メンヘラ失格(9)&あとがき
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それから数日後、静雄は無事に退院しました。病院から出てくる彼の様子を見て、少し驚きました。かなりやつれ、表情がほとんどありませんでした。
「お待たせ、葉子」
病院の前で叔母さんに連れられて出てくる彼を待っていた私に、そう話しかけてきました。
「うん、お帰り」
私はそうやって返しました。叔父さんが車で家まで送ってくれるそうなので、私たちはその車に乗り込みました。
新居への引っ越しは済ませていました。といっても、前日にやっと終わったところだったのです。車はその新居へと向かいました。車の中で叔母さんは静雄にやたらと申し訳なさそうに話していました。静雄はそれを黙って聞いていました。
車は新居のマンションの下で止まり、私と静雄は車を降りました。
「それじゃぁ、またね静雄。静雄をよろしくね、葉子さん」
自分が面倒を見たくないからと私に静雄のことを押し付けようとしておいて、よくそうやって話せるなと内心思いながらも、私は笑顔で「はい」と答えました。
それから彼と私の同棲が始まりました。同棲生活は簡単なものではありませんでした。むしろ、困難のほうが多いくらいです。最初のほうの彼は精神的にも不安定で、急に暴れたり言動が激しくなったりしました。それでも、頓服薬を飲んで落ち着いたり、私が抱きしめたりすると落ち着いてくれるほどでした。その間、一花からも連絡がきていて、よく相談していました。
通院は週に一回で、お医者様ともよく相談し、薬の量を慎重に決めていきました。そして家では自傷しないように刃物を彼のそばに置かないようにしたり、包丁を危険ではないものに変えたりと工夫しました。薬を毎日、同じ時間に適量飲むように、習慣にしました。そして、睡眠をちゃんと確保できるように、私も一緒に生活リズムをきっちりと守りました。
「葉子、いつも本当にありがとう。君のおかげですごくよくなってきた気がするよ」
その生活を三か月くらい続けてきたときに、彼がそう言いました。私は笑って「お礼なんかいいよ、当然でしょ」と言いましたが、内心はすごくうれしかったです。彼の優しい性格が本当に好きなんだと改めて実感しました。それでも、この三か月で気付いたことがあります。彼は特定の単語や状況で過去をフラッシュバックし、錯乱する傾向にあります。だから、発言にはかなり慎重にならなければいけません。どれが地雷で、どれがそうでないかの判断が極めて難しいのです。
そして仕事と家庭を両立する日々にだんだん疲れてきました。一時も目を離せないので一花や他の友達、会社の同僚と過ごす時間もありません。仕事の時でも心配ですが、そこはなんとか仕事に集中することで忘れています。それにその時間だけが神経を休めれる時間だったりもしました。
「そろそろ俺も働くよ。葉子だけに仕事も家事もさせるのは悪いよ」
6か月くらいたってから、彼はそう言いはじめました。それよりも前から、彼は家事をちゃんとしてくれるようになりました。自傷の傾向も抑えられていたので、包丁なんかも取りそろえるようになっていて、私もその提案に賛成でした。
それから彼は就職活動を始めたのですが、プレッシャーから自傷が再発してしまい、私はそれをやめさせました。彼は不満そうにしていましたが、再び入院することは避けようというとわかってくれました。
一花と半年以上も会っておらず、一花から『そろそろ大丈夫じゃないの?』という連絡が入るようになりました。
『でも、やっぱりまだ怖くて。それに浮気を疑われでもしたら』
そうやって返事すると、一花は『そしたら家にお邪魔するのはどう?それなら彼から目を離さずに済むでしょ?』と返ってきました。
そのことを夕食の時に彼に相談しました。
「もちろんいいよ。葉子にも息抜きが必要だろう?俺は別の部屋でゲームでもしてるから、楽しんでよ」
快く受け入れてくれましたので、私はすごく嬉しく、彼の回復も感じていました。それからすぐに一花との約束が成立しました。
数日後、約束の日が来ました。私は彼女を駅まで迎えに行きました。
「久しぶり!」
私を見つけるなり、彼女はそう言って手を振りました。彼女はあの時より少しだけ成長し、服装もいかにも女子大生というファッションになっていました。かえって私はおしゃれよりも生活を優先していたので昔のおしゃれな私とは程遠くなっていました。
「久しぶり、一花ちゃん」
彼女は持っている袋を私に手渡してきました。
