第二桃源郷創設計画(3)
台風で家が水没したため桃源郷に避難した凛の友人の笹岡真紀子(通称『マキ』)と片山 翔(通称『翔』)は、成り行き上、戦いの助っ人となった。
片山は、決死の覚悟で戦闘に加わった。仕方がないことだった。
思いを寄せる凛でさえ、戦闘要員として戦うのだ。男の片山が逃げるわけにはいかなかったのだ。
しかし、片山の予想に反し、戦闘は桃源郷側の一方的な勝利に終わり、二人は桃源郷の功労者となった。
信じられないことに、桃源郷側には、負傷者さえ出なかったのだ。
安堵の息を吐く片山に、笹岡が言った。
「これ以上、桃源郷のお世話になれないわ。水が引いたら、家に帰る」
片山の目が点になった。
先の台風で、堤防が決壊したため、町の3分の1は水没し、3分の2は一階部分が浸水していた。
ようやく学校付近の水が引いて、校舎の清掃をするので登校するように、と、連絡があったばかりだ。町の中心部の港付近は、まだ、完璧に水が引いていない。床下浸水状態だ。
それも当然かも知れなかった。近年の海面の上昇は、目覚ましいものがある。
臨海地域の人々は、オランダの干拓地帯にあるような堤防を造り、その中で暮らしていたのだ。生活排水などの下水は、ポンプアップして、海に流していた。当然、地面は海面より数十センチ、下手すると1メートル以上低い。ゼロメートル地帯どころか、マイナスメートル地帯だ。
台風の影響で堤防が決壊すると、上流から流れて来る水と海から押し寄せる水――高潮で通常より水位が高い――が、低い土地に集まって、地域全体が水没するという、とんでもないことが、日本中、いや、世界中で起きていたのだ。
今回の台風で、堤防が決壊したので、堤防を修復して海水をポンプでくみ出すのに、十日かかった。
笹岡家も片山家も町の中心部にあったから、屋根の一部を除いて水没した。
やっと、家の大部分が露出したので、両家は、避難所の城山中腹の市民体育館に寝泊まりしながら、家の掃除や消毒、それに、修理を始めることになったのだ。
家の清掃作業が始まろうかという時、笹岡は、とんでもない事実に気が付いた。
そもそも桃源郷の食料は、当初の住人である15人を前提としている。
余剰を備蓄に回したり、都会に暮らす第二世代の面々に送っていたのだ。
今、第二世代5人が合流した。総員20名になったのだ。
食料にどのくらいのゆとりがあるのか、微妙なところだった。しかも、慎二は裕美と、陽一は愛美と結婚したのだ。子供が生まれる可能性だってある。更に、人口が増えるのだ。
余所者の自分達に分けるほど、食料に余裕がないのじゃないか、と思えた。
凛は、すったもんだのあげく幼い頃から許嫁だった小林 舜の元へ引っ越しした。
凛に好意を寄せる片山はジタバタしたが、戦闘の後で、舜は、当然のような顔をして凛をもらってしまったのだ。
これを結婚と呼ぶかどうかは別として、親同士も目出度いことだと納得しているのだ。
高校生が結婚するなんて風紀上よろしくない!と叫ぶ片山の抗議は、無視された。
ここでも、子供が生まれたら、完全に笹岡達の居場所がなくなってしまうのだ。
しかし、凛は冷静だった。食料の生産量から考えて、自分が子供産むのは、食料増産の研究(彼女は桃源郷の食料を倍以上にする研究をしていた)が完成したズッと後になるというのだ。
その台詞は、片山を安心させたが、笹岡は、桃源郷の食料事情が予想よりはるかに逼迫していると感じた。
彼女は苦悩した。
桃源郷との別れは、凛や舜との別れだけでなく、食料との別れも意味していたのだ。
しかし、桃源郷側の事情を考えれば、甘えてばかりもいられない。
小小野寺博士(凛の父)は、困ったことがあったら、いつでもおいで、と言ってくれたのだ。
桃源郷は、本当に困ったときだけお世話になる場所としてキープして、自分は『いるべき場所』へ帰ろう、と決意した。
ここに、第二桃源郷の創設を目論む笹岡と片山の戦いが始まった。