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桃源郷は事件がいっぱい  作者: 椿 雅香
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誘拐(2)

「男前の兄さん。返事はどうでぇ?」

 藤五郎が冷たく訊いた。

「……確かに、僕は、良介くんの家に差し入れした。でも、それは、良介くんのお姉さんが、友達だからだ。

 山間の集落に住んでいると、少しぐらいの食料の備蓄はあるんだ。

 でも、『桃源郷』なんか知らない。大方、『桃源郷』に憧れる良介くんが、君に嘘ついたんじゃないか?」

「武彦、お前ぇ、がせネタだったら、タダじゃ済まねえぜ」

 松浪藤五郎は、ジロリと少年を睨んだ。

「違う。本当だ。本当に、良介が、そう言ってたんだ」

「あの子、いい加減なところがあるから……前にも、大人の道具をいじり回して、周りに迷惑かけたんだ。まだ、中学生なのに、一人前の格好つけたいんだ。

 武彦くんって言うのか?

 よく考えてみるんだ。ウチが本当に桃源郷なら、良介くんの家族は、わざわざ海辺の崖っぷちで開拓しなくても良いんだ。ウチが引き取れば良いんだから」

「そんな……だって、あいつ、ボクには、嘘つかないはずなんだ」

「こんな時代だから、良い格好したかったんだろう。

 第一、ウチが、桃源郷なら、良介くんの家族だけじゃなく、君の家族も引き取ることができるんだ」

 

 息ができなくなった武彦と舜を見比べた藤五郎は、平然と言った。

「坊主、この兄さんの方が、一枚上手だ。礼金は、このお兄さんが桃源郷の在処を吐くまで、お預けだ」

「おやっさん、これは一体?」

「良介って子とこの兄さんのどっちかが、嘘ついてやがる」

「どうやって見分けるんです?水掛け論ですぜ」

 藤五郎の口元に残虐な笑いが浮かぶ。

「痛めつけるんですか?」

「いや、さっき、かなり痛めつけたんだ。あんまり無茶して死んでも困る。

 もし、こいつが桃源郷の人間なら、人質は生きてねえと役に立たねえ」

 満足そうに煙草の煙を吐く。

「それにな、桃源郷の人間は、もう一人いるんだ」

「?」

「武彦が言ってただろう?良介の姉ちゃんのクラメートの子って。

 で、近藤に調べさせた。あいつ、苦労して十三年前の新聞を探して来やがった。例の雑誌のエッセイのモデルだ。

 その新聞にゃ、十三年前、小野寺博士が、意を同じくする友人達とこの地方の廃村に入植したって書いてあった。

 で、良介の姉のクラスに、小野寺って子がいるんだな、これが。

 ビンゴだ。小野寺博士の一族だ」


 舜の顔色が変わった。


「顔色が変わったぜ。図星なんだろう?

 中村にそいつを捕まえるようにって連絡してある。お前と一緒に捕まえようと思ってたんだが……。

 ガードがきついらしい。何せ、車で送り迎えしてるって話だ。まともに誘拐すると、足がつくって、中村のヤツ、珍しくビビッてやがる。

 あいつ、じゃがいもやキャベツ作るのに夢中で、腕が鈍ったんじゃねえだろうか?

 いっぺん、怒鳴りつけてやろう。そうすりゃ、必死になって働くだろう」


 中村が口実を作って、凛を守ってくれていることに感謝した。それこそ、顔に出ないよう気を付けて。


「もうじき、ご対面だ。

 多分、その子とこいつを並べて責めれば、どっちかが白状するだろう。

 それまで、時間をやろう。もっとも、お前が自発的に協力してくれるなら、大歓迎だ」


 藤五郎が顎をしゃくり上げると、舜は、引っ立てられた。引っ立てられる時、藤五郎が、残酷な笑いを浮かべて言った。


「桃源郷の人間でねえなら、死なれて困るようなことはねえんだ。お前ぇ、頭良いんだろ?」

 

 サッサと桃源郷の人間だと白状した方が良い。命だけは助けてやる。

 その目が、そう言っていた。


 子分達に引きずられるように、階段をいくつも降りて、最後に、薄暗い倉庫に放り込まれた。


 ついでに、と、引きずってきた子分達が殴りかかった。

 落ちこぼれてヤクザにしかなれなかった子分達には、優等生は天敵だ。昔の恋敵が医学部だったのを思い出した男もいた。親分が見ていないのだ。江戸の敵はここで討たないと。

 ボコボコにされて、半ば朦朧とする舜の耳に、鉄の扉に鍵をかける音が聞こえた。笑い声が遠ざかる。


 どのぐらい気を失っていたのだろう。気が付くと、この半地下の倉庫の中で転がされていた。

 

 腕の手錠が痛い。 

 

 部屋の向こうの隅に人影があった。同じような囚われ人がいるようだ。


 「気が付いたか?」

 

