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桃源郷は事件がいっぱい  作者: 椿 雅香
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移住願望(8)

「どうして、大人がその研究をしないんですか?」

 笹岡の母が、不思議そうに訊いた。

「大人って?」

 今度は、小林先生が不思議そうに聞き返す。

「こんなにたくさん大人がいるんです。何も高校生に、そんなことさせなくても、良いじゃないですか」

 笹岡の母には理解できない。

「大人は、大人の仕事をしています。

 良いですか?ここでは、誰も遊んでいません。

 ケネディの就任演説にあったでしょ?国が、あなたに何をしてくれるかを考えるのではなく、国にあなたが、何をできるかを考えて欲しいって。

 それぞれの住人が、桃源郷のために何ができるのかを考えて、自分から率先して働いているんです。桃源郷に何かしてもらおうと思っている者は一人もいません。

 ある者は野菜や穀物を作り、ある者は狩りをして肉を手に入れ、ある者は漁をして魚を手に入れ、ある者は手に入れた食べ物をみんなが食べられるように料理し、ある者はここを襲撃から守るための活動をしています。

 そうして、ここの究極の目的は、大小野寺博士の研究を完成させることなんです」


 小林先生が、慣れた調子で話した。途中から現れて、桃源郷にお世話になりたいという虫のいい連中を相手にするのが、この人の仕事の一つのようだ。


 「大小野寺博士の研究って?」

 片山の母が訊いた。

 食べ物の獲得より大切なことがあるんだろうか?

「父は、地球温暖化がこのまま進むと人類は滅亡すると考えました。それで、人類を救うための研究をしているのです。

 その研究が完成しないと、現時点で食料があっても、いずれ、人類が滅ぶことになります。つまり、ここも終わるのです。

 で、ここの住人の第一目標は、父の研究の完成です。いくら、現在の居心地が良くても、研究の完成を見ないことには、いずれ、人類は滅びるのですから」


 笹岡の母も片山の母もあまりの話に唖然としている。ポカンと口を開けて馬鹿みたいだ。


「それで、小小野寺博士――こちらの小野寺博士のことです――と、小野寺夫人が大小野寺博士の助手をしながら、合間に桃源郷の居心地を良くする研究をなさってくれているのです」

 小林先生が説明した。

「で、現時点では、ミニ小野寺の凛ちゃんが、食料の生産量を上げる研究に励んでいるのです」

「大小野寺博士の研究は、いつ頃完成しますの?」

 笹岡の母が訊いた。それさえ完成すれば、食料難は解決するのだ。

「難しい質問です。多分、父も私も、生きている間に、研究の完成を見ることはないでしょう」

「というと、人類は滅亡するんですか?」

 片山の母は、息ができないほどだ。考えたこともなかったのだ。

「いや、多分、凛ちゃんが何とかしてくれるでしょう」

 小林先生が、当然のような顔で続けた。

「問題は、それまで、桃源郷以外で人類が存続し得るかどうかと言うことなんです」


 二人の夫人は、目を剥いた。


「我々は、12年前、小野寺博士の考えに共感して、行動を共にしました。

 今日のような事態を予想していたんです。

 あの時、小野寺博士が新聞広告を出しましたね。一緒に活動しないかって。

 覚えてらっしゃいませんか?」

「そういえば、小さな広告があって、日本中からバッシングを受けたんじゃございません?」

 片山の母がぼんやりと思い出す。

「そうなんです。そんな馬鹿げたことあり得ないって、特に、電気、石油、ガス会社などの大資本が中心になって博士を異端者扱いしたんです。

 で、12年後が、この状況です」

 小林先生が、辛そうに言う。

「もっとも、大資本にすれば、食料を買い占めて、利益を上げるチャンスが巡ってきたわけですから、思惑どおりの展開なのかもしれません。

 ただ、桃源郷に結集した我々は、言うなら、開拓者です。大変な12年でした。舜も凛ちゃんも学校さえ行けず、大人と一緒に農作業したんです」

 

 その間、あなたは、何をしてましたか?

