移住願望(5)
笹岡の母と片山の母は、凛が現れなくなったので焦った。
始めは、用事でもあるんだろうと、軽い気持ちでいた。しかし、あの日以来、凛が笹岡家に現れることはなくなってしまった。
でも、おばさん達は、たくましい。
二人の母親は、じゃあ、学校帰りに掴まえれば良い、と考えた。そうして、授業が再開されると、毎日のように、凛が帰る夕方7時頃、高校の正門前に現れた。
二人にとって、凛はどうでも良いのだ。凛を介して、小野寺博士に会いたいのだ。
以前、電気自動車で凛を送り迎えしていた山道夫人は、台風以降、雇われ師範をしていた町の道場を辞めたという噂だった。道場そのものが、浸水被害で立ちいかなくなったからだ。
だから、あの集落の人々に会おうと思ったら、凛を送迎するところを掴まえるしかなかったのだ。
しかし、凛は、授業が再開されても、現れなかった。
二人は、首を捻った。
「凛さん、どうして高校へ来ないのかしら?真紀子、あなた知ってる?」
「お母さんのせいよ」
「何で、私のせいなのよ」
「凛、研究を完成させようって、必死になってるの。だから、高校なんか来てる時間も惜しいのよ」
「研究って?大人がしてるんじゃないの?」
「大人は大人の仕事をしてるわ」
「大人がちゃんとしないから、高校生の凛さんにしわ寄せが行くんじゃない?」
分かっていない。笹岡は、自分の母親の理解のなさに頭を抱えた。
「じゃあ、お母さんも、大人として、あそこにたかるのはやめてよ」
「まだ、そんなこと言ってるの?私は、大人として、あなた達の食べる物を何とかしようと頑張ってるんじゃない!」
「じゃあ、どうして、12年前、小野寺博士達と一緒に行動しなかったの?
あの時、一緒に行動してたら、今頃、こんなことには、ならなかったのよ」
「馬鹿なこと言わないの。分かったようなこと言って。
第一、お父さんのお仕事だってあったのよ。あんな田舎に行ったら、生活できないじゃない。
実際、凛さんだって、あんな所にいたから、お友達に不自由したんでしょ?」
「山道さんは優秀なエンジニアだったけど、それを辞めてあそこへ行ったし、中原さんは一流の建築家だったけど、あそこに行ったわ。小林先生なんか大学病院のエリートだったらしい。それでも、小野寺博士の考えに共感して、あそこに行ったのよ」
「子供の口出しすることじゃありません!
あなた、あそこへ行くようになってから、変わったわ」
「変わったのは、お母さんよ!余所の土地が豊かだからって、どうしてあそこが豊かなのか考えもしないで、たかることしかしないじゃない!」
「たかる、たかるって、失礼な!こういうのは、お互い様って言うのよ!」
「『お互い様』ってのは、一方的にお世話になりっぱなしときには、使わないわ!」
「真紀子!」
「翔、小野寺さんの集落へ行く道、知らない?」
「知らない」
「早苗が、お前なら知ってるんじゃないかって……」
「しょっちゅう、道変えてるんだ」
「何でそんなことする必要があるの?」
「あそこの人の趣味。余所者が、襲撃に来るかも知れないって、考えてるんだ。
実際、あちこちに暴動が起きてるだろ?
だから、そういうこともあり得るかもって、気はするんだけどね」
「でも、そんなしょっちゅう道変えられたら、こっちは、行けないわ」
「ああ、来て欲しくないんだ」
「どうして?」
「それも趣味」
「あなた、何か隠してない?」
「何も隠してない。俺、何にも知らないんだ。あそこの食料が、二十数人分しかなくって、これ以上人が増えたら、誰かが食べられなくなるってことぐらいしか知らない」
「でも、こんなに食料が不足してしてるのよ。みんなで分け合わないといけないわ」
「でも、この場合、食料が不足してるのは、俺達だけで、向こうは、二十人分を、計画的に作って来たんだ。
それを、途中から、計画外の人間がもらいに行くのは、向こうの計画の根底を覆すことになる。
そもそも、こっちも計画的に食べ物を作る生活をすべきだったんだ」
「やったわよ。家庭菜園だってやったけど、水がなかったから全部駄目になったんじゃない」
「向こうは、水も自分達で作ったんだ。計画的にね。
母さん、言ったじゃない。俺が、太陽光発電で作った電気で海水淡水化装置を動かしたいって言ったら、そんなお金はないって」
冷ややかに責める息子に気まずさを感じたのだろう。
片山の母は、ヒステリックに叫んだ。
「何が言いたいの?」
「最初、俺もあそこの人達をズルイと思ったんだ。で、訊いたんだ。自分達だけ良ければ、こっちは餓死しても良いのかって」
「何て言ったの?」
「山に登ってて、一人が滑落した場合、泣き泣きザイルを切るだろ?あれと同じだって言うんだ」
「どこが同じなのよ?」
「向こうは、12年前、職も地位も投げ出して、小野寺博士と行動を共にしたんだ。そうして、計画的に食料を生産をして、やっと二十数人分の食料を作れるところまで来たんだ。
母さん、この12年間、何して来た?
あの人達の役に立つようにって、何かした?何もしてないだろう?
それなのに、突然現れて、良い所で出会った、食料を分けてくれって言っても、泣く泣くザイ ルを切ることしかできないって。
つまり、12年間何もしないで、滑落した母さん達が悪いんだ」
片山の母が絶句した。
「で、親が馬鹿なだけで、何も悪くない俺はどうなるんだって訊いたんだ」
「何て言ったの?」
「仕方がない。そもそも、君は、ウチの計算に入ってないんだ。自分で何とかしてくれって」