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メンヘラ失格(3)




 それからまた一週間経ちました。相変わらず、静雄や叔母さんからの連絡はありません。だけど、黙って待ってるわけにもいかないので、続けて病み垢の人たちとコミュニケーションを取っていました。りぃさんのように心地よく自分の気持ちや病んでる心情を説明してくれる人はいません。ですから、遠回しに聞き出したりしています。聞き出し方や話し方、内容についてはいつも細心の注意を払っております。何せ、彼ら病んでる人間の感情のスイッチというのはどこにあるかわかるものではありません。

 そして、今日、病み垢で知り合った女の子と会うこととなっており、私は待ち合わせ場所の吉祥寺に来ています。つい先日、突然、ダイレクトメッセージで『友達になりたいです。一緒に遊びませんか?』と来たのです。もちろん警戒しましたが、彼女の呟きを見てみると、そこまで悪い人には見えませんでした。それに、りぃさんに相談してみると、知り合いだと言っていたので、それなら大丈夫かなと思いました。それでもやはり突然会うのは無警戒過ぎたかと、吉祥寺の駅前のバス停付近で待っている時に思いました。何かあってもここまで人通りが多い街ですし、逃げる事はそこまで難しくはないと思います。

 「リーフボックスさんですか?」

 携帯でツブヤキッターを確認していると右側から話しかけられました。そちらを見てみると普通の女子高生がこちらを覗き込むように見ておりました。普通よりか、少し可愛く、読者モデルかのようなスタイルの良さです。身長は私より低く、いかにも10代の格好をしていました。

 「はい、そうですが、いちちさんですか?」

 私は少し安心感を覚えて、彼女に笑顔を見せました。彼女はすごく満面の笑みでそれを返してくれました。

 「はい、いちちです。よろしくお願いします」

 お互いの確認が終わると、今日は何をして遊ぶか決めてなかったのに気づきました。

 「カフェにでも行きますか?」

 彼女はそれを聞いて少し考えてるのか、顎に手をあてました。

 「私、カラオケに行きたいです」

 手を戻し、私の目を見て彼女は提案してきました。最近、行ってなかったしたまにはいいかもしれなと私は思いました。

 「うん、私も行きたい」

 そう言って二人で近くのカラオケ店を探して入りました。カラオケの部屋に着くと、私は荷物を下ろし、頼んだドリンクが運ばれるのを待ちました。彼女も、カバンを置いて、そして私と同じようにドリンクが運ばれるのを待ってました。座ってから、なぜか一言も喋ろうとしません。さっきまで陽気に話しておりましたので、少し違和感がありました。私は様子を伺いながらデンモクを自分の近くに持ってきて「何を入れようかな」なんて言って様子をみました。

 「すみません」

 カラオケの店員が腰を低くし、部屋に入り、ドリンクを置いて出て行きました。私は頼んだカルピスを飲み、『どうする?どっちから歌う?』と言おうと考えました。しかし、彼女はそれよりも先にカバンの中を漁り始めました。

 「どうかしたの?ずっと黙ってるけど」

 私がそう聞いても彼女は無視して何かを探し続けます。それが見つかったのか、それを取り出し私に向けてきました。カッターです。刃が出ており、見た目のゴツさから恐怖を感じました。

 「え?いちちちゃんどうしたの?」

 頭が凍り付いて全く思考ができませんでした。

 「この前、りぃに会ったでしょう。私、知ってるんだから」

 カッターを握る手が震えているのがわかりました。なんとなく、状況を把握できました。彼女は、りぃさんが話してた彼女の一人なのでしょう。そして、彼の浮気を疑い、そして私にたどり着き、カッターを向けるに至ってるのでしょう。

 「えーっと、確かに会いました。ですが、ただのお友達として会っただけです」

 私の話をどこまでちゃんと受け入れ、信じてくれるかわかりませんが、もはや真実を話す他ありません。

 「ほんとに?ほんとにそれだけ?」

 縋るような声と言いましょうか、そんな弱々しい声で彼女は私に問うてくるのです。

 「はい。本当です。私とりぃさんの間になんの関係もございません。そもそもお会いしたのは一度だけですし、喫茶店でお話をしただけです」

 取り返しがつかなくなると人はやめるタイミングを見失うものです。だから、彼女も震えながらも握るカッターを下ろそうとはしません。それに、彼女はまだ半信半疑なのでしょう。見ず知らずの浮気相手だと思ってる女の言い分を素直に聞き入れる女がどこにいるでしょうか。

 「嘘。だってね、だって。私、彼に聞いたの。お姉ちゃんに会えて抱きしめてもらったって。すごく嬉しそうだった。それでね、私はそうなんだって言ったけど、私分かった。りぃってすごくイケメンだし、モテる性格してるし、たぶんそれだけで終わらないなって」

 心底呆れ果て、ここから帰りたいと思いました。全部、りぃさんが自分の妄想や虚言を彼女に話してその結果、彼女が勘違いしたっていうただそれだけなのです。私はただ巻き込まれただけです。でも、凶器を握ってるのは相手の方で、いくら女子高生で、か細くても、私を殺すことはこの状況では容易でしょう。殺すつもりがないとは思いますが、それでも不慮の事故が発生しないとは言えません。

 「ねぇ、いちちちゃん。私は勝手に彼に抱きつかれただけだし、ちゃんとすぐ離れたわ。私には彼氏がいるから、そういうの困りますってお伝えして。だから本当に何もないの。もうカッター下ろそう?」

 恐る恐る、手を差し出しました。物理的に、手に触れてカッターを下させようとしたのです。やはり、相手の意思関係せず、私に向けられている刃物というのは心底恐ろしいものでした。

