後編
単刀直入に答えを明かすと、あの時戦闘の仲裁に入った男こそが海賊団のリーダー――ラムズ・シャークと呼ばれる男であった。
左目に掛かる眼帯といった、まるで真祖の眷属に与するとある戦闘狂の吸血鬼を彷彿とさせる姿は野蛮な海賊の印象と見事に合致している。
だがそれ以外はお世辞にも海賊とは言い難い。野心などまるで感じられない死んだ青の瞳、それに反してさらさらと髪になびく銀髪、細身の身体を包む仕立ての良い服、そして無数の宝石。まるで退屈な生活にうんざりとしている貴族の息子のような様相である。
そんな海賊にしては整い過ぎている彼が――一部では「海賊のプリンス」と称されている彼こそが、この海賊団を束ね上げている船長なのであった。
「すまねえな。奴らはどうにも血気盛んだから、戦闘となるとスイッチが入っちまう」
「構わぬよ。ただの人間の割には存分に楽しめた」
「尤も、ただの人間じゃないんだがな。アンタに語るようなことでもない些末な話だから省かせてもらうが」
「そうか」
現在、ユークリッドはラムズによって何故か丁重にもてなされている最中である。普段は許可無く立ち入ることのできない船長室に案内され、先ほどから室内において互いにたわいない雑談を交わしていた。
ちなみに、ジウとロミューはこの場にはいない。船長室が勝手に入ることのできない場所だからというのもそうだが、それ以前に彼らは勝手に私闘を行おうとした罰を受けている。今頃あの二人は、船長より押し付けられた甲板の清掃を大人しく行っていることだろう。
「それにしても……」
ユークリッドは呆れたような視線を周囲に巡らせる。
「随分と悪趣味な部屋であるな」
「そりゃどうも。俺としてはすごく気に入っているんだがね」
船長室の内部は宝石で埋め尽くされていた。天井にはダイヤモンド製の照明、壁や棚にはこれでもかというほど宝石の装飾品が飾り立てられている。挙句の果てには床までもが宝石でできていたという始末だった。踏まれてもいいのだろうか。
宝石狂いは留まることを知らない。グラス、肘掛け椅子、花瓶、机、チェスの駒――装身具に留まらず、ありとあらゆるものが宝石でできていたり、また宝石が埋め込まれていたりしていた。
入室してから数分が経過した今はもうとっくに慣れたのだが、狂っているとしか思えない無数の宝石のきらびやかさに、芸術品に価値を見出すことが滅多に無いユークリッドは思わず顔を顰めたものだ。
「言っておくが、『一つ欲しい』と言われてもやらないからな」
「欲しいとは思わぬ。宝石ならば余の宝物庫にいくらでもあるが故」
「――そうか」
何故だろうか。
一瞬だけラムズの死んだ魚のような瞳が期待に輝いていたような気がした。
しかし何故彼がそのような表情を浮かべていたのかなど、それ以上に優先すべき案件があるユークリッドにとっては心底どうでもいいこと。
サファイアのような青い瞳を鋭く射貫きつつ、吸血鬼の王は端的に問う。
「然して、本題に入る。貴様らが余の土地へと密入国せんとした理由は何だ?」
「何だよ。ジウとロミュー……あの時の赤毛の男たちから聞かなかったのか?」
「耳にはしたが信用はできなかった。彼奴らが虚言を吐いたという可能性も否定はできまい?」
「……まあ、そうだな」
納得したように頷くラムズだが、その整った顔にはどう見ても「面倒な奴だ」という真意が含まれている。
しかしそれでも、彼は律儀に答えてくれた。
「アンタが執拗に急かすんだったら、俺の口から直接言ってやる。俺の目的はアンタが持っている宝石。ただそれだけだ」
「本当にそれだけか?」
ユークリッドが危惧しているのは自身の宝石を根こそぎ奪われることではない。自身が治める国の領土の一部を要求、ないし無理やりに強奪されることを危ぶんでいた。
吸血鬼たちの永久楽土を人間たちの土足に踏み荒らされたくなどないと、吸血鬼を統べる王としての誇りを燃やすユークリッドは強く想っていた。
しかしユークリッドの危機感は杞憂に終わる。
「土地になんて興味はねえよ。こう見えても俺は自分の領地を持っているし、そもそも海賊が不必要に領土を持つ意味があるとでも思ってんのか?」
「『自分の領地を持っている』というのは妙に胡散臭い。その発言は信用に値するか?」
「マジだって。一応爵位もあるんだぜ?」
「……」
信じるか信じないか以前に、これ以上追及するのが馬鹿馬鹿しくなってきた。きっとこちらがいくら問いただそうが、彼は上手いことはぐらかしてくるに違いない。
