秘密
5 秘密
翌日の土曜の朝、健二が弁当を二つ持って、出掛けた。
桃源郷の人々は、健二は、どこへ行くのか、と首を捻った。
金曜は、戦いの後の情報が知りたいからといって、あの会議の時さえ、必死で受信機の前に張り付いていたのだ。それなのに、土曜になると、やっぱり出掛けるのだ。
何かある。でも、それが何かは、言わない。
健二は、情報収集のプロだ。自分の情報は、絶対に漏らさない。周りの者は、健二が、自分から言うのを待つしかないのだ。
健二が出掛けてから、陽一は気が付いた。
「そういえば……あのべっぴんさん、どうなったんだろう?」
「べっぴんさんって?」と、舜。
「ほら、お前の元カノ」
「ああ、早苗さん?」
「そうだ。黒崎グループの襲撃の後で出会っただろ?健二に押し付けたけど、あの後、どうなったか聞いてない」
「聞きたくもないです」
「いや、何となく、気になるんだ」
健二の兄は、顎をさすって、眼の光を強めた。
日曜日の午後、笹岡真紀子と片山 翔は、買い物に出掛けた。海水淡水化装置の中心となる部品を手に入れるため、ホームセンターだけじゃなく、金物屋、雑貨屋、ペットショップなどを見て歩いたのだ。
二人は、第二桃源郷の創設を目論んでいる。
地球温暖化による環境破壊は、小野寺博士達が山辺集落に入植した12年前に比べて、一段と進んでいた。
桃源郷のように、再生可能エネルギーによって電気を作り、その電気によって海水淡水化装置を稼働させ、それによって得た潤沢な水を使って農業を行って食べ物を得る。と、順を追うゆとりはなかった。
とりあえずは、水と食べ物だ。それから、自家発電に進むことにしよう。
そう決めたのだ。そうして、海水淡水化装置を、桃源郷とりわけ凛の指導を受けながら、二人して作っている。
海水を淡水化する方法はいくつかあるが、桃源郷では逆浸透法をとらない。人類の存続が難しくなる中で、逆浸透法に必要な特殊なエレメントや高圧ポンプの入手が保障されないからだ。
桃源郷が二人に指導したのは、至ってシンプルな方法だった。つまり、海水を大きな水槽に入れて、その中に電気を通して塩分を取り除く方法だ。
電気を通すための部品は、何とか作った。今度は、最初に海水を入れる大きな水槽が必要となったのだ。
桃源郷のように特注で作る金もないのだ。何とか、代用品を探さなければならない。住宅のリフォーム会社に行って、浴槽として売っているものを手に入れた方が良いかもしれない。それほど、目的に合うようなものは見付からなかった。ただ、この部品の調達が上手く行かないと、せっかく作った他の部品が稼働しないのだ。何か手頃なものが必要だった。
あちこち自転車で走り回って、ヘトヘトだ。児童公園のベンチでペットボトルのお茶を飲んで、一息ついた。
大槻燿子が通りかかって、笹岡に意味深な視線を送る。そうして、気が付かない振りをして、去って行った。
片山は、嫌な予感がした。笹岡も同様の感想を持ったのだろう。互いに、嫌そうに顔を背けた。
「この計画を実行するパートナーが、どうして片山くんだったんだろう」
「それは、こっちの台詞だ。凛は舜に取られるし、この計画の重要な部品は一日走り回っても手に入らないし、散々だ」
「あんたねえ、部品が手に入らないのを、私のせいにしないでよ。
こっちだって、好きであんたと一緒にやってるわけじゃないんだから」
「じゃあ、どうして俺と付き合ってるんだ?」
「桃源郷の秘密を漏らさないため、に決まってるじゃない。
他の人に言っても良いなら、私、ヨーコ(大槻燿子のニックネーム)とやりたい。あの子なら、部品だって、上手に探してくるわ」
「じゃあ、君は、俺があそこの秘密を知っているので、仕方なく付き合ってくれてるのか?」
「極論すれば、そうなるわ」
「俺のこと、好きだったんじゃないのか?」
「確かに、中学ぐらいまでは、あんたのことが好きだったけど、舜さんを知ってしまったのよ。 あの人の方が、ずっと素敵じゃない」
「舜は、凛の男だ!」
「別に……思ってるだけなら良いじゃない」
いつものように、喧嘩を始めようとした時だ。見知った車が通りかかった。
ピンクの軽四。早苗の車だ。
「姉貴、今日は、こっちへ来たんだろうか?」
片山が何気なく見る。
「見て!助手席に男の人が乗ってる」
「ああ、姉貴、モテるんだ」
「あれ?あの人……」
笹岡と片山が、同時に気が付いた。健二だ。
「どういうことだ?」
「あんたのお姉さんに訊いてみたら?」
買い物を中断して後をつけよう、そう言って、笹岡が、陽一に電話する。スマホの向こうで、陽一の絶叫が聞こえた。
笹岡と片山は、自転車に乗ってピンクの軽四を尾行した。しかし、相手は、プロの探偵だ。角を曲がった時、急にスピードを上げて、信号が黄色のうちに走り抜ける。笹岡達が赤信号で止まっている間に、どこかへ消えてしまった。
日曜日の昼下がり、桃源郷は安息日だ。用事は休んで、第一世代はリビングで、第二世代は台所でお茶していた。木曜の襲撃事件以来、ゆっくりできたのは初めてだ。
陽一と愛美が肩を寄せ合い、慎二が裕美と体をくっつけて座る。盗聴器の受信機は水野氏が引き受けてくれたので、慎二達は、ようやく二人の甘い時間だ。
凛は、舜に寄りかかって喉を鳴らしている。まるで子ネコだ。
舜が凛の頭を撫でて、愛美がお茶のお代わりと淹れようと、立ち上がった時だった。
陽一のスマホが鳴った。
連絡を受けた陽一が絶叫した。
一同、目を見張った。
何があったの?
