巫女という名の生け贄 Side : Country of Regulations
所属:フェリシニア法典による神聖聖道王国
法王:教皇フェリシニアⅢ世
「……リオンデュール・カニュラケイノス」
「はい、法王様。……リオはここに居ます」
大神殿。最上階の大礼拝堂。
神の像の前、像を見上げ立つ私の後ろ。
年の頃ならまだ十代前半。
印象的な銀色の艶やかな髪に真っ赤なリボンをつけた少女が、私の後ろ。
石を敷き詰めた床の上で巫女を示す紫の衣装に身を包み、頭を垂れてひざまずいている。
五百人は収容出来る礼拝堂のなか、少女と私、その他には誰も居ない。
少女に振り返る。
「今一度、問う。中央大神殿拝殿付き礼拝巫女見習いカニュラケイノス。……本当に良いのか? 今この時なれば、まだ別の巫女を立てることも出来よう」
著名な魔道師の家系ではあるが、当主を失い没落し、今や最後の一人。
彼女はそうでありながら、まともに魔法の行使が出来ない。
のみならず、平均的な魔導団員の一〇倍をはるかに超える途方も無く、大きな力を内包するが故に、暴発を押さえるために封印さえ必要とする。
当然、巫女としても最低レベル。
現在の彼女は、教会の下働き。肩書きはともかく、実質は巫女でさえ無い。
「法王様もご存じでしょう!? 神様が何度も夢にでてきて、私が必要だって!」
「巫女たるもの、簡単に声を荒げてはいかんな。……そなたが嘘を吐いているとは言っていない。私の託宣でもそなたの名が告げられた。――だが、わかっているか? ……危険なのだぞ、二度とこの世界へ戻れぬやも知れず、なれば……」
「だったら、なおのこと私を! ――大事なお役目であるのは知ってます! 私が不出来であるのも自分でよーくわかってます! でも、……危ない仕事、失敗したら死んじゃうようなそんな仕事でも、だったら。私なら、大神殿の損害は最低限です!」
国を本気で思い、自分を誹謗する言葉を王たる私のために叫ぶ少女。
それをいったいどんな顔で見やれば良いと言うのか。途方に暮れるしかない。
「大事なお役目で、指名された私が出来損ないだから。だから法王様にも、お姉様方にも。要らない心配を……」
「そう自分を卑下するものでは無い。――良いかね? よく聞きなさい、リオよ」
私はそう言いながら一歩前へ出る。
リオがびくっと背を振るわせ、小さいからだが更に縮こまる。
この時、精一杯の優しい顔をしようと努力はしたのだ。
だが努力は報われず、きっと彼女を睨み付けたようにしか見えないのだろう。
危険なお役目に就くのだ。と言う彼女を神殿中が心配し、――リオを危険に晒すな、自分に変更しろ。と私に直訴するものさえ複数人居たのである。
その彼女の人好きのする笑顔。いやこれはまさに人徳と言うものだろう。
私では遠く及ばない。
「お前は確かに聖学も、魔導も、最近始めた槍術でさえ。何一つものになっては居ない。不出来というならそこは確かに私もかばえん。そうなのだが……」
リオは黙って俯くと唇を噛む。
「だが。そんなものは結局、些末なことである、と言っているのだ。そなたは私の娘の様なもの。その娘を、……可愛い娘を異世界に送りたいと思う親が。――そなたは、そんな親が何処かに居ると思うか? ……リオよ」
「……! ――法王様」
彼女の肩に手を乗せると目をつぶる。
――そなたは小さき頃より不器用で……。親の無い彼女を、私はずっと見守るより他してこなかった。
馬鹿なわけでは無く、体力もある。細かい仕事も人並み以上にこなせる。魔力など文字通りにあふれているのだ。
何かが枷になっているというのなら。枷を外すには多少の荒療治が必要かも知れない。今回のことは彼女にとって良い転機に……。
それも言い訳だな。私と言うものはどこまで言い訳をすれば気が済むのか。
目を開けてリオを見る。
もう送り出さなくてはいけない時間だった。
今生の別れになる可能性さえあるというのに、私というものは。一人密かに感傷に浸るばかりで。
快く送り出す。そんなやり方さえ思いつかない。
「時間か。……もう一度だけ、最期にお前の意思を問う。――本当に。良いのだな? リオ」
「はい」
黒いケープをひざまずく彼女にかける。