「これ、どうぞ。おうちにお邪魔するから、菓子折り持ってきた」
それを受け取り、私は久々に友達と遊べることを喜んで話し始めました。そしてたくさんお話ししながら家まで歩きました。
家に着くと彼女は丁寧に靴を脱ぎ揃えました。リビングの扉を開けると、静雄が座って本を読んでました。
「おかえり、葉子」
「ただいま、静雄。静雄、こちら一花ちゃん。一花ちゃん、こちら私の彼氏の静雄」
私がそう紹介して、3人で話し始めました。そして、一通り挨拶を終えると、静雄は自分の部屋へと行きました。
「どう同棲は?やっぱり幸せじゃない?彼氏と二人きりって」
静雄がいなくなってから一花は私に言いました。
「そうね、ちょっと大変だけど。うん、幸せだよ」
お茶を用意して、二人でテーブルの椅子に座り、一花が持ってきくれた菓子折りを開けて食べ始めました。
「一花ちゃんはどうなの?彼氏はできた?」
「ううん。まだまだ。なんか、大学の男ってみんなちゃらくてさ、私そういうの無理だから。でもね、好きな人はいるの」
私は彼女の恋の話を聞くのは好きでした。私と少し似ていて、どこまでも純情なのです。
「え?同じ大学の人?」
私が質問する。一花はお菓子をぱくっと口に放り込んで首を縦に振る。
「そうそう、同じ大学の同じ学科の人。席が近くなったから話してみたんだけどさ、すごくこう、病んでるの」
私はそれを聞いて思わずくすっと笑ってしまった。
「一花ちゃんって病んでる人のこと理解できないって言ってなかったけ?」
「いや理解はできないけど、やっぱりなんか惹かれるの。それに、その人、左腕に傷があって」
てっきり凛のことを引きずってるかと思ったけど、彼女はそうではないらしい。私が思ってるより、彼女はすごく強いのです。
「でも、幸せってなんだろうね。私、彼氏とかよりも今は友達と一緒にいるほうが幸せだわ」
私は彼女の言葉に少し考えた。
「たしかに、どうなんだろう。私は今、彼氏と一緒に暮らせて幸せだけど、他の幸せを捨ててしまってるような気がするな」
一度に多くの幸せを選ぶことはできなくて、それが当然なのですが、人は時に多くの幸せを望んでしまうものなのです。
「捨ててはないんじゃない?私とこうして遊んでるし、仕事もバリバリやってるんでしょ?」
「うん。この前も昇格したよ」
彼女に言われてみれば、確かに私は他の幸せもちゃんと獲得してるのかもしれません。
「うらやましいな。やっぱり、葉ちゃんのことはどれだけ尊敬しても足りないな」
私はふと思い立って、ずっと疑問だったことを聞いてみることにしました。
「ねぇ、なんで一花ちゃんって私のことをそんなにも尊敬してくれてるの?もちろん嬉しいんだけど、私にそんな尊敬できるところあるかなって思って」
私がそう質問すると一花は「うーん」と言って考えて、そして話し始めはじめました。
「私がカッターを向けた時、覚えてる?よね、忘れないか。あの時さ、刃物向けてる私に、ちゃんと向き合って話してくれたじゃん。カッターを奪ったり、頭ごなしに否定したりせずに。それがすごくね、嬉しいっていうか、優しく感じたの。大人はみんな表面というかそういうものしかみないけど、この人はちゃんと私が訴えようとした事実に目を向けて、それに対して真剣に考えてくれてるって。子ども扱いしてないって。それからかな。でも、それからもあなたはりぃに対しても私に対しても真面目に接してくれてたり、アドバイスくれたりしてくれた。だから、すごくすごく尊敬できることが増えてきて、その尊敬は一生変わらないかな」
面と向かってここまで褒められてしまって、告白されたかのような恥ずかさがしました。
「ありがとう、一花ちゃん」
それからまた普通に話をして、夕方くらいになると解散をしました。晩御飯を一緒に食べればいいと静雄は言ってくれましたが、一花の分を用意するほど、私は料理の腕に自信はありませんでしたし、一花もこの後に予定があるそうでした。
彼女を駅まで送ってから、私は家に帰りました。家に帰ってすぐ、夕食の用意をして、それを食卓に並べました。静雄も手伝ってくれて、早くに食べることができました。
「いただきます」
二人でそういってから一緒に食べ始めました。
「今日はありがとう、時間作ってくれて」
私は静雄に今日のことでお礼を言いました。
「そんな、当然じゃないか。そんなこと気にしなくてもいいのに」
私はにっこり笑って「本当にありがとう」と言いました。
「今度は外で遊んでくるのはどうだい?」
彼の提案に私は思わず嬉しくなりました。
「うん、そうしたいな。お留守番、できる?」
