第二十九話 虚無
「私からの招待を受けていただき、感謝の言葉もありません」
「こちらこそ、わざわざご招待いただき、大変ありがたく思っていますよ」
ガルシア商会の主の屋敷は、このシップランドの領主シップランド子爵邸にも負けない豪華さと大きさであった。
領主に屋敷の大きさという権勢で争っているということは、親戚でもあると聞いているシップランド子爵家と対立状態にあるのであろうか?
それとも、実質このシップランドの実権を分け合っている状態なのかも。
どうもガルシア商会は、ただの大商人というわけでもなさそうだ。
政商と呼んでも差し支えはなさそうだ。
「ガルシア商会とシップランド子爵家は、仲良しというわけでもありませんが、水面下では手を繋いでいるのです。ただシップランド子爵一族の人間が平民になって商会を興したわけではない。これも、シップランドの独立性を保つためです」
「そんなにバート王国の圧力が増したのですか?」
思わずララベルが、ガルシア商会の主に質問してしまった。
これまでなんとか貿易中継地ということで独自性を保ってきたが、自分の兄のせいでそれも危うくなってきたと思ったからであろう。
「今代のバート王国の陛下は、とにかく力がほしい。なにか実績がほしいと焦っているようですね。ララベル王女様」
「招待などされるので、バレている予感はあったがな」
さすがは、シップランド一の大商人。
情報収集能力もピカ一で、とっくにララベルの正体に気がついていた。
「別に私は、あなた方をどうこうするつもりはないですよ。今のララベル王女様は……そういえば、降家して伯爵になられたとか……。サンドウォームの巣に囲まれた無人のオアシスの主。独立領主がどこに出かけようと勝手というわけです。まさか、あんな小さな船でここまで旅してくるとは驚きでしたが」
正体がバレると面倒なのは、公的には死んだことになっている私だけ。
ララベルとミュウが、シップランドに船の建造を頼んでおかしな点もないからな。
別に二人は、なにか罪を犯したわけではないのだから。
「このシップランドの直轄地化を狙っているのですか? 陛下は」
「そうでしょうね。ララベル様の側近で、優秀な魔法使いにして参謀でもあるミュウ殿。バーナート男爵家の四女でしたか」
「ララベル様のみならず、私の情報も掴んでいると誇示して、こちらに力を見せているのですか? ガルシア商会の現当主殿」
「そんなつもりはありませんよ。情報を集めようが集めまいが、バート王国の王はシップランドの直轄地化を狙っていて、今はその準備を水面下で行なっています。ここを直轄地化して王家が中継貿易の利を独占すれば、新王の功績は比類なきものになり、王族や貴族たちも新王に従うという寸法です」
「誰か止めないんですかね?」
このシップランドが貿易中継地として栄えているのは、この地が名ばかりバート王国の貴族領だからだ。
もし王国の直轄地になってしまえば、今の繁栄を一気に失うであろう。
「王家自体の力は増すからいいと考えたのかな? 王家だけ得して、あとは大損したとなれば、ますます王家の力は増すであろうと考えた?」
「それも考えなくもなかったんですけどね。どうもあの若い王の考えは、私には理解しきれないのですよ」
シップランドは、シップランド子爵家の統治下にあるからこそ、独立領主のオアシスから大量の荷が流れ込むのだ。
もし王国の直轄地となって王家が取り仕切るようになると、色々と不都合が出てしまう。
「バート王国が主張している領内にいる独立領主たちは、シップランドに荷を売ってくれなくなるかもしれません」
杓子定規に言えば、バート王国に臣従していない独立領主のオアシスから来た荷を購入するなどもっての外。
というのが、バート王国の本来の姿勢、方針であった。
建前ともいう。
ところがそれだと王都が物資不足になるので、シップランドを挟むことでその問題を曖昧にしてきたわけだ。
シップランド自体が名ばかりバート王国貴族の領地で、実質は独立領主だからこそ、その誤魔化しが通用してきた。
