんは、思い出を手繰るように、遠くを見つめた。
「だけど、戦いの中盤あたりで、魔王の即死魔法が直撃した。
体が木端微塵に砕けるのを感じて、『あぁ、魔王倒せなかった。あいつらになんて謝ろうかな。』なんて考えながら、地面に落下していった。」
彼は目を細める。
木端微塵になったら、やはり『冒険者の加護』は発動できない。
「でも、死ななかった。」
彼は吐き捨てるように言った。
「死ねなかったんだ。」
僕は、既に彼に掛ける言葉を失っていて。
「あいつは、俺を蘇らせるだけじゃない。不死にしたんだ。何があっても、魔王を倒せるように。」
言い知れぬような絶望の波が、彼の顔を覆った。
「俺は、ゆらゆらと立ち上がった。あん時の魔王の顔は、
──────────────心底面白かった。」
そう薄く笑って言った。
どこまでも空虚な笑みだった。
とても、とても面白がっているようには見えなかった。
「そこからは無双だった。即死魔法当たっても死なないし、木端微塵になっても、すぐくっつくし。燃やされても灰の中から甦るし。」
まるで他人事のように言った。
「かくして、魔王は死んだ。」
普通なら、盛り上がるところなのだろう。
しかし、僕の胸の中は、まるで泥を吸い込んだかのように気持ち悪かった。
「そのあと、本当に死ねないのか、ありとあらゆる手段を試したよ。」
刺殺、撲殺、銃殺、絞殺、毒殺、獣殺、とびおり、電気ショック、火山の火口に飛び込む、自分で自分を解体する。
ありとあらゆる死ぬ方法を。
「本当に、死ねなかった。」
彼は、悲しく微笑んだ。
「だから、諦めて帰る途中だ。」
「・・・。」
沈黙を持って答えた。
彼は、水を飲んだ言った。
「魔王退治に出掛けた勇者は、多少の犠牲はあったが、無事に魔王を倒して、帰ってきましたとさ。
───────────────ハッピーエンド、だろ?」
壮絶な、笑みだった。
僕は黙りこんだ。
そう、なのだろう。
それが、一般論なのだろう。
彼の言う通り、ハッピーエンドだ。
魔王は倒され、民は魔王に怯えることなく、暮らしました。
しかし、どうしてだろう。
涙が、止まらない。
ぼろぼろと涙が目から溢れて、止まらない。
「なんで泣くんだよ。ハッピーエンド、なのに。」
そういう、アレさんの瞳にも、涙が溜まっていたのは、僕は見逃さなかった。
どこが、ハッピーエンドなんだ。
これの、どこが。
ただただ、絶望じゃないか。
こんなの、バッドエンドよりもずっとずっと、救いのない終わり方だ。
「おかしいな。もう、涙は一生分は流し終えたと思っていたのに。まだ、涙の蓄えなんてあったんだ。」
彼は涙を拭って呟く。
「少しは、同情してくれるかな。俺が葉巻に溺れた経緯。」
そんな風に、おどけていうが、それがよりいっそう物語の非情さを引き立たせる。
軽々しく、『勇者はすごい』なんて、思っていたけれど。
実は、その実は。
絶望にまみれた、悲しい話なのだ。
痛々しく、悲惨で、無惨な、胸をえぐるような、そんな終焉の、終演だ。
救いも。
希望も。
そんなものは、ない。
「これから、どうするんですか。」
一通り涙が引いてから、僕はアレさんに聞いた。
彼は、完全に夜になった外を見つめた。
空の奥には、月がゆらゆらと揺れていて、外からは冷ややかな静寂を纏った風が吹き込んでくる。
魔物の遠吠えは、聞こえない。
彼は、しばらく考えてから言った。
「とりあえず王都に行って、ロクに資金をくれなかった王様に恨み言言って、死んだ仲間の墓を作って、そうだなぁ。」
彼は静かに目を伏せる。
「俺は魔物をすべて狩り尽くした訳じゃない。それでも魔王を倒したから、しばらくは人間を襲わないだろう。」
僕は頷く。
アレさんは続ける。
「しかし、いつか、別の魔物が魔王になるだろう。そのときまで、眠ろうかな。」
暇だし、と彼は付け加える。
驚いた。
「また、魔王が現れたら、そのときは魔王退治に行くのですか?」
こんなに、悲惨な目にあったのに。
すると、彼は目を開けて言った。
「俺たちみたいな奴が増えないように、な。」
静謐な笑みを湛えて、言った。
「こんな思いをするのは、未来永劫、俺だけで良い。」
胸が、痛くなった。
どうしようもなく、彼を助けたくなった。
「たぶん、永遠にループしますよ。」
「今度は俺一人で行くから大丈夫。誰も死なない。」