これ以上面倒な展開にしないために、結局ユークリッドはラムズの要求に対し白旗を上げることとした。
「ともかく、貴様は宝石さえ渡せばこちらの領土は荒らさないということなのであるな?」
「さっきからそう言っているだろうに。大人しく渡してくれさえすれば、何者も逆らえない吸血鬼の真祖様を本気で怒らせようだなんて思わねえって」
「……? 貴様、今……」
「尤も、宝石を渡さなければ、アンタがどんなに脅威的な存在であろうと容赦はしねえけどな」
先ほど明らかに、ラムズはユークリッドの正体を知っているかのような発言をした。
だがその真相を知ることは適わない。すぐさま話を軌道修正されてしまったから。
「という訳でさっさと寄越せよ、真祖様」
「……強欲な奴め」
「残念だが、俺にとってそれは誉め言葉だな」
宝石が待ち切れないらしいラムズは、机を指でコツコツと叩き、こちらが宝石を引き渡す瞬間を催促していた。どれだけ宝石に目が無いというのだ、彼は。
こちらがどのような存在なのか知っておきながらも目的の品を催促する彼の豪胆さに呆れつつ、ユークリッドはそろそろこちらに戻ってきているであろう彼の名を呼んだ。
「――カイン」
「は、こちらに」
名を呼ばれるのをずっと待っていたかのように、先ほど城に戻ったはずの真祖の配下が船長室に入室する。
「おいテメエ、いくらコイツの部下だからと言って俺の部屋に勝手に入るのは――」
「カインよ、例の品は持ってきたであろう? 出せ」
勝手に部外者に立ち入られたことに立腹するラムズを無視し、ユークリッドはカインに命令。指示を受けた真祖の配下は、逆らわずそれを実行に移した。
カインは何かを企んでいるかのような笑顔を浮かべ、不自然に閉じた自身のマントをすうっと大きく広げ――
「――!!」
――その中から飛び出したのは、大小さまざま色とりどりの宝石、宝石、宝石。
床にバラバラと散らばる無数の宝石を見た瞬間、ラムズの目の色が変わった。
彼は急いで椅子から立ち上がり、必死の形相で宝石を拾い集め始める。まるで無心で餌を求める鳩のようだと、ついユークリッドは想ってしまった。
カインが宝石を床に放ってからものの一、二分後、ラムズは再び自分の席に戻ってくる。先ほどとは異なり、腕いっぱいに拾った宝石を抱えていた。
その宝石を丁寧に机の上に置くと、ラムズは宝石の一つを拾い上げ愛おしげに撫で始める。そうした上でユークリッドたちに言葉を掛けてきた。
「へえ……どれもそれなりに上物じゃねえか。これなら俺も文句はねえ。素直にこの土地から退き下がってやる」
「このような宝石など、余にとっては無用の長物であったからな。いくらでもくれてやろう」
「そうか。流石財力も戦闘力も一流の王様なことで……」
先ほどまでの死んだ魚のような目が嘘であったかのように、宝石を愛でるラムズの表情は恍惚に歪んでいる。まるで好みの菓子を買い与えられた子供のごとき、純真無垢な物欲に満ちた表情だ。
そんなラムズを、人間の血液にしか興味の無いユークリッドとカインは理解し難いようなものを見るような目付きで眺めていたが、そんな視線でさえ宝石狂いの船長の眼中には無い。今彼の青い瞳に映っているのは宝石だけであった。
そんな状況が一体何分続いたことだろうか。
宝石を愛でていたラムズが、ふと思い出したかのようにユークリッドを――正確に言えばユークリッドの胸を見た。
「そうだ。アンタにもう一つ頼みがあるんだが」
「何だ、あれだけでは足りぬのか?」
「ああ。まだ一つ、もらっていなかった」
子供のように無垢な表情で、ラムズはユークリッドの胸部を指差した。
「アンタのマントに付いているその宝石――それもくれ」
「な……っ!」
それに対し真っ青な顔をしたのはカインだ。
カインの主たるユークリッドは、吸血鬼の真祖としての威厳を示すべく、上質な布で仕立てられた藍色のマントを羽織っている。そのマントの留め具には、彼の純血を示すかのように赤い宝石が使用されているのだった。
そんな吸血鬼の頂点としての証を示すために用いられている宝石を、この海賊は要求してきたのだ。真祖の絶対的な配下にとって、これは到底黙っていられぬ狼藉である。
当然、これには主も黙ってはいないだろう――そうカインは踏んでいた。
だがその予想に反し、ユークリッドは、
「――いいだろう。くれてやる」
自身のマントから留め具を外し、それをラムズに向け放り投げた。
