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――3xxx年、僕たちの記憶力は 大きな変化を遂げた――
いつの時代も、人という生き物は力に憧れを持ち続けている。僕のICチップがそう記憶している。
ICチップと言う画期的な物ができたのは今から数1000年前、僕たちの祖先は開発と実験を重ね、遂に身体に害もなく埋め込む事に成功した。
人間の知識欲が損なわれる事を危惧して子供の頃は殆ど空っぽの状態で埋め込まれる。知識はすぐにインプットされ、忘れる事は無い。
だから僕は言葉をすぐに使いこなせた。
長い義務教育で養わなければならない中学3年までの教養知識を学ぶのは僕らにとってはメモをとるより容易く、小学校高学年になる頃にはすでに進んだその知識がこの僕、鈴木 吉弥や他のICチップ所持者にはあった。
「吉弥!」
「達郎、なんだい急に走って来るなんて何かあったの?」
田中 達郎、僕の幼馴染みに当たる人物だ。
家が近くて昔から何かと一緒にいた。やたらに煩い印象だが、活発で人を惹き付ける魅力がある。僕とは正反対。
「なんだい?じゃねぇよ!さっきから呼んでんのに返事をしねぇなんてどういう頭し・て・ん・だ・よ!」
「うわっ、止めてくれ!僕が悪かった、だから首を絞めないでくれ」
派手に首をホールドされて苦しい僕は取り敢えず謝っておく。開放されて咳き込みながら本題に移るように促した。
「今朝の新聞みたか?ICハンター(チップを狩る者)がここの近くで脱走したらしいぜ。俺は良くてもお前は気をつけろよ」
「あぁ、なんだそんなことか」
ICハンター、人に埋め込まれたICチップを奪ったり、壊したりすることを目的としている集団だ。数年前まではICチップを持たない無名の集団だったのだが、年を重ねるごとに過激さを増して国際ICテロとして毎日どこかで騒がれている。
「いざというときはpassを掛けて凍結されるから大丈夫だよ」
達郎から溜息が聞こえた。呆れているのだろうか。
「そういう事言ってんじゃねーの、俺は!お前に何かあったらどうすんだよ!ICは凍結されても生身はどうなるか分からんだろうが……!っとに、マジで言ってんのかよお前。IC持ちはみんな自分の体に無頓着なのか?そうなのか?あ?」
「そうか、僕が殺されて中身を取り出されたら本末転倒だよね。それは考えて無かった。ありがとう達郎」
「はー、話がかみ合わん上に変なことで感謝されてもなぁ…」
複雑そうに言われた。
「IC脳ってのはこんなにも愚鈍になれるのか、それともこいつの性質なのか……」
「なにぶつくさ言ってるのさ、僕より達郎も自分の心配をした方がいいよ。次の時間は身体向上力テストなんだろ?」
「あぁ、まあな……でもなー、なんか引っかかるんだよ。日本は数千年に渡って平和だったのに、ここに来て急にテロが多発してる。嫌な予感がしてならねぇ」
「生身の危機管理能力が働いているんじゃないか?もっともそれを向けるべきはテストの方だと思うけどね」
「あのなー、俺は結構真面目だぜ?それに身体の方はお前と違って丈夫だからいいんだ。俺はICを持ってないからな、狙われる心配は絶対ない。でも吉弥、お前は違う。持ってるだけで狙われる要素は十分だ」
今の時代には大雑把に分けて特有の人種がある。
IC所持者とノーマル、その2種類だ。
ICハンターが狙うのはIC所持者の方で僕はターゲットとして狙われる側の人間だ。
達郎はノーマルで、幼児の頃にチップを埋め込まれなかった。だから僕より何倍も安心のはずだ。
僕の身を案じてくれる達郎は稀に見るいい奴だと思う。この前そう言ったら人間なら当たり前の事だろ、馬鹿かって言われた。関心してた僕に馬鹿は無いだろ、馬鹿は。
恐らく、達郎はICのせいで僕の感情が一部だけ欠如していると思われているのだろうが、それは有り得ない。
何故なら、チップは知識を多く詰める事が目的のもので、感情は一切関わっていないからだ。
「僕よりまずは自分の事を気にしてくれ、ノーマルだからって足元を掬われたら元も子もないよ」
こうやって心配して親友を気に掛けることも当然できる。
「わーってるよ…って、やべ、もうこんな時間か。じゃあ、俺行くわ」
「あぁ、気をつけて」