だが直轄地化してしまえば、バート王国としては臣従していない貴族領からの荷は持ち込むなと言わざるを得ない。
シップランドを直轄地化すれば、バート王家自体は損をすることはないだろう。
ちゃんとバート王国に臣従している貴族たちもいて、そこと取引をすればいいのだから、荷が完全に途絶えることはないからだ。
全体の貿易量が減ってしまうので、バート王国全体から見れば大損なのだが、貴族たちが困窮すれば、逆に力を増やしたい王家には都合がいいという考え方もできるわけだ。
「他国に対し、国力の面で不利になると思うけど」
「どうせ砂漠のせいで他国と戦争になんてならないので、一時的な国力の低下には目を瞑り、国内の統制を強化したいと、今のバート王国国王が思ったのかもしれない。と考えるわけです。我々は」
「あの兄ならあり得るかな?」
多少無茶をしてでも、自分の王としての力を誇示したい。
ララベルは、自分の兄の心の闇を誰よりも理解しているのかもしれない。
「とはいえ、バート王国がシップランドに兵を向けるのは、まだ何年も先でしょう。出兵には準備が必要ですからね」
少なくとも、シップランドの防衛戦力に勝る軍を派遣しなければいけないからだ。
同時に、その軍勢を運ぶ船と、彼らが消費する水と食料か……。
「グレートデザートにおいて、大軍を遠くの拠点に送り込むのに必要な、食料、水、その他物資を集めるのは難しくないですか? 現地調達も不可能でしょうし」
不可能というか、現地調達などした時点で占領した町が崩壊してしまうのだ。
元々オアシス頼りの水と、それを利用した食料生産しかできないので、シップランドみたいに貿易が盛んでないと、食料生産量以上の人間は飢え死にしてしまうからだ。
住民が死に絶え、町が壊滅したオアシスをいくら確保しても意味がない。
人を送り込んで一から再建するのもありかもしれないが、コストや手間を考えるとわざわざ軍勢を送り込む意味がない。
もしそんなものがあれば、どの国も遠く離れたオアシスにいる独立領主たちを放置しないであろう。
「五年後くらいを目途に、色々と準備しているみたいですよ。バート王国は税金が高いですからね」
「そうですね」
ハンターが討伐した砂獣の素材と、ドロップする神貨の半分だからな。
農民、商人、職人なども同じような状態らしいが、先代王の頃はもっと安かったそうだ。
今の王になってから、税金が倍近くまで上がったらしい。
その頃に私はいなかったから、気がつかなかったのだけど。
「シップランドは税が安いですからね。高くても二割ですから」
これだけ景気がいいとな。
そんなに沢山税を取らなくてもやっていけるのであろう。
そして、税が安いからこそ多くの人や船主、商人が集まって商売に精を出す。
すると余計に、シップランドには金が集まるわけだ。
「バート王国軍による、シップランド侵攻は五年後ですか。確証はあるのですか?」
「こういう時に商人は、物資の移動量や取引量でバート王国の物資備蓄量を大凡推察できます。送り出す軍勢の数と、彼らが必要とする水と食料の量も計算できますし、なによりバート王国が呼び寄せた『変革者』は不慮の事故で亡くなったとか。新しい『変革者』の召喚は五年後ですね」
なるほど。
私がいらない『変革者』扱いされ、始末されそうになったのには、そんな理由があったのか。
でも、あの王様は選択を誤ったな。
のちに私が、『異次元倉庫』の特技を獲得するのは予想外だったであろう。
これがあれば、物資の移動が簡単にできるのだから。
とはいえ、それをわざわざ教えに行ってあげる義理はないけど。
「『変革者』は亡くなったのですか」
「完全な証拠はないですけど、バート王国は五年後の再召喚を目指して、召喚に使う装置に魔力を貯め始めたそうです。そこでも国民たちに負担を強いて、人気がないようですけどね。『変革者』になにもなければ、装置に魔力を貯めるのなんて、要は五十年かけてやればいいわけでして。急いでいるということは、そういうことなのでしょう」
バート王国は、なぜか私が死んでいると確信しているわけか。
教会の預金口座が消えてしまった事実に気がついたのかな?