確かに、それはそうだ。
彼はもう、死なない。否、死ねないのだから。
誰も、死なないだろう。
しかし。
それじゃあ、救われないじゃないか。
他でもない貴方が。
どうして、そこまで。
いいようのない悲壮さに、僕は問うた。
「自己犠牲を、するのですか。」
「俺だけで良いなら、みんなはハッピーエンドでしょ?」
彼は笑う。
清清しいまでに、空っぽな笑みだった。
「貴方は、幸せになれなくてもよいのですか?」
「覚悟はできているよ。」
彼は優しく微笑んだ。
希望の微笑みではなく。
絶望が故の、微笑み。
僕は、彼の表情を見て、止めるのは無理だと思った。
「お気をつけて。」
───────次の日の朝。
「本当に、行くのですね。」
「あぁ。一晩世話になった。なんだか、人に話したら整理が着いた。これで、王様にも分かりやすく恨み言を言えそうだ。」
アレさんは笑って言った。
笑い事ではないと思うのだが。
分かりやすく恨み言って。
「大丈夫。不敬罪で処刑されたって、俺は死ねないからさ。あいつらの分まで、しっかり恨み言言ってくる。」
そう言って、彼は空を見上げる。
空はどこまでも青く透き通っていて、雲ひとつない。
天国からも下界が見下ろしやすいだろう。
きっと、彼の仲間も、アレさんを見守っているだろう。
僕は彼を見送る。
「眠りにつく前に、また此処によって下さい。きっと、貴方にとって良いものを用意しているので。」
「おう、それは楽しみだ。必ず寄らせてもらうよ。」
『勇者』は、そう言って、村に背を向けた。
────────1年後。
「本当に来てくれたんですね。」
「おう。いやぁ、王様に恨み言を言ったら首跳ねられてさ。」
どんな言い方をしたんだ。
「死ななかったんですね。」
「流石、不死の魔法は段違いだわ。」
かはは、とアレさんは笑う。
それから1日、彼は色んな話をしてくれた。海辺の町のこと。山の民のこと。かつて、仲間と歩いた道のこと。
聞いたこともない話ばかりで、面白かった。
日が暮れて、彼は席を立った。
「あー、楽しかった。それじゃあ、俺はそろそろ眠りにつきに行くわ。」
アレさんはそんな、お昼寝してくるわ、ぐらいのノリで外に出た。
「お気をつけて。」
「おう。もう会うことはないな。」
彼が少し悲しそうに微笑んだ。
僕も、少し悲しくなった。
「もう少し、話していたかったです。」
「俺もだ。」
彼は頷く。
「だけど、そろそろ行かなきゃ。」
そう言って、オレンジに染まった空を見上げる。
仲間が見守ってくれているような気がする。
そう、今日の会話のどこかで言っていた。
「それじゃあ。」
アレさんは片手をあげて、僕に背を向けた。
「さようなら。」
────────────死に行く貴方に、敬礼を。
銅色の、赤い空に。
悲痛な銃声が轟いた。
右手から右肩に。
衝撃が連鎖した。
かぐわしい火薬の香。
ゆらりと立ち上る硝煙に。
何処からか、銃声が反響して。
幾重にも。
残響。
死煙。
残像。
沈黙。
終焉。
彼は、どう、と前に倒れた。
そして、ぴくりとも動かないようになった。
僕が撃った銃弾は、はずすことなく彼の後頭部に着弾したようだ。
「死なない魔法、ですか。」
僕は、アレさんに近づく。
彼の後頭部には、真っ赤な穴が空いている。
僕は、うつ伏せで倒れた彼を、仰向けに寝かせた。
開ききった彼の瞳を、両方とも閉じてやった。
銃弾は貫通して、眉間にも穴が開いている。彼の眉間からは赤い血が流れて、地面に鮮やかな水溜まりを作る。
勇者の体は重たかった。見た目からしてゴツい人だが、それを差し引いても、重たかった。
いつもそうだ。
死んだ人間は、生きているときよりも重たくなる。
これで、終わりだ。
「この銃弾には、魔力無効化の術式が組み込まれています。所詮、不死の魔法も魔法。魔力無効化の前では、無意味です。」
彼のためだけに、この一年間、死ぬ気で開発したのだ。
僕は彼の元に跪く。
これ以上、不幸を背負うことはない。
貴方だけが、こんな悲惨な目に逢うことはない。
このあとは、僕が、引き継ぐから。
何も案ずることは、ありません。
どうぞ、仲間のもとへ、いってください。
貴方は、もう、幸せになってもよいと思います。
「お疲れ様でした。次の魔王を倒すのは、僕がしますから。」
ありがとうございました!