重圧(2)
翌日の朝、笹岡家へ赤い軽四が来た。凛達を高校に送ったついでに寄ったのだ。悄然とする良介と里奈を降ろすと、慎二が短い挨拶をして帰って行った。笹岡の母が礼を言う暇もない。
「どうだった?」
夫人が良介と里奈に訊いた。
良介と里奈は、何も覚えていなかった。桃源郷へ行ったことすら覚えていない。
笹岡の母は、思い出した。片山早苗に特殊な薬を飲ませて、記憶をなくしてもらったと小林先生が言っていたことを。
この二人を受け入れるつもりなら、記憶をなくす薬なんか飲ますはずがない。あの薬を飲ませたと言うことは、受け入れるつもりがないということだ。
笹岡は、4時過ぎに帰宅した。凛や片山と共に普通に登校し、授業が終わって帰って来たのだ。
笹岡の母は、笹岡の口から、桃源郷へ襲撃があったことを初めて知った。テレビのニュースでは、大村製麺の襲撃事件のことしか言わなかったのだ。
笹岡の母は、娘を危険な目に遭わせてしまったことを悟った。
そんなことより、良介の失態を聞いて、目を剥いた。
「怪我した人はいなかったの?」
「うん。でも、銃弾が中原のおじさんの頬をかすめたから、少し血が出てた」
絶句する母に笹岡が詰め寄った。
「お母さん、どうして、あんな大変な時に、良介達をあそこに預けたの?」
「だって、こっちだって、放火があったりして、大変だったのよ。あそこなら、少なくとも、皆さんで守ってくれるって思ったんですもの」
「後から鉄砲弾が飛んで来るみたいだったわ。
あの子達、何のために行くのか、よく分かってなかったのよ。
いっそのこと、後方支援のアルバイトだとでも言えば良かったのよ。
良介達は、襲撃の最中に、テレビが見れないって文句言ったり、ゲームもないって不満言ったり、後方支援してた愛美さんや水野のおばさんの邪魔しかしなかったのよ」
「あの子達は、まだ、子供なのよ。テレビかDVDでも見せておけば良かったのよ」
「あそこでは、誰もテレビなんか見ないわ。
小林先生がお母さんに言わなかった?あそこでは、電気はとても大事なものだから、テレビなんか見ないって」
「そういえば……」
「とにかく、お母さん、最悪のことしたの。桃源郷の人達は、絶対にウチの家族を受け入れてくれないわ。
お母さんが、凛に馬鹿なこと言っただけでも、心証が悪かったけど、良介が決定的な馬鹿してくれたの!」
舜は、金曜日も桃源郷に残っていた。大学を自主休講して、後始末を手伝うことになったのだ。
水ヨーヨーの残骸を回収しなければならないので人手が要る――健二は、相変わらず、盗聴器の受信機の前で難しい顔をしているし、他のメンバーもそれぞれの仕事に追われていて、後片付けに回れるのは、陽一だけだったのだ――のと、無理して大学に行っても、すぐに土曜になってしまうからだ。凛は、舜がいるのが嬉しいのだろう。迎えに来てね、と言いながら、自転車で出掛けた。良介と里奈を送らなければならないから、凛と片山が自転車組だ。
凛がいなくなると、舜は、陽一に相談した。
凛のプレッシャーをなんとかしないと、下手をすると、凛がつぶれてしまう。凛がつぶれるということは、桃源郷も終わることになる。人類の明日は、凛の肩にかかっているのだ。
相談の結果、一度、第二世代全員で話し合った方が良いだろうということになって、凛を送って行った慎二が帰り次第、会議を持つことになった。
リビングの隅の健二も参加する。凛以外の第二世代全員が顔を揃えた。
舜の話を聞いて、全員愕然とした。誰も、凛がそこまで追いつめられているとは思わなかったのだ。
「凛は、研究にものすごい重圧を感じているんです。
万一、成功しなかったら、僕等全員死ぬことになるって。
それに、完成が遅れると、桃源郷の外で、たくさんの人の命が失われることになるんです。
あの人は、極力人に死んで欲しくないから……だから、良介くん達が来た時も怯えたんです」
舜が説明する。
「でも、凛が怯えきって、研究できなくなると、それこそ、研究は失敗するんです。
あの人が、伸び伸びと安心して研究に打ち込めるようにしてあげないと、研究は絶対に成功しない」
「で、俺達に凛ちゃんを当てにしないで欲しいってか?