みんなして訊いた。
陽一が、舜の顔を見て、凛を見る。そうして、やけくそのように吐き捨てた。
「健二のヤツが舜の頭痛の種のべっぴんさんの車に乗ってるのを見たって、目撃情報があった」
「本当ですか?」
舜が目を剥いた。
全く無関係でもないのだ。慌てた。
そうして、気が付いて、凛の肩を抱きしめた。大丈夫。僕は君を離さない、とでも言うように。
「もしかして……噂の、翔くんのお姉さん?」
愛美が訊いた。
「そうだ、あいつ、何、血迷ったんだか……」
陽一が脂汗を流す。
「いや、黒崎グループとの戦いの晩、帰って来なかったじゃないか。もしかして、あの時からの付き合いじゃないか?」
慎二が冷静に分析する。
「毎週、土曜にいなくなったのは、デートしてたのかしら?」
裕美が首を捻る。
「いや、デートだけじゃねえと思う。あいつのことだ、きっと、盗聴器の付け替え作業したり、新しいのをつけ足したり、情報収集作業もしてたんだろう。
で、ついでに、あのお嬢さんとも、仲良くしてたってことだ」
陽一が頭を抱えた。
「あの人は、ここでは、最悪の印象だと聞いたんですが……」
愛美が恐る恐る尋ねた。
「そうなんです。最悪なんです。山道のおばさんの跡をつけてガソリン車でやって来て、ドローン1台と風車ガーランド2本壊してるんです」と、舜。
「しかも、凛ちゃんの恋敵を気取って、この子を傷つけたって聞いたわ」
裕美がヒヤリとした声で言う。
「そういうことだ」
陽一が憮然として言った。
「目撃したのは誰なの?」
凛が、舜にしがみつきながら訊いた。
「マキちゃんと翔だ」
「自分のお姉さんだ。絶対見間違えないな」慎二が難しい顔をする。「マキちゃんにしたって、健二くんを見間違えることはないだろう」
「どうなってるの?」
愛美が悲鳴を上げた。
「帰って来たら、俺から確認する。それまで、親父達には内緒だ」
陽一が重々しく言って、一同、頷いた。
部屋に戻ってから、凛が怯えるように訊いた。
「健二さん、早苗さんのこと好きなのかしら?」
「健二さんは、健二さんだ。君が気にすることじゃない」
凛は、早苗に怯える。自信がないからだ。凛は、胸の大きさや容姿に自信がないのだ。
健二が早苗と付き合っているなら、早苗は桃源郷に出入りするだろう。舜が、支えなければならない。
「だって、このまま行くと、健二さん、早苗さんをここへ呼びたいって言い出すかもしれない」
「だとしても、僕達には、関係ないんだ」
「ううん。食料の問題があるの」
舜が青ざめた。
先に笹岡家の良介達を受け入れて欲しいという話があって、食料に不安があるから、と、断ったばかりだ。ここで、早苗を受け入れることは、食料の観点から言っても、難しかった。
健二は、とんでもない人に恋をしたのだ。
「もし、早苗さんを受け入れたら、マキや片山くんが来れなくなる」凛が涙ぐんだ。「全部、凛のせいなの。凛ができないから、こんなことになったの」
舜は、静かな息を吐いた。
とんでもないことになってしまった。せっかく、第二世代の好意で、凛を楽にしてあげることができたのに。
一難去って、また一難だ。
しばらく考えて、言った。
「マキちゃんと翔くんのバックアップは、僕が引き受ける。二人には、海水淡水化装置の完成を急がせる。夏までには、完成した方が良いだろう。後は、向こうでできる食料増産の方法を中原のおばさんに頼んで教えてもらおう。それで、少しは助かるだろう。そうすれば、君が気にした良介くん達も救われるんだ。
急がば回れだ。君は、マキちゃんや翔くんのことは気にせず、自分の研究に打ち込んだ方が良い。
その方が、桃源郷もマキちゃん達も助かる可能性が増えるんだ」
凛が目を見張った。
確かに、笹岡、片山それに良介達のことは、気になる。
桃源郷の未来も気になる。
すべて、自分の研究にかかっていると思えば、なお気になる。
でも、気にしていると、かえって成果が出ないのだ。舜が言う通り、急がば回れだ。他のことは忘れて、研究に打ち込まなければならないのだ。
目を上げて、舜の顔を見た。頼りがいのある優しい笑顔だ。
「凛、頑張るから、マキ達のこと、お願いね」
舜が頷いて、凛を引き寄せた。
健二の秘密が少しずつ明らかになります。




