第6話 カール家で朝食を食べた日
すっかり晴れた次の日、ヘイカーは隣に行きカールに服を借りて急いで家に戻ると、制服に着替えて登校する。
カールはヘイカーが通う士官学校の武芸教諭でもある。借りた服を校内でカールに返すと、彼は露骨に嫌な顔をした。
「お前なぁ。一度着た服は洗って返すのが礼儀だろーが」
「え、すげぇ。カールに礼儀とかわかんの?」
「俺は別にいいんだけどよ、アンナがうるさいからな。お前だってアンナに叱られたかねーだろ?」
「洗って返します!」
「あと、校内では教官って呼べ」
これもアンナの言い付けを守っているに過ぎず、カールは教官と呼ばれずとも別に気にしないことをヘイカーは知っている。よって教官などと呼ぶ気はさらさらない。
「ところで」
とカールは話題を変えた。
「朝は忙しくて聞く間もなかったが、お前、昨日リゼットの家に泊まったのか?」
「え? ああ、嵐が酷くて帰れなくなっちって」
「へぇ」
カールにニヤリと笑われた。なんだか見透かされてるようで、居心地が悪い。
「よかったな」
「な、なにがだよ!?」
ヘイカーは狼狽した。やはりカールには、この胸の内を読まれているということを確信して。
「隠すな。お前がリゼットに惚れてるってこと、俺ぁお見通しだ」
やっぱりだ。やっぱりバレていた。こういうことに関しては、アンナやロイドよりも、カールの方がなぜか鋭い。
「で、リゼットはお前と付き合うって?」
「なんでそういう話になるんだよ」
「一晩一緒にいたんだ。そういう話にくらい持ってったろーが」
「持っていけてねーよ!」
「力一杯言うなよ。ヘタレだな」
「うるっせ」
カールはさも可笑しそうに、ヘイカーの頭をグシャグシャと撫でつけてくる。犬じゃないんだからやめてほしい。
「って、カールはオレを応援してくれんのかよ?」
「んー、そうだな。リゼットが嫌がれば断固として反対するが……今のリゼットには、お前のような奴が必要に思えてな」
「え? なんで?」
「わかんだろ? リゼットはロレンツォへの想いを、断ち切れてねーんだ。見ててちょっとつらくてな」
そういうカールの顔は父親の顔になっている。リゼットを本当の娘のように可愛がっている証拠だろう。