誘拐(4)
ビルの右隣に藤五郎が倒れていて、野次馬が大勢集まっている。
野次馬は、119番しただろうか?チラリと頭をかすめるが、凛の名前を知っているのだ。この際、死んでくれた方が良い。と、無視した。
松浪建設の本社ビル前に着いた警官隊は、藤五郎が死んでいるのを発見した。
体に何匹もの大蛇が巻き付いて、目を背けたくなる様だった。
気を取り直してビルに入ろうとすると、入り口のドアに紙が張ってあるのに気が付いた。
「謹告。私どもは、食料難のおり、食べ物を倍の大きさにしようと研究して参りましたが、ここに、失敗作の蛇、カエル、ナメクジができてしまいました。
これは、普通の青大将、食用蛙、ナメクジなのですが、遺伝子操作に失敗したものです。
食用にならないことはないとは思いますが、遺伝子異常の有無についての、自信はありません。つまり、食べた方の体が異常に大きくならないという保障がないのです。
これらの失敗作につきましては、食用になさらずに、焼却処分されることをお勧めします。
食料増産研究所より」
隣のビルの屋上から降りて来た陽一と健二は、慎二が松浪建設の本社ビルに張り紙をしている間に、舜と武彦を車に乗せた。運転は山道夫人だ。桃源郷の車を持って来るには遠すぎたので、レンタカーを借りたのだ。
30メートル離れたビルの前に凛と山道氏が待っていた。
ここで、遅れて来た陽一、健二、慎二の車と、舜、凛、山道夫妻の車の二台になった。
凛が舜に駆け寄って、抱きついた。グシュン、とすすり泣く。舜が、凛の背中をさすりながらなだめる。
完全に二人の世界だ。
他の人々は、二人を無視して武彦を睨み付けた。
武彦は、巨大な蛇、カエル、ナメクジの後、ライフルによる神業のような攻撃を目の当たりにして、桃源郷が普通じゃないことを知った。
桃源郷の情報を松浪藤五郎に売って礼金を稼ごうとした自分が馬鹿だったのだ。恐ろしさに、震えが止まらない。
陽一が、冷静な声で言った。
「舜には、盗聴器が付けてあった。お前が何をしたか、全部知っている。
死にたくねえなら、これ以上、桃源郷に深入りするんじゃねえ。
いいか、桃源郷ってのは、自分で助かるための努力をするヤツには協力は惜しまねえ。
だが、他人を当てにするようなヤツは、相手にしねえんだ」
ガタガタ震えながらも、武彦が叫んだ。
「ボクは、父さんが死んだから、自分で何とかしようとしただけなんだ!
どうして、文句言われなきゃならないんだ?」
「桃源郷を売ったからだ。藤五郎は、桃源郷の情報を買って、あそこを襲うつもりだった。
お前、その手助けをしたんだ」
「親分は、食べ物を分けてくれるよう交渉するだけだって言ってた。襲うなんて、言ってなかった」
「馬鹿じゃねえか?」
陽一が肩をすくめた。
「いいか、桃源郷には、余所へ分けてやれるほど食べ物がねえんだ。
住んでる人間の分しかねえ。
だから、マキちゃん達だって、自分で作ろうって頑張ってるんだ。
お前、自分で何かしたか?松浪藤五郎の金を当てにしただけじゃねえか?」
「ボクは、中学生なんだ!働けるわけないじゃないか!」
「良介も里奈も、文句言いながらも働いてる。
お前は、何にもしないで、空から食べ物が降って来るのを待ってただけだ」
武彦が絶句した。
松浪組の捜査が始まったようだ。遠くで警官達が、蛇やカエルに驚いて叫ぶのが聞こえた。
「薬は、どうする?」
山道夫人が訊いた。
「馬鹿には、覚えておいてもらった方が良いんじゃない?
