逆転の糸口。蜘蛛だけに Side : Yuri's valet "Morríghan"
「あとは、なにができる? さぁ。出し惜しみしていると死んでしまうぞ? あたしにやって見せてくれ」
ルル=リリはそう言いながら、いかにも神に仕える者の笑顔で一歩近づく。
綺麗で優しく、嬉しそうな笑み。
どう見ても悪役なんだから、せめて邪悪そうな顔しろ!
――くそ、上からものを言いやがって! と思いながら後ずさるしかできない……。
「さて、……どうするか」
「ふざけ……!」
――へ、足元? しまった! ……糸!?
後ずさりするところまで計算して、初めから張ってあった 蜘蛛の巣 だ!
バランスを大きく崩してコントのように転ぶ。
「きゃあっ! ――つ、……く、いったあ……」
糸使いが、蜘蛛の糸に足を取られて。地面に手を着く、だと?
罠使いとしても、それなりに有名なこの私が。
しかも変態として生きていくのだ。と決めた私が。
こんな下らないトラップにかかって悲鳴を上げて、転ぶ!?
こ、ここまで。多少の無理をしてまで。積み上げてきたキャラクターが……。
――ルル=リリ、お前は絶対に許さないからなっ!
乱暴に足に絡んだ糸をむしり取り、鷲掴んで立ち上がるが。
――ヤバい、足首ひねったみたいだ。
むしろ、その糸を引っ張りつつバランスを取って立ち上がる。
「神職だろうが、おっぱいの部下だろうが。もう、ただで済ます気は無いからな! 蜘蛛らしく、手足毟ってトカゲのエサにしてやるからそう思えっ! 覚悟、できてんだろうな? 抉れ胸のルル=リリっ!」
……折れてはいない、筋も大丈夫だが。痛みが引くまでは自由には。動けない。
動けなくは無いが我慢するにも限界があるし、動きに正確性が欠けてしまう。
制御が出来ない分、意外と痛みは厄介だ。
痛み自体をどうこうできるヤツもまれに居る様だが、生き物として必要だから痛むんだ。
……ただ。今、この時には。
「非道い二つ名もあったものだな。――さて、何もできない小娘になったところで」
ルル=リリはさらに一歩前に出るが、もはや後ずさることさえできない。
……いや、痛みのピークは脱したから。なんとか動けそうではあるが。
この場で無理をしても痛みが悪化するだけ、なにも意味がない。
それに、この後ろにさらにトラップがある可能性もある。……私ならそうする。
だが、抉れ胸がなにをしてくるのか。
それさえ読めれば、勝機はまだある。
どうせ一回無理やり動いたら、さらに痛んで全力は出せなくなる。
無理が効くのはたった一回。なにかをするなら、その時だ……。
「君に襲われたものの恐怖を追体験して貰うのが良いかねぇ」
「ん? ……糸で縛り上げるとか、そう言うヤツか」
「胸があるのは残念だが、インコンプリーツなのにインセクタの特徴の良くでた綺麗な身体だ。ねじ切りがいがあるさ……!」
そう言うと彼女の指先から糸が噴き出す気配。
コイツの本性はインセクタ、特にアラクネーを嬲り殺しにすることを好む快楽殺人鬼。
半分アラクネーである私を、縛り上げ、絞り上げて。
ねじ切って楽しむために。
彼女は糸を使うらしい。
……そうか、使うのは糸か。
自分でバラすとか、自信があるのか莫迦なのか、それともフェイクか。
とにかく私としては、来るのは糸。で確定するしか無い。
そして糸だとすれば。
――カウンターのやり様はある!
ポケットに手を突っ込み、皮の包みから薄い鉄の板を取りだして指に挟む。
私に向かって糸がまとわりついてくるが、この程度……?
仰々しい二つ名のわりに、糸使いとしては意外に普通だな。
「アラクネーは糸を使う。……けれど私の半分は人間。だったら……!」
「だったらなんだ……?」
糸は全部でこれだけ? ホントにこれで全部か?