となると、教会の預金者情報保護にも隙があるというわけだ。
「というわけで、我々はバート王国に対しては時間があるので、そこまで悲観していません。当然情報収集と防衛の準備は怠っていませんけどね。ですが、今差し迫った危険がありまして……」
「差し迫った危険? 砂賊か?」
「いえいえ、ここを狙う砂賊なんていませんよ」
砂賊とは、要は海賊みたいなものだ。
この世界では、砂の海を巡って船を襲うので、海賊ではなく砂賊というわけだ。
砂流船を持つ商人とどこに差があるのかといえば、そこは難しいところだけど。
なぜなら、困窮した商人で砂賊になってしまう者もいたからだ。
砂漠を移動中に砂賊に襲われ、行方不明になっても、『砂獣に食われてしまったのだろう』で終わってしまうケースも多いからだ。
「『虚無』が近づいているのです」
「虚無?」
そんな名前の砂獣がいるのであろうか?
それとも、なにかもの凄い自然災害とか?
「ターローさん、虚無とは巨大なサンドウォームのことですよ。これまでに、いくつものオアシスを飲み込んできた砂獣です」
ミュウは頭がいいので、すぐに私の偽名に対応してきたな。
巨大なサンドウォームがいて、それがオアシスや町を飲み込んでしまうのか。
随分と規模の大きな話だな。
「虚無は、全長一キロ以上、口の直径が五十メートルほどもある巨大なサンドウォームです。繁殖をせず、群れでの行動もせず、一体で砂漠をウロウロしています」
そしてお腹が空くと、人間はおろか、町やオアシスまで飲み込んでしまう。
これまでに多くのオアシスが壊滅したそうだ。
オアシスの水源までは吸い込まないので、すぐそのあとに他の移民者が入って生活を始めるそうだが、それにしても迷惑な砂獣であることには違いがなかった。
「なぜそれを私たちに言うのだ? いくら我々でも、虚無は倒せないぞ」
「そうですよね。あれは、自己再生能力が高いと聞きますよ」
「自己再生能力?」
「そうです。いくら大きいとはいえ、サンドウォームですからね。強いハンターたちが対応すれば、倒せないはずがない。と思うのが普通ですけど……」
虚無は、どれだけダメージを受けてもすぐに回復してしまう。
武器で斬られても、魔法で凍らされても、火炎で焼き払っても。
その回復力は驚異的で、これまでどれだけ討伐を受けても倒されなかった、筋金入りの回復力を持つ砂獣だそうだ。
「対策としては、逃げるしかないですね」
いくら虚無でもオアシスで一番大切な水源を食われることはないので、建物やインフラ、畑、などの上物は諦めて一時退避。
虚無がどこかに去ってから、オアシスに戻って復興を始める。
これが、今までに虚無の被害に遭った人たちの対策手段だそうだ。
私も、ミュウの提案どおりにした方法が一番無難だと思う。
ララベルが豪快に斬り裂いても、ミュウが魔法で氷漬けにしても、虚無は死なないのだから。
私?