大体、あのカマボコメーカーの襲撃の時、どうして助かったのか、知らないってことが、間違いのもとなのよ。
こんな馬鹿やってくれるなら、いっそ、あの時、放っておいて、死んでもらえば良かったのよ」
女の声がして、一同が振り返ると、片山の姉の早苗が立っていた。
健二が早苗に、ご苦労さん、と、礼を言って、一同に説明した。
「今回の功労者は、早苗なんだ。
清掃業者に潜り込んで松浪建設のビルのあちこちに盗聴器を仕掛けたのも、その情報を受信機でチェックしてたのも、舜がさらわれたって情報を素早く提供してくれたのも、早苗なんだ。
さっきのビルとこっちのビルの屋上を使えるように、前々からオーナーと話を付けておいてくれたのも早苗だし、レンタカーを手配してくれたのも早苗だ」
「桃源郷には、ご迷惑をお掛けしたから、罪滅ぼしってとこね」
嫣然と微笑む。
早苗は、武彦の方を向いてキッパリ言った。
「武彦くん。あんた、あのカマボコメーカーの襲撃の時、誰かにタックルされて止められたでしょ?
あれは、健二なのよ。あのまま、突っ走ってたら、あんた、あの日に死んでたわ。
もっとも、あんたのお母さんは、食い扶持が少なくなって、助かったかも知れないけどね。
つまり、言うなら、健二は、あんたの命の恩人なの。桃源郷を売るってことは、命の恩人を売るってことになるの」
武彦は、唖然として、息ができない。
「ちなみに、今度、良介にも、言っといてやれ。良介にスタンガンを押し付けて、あいつを止めたのは、早苗だ」
健二が説明した。
凛は、目を丸くして舜にしがみついている。舜も呆然として、健二と早苗を見た。
「早苗には、K市にいる間、松浪組の情報収集に当たってもらってたんだ。どうしたって、松浪組の情報が必要だからな」
健二の説明を聞いて、陽一が代表して礼を言った。
「早苗さん、あんたのおかげで助かった。ありがとう。
後で、小野寺博士や小林先生達からもお礼があるだろう」
「お礼なんて、良いの。私、探偵の仕事、気に入っちゃったの。
健二と二人で、手分けしてやるのって、面白いわ。それで、桃源郷の役に立つなら、こんな嬉しいことはないわ」
健二に向かって首を傾げる様が、色っぽい。
一同、二人の顔を見比べた。
ここは、妻として、きちんと挨拶しなければならない局面だ。
凛が、勇気を出して言った。
「この度は、ありがとうございました。おかげさまで、舜を助けることができました」
「あんたもね、ジャリンコ。
あんたのライフル、すごかったわ。健二から聞いてたけど、びっくりだわ。
武彦くん、あんた、分かってた?舜の手錠の鎖、撃ち砕いたの、この子よ」
武彦は、目を剥いた。目の前にいるのは、自分と身長も大して変わらない、お下げ髪の少女だ。
この少女が、あの鎖を撃ち砕いたって?
「で、親分の手を撃ったのは、師匠の山道さんでしょ?」
早苗が悪戯っぽい笑いを浮かべる。
「よく分かったな」
「何となく、ライフルの音が男っぽかったの。
舜もすごいって、聞いてたけど……。
舜も最初のが山道さんだって分かったから、あんな言い方したんでしょ?」
舜が目を見張った。早苗は、随分賢くなったようだ。
「ああ、君の言うとおりだ。ありがとう。君のおかげで助かった」
「で、これから、ジャリンコと甘い時間ってわけ?」
早苗が肩をすくめた。
「面白くないけど、舜には、そのジャリンコが良いんでしょうね。健二がいっつも言ってたわ。舜と凛ちゃんは、二人で一人だって」
凛が顔を赤らめる。舜が、凛の肩を抱き寄せて、早苗に言った。
「健二さんの言う通りだ。凛は、僕にとって大切な人だ。だから、凛と桃源郷に危害が及ぶようなことだけは、避けたかった」
駅へ行く途中、早苗のマンションの前で、早苗と健二の二人を降ろす。健二は、その後の様子を調べると言って、盗聴器の受信機がある早苗の部屋へ直行したのだ。
山道夫妻が、小さな息を吐いた。
「凛ちゃんが誘拐された時、中村に連絡とってくれたのは、早苗さんだったらしい」
陽一が言うと、山道氏がやけくそになって言った。
「仕方がねえ。健二のヤツ、昔から女の趣味が悪いんだ。親がとやかく言える筋合いじゃねえだろう」