私は目が二つしかない分、視力が良い。
たかがこの程度を見切るとは言わない。
これは普通に、動きが見える。と言う。
姉御の本気の一撃なんか、まるで見えないから読みの勝負になる。
普段の突っ込みでさえかわしきれないときがある。
あっちの方がよほどヤバい。
「同時制御がたった五二本? ……アラクネーとしては結構普通なんだな。あんた」
「全部見えている、のか!? ふ、見えたところでな。五〇で普通とは負け惜しみも……」
――なるほど、本数は確定っ!
右手を上に振りきり、さらに角度を変えて身体の左に振り下ろす。
――キキキキチチチィイン、カカカカキキィイイイインインイン……!
殺到してきた糸は、金属質の音と共に一本残らずバサバサと足元に落ちる。
「さっきの答えだ。人間はさ、道具を使うんだよ。……糸は出せないからな!」
「剣でさえ難儀するあたしの糸を切った、だとっ? も、モリガン。キミは……!」
「角度と速度が適切ならば、見えないほどに細い糸、刃なんか要るかっ! バターナイフで良いんだよ! ――私の半分は人間! なら、道具も使う道理だろうがっ!」
右手の指に挟んであるのは、カミソリの刃。
こないだ。アリスのデザインした、とんでもない服を貰った。
アリスの世界で女の子達は、これを着た上で集まって学習するのだと聞いた。
しかも。これについてはマイスターも同意した。
つまり。イメージを裏切ってままある、アリスの悪ふざけではなく。
これは間違いのない事実なのだ。
……とんでもないな、異世界。
私の理解なんか遙かに斜め上だ。
――これを着て、なにかを学習するというのは無理があると思うんだが。
アリスも同じ服装で学校、と言うところで学習していたのだろうか。
彼女が着るなら。マイスターには少々、刺激が強すぎるような気もするが。
で、普段からこれを着る。
と、なると。問題は……。
そう、“はみ出した”ら。これはめちゃくちゃ格好が悪い。
だから、柄にも無く“お手入れ”をしよう。
そう思って。お付きの巫女さんに言って、カミソリを用意して貰った。
一応言っておくと、そこまで立派に生えそろっている、と言う訳ではもちろん無く。
この年になってもまだ、大人と子供の中間のようで。その辺もやはり私は半端だ。
まぁ、だから今だって、別にはみ出したりはしていないが。
でも性格的に、こう言うのはすごく気になるから仕方が無い。
だって、一本だけだろうと。いや、たった一本がこの服を着てはみ出していたら。
すごくみっともないじゃ無いか!
で。お手入れ中の姿を誰に見せるわけでも無いけれど。
その姿を想像するだけで何かしら気恥ずかしいので、タイミングを逃し現在に至るのである。
なので、何処か絶対に人の来ない処を見つけて。などと思ってカミソリを持っていた。
と言う次第。
一応、なにか言われたときに、武器として使う意思は無い。
と言うために、刃の部分だけバラして持ち歩いていたのだが。
でも、……よく考えたら。
武器はもとより、凶器に転用できるものの類は、神殿に入る前に全部取り上げられている。
姉御などは。その後に手に入れ加工したスプーンやフォークまで、全て取られたのだ。
ニケちゃんの鉄扇も、姉御の仕込み杖も。私の胸の蟲笛だって。
代わりに護身用として持たされたのは、全てあのおっぱい経由で渡されたもの。
多分、使用場所や用途の限定封印がかかってるはず。
――そうだよ。いくらカミソリとは言え、だ。
ごく普通に刃物を、おっぱいの介在無しで私に渡す、だと?
つまり、ここに着いて着替えた時点で。
既にこの展開まで視野に入っていた……?
……! つまり、この事態。これは全てあいつの差し金か!
ちっくしょう、乳がデカいからっていい気になりやがって! 覚えてろよ!!
「ちなみに私は全力でもたったの六〇〇、完全制御が必要なら、最大三四七本しか制御できない! しかも今なんかゼロ、どのみち恥ずかしい限りだ!!」
「三四〇を完全制御、……化け物かっ!」