 「もうこんなのいや」

 彼女は相当震え、そして、まっすぐにカッターの刃を私に向けながら泣き始めました。

 「いつもいつもそう!りぃは他の女と会って仲良くしては私に報告してくるの。誰が可愛かったとか、抱き心地が良かったとか。そんなこと言われても不安になるだけだし、いつもその不安をどうやって押し殺したらいいかわからないの。だから、今回はちゃんと、ちゃんと探し出してやろうって。それでその女が認めたら、そいつを殺してりぃも殺して私も死んじゃおうってそう思ったの。だって、もう耐えられないよ!」

 叫ぶように彼女は自分の不安を声として出しました。

「不安なのはわかるけど、彼のことを少し信じてみたらどう?私はもちろん彼とは何もないし、他の女性だって何もないかもしれない。だって、それをわざわざあなたに報告してるってことは、何もやましいことがないってことだからじゃない?私だったら浮気とかやましいことがあったらわざわざ恋人に報告したりなんてしないと思う。あなたが特別で、何かあなたにわかっててほしいところがあるんだよ」

口から出まかせというわけではありませんが、あまり思ってもないことを口に出してしまいました。なんとか彼女がカッターから手を離してもらわなければならなかったからです。実際、りぃさんは浮気をしていますし、他の女性との肉体関係も疑ってます。それでも、今は目の前の彼女が気持ちを落ち着かせて冷静に話ができる状態にしないといけないと思いました。

「本当に?本当に何もないんだよね?」

本当にもう泣きすぎて声にならず上ずっていました。私は「うん、そうだよ」とうなずき、もう力が入らなくなった手からカッターをゆっくりと取り上げました。彼女は何も抵抗せずにカッターを手から放しました。私は刃をしまって、カッターをいったん自分のカバンの中に入れました。

彼女は泣きながらソファにそのまま深く座り、顔を伏せて大きく叫ぶように泣き始めました。虚勢を張った分、弱ってしまって泣いているのでしょうか。それにしても、さっきの話を聞くに、彼は本当に病的な人間関係しか築けない人なのでしょうか。あまり理解できませんが、呟きの内容からある程度推測されることではあります。病み垢の人間は、人間との距離感をまるでわかっていません。病み垢の人間は、人に近づきすぎ、勝手に傷つき、勝手に孤独になって、また誰かと勝手に近づきすぎるのです。彼は巧みに、その心を操っているのでしょう。彼自体、誰かに求められる自分しか存在できないからこそ、過剰に存在しない虚像を求める病み垢の女性が必要なのでしょう。共依存です。お互いがお互いを見ておらず、しかしお互いがお互いを必要なためにそばに置いている。そんなところでしょうか。

 「私、わかってる。本当は彼に他の女が、私より大事な女がいることを。でもそれが誰かわからない。だから必死に私が一番になろうと必死で必死で」

 彼女は子供のように泣きながら嗚咽混じりにそう話しました。私は彼から『本当に大切な彼女とは、大学で知り合ったんだ』と聞いています。ですから、彼女がどれだけネット上で調べたところで一度会っただけの関係の人間しか見つからないのです。それに、話を聞く限りその女性ははただの一般人で病み垢とは無縁の人間です。

 「必死になる気持ちはわかるよ、いちちちゃん。でもね、人に刃物を向けるのはよくないと思うな」

 今、大人としての説教が通じるかわかりませんが、それでも大人として言っておくべきだなと思いました。

 「うん、わかってる。本当にごめんなさい」

 彼女はそういってカバンから今度はティッシュを取り出して、涙や鼻水をふき取りました。

 「私、本当は病み垢なんて始めるつもりなかったんです。ただ、学校で嫌なことがあったり、ハブられたりなんかして、それをどうしても吐き出したくて始めちゃったんです」

 彼女はそう話し始めました。

 「それで彼に出会ったんです。りぃに。最初は優しい人だなってそれだけで。でも、何回か会って、好きになってたんです」

 落ち着いてきたのか、頼んだドリンクを飲みながら彼女は話します。私は「うん」と相槌を打ちながら聞いてます。

 「彼、とっても孤独だったんです。その孤独な雰囲気がなんだか魅力的に感じて。すごく触れたくなって」

 彼の孤独さは何となく私も感じていました。過剰なまでに猫をかぶり、本当の自分なんて誰にも見せたことない、そんな雰囲気が確かに魅力的に思うかもしれません。十代なら、なおのことそうでしょう。不良を好きになってしまうのとどこか同じです。

 「もう歌おうかな」

 彼女は電モクを取って、曲を選び始めました。私は言葉を返せずにいましたが、この少女がまだ高校生でうっかり変な男につかまっただけのかわいそうな女の子なら、大人の私からしたら彼女を助ける他、選択肢はありません。

 「そうね、歌おう」

 笑顔で言うと、彼女は笑いました。もはや、彼のことよりも今を楽しむことを選べたのです。いきなりカッターを向けられたことにはびっくりしましたが、それ以外はすごくまともな人間だと思いました。そもそも彼女は思春期の真っただ中で、愛する人のために危険なことでもしてしまう年頃なのでしょう。その年齢の彼女を弄ぶかのように接するりぃさんのことが恨めしく思えます。

 それからは普通にカラオケが始まり、彼女は死がどうたら愛しい人がどうたらという、いかにもあの年齢の女子が好みそうな歌詞が並んだ曲を歌いました。私もそれに合わせて流行りの曲を入れました。

カラオケが終わると、彼女とは笑顔で別れました。一言、「彼には手を出さないでね」とだけ言っておりましたので、私も「私には彼氏がいるから、手を出すことはありえないよ」と返しました。そもそも、彼は全くタイプではありません。


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