「本当ね。ホントに趣味が悪い。どうせ、好きになるなら、マキちゃんを好きになって欲しかったのに。
陽一のところの愛美さんは、良くできた人なのに……。
でも、あの子、確かに、役に立ってるわ。
桃源郷じゃ、それが全てじゃない?今更、嫁と姑のバトルなんか、やってらんないわ」
山道夫人も肩を落とした。
「でも、前のままのあの人じゃ、絶対誰も受け入れてもらえねえ。
健二が仕込んだんだろうな。桃源郷の役に立ちたいって言ってたじゃねえか」
陽一が慰めた。
一同は、小林先生、笹岡、片山達と合流して、電車に乗る。万一の時は、この三人が応援に行く手はずになっていたのだ。
家に帰るのに桃源郷の一同と同行させられた武彦は、息が詰まるように感じた。
笹岡と片山に挟まれて、完全に連行される犯罪者だ。
武彦は、舜が優しい目をして、ささやくように話すのを聞いた。
「あのアイデア、野中先生じゃない?」
「そう。分かった?」
凛が嬉しそうに見上げる。
「うん。昔から、児雷也とか、お好きだったから。蛇が来て、ナメクジが来たから、次は、カエルかなって」
「面白かったな」
陽一も横から参加する。
「でも、失敗作を作戦に使おうって言い出したのは、凛ちゃんなんだ。
舜くんが、向こうの手に落ちて、すぐ、親父に、陽動として、ハッキングを頼んだんだ。
それから、あの蛇やなんかを使う作戦を練ったんだ。
気が付いてた?舜くんが、松浪組に捕まって、一日半経ってるんだ」
慎二が説明した。
「凛ちゃん、半狂乱になって、舜を助けてーって、ものすごかったのよ」
山道夫人が暴露した。
「でもって、舜が、嫁さんと違って(陽一がこの部分を強調したので、凛がふくれた)、ちゃんと発信器とか盗聴器とかを持っててくれてただろ?
早苗さんから聞いて、すぐ、中村に、あそこの間取りやアドレスなんか教えてもらったんだ。
中村も加勢しようかって言ってくれたんだけど、まさか、親分やっつけに行くのに、連れてくわけにもいかねえだろ?」
陽一が笑いながら言った。
中村と聞いて、武彦は血の気が引いた。松浪親分は、中村に凛を誘拐するよう指示していたのだ。
中村は桃源郷と連んでいたのだ。どおりで動きが鈍いはずだ。
「あの蛇やカエルはどうなるの?」
舜が楽しそうに訊いた。
「一応、焼却処分して下さいって書いた手紙を置いて来たんだけど。誰か食べるかしら?食べても死なないとは思うんだけど、体が大きくならないって保障がないの」
「あの研究、まだ成功してないの?」
「うん。難しいの。とりあえず、大きくするところまではできたんだけど……それを食べた食物連鎖の上位のものにまで、影響が出てしまって……。
だから、大きくなったナメクジを食べさせたら、カエルが大きくなったし、そのカエルを食べさせたら蛇が大きくなったの。
で、どこまで影響が続くのか、分かんないの」
「でも、おかげで役に立った。君のおかげだ」
武彦には、この人が、自分の家族を見捨てたことが、信じられなかった。
こいつ、こんなに優しいのなら、どうして、ボクの家族を見捨てたんだ?あの時、松浪親分に、そうだって言ってくれれば、礼金をもらえたのに。
顔に出ていたのだろう。舜が言った。
「武彦くん、君、食べ物にありつきたかったら、中村のところで雇ってもらうんだ」
「そんな、無茶だ。あいつ、ヤクザだ」
「足、洗ったんだ。松浪親分が死んで、松浪組も捕まった。晴れて自由になるんだ。君が雇ってくれって言ったら、案外、雇ってくれるかも知れない」
「良い考えだわ」笹岡も賛成する。「中村さん、結構渋いから、あんたみたいな子供がいると、丁度良いかもしれないわ」
「俺も、良い考えだと思う。もっとも、人手が足りてたら、雇ってもらえないだろうけど。
でも、中村さんにしてみれば、武彦は、松浪親分が死ぬきっかけを作ってくれたようなものだから、悪くは思ってないはずだ」
片山も口を出す。
「分からないぜ。恩人を売ったってことに、義憤を感じてるかもしれねえ」
陽一が言う。
「駄目もとでやるんだ。じゃないと、道は開けない」
慎二がアドバイスする。
山道氏が、まとめた。
「本気で助かりたいなら、駄目もとで当たってみるんだな。
こういう時代だ。空から食べ物が降ってくることはねえんだ」