留め具を失ったマントがするりと背中から滑り落ちるが、ユークリッドは気に留めない。相変わらずの冷めた視線をラムズに送っていた。
「ここで余がこの宝石を渡さなくば、代償として領土を荒らすつもりであったのだろう?」
「ああ」
「ならば、宝石など惜しくは無い。領土を貴様ら賊に荒らされることと比較すれば、この程度など何ともあらぬ」
呆れたようなユークリッドの呟きに、ラムズは首肯一つで答える。
そして、ユークリッド直々に手渡された宝石にそっと触れながら、
「約束通り宝石をくれたんだ、俺らは大人しくアンタらの要求に従う。今すぐにこの土地から発つこととするよ」
「それならば良い。宝石らと共に早急に発て」
ユークリッドのその言葉で、船長と真祖の深夜の会合は終わった。用は済んだと言わんばかりにユークリッドとカインは船長室を去り、ラムズは宝石を愛でる作業に戻る。
だが去り際に、ふとユークリッドはラムズに問うた。
「ラムズ・シャーク、最後に一つ問うてもよいか?」
「ああ。『宝石を返せ』という要求以外ならばいくらでも」
「何故貴様は、そこまで宝石に執着する?」
その質問に対し、ラムズはしばし沈黙。
ややあって彼は、様々な感情が押し込められた低い声で、ユークリッドにだけ聞こえる声で小さく呟いた。
「……アンタが知るべきことじゃねえよ、それは」
ガーネット号から下船し、城へと戻る帰り道にて。
「ユークリッド様、あれでよろしかったのですか?」
留め具を取り外したことにより纏えなくなってしまったユークリッドのマントを代わりに持ちつつ、カインは率直に訊いた。
結局、城にあるだけの宝石は全部ラムズに譲ってしまった。現在は石像などの美術品だけが城の宝物庫に取り残されているだけになっている。
さらにラムズは、ユークリッドのマントの留め具として使われていた真紅の宝石までもを要求した。そのせいで彼は今、吸血鬼の王としての威厳を示すマントを纏えなくなってしまっている。
それにしても何故、ユークリッドは素直に宝石を海賊に引き渡すような真似をしたのだろうか。少なくとも戦闘力・権力において圧倒的に上回っている彼ならば、実力を行使してでもラムズのことを捻り潰すことができるはずなのに。
「よいのだ、カインよ。ああして彼奴に宝石を引き渡しておけば、あの海賊は二度とこの土地には近付かぬ。むしろ聖騎士共の侵攻によって我が領土が危機に瀕した際、彼奴らが助太刀に来てくれぬやもしれぬぞ?」
「……確かに、そうかもしれませんね」
悪戯っぽく笑うユークリッドに釣られ、カインも思わず笑ってしまう。
彼はおそらく予期していたのだ。ラムズ・シャークが宝石にしか目が無い海賊だということを、宝石さえ渡しておけば簡単に懐柔できるような存在だということを、配下に「宝石を城から持ってこい」と命じた瞬間から。……否、おそらくはそれ以前から。
そんな風に他者の性質を知らず知らずのうちに見抜き、その上で自身にとって最善の行動に移すことのできるユークリッドの観察眼は流石のものだと、彼の一番の配下であるカインは自然と嬉しさと誇らしさを感じてしまう。彼に釣られて笑ってしまったのもそれが所以だ。
「それに――」
カインが自身の主君に改めて尊敬と崇拝の念を抱いていた間、件の主は海賊に宝石を渡したもう一つの理由を語っていた。
その時の表情は、先ほどまでの悪戯っぽい笑みとは異なり、敵を鏖にする間際のような陰湿で悪辣な嗤いであって。
「――余が渡した宝石は、彼奴の未来に対しての『賭け金』でもあるのだよ。あの宝石に対する執着が如何にして彼奴を破滅に導くか、そんな結末を余は彼奴に期待しておるのだ」
*****
「ねえラムズ、貴方そんな宝石身に付けていたっけ?」
出航したガーネット号、その船長室の中。
腰まで届くほどの長い赤髪を持った少女は、不思議そうに首を傾げながらラムズに問い掛ける。
「まあ、さっきちょっとだけ停泊していた街で手に入れたんでしょうけど」
「正確には『手に入れた』というよりも『もらった』って言う方が正しいけどな」
血のようにドロリと赤い酒を一口含んだ後、ラムズは宝石でできたチェスの駒を手でもてあそびつつ返答。
「俺でさえも敵わなかった奴から譲ってもらった宝石だ。彼と奇跡的に分かり合えた勲章代わりとして、せいぜい大切に身に付けさせてもらうことにするさ」
普段は悪辣な表情の方が多いラムズは、珍しく何処か清々しい表情で笑っている。
そんな彼のマントでは、まるで吸血鬼の瞳のように赤々とした宝石が、妖しく、そして誇らしく輝いていた。