 意外にも、同房の囚人は、武彦だった。


「お前、嘘つきだな。おかげで、こっちは良い迷惑だ。

 お前が、桃源郷の住人だって、白状しない限り、礼金がもらえないんだ」


 僕を売って、いくらもらうつもりだったのだろう。


「お前が白状しないと、ボクが親分を騙したってことで、家族三人、罰を受けることになるんだ」


 勝手に松浪組と交渉した君の責任だ。知ったことじゃない。


「良介が言ってたんだ。お前達、桃源郷に住んでるんだって。だから、去年の夏だって、食べ物がいっぱいあったんだって。だから、良介の姉ちゃんは、あそこでおいしいものをいっぱい食べて来るんだって。

 別に否定しなくても良いじゃないか。松浪親分は、あそこへ行きたいだけなんだから」

「お前が認めないと、ボクは、ヤクザの使いっ走りにならなきゃならないし、母さんや妹は、風俗で働かさせるって言われたんだ。妹は、まだ小学六年なんだ。可哀想だと思わないか?」


 未成年を、風俗で働かすことなんかできないはずだが……ヤクザの世界では、そういうこともあるのかもしれない。あるいは、藤五郎が、武彦を脅したのか。


 いずれにしろ、武彦の家族には気の毒だが、桃源郷にあんな男を近づけるわけにはいかない。

 自分で蒔いた種だ。自分で刈ってもらおう。


「何とか、言えよ!父さんは、カマボコメーカーの襲撃事件の時、巻き添えになって死んだんだ。

 ボク等親子三人、生きてくには、これしかなかったんだ。

 ちょっとは、可哀想だって思わないのか?

 お前が、認めてくれれば良いんだ。それで、ボク等は、生きてくことができるんだ」


 武彦の声は、右の耳から入って左の耳を抜けて行った。半地下の窓から、銀色の月明かりが見えた。


 可愛らしい人を思いだした。あの人の、柔らかい髪を思い出した。 


 他人を疑うことを知らない人だ。不思議そうな顔で、舜の顔を覗き込んだ。大坂さん、知ってる人だったもん、と、つぶやいた。


 あの人を藤五郎に渡してはならない。桃源郷を渡してはならない。


 中村や大坂それに黒崎は、付き合ってみると、案外、面白いヤツ等だった。

 

 でも、松浪藤五郎は、違う。あの三人とは全く違う。

 食べ物を奪って、命を奪う男だ。


 健二から注意するよう連絡があったのは、一週間前だ。それで、夏休み前の最終日は、講義をサボって、さっさと帰ろうと思っていた。先を越されたのだ。

 健二からの連絡以降、ベルトのバックルに発信器と盗聴器を付けている。それだけが救いだ。


 桃源郷が素早く対応してくれれば、助かるかもしれない。

 でも、万一、駄目だったら、運命を受け入れよう。


 

 武彦が、つかつかと寄って来て、思いっきり平手打ちした。体が回復していないのだ。まともに食らってしまった。


「お前のせいで、こっちまで殴られたんだ。嘘ついてるんじゃないだろうなって」


 鼓膜がキンキンして、何も聞こえない。武彦が、何度か同じことを叫んで、ようやく耳が聞こえるようになった。


「僕は、君の言う『桃源郷』なんか知らない。言いがかりは、止めて欲しい」

「まだ、言ってる。だったら、あの食べ物は、どこから出て来るんだ!良介んちへ、いっつも差し入れしてたじゃなか!」

「だから、言っただろう?山間なので、少しぐらいはあるんだ。でも、あれだけなんだ。あれ以上は、逆立ちしても出ない」

「良介が、いっつも言ってたんだ。お前達が、桃源郷から来てるって。そうなんだろ?そうだって、言えよ。ここには、親分もいないし、組のヤツ等もいないんだ」


 帰ることができたら、良介に注意する必要があると思った。里奈にもだ。

 桃源郷のことを、周りに喋りすぎるのだ。

 昨日までの友人だって、敵になる。

 食べ物が絡むと、みんな見境がなくなるのだ。


 溜息をついた。


「何考えてるんだ?」

 武彦が詰め寄った。


 入り口の鉄のドアが開いて、人相の悪い男が入って来た。下品な笑いを浮かべる。


「甘いな。坊主。お前にゃ無理だ。この男前の兄さんは、痛めつけて欲しいらしい。おやっさんは、明日って言ってたが……腹ごなしに痛めつけてやろう」


 何か食べてきたのだろう。例の固形栄養食品ではないようだった。舜を睨み付けて、指の関節を鳴らした。


 武彦のお腹が鳴った。昼から何も食べてないのだ。


「坊主、腹減ったか?」

「うん」

「仕方がない。恨むなら、こいつを恨むんだな。こいつが、さっさとゲロすりゃ、ステーキご馳走しようって話もあるんだ」


 武彦の目が血走った。思わず、舜の側に駆け寄ってつかみかかった。


「早く、白状しろ。じゃないと、ボク、飢え死にする」


「お前の部屋の冷蔵庫にあったハンバーグとカレーは頂戴しといた。留守の間に、腐ったらもったいないからな」

「ハンバーグとカレー……」

 武彦が、呆然とした。 


 絶対、こいつは、桃源郷の住人だ。

 不公平だ。みんながみんな苦労してるのに、自分達だけ、良い思いをしてるのだ。




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