小さな綻び
「ところで主殿、つかぬ事を聞くが。……こちらに来る前のアリス殿。どういう人だったのだ?」
「前に言わなかったか? 喋ったことなかったんだよ。……なんか、いつも静かに本を読んでる様なイメージだったんだけど」
高嶺の花、深窓の令嬢、雲の上の存在。亜里須は、俺から見たらそうだったよな。
まさかどうでも良いメッセージをSNSでやりとりするような、そう言う仲になろうとは、俺本人がそもそも思っていなかった。
「貴族でも学者でもないのに読書を、しかも趣味に……。さすがというか」
「読書が趣味なら俺もそうなんだがどう思うよ? ……で、亜里須がどうした?」
「この世界の子供向けの本が読みたい。と言われて数冊見繕って渡したのだが、何かを書き付けながら一晩中読んでいるのだ。文字は読めなかったのだよな? 二人共」
「そうだけど……」
読めない、と言うのは表現としてまぁまぁ正しいのだが。
但し、ニケのように全く読み書きが出来ない、と言うわけでは無く。
実際はなんとなく、字面を眺めれば意味はわかるのである。
もちろんこれじゃ本なんて読めやしないし、もちろん書けるわけも無いが。
全く字の読めない人達も、数字の植えではかなり居るはずのこの世界でなら。
意味がぼんやり理解できるだけでも、実用上は何とかなる。
この辺はゲーム内なら字幕が出る部分だし、そんなもんなんだろうと思ってたが。
亜里須も当然同じ状態なのは以前確認している。
子供向けだろうが、本を読めるわけがない。
つまりアイツは。実際には概念でしかない大陸の文字、これを翻訳して読もうとしているらしい。
……ホントかよ!
「朝は八時過ぎないと起きないが、寝る時間が私の起きる時間とほぼ同じだからな。八時に起きているなら相当に早起きだ」
「一番イメージに合わんな。学者にでもなるつもりか? アイツ」
「アリス殿もまた、命の恩人である主殿の役に立ちたい。そう考えているのだろう」
そこは今でも、助けたのか巻き込んだのか。微妙に思って居るところだが。
「それに、アリス殿は。あぁ見えて図抜けて頭の回転は速い、読み書きができればかなり暮らしやすくなるのでは?」
「まぁ、できたら便利だろうけどさ」
「主殿、もう一つ」
「ん? ……今度はなんだ?」
「リオさんを、ここに着いた日の夜から見かけないのだが。何か聞いているか?」
「さっき会ったぞ?」
――助けてぇ! 寝ぇかぁせぇてぇええええ! リオはそう叫びながら、涙目で引きずられていった。
なぜ耳の良いお前に聞こえなかった?
「集中していなければ、ちょっと耳が良い程度。当然に、主殿やニケさんには負ける」
「そう言うもんなの?」
「真実の目があろうと、普段の視力はモリガンの方が数段良い。そういうことだ」
「あ、それはなんかわかる」
「ふむ、しかし。……なまじエラくなると、それはそれで大変なのだな」
「エラさがハンパないからなぁ。バランス取ろうと思ったら当然あぁもなるだろうさ」
「すると、誰に言えば良いだろうか。……主殿、副司祭様に会う予定は?」
「ずっと引きこもってて、いつアポを取るんだよ?」
「うん? 言われてみれば、確かにそうだな」
――ついさっき会ったけどな。
「え? お会いしたのか?」
「今ならメルカさんもリオと一緒のはずだけど、なんだよ?」
「第三ゲート脇の大結界だ。そこに、魔力の綻びというか、すり切れというか、ほつれたというか。とにかく、ついさっき。そう言う部分を見つけたので、誰かに報告はしておいた方が良いかと」
直近は裁縫の練習をしてたのかな……。
「巫女さんなら誰でも良いんじゃ無いか? 忘れなきゃ俺からも誰かに言っておくよ。直すんだって簡単じゃないんだろうけど」
「そうして欲しい、私からもお世話係の皆さんの誰かには報告する。もっとも話は王都の大結界。別に近々どうにかなるようなものでも無いのだが。――ところで主殿。今の話、食事は普通に食堂で取るようにするのか?」
「お前に要らん迷惑をかけるのも悪い、食事は普通にみんなと食うよ」
「べ、別に迷惑とは思っていない。むしろ食事を準備する時の……。おほん、いずれ各方面には言っておこう」
一瞬。鉄面皮のアテネーが顔を赤らめたような気がしたが。気のせいだな。
「あぁ、頼む。――場所、教えてくれないか?」
「……う、うん。わかった」