「そなたを魔導の巫女として認めよう。……但し。それを羽織れば、真現象平面界では救世主様以外にはそなたの姿は見えなくなる。異世界でまさに一人きりとなる。辛いぞ」
「……覚悟は、出来ています」
更に大ぶりの青い石の付いた指輪を彼女に渡す。
「これは一度きりしか使えない上、救世主様が見つからねば発動はしない。もし真現象平面に救世主様が居なかった、もしくは逢えなかった場合、……そなたは二度とこの世界へは帰って来られぬ」
「法王様の御託宣は絶対。私の夢に出てこられた神も、やはり現象平面に向かえ。と仰いました。必ずや法王様の元へ救世主様をお連れします」
「うむ。そなたの覚悟、しかと受け取った。……なれば世界の命運、そなたに託そうぞっ! ――超時空転移陣っ!」
私は、――白いローブを跳ね上げる様に右手を広げる。
しゅん。一瞬礼拝堂内が暗くなったような感覚と共に、リオの足元に青く輝く魔方陣が浮かび上がり、彼女を足元から照らす出す。
「発動! ……頼むぞリオ、わが娘よっ!」
神聖文字の書かれた幾重にも重なった輪、それがスピードも方向もバラバラに廻り始める。
「行って参ります。……お父様」
「リオ……!」」
「すみません、お父様なんて。このおとがめは帰ったら、かなら……」
青い光の柱が立ち上がり、言葉が終わる前にはリオは魔方陣に吸い込まれる。
光の柱が消え失せると、魔方陣は光を失い一気に真ん中へと収束していく。
魔方陣のあった中心で、
きーん、きんきん……。
青く輝く光の球が石の床で跳ねる。
その玉は、ぱんっ! 突然粉々に割れ、その残骸は床に落ちることもなく塵と消えた。
「リオ、何故そなたを、私が怒らねばならん。怒られるべきは、この私であろうものを……」
「猊下、お取り込み中失礼致します! 騎士団のハイアットであります! 火急の用件で参りました!」 要件は必要な条件
誰も居ない礼拝堂の中、若者の凜とした声が響く。
「儀式があるとは先日下知したはずでありましたが。――あぁ、もう終わっています騎士団長。……長距離転移、ご苦労であります。気にせず入ってよろしい」
法国の紋を首に提げた、白銀と朱の鎧。赤いマントを翻し、青年が私の前に進み出ると膝をつく。
「ご無礼を、猊下。――過日ご報告申し上げた街の件に御座います」
「ハイアット卿。貴公が慌てるなど、何事でありましょう」
「申し上げます! 帝国軍の軍勢が当初の予想を大幅に上回り。我が法国軍は善戦するも最前線は維持が困難となり、現在村の外れまで法国軍はもとより、貸与いただいた騎士団、魔導団を含めた全軍が後退を余儀なくされ、なおも状況は思わしくなく……」
「もう良ろしい、敵も精鋭を交えた大部隊を送り込んできた、と言うことですね? ……して、人々の避難の様子は?」
「全力を尽くしましたが、敵の動き、想像以上に速く。……申し訳御座いません、半数がやっとでした」
「半数は避難が成ったと。 ――あいわかった、なれば遺憾ながら街は一時放棄しなさい。後のことも考慮せねばなりません。物見を残し騎士団と魔導団は、双方帰還、軍の中部防衛隊は半数を人々が落ち着き先に着くまで同行させるよう。その上で住人の代表者には解放の時まで恥辱に耐えるように、くれぐれもやけを起こさぬよう伝えおきなさい。……後に取り戻しても住むものが無ければ、それは街とは呼ばぬでしょうからね」
「ははっ、御意に。――時に猊下、儀式にはリオが参加していたやに存じますが。その……、姿が……」
「気になるかね? ハイアット卿」
「はっ、――その、お恐れながら。アレは我の妹も同然でありますれば……」
「リオはつい今ほど。巫女のつとめを果たさんと、自ら望んで異界へと……」
「……異界、で御座いますか?」
――そう、異界です。そう言って私はローブを翻すと廊下へと繋がる扉に手をかける。
「魔導団長も今は儀式の余波で動けぬことでもあります。……ハイアット卿、大神殿一階の大転移鏡、使用を許可します。騎士団長の矜持をもって速やかに前線に戻り、引き続き魔導団含め前線の指揮を頼みます。――誰かあるっ! 神官総長をこれに!」
片膝を付いた若き騎士を取り残し、執務室へ続く長い廊下を歩く私の後ろ。衣擦れの気配が増える。
私と同じく白いローブを翻す若物が私のとなり、やや後ろにつく。
「お呼びでございましょうか、教皇様」