この私になにができるというのだ。
戦闘力でいえば、二人に圧倒的に劣るこの私が。
「駄目元でお願いできませんか? 正直、手がないのです」
「この町のハンターたちはどうなんだ?」
「当然、断られました。以前、虚無に攻撃を仕掛けた有名なハンターもいるのですが、『いくらダメージを与えても、すぐに回復してしまうので手がない』と言われてしまいまして……」
シップランドには多くの人たちが集まるので、ハンターの層もとても厚かった。
ハンターたちが得た素材の売買も、シップランドでは活発だったからだ。
そのため、王都に匹敵する層の厚さと言われているのだが、残念ながら有名なハンターは全員が虚無討伐の依頼を断ってしまったそうだ。
「このシップランドが虚無に潰されるのは、今はまずいのです」
あの王様が、余計な野心を抱くよな。
シップランドへの出兵を早めるかもしれない。
どうせ更地に戻ってしまったのであれば、軍勢は屯田兵みたいな扱いで送り出せばいいのだから。
戦闘をしないで済むので、それほど大軍を送り出さないで済むメリットもある。
「極一部の意見ですが、ここはバート王国の支援を仰いだらどうか。という意見もあるのですが、これも危険です」
町の中に、バート王国の軍勢を受け入れることになるからな。
内側から侵略されたら、シップランド子爵家は対応できないだろう。
「そのため、可能性がありそうな人にはみんな当たっています」
「バート王国に漏れないか?」
「もう漏れています。ここより全力で船を飛ばして、三日ほどの場所にある『トレスト』のオアシス。ここがあと一週間ほどで虚無に蹂躙されてしまいます。ここの領主もバート王国から一応男爵位を得ているのですが、状況がシップランドよりも切迫しているため、バート王国に援軍を要請するかしないかで、家中が割れて揉めているとか。もしトレスト男爵家がバート王国に援軍を要請した場合、これもまずいのです」
普通に考えて、その援軍がシップランドを素通りするとは考えにくいか。
ドサクサに紛れて……というか、今から王都からバート王国軍を呼んでも間に合わないよな。
ただ、虚無に蹂躙されたオアシスの水源を占領されてしまうだけだ。
「今、言い争っても無意味なのでは?」
「バート王国軍の受け入れ賛成派は、もう諦めているのですよ。オアシスの復興も面倒という考えで、バート王国に水源を高く売り飛ばす算段なのです」
水源は残っているから、トレストのオアシスはいい軍駐屯地になるわけだ。
オアシスを売り渡す代わりに、トレスト男爵家はバート王国から貴族としての地位と収入を保障してもらう。
そして、トレストを支配下にしたバート王国はシップランドに軍事的な圧力を加えてくると。
残念ながら、すでに詰んでいるな。
「虚無をハンターが倒すことが重要なのです。王都で名を成していたララベル様とミュウ様ならという期待がありまして……」
だから、私たちを屋敷に招待した?
いや、この当主のことだから、とっくに私の正体にも気がついているはずだ。
口に出さないのは、私の『変革者』としての力がよくわからないからであろう。
「シップランドがなくなると、独立領主たちと、形だけバート王国に臣従しているオアシスの主たちも困ります。彼らと、大商人有志に、シップランド子爵家もお金を出し、現在虚無の討伐報酬は十億ドルクまで上がっています」
十億ドルクは大金だが、虚無の討伐報酬としてはどうなのだろう?
有力なハンターたちが誰も引き受けていないということは、それでも安いと見るか、どうせ引き受けても成功しないと思っている可能性が高かった。
「今、その討伐報酬を倍の二十億ドルクにする案も出ていまして。引き受けてもらえないかなと」
「難しい依頼だな」
「そうですね。引き受けて失敗すると……」
死ぬ可能性も高いわけで、自分の実力で手に負えない砂獣の討伐なんて、冷静なプロほど引き受けないか。
ララベルも、ミュウも、王都で名を馳せたハンターなので、安請け合いはできないと思っているようだ。
「船が完成するまで、この屋敷にご滞在いただいて結構です。これは、砂糖のご恩からですから。できたら考えていただきたい」
「考えてみます」
「そうですね。なんとか倒す方法があればいいのですけど」
こうして私たちは、船が完成するまでガルシア商会当主の屋敷に滞在することになったのだが、彼は虚無という砂獣のせいでシップランド中を駆け回っていたため、三日間ほどまったく顔を合わせなかった。
それでも、主人から言い含められているであろう。
屋敷の使用人たちから丁重にお世話をされ、私たちはセレブな生活を満喫していた。
どうやら、あの白砂糖はよほど儲かるようだ。
虚無をなんとかしなければ、いくら儲けてもシップランドの町は飲み込まれてしまうのだが。