 

 笹岡の母には、小林先生の声が聞こえるようだった。


 この12年、夫の収入で家計をやりくりし、小さいながらも庭付きの家を建てた。子供達を学校にやって、友人達と楽しい時間を過ごして来た。

 ここでは、そういうことはなかったのだろうか?


「マキちゃんや翔くんに、訊いていただければ分かります。

 ここでは、電気が惜しいので、滅多にテレビも付けません。大小野寺博士の発明したゴミ処理機で処理できないものは、買いません。

 市のゴミ収集車も来ないのです。

 基本的に自給自足で、本当に手に入りにくいものだけ、買い出し担当の山道夫人にお願いしているのです。

 子供の舜や凛ちゃんにとっては、辛いことだったでしょう。

 陽一くんや愛美さん達も、最近こちらへ合流しましたので、慣れるまで大変だったようです」


「その陽一さんや愛美さんは、何もしてないのに、ここへ合流することを許されたんですね。私達も、その線でお願いできませんの?」

 片山の母がすがった。


 小林先生の目がキラリと光る。

「早苗さんとよく似ていらっしゃる。自分の必要なことは、他人が何とかしてくれると考えてらっしゃるようだ」

 息を吐いて続けた。

「良いですか?陽一くんや愛美さん達は、桃源郷の功労者である山道夫妻や中原夫妻の子供さんなんです。受け入れないわけにはいかないじゃないですか。

 しかも、こちらへ来てすぐの襲撃事件でも、大活躍だったんです。

 あなた方は、これまで、何をしてくれましたか?」

「真紀子が……真紀子と翔くんは、功労者だって、先ほど、小野寺博士がおっしゃいました」

 笹岡の母が身を乗り出した。

「ウチには、真紀子のほかに二人の子がいるんです。せめて、あの二人だけでもお願いできませんか?

 凛さんの友達の弟妹なのです。何とかしないと、一家全滅です」

「……痛ましい話です」と、小林先生が言った。

「マキちゃんと翔くんのことは、何とかしましょう。でも、それ以上は、ウチの能力を超えているんです」

「大人が、大人が、少しずつ我慢してくれれば良いんです。大人だけで、二十人近くいるんでしょ?その人達が、今の9割方で我慢してくれれば、二人分ぐらいの食料は、浮くはずです。

そうすれば、子供達に食べさせることができるんです」

 笹岡の母が、計算しながら詰め寄った。


「奥さん、お子さんの食料の心配をするのは、親御さんの仕事です。とやかく言いません。

 でも、ウチにとっては、他人事なのです。どうして、他人のあなたのお子さんのために、ウチの住人がひもじい思いをしなけりゃならないのですか?

 それに、住人の食料が不足すると、新たな食料が手に入らなくなるのです。

 何せ、その住人が食料を調達しているのですから。

 というのは、桃源郷では、お金を出して食料を手に入れるということはないのです。住民が自ら食料を作ったり、捕ったりしているのです。

 大小野寺博士でさえ、田植えや稲刈りといった農繁期には、一緒に働いてくださるのです。 今、ここで、住人の食料をあなたのお子さんに分けると、次の食料が手に入らなくなり、桃源郷が滅ぶことになります。

 ウチとしては、絶対、避けなければならないことです」

 小林先生が表情を変えずに言った。そうして、思い出したように続けた。

「マキちゃんと翔くんは、桃源郷の全員が認める功労者です。

 だから、大小野寺博士と野中夫妻が、作業効率が多少落ちるかもしれないが、自分達の食料を減らしてでも、あの二人に分けてあげて欲しいと言ってくれたんです」


 笹岡の母が目を剥いた。

 

 桃源郷は、決して食料の有り余る場所ではなかったのだ。

 笹岡真紀子や片山 翔がお世話になると、桃源郷の誰かの食料が減ることになるのだ。台風以来の、あの差し入れだって、誰かの食料を減らして、持って来てくれたのかもしれない。



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