つまり、簡単に言うと、凛ちゃんが研究に失敗しても、運命だと思って諦めて欲しいってことだな?」
陽一が念押しした。
「平たく言うと、そういうことです」
舜が下を向く。
本来なら、こんなことを面と向かって頼める筋合いじゃない。
第一世代の皆さんは、大小野寺博士や小野寺夫妻に期待した。駄目だったとしても、凛がいるのだ。子供達のために、凛が何とかするだろう。
でも、第二世代は後がないのだ。万一、凛が失敗したら、人類は滅びる。
それを了解して欲しいというのは、研究が成功することを前提として集結した人々、特に第二世代に対する詐欺のようなものだった。
ただ、やっかいなことに、悪意はなくても失敗するかも知れないし、凛が失敗に怯えて動けなくなると、それは失敗を意味していた。
地球がここまでひどくなる前に、世界中の人々がもっと考えて行動すべきだったのだ。
目先の利益を追いすぎて、その場しのぎに終始したため、凛のような少女に全責任を押し付ける格好になってしまったのだ。
重苦しい、長い沈黙があった。
「桃源郷ってのは、もともと、小野寺博士の研究を支援するための集団なんだが……」
陽一が、他のメンバーの意見を促した。
「でも、この頃は、他では暮らせなくなったから、ここに避難してるって面も強いわ。
慎二さんのお姉さんは、あんなことになったし、私と愛美が暮らしていた街でも、女は格好の標的になってたわ。
食料を奪われたり、刹那的になった人に暴行されたり。何せ、食料が不足して、世界の終わりって感じが蔓延してるのよ」
裕美が溜息をついた。
「で、研究の話だけど……仕方がないんじゃない?嫌だったら、自分でするしかないのよ。でも、私にはできないわ。
そもそも、このメンバーの中で一番若い凛ちゃんのお世話にならなきゃいけないってこと自体、おかしいのよ。
本来なら、私達、年長の者が凛ちゃんを助けてあげるのが、筋ってもんなのに」
「研究に一番向いているのは、凛ちゃんなんだ。凛ちゃんが駄目だったら、他の誰がやっても駄目だと思う」
慎二が当然のように言った。
「ただ、研究が失敗すると、人類は滅亡する。その場合、人類最後の人間は、桃源郷の住人になるだろう。それほど、他では暮らせなくなってるんだ。
以前、僕は、人類が滅ぶなら、どこにいても同じだと思ってた。
桃源郷にいようが、都会にいようが、滅びる時が来れば、みんな死ぬんだ。だから、裕美がこっちへの合流を提案した時も、どうでも良いって思ったんだ。
姉さんは暴徒に襲われて死んだ。
姉さんの悲劇を繰り返したくないって、親は言ったけど、人間、死ぬ時は死ぬんだ。
でも、裕美とここへ来て思った。
小野寺博士の研究が完成しようがしまいが、桃源郷で裕美と一緒に、人類の終焉を淡々と見つめるのも、面白いんじゃないかって」
「お前、相変わらず、抹香臭いんだな。俺は、少し違うぜ」
陽一が悪戯っ子のように笑いながら言った。
「桃源郷は面白ぇんだ。メンバーも変わってるし。何せ、科学者もいれば、医者もいる。ハッカーもいれば、猟師、格闘家、建築士、教師、薬剤師、栄養士、それに農業の専門家もいる。堅物の慎二から融通が利きすぎる俺までいるし、探偵の健二までいるんだ。
おまけに、戦闘まであるんだ。
しかも、お袋も言ってたけど、梁山泊みたいになって来ただろ?
人類最後の人間として、梁山泊で無茶苦茶するのも面白いんじゃないかって。
逆に言うと、こういう時代だから、これだけのメンバーが揃って、いろんなことができるんだ。平和な時代なら、こんなシチュエーション、あり得ねえ。
せっかくなんだ。これを楽しまなきゃって気がするんだ」
愛美が嬉しそうに見つめた。愛美は、陽一が悪戯しているのを見るのが楽しいのだ。
「兄貴、マニアだから」
健二が笑いながら言った。
「お前だって、探偵の仕事は天職だって、言ってたじゃねえか。それが、桃源郷のために使えるんだ。まんざらじゃねえんだろ?」
「もちろんだ。探偵の仕事って、どっちかって言うと、裏の仕事なんだ。
でも、ここじゃあ、表の重要な仕事だ。しかも、亭主の浮気調査みたいな馬鹿げた仕事じゃなくて、事前に襲撃を予測するみたいな、もろ、住人の命を守る仕事だ。
探偵冥利に尽きる」
「で、研究のことなんだが、凛ちゃんが、自分じゃ無理だから誰か別の人に頼んで欲しいって言っても、少なくとも俺にゃ、そんな甲斐性はない。裕美さんもないって言ってたし、慎二にもないみたいだ。舜もないから相談したんだろうし、奥さんにも、ないんだろ?」
陽一が陽気に訊いた。
「ええ、わたくし、できた研究の整理のお手伝いぐらいならできると思いますが、研究そのものは無理ですわ。白紙委任でお任せします。
駄目だとしても、わたくしがするよりマシでしょうから」
「右に同じ」と、健二。
「まとめると、こういうことになるわ。ここにいる全員は、それぞれの趣味に応じて、桃源郷で人類の最後を見守ることに意義を感じてるけど、研究の成否はどうでも良いってこと。
もし、凛ちゃんが研究に成功したらラッキーだけど、それだけが目的じゃない。
これで良いかしら?」
裕美がまとめると、一同が頷いた。
舜が、感謝の面持ちで、全員の顔を見回した。
「ありがとうございます。これで、凛も安心して研究に打ち込めると思います。
食料増産の研究が上手く行かないので、プレッシャーがすごいんです」
「伸び伸びと安心して研究に打ち込めるようにしてあげないと、研究は絶対に成功しないってか?
それは、口実で、本当は、凛ちゃんを楽にしてやりたかっただけじゃねえか?」
陽一が意味深に笑う。
「いや、そういうわけでは……」
「良いじゃないの、陽一くん。それが、舜くんの立場ってものなのよ」
裕美が笑う。
「凛ちゃんの夫ってのは、そういうのを配慮してあげることが、求められるんだ。
舜くん、良いと思うよ」
慎二までが同調した。
「優しいご主人で、凛ちゃん、幸せね」
愛美が冷やかした。
その日、帰宅した凛に、陽一と慎二から第二世代の決定について報告があった。
驚く凛に、陽一がニヤリと笑って、頭を軽くたたいた。
「舜が、みんなに頼んだんだ。このままじゃ、凛ちゃんが可哀想だってな。
凛ちゃん、良い亭主で良かったな」
凛がコクリと頷いて、舜を見上げた。