時間に追われて達郎は階段を軽々と飛び降りてグラウンドの方に去っていった。僕も行かなきゃ。
僕達の通う高校は他とはかなり違っていて、ICとノーマルの授業はクラスは勿論、やり方もかなり変わる。
知識の貯蓄を得意とするIC所持者の授業は膨大な量の情報を憶えさせられる。と言っても記憶するのは殆どチップで、一度見ただけで勝手にインプットされるからあまり時間は掛けられておらず、そっちよりも道徳的な話しが割合を占めている。
問題は覚えた情報をどれだけ引き出し、活かせるのか。
それが有能な所持者だということに繋がるからだ。
一方で、ノーマルはこの学校で小学校に入学した時から約13年間掛けて一般教養を身に付けながらその上、身体能力を上げる為の授業を中心に卒業まで行われる。
ノーマルの中でも特殊な運動メインに組まれたカリキュラムだ。
そのため、僕達には到底及ばない人間離れしたパフォーマンスを軽々とやってのける。
楽して賢い僕らよりよっぽど凄い連中だと思う。
「おい、ノーマルの奴ら走ってるぜ」
「ほんとだ、はぇーなぁ……俺にはあんなに速く走んの無理だわ」
「俺も…」
所持者は体力が無い奴しかいない。
IC専用の授業は膨大なデータを頭のチップに詰めることを目的とし、その個人が絶対になんらかの重要な記憶を持っているような状態だ。だからたとえ自分にその気がなくても負傷すれば大損。
そのせいで、両親から過度な運動は避けるようにと言われている奴がほとんどである。
「一度でいいから何も考えず、思いっ切り走ってみたいってか?」
不意にかけられた言葉は僕を含める男子の集まりに入ってきた。
「なんだよお前……」
「悪いかよ」
「怒るなよー、誰も責めちゃいないんだからさ。走りたい気持ち分かるよ」
人のよさそうなそいつは机に凭れ掛かって自然に輪の中に入ってきた。
話してたやつらも無害だと感じたのか受け入れモードだ。
「あんなに気持ちよさそうに走られたら羨ましくなっちまうよな。案外ノーマルの方が楽しそうだ」
ノーマルに憧れでもあるのだろうか。窓の外で行われている地獄のグラウンド無限周回を楽しそうとはあまり思えないが、毎日こなしているノーマルを見ていると分からないでもない。
「走るってどんな気分なんだろうな……」
ーーーーー
高層ビルが立ち並び、蟻のように小さく歩き回る人の群れで溢れている。
忙しなくいつも通りの社会にメガホンのノイズの音が響き渡った。
「はーい!みなさーん!おはようございマース!」
ざわざわと困惑が広がり、音源の主はどこにいるのかと周りを見渡しても何も無い。
平均より少し高めの男性の声が狭いビルの間をこだまして2重に重なりながら耳に入ってくる。
「突然ですが、今からビルを1つ破壊しまーす!」
動揺が大きくなり、更に波紋が広がっていく。
軽い放言を鵜呑みにしないまま歩き去っていく人もいるが、大体が足を止めた。
関係なく声の主は続ける。
「どこのビルが壊れるでしょうか?当てられたら得点がもらえマース!でーも、外しちゃったら……ドカーン!!」
疑似クイズを始めた声の主は愉快に笑う。
聴いている方は狂気しか感じない嘲笑いに恐怖し、逃げる者も出てきた。
最近はICハンターがテロを起こす時代だからこそ本当に爆発させる可能性が高い。
ゆえに、ほとんどの人は悠長に聞くことなどせずに逃げる。
「カウントダウンいきマース!さん!にっ!いち!」
途端に上がる悲鳴。
しかし、爆発は聞こえない。
「あははははははは!ほんとに爆発すると思った?ごめんねー!実はこれ、テロ対策の訓練でした!驚かしてごめんね?」
パニックに陥った人々がざわざわと平静を取り戻していく。
中には怒り出すものもいて馬鹿馬鹿しいと一括して去っていく。
人の群れはとにかく良かったと散り散りになっていき、元の生活に戻ろうと社会に溶け込んでいく。
「最近何かと物騒だもんねー、少しは皆に危機感を持ってもらいたくってさ……爆発が起こった時は皆困っちゃうでしょ?だから訓練しといた方がいいと思って!僕らって本当にイイヤツだよねー……そういう訳だからさ!今から本格避難訓練を始めマース!ICハンターより」
そして一つのビルが破壊された。
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