私がちょっとからかいながら言うと、彼は急に手を震わせました。もしかして、さっきの言葉が地雷のワードだったのでしょうか。
「え、えっと無理ならいいんだよ。私はここにいるから」
慌ててフォローを試みましたが、彼はどんどん震えが増し、息が荒くなってきました。
「え、あ、大丈夫?大丈夫だよ、俺は一人で、一人で」
彼は必死に自分を落ち着かせようとしましたし、私もそうしました。しかし、どんどん彼が動揺してきました。
「静雄、頓服薬飲む?」
私が薬箱からそれを取り出そうとすると、彼がその腕を掴んできました。
「平気だよ、大丈夫。そ、それとも俺を、俺を、薬で眠らせるのか?そうやってまた俺をひとりに、一人にするんだな?どこにも置いてかないでくれ、俺を、一人にしないでくれ」
完全にパニック状態になってしまったみたいです。同棲して一か月はこうなることが何度かあって、ちゃんと鎮静の方法も心得ていましたが最近は全く起きず、対応方法も忘れてました。
「大丈夫だから、眠らないから。私はそばにいるからね、静雄」
腕を握る力がどんどんと強くなってきて、私も痛みを感じ始めました。それでも悲鳴を上げてしまうと彼を刺激してしまいます。私は黙っていました。
「そばにいない。誰もそばにいてくれない。俺は孤独だ、孤独、そうだろ?だってそうだった、俺は俺は」
会話ができなくなるまで錯乱するのは初めてです。私が戸惑っていると、彼は勢いよく立ち上がり、椅子が転倒して大きい物音がしました。テーブルをまわり、私のほうに近づくと、そのまま私を壁へと追い詰めました。
「お前は、お前は俺を置いていくのか?」
静雄が私をお前と呼ぶことはありません。ここまで怒ったような口調になることもありません。
「私は置いてかないよ、大丈夫。そばにいるからね」
そう言い終えると同時に、彼の手は私の首へと向かい、そのまま一気に締め付けました。強い力で絞められると苦しい以上に脳に直接ダメージが来ました。
「やめて」
力なく私は彼に訴えました。しかし、彼にその言葉は聞こえません。
「俺を、一人にするな。俺を虐げるな。お前は、俺の敵なのか」
そのまま彼は力を緩めることなく、私の首は絞まっていきました。何故、私がこうなってるのでしょうか。本当にもう判断できません。何も思考できません。ただ、こうなったことを私は後悔しているでしょうか。いいえ、していません。彼を愛し、理解しようとしたことは私には無駄だとは思いません。だって、それが私の病みで、そうする他、道はなかったのです。
あとがき
「どうしてこいつは何もしゃべらないんですかね」
パトカーの中で助手席に座る男は言う。運転移している男は不機嫌そうな顔をしている。
「そんなことが俺が知るわけないだろう」
「それにしてもあの通報した子、竹本一花、あの子すごいですね、人の首を絞めている男に立ち向かって引きはがすなんて」
「そうだな。この事件に何の関係もないといいがな。世の中、何があるかわからないし」
助手性の男は驚いて運転している男の顔を見る。
「え?!あの子が殺人にかかわってるっていうんですか?ただの第一発見者ですよ。殺害された時間には家の外にいて、忘れ物に気付いて戻ったらそうなってたってちゃんと証言してますし」
運転している男はそれにあきれた表情を見せる。
「馬鹿、すべてを疑ってみるのが刑事だよ」
「はぁ、そういうものですか」
助手席の男はため息をついて前をみた。
「こいつ、やっぱり病院送りですかね」
助手席の男はそういった。
「それも俺は知らない。でもまぁ、逮捕した時も無抵抗だったし、ほぼ確実に心神喪失だろうな。テーブルに、精神薬が転がってた。たぶん、元から精神病だったんだろう」
「精神病だったら何してもいいんですかね」
「そんなことあるわけないだろ。被害者からしたら、相手が精神病かどうかなんて関係ない。なのに、法律は精神病の奴を守るようにできてやがる。ほんと、無性に腹が立つ」
運転している男は荒く息を吐いた。
後ろの席で男は窓の外をずっと眺めていた。遠くの空を見ながら、彼はつぶやく。
「葉子、許してくれ」
ツイッターでフォロワー様から頂いたリプで「メンヘラ失格」という単語がありました。私はそれを非常に気に入り、それから着想を得てこの小説を書きあげるに至りました。
個人的な思想がてんこもりで申し訳ありません。
この作品はフィクションであり実際の人物・団体とは一切関係ありません。また、精神病に関しては作者個人の意見であり、なんら医学的根拠があるわけではありませんのでご了承くださいませ。