「総長、ご苦労であるな。――カニュラケイノスが異界より戻りて後は、その偉功をたたえ大神殿礼拝官補佐とする。……事務手続と祝福の準備を」
「お言葉ですが教皇様。リオ、いえカニュラケイノスにあっては、神官どころか巫女の資格さえ……」
他国なら国王の住む宮殿にあたる中央大神殿。そこに仕える礼拝官となれば、補佐とは言ってもかなり官位の高い官僚に匹敵する役職になる。
普通なら司祭か神官。最低でも大神殿付きの助祭か副司祭であるのが普通だ。
その上に居るのは長官や大臣にあたる役職としての神官。そして事実上 政、 戦、 教義を仕切る大神官三名、そしてそれらをまとめるのが、今後ろを歩く神官総長。
後は教皇、つまるところ法王たる私しか居ない。
慣例上は特別な事例があろうとも、二ランクを超える昇進は無い。
現在。大神殿付きの雑務担当では有るものの、巫女としては。基本的に大神殿どころか、神殿の入り口にあたる拝殿。それにさえ上がれない見習いのリオであるので、事実上、昇進ランクは記録的な大抜擢になる。
見習いから、小規模神殿の礼拝士はおろか、総監さえ飛ばして補佐とは言え中央大神殿付きの礼拝官など、普通なら認められるはずも無い。
まして法国と言う以上。あくまで神に仕えるものの治める地。
リオ自身には巫女として、どころか魔道士としての能力さえ事実上使えない。
途中を飛ばして上級職に推挙される理由が、法王たる私から事実上の娘としての扱いを受けている。それ以外に無いのだ。
総長が気にしているのはそこである。それは良く分かっているが。
「これは法王たる私が決めた事項なのではあるが。……総長、何かしらそなたより意見があると言うのならば、それは当然に聞こう」
――何が法王だ。どうでも良い人事一つ、自ら決める事が出来ないでは無いか。
きっと私は不機嫌そのもののような顔をしていることだろう。
「いや、その。過ぎた口でした。……教皇様、お許しを」
「意見は構わぬ。そなたからの進言ならば尚更だ。……もちろん言いたい事もわからぬでは無い。だがこの一件。教皇としてでは無く、私の王としての我が儘故。神官会議は素通りにて通させて貰う」
私には、リオが戻ってきてその後。褒美として渡せるものの持ち合わせが無い。
論功行賞としての地位など、彼女が望むわけが無いことはわかっているが一方。
彼女の喜ぶモノはなにか?
と問われて答えることが出来ない。
――何がお父様か! これほど人として不出来なものを、何故そなたはそう呼んでくれる……。
「あの、……教皇様」
執務室のドアにたどり着き、ドアノブに手をかけ振り返る。
「いずれにしろ、……アレが異界より無事に戻りて、その後。……いつになるやもわからぬ、最低でも一月以上先の話だ。各方面に根回しだけは進めておくよう」
「お言葉通り、準備はぬかりなく進めておきましょう。リオの事です故、喜びこそすれ文句を言うものも居らぬでしょう。なにか言うものがあればそれこそ私から……」
「神官総長が自ら事を荒立てると言うのは、それは困るぞ?」
「もちろん、そこは……」
多少顔色が変わったところを見れば、反対する者に対して。なにがしか考えていたものらしいが。
「総長は準備と報告以外はなにもするな。責は私にある。此度にかかわること、全て。な」
「その、……リオのこと。アレは私の妹も同然の存在。それに私のみならず彼女を知る皆々が、一様に心配しております。――私は罰せられても構いません。是非、教皇様がお考えのお示しを。……リオは本当にここへ戻れると、……思っておいででしょうかっ!?」
「もちろん戻ろう。リオが巫女として指名され、たった今旅だったことまで。全ては託宣にしたがったものである」
「教皇様、その……」
「そしてそなたを罰する事由は、今のところは私には浮かばぬが。……そなたはなにかしら罰せられたいのか? 罪状の望みはあるかね?」
「……教皇様」
私は、――総長。午後の神官会議の準備、暫し任せる。とだけ背中越しに話し、返事を待たずに自らの執務室へと歩を進め、重いドアを閉めた。
難しい事情などなにも無い。
一度でも、リオに父と呼ばれたものとして。
異界に娘を送る決定を、その非情の決断をせざるを得なかった父親として。
五分で良いから一人にして欲しかった、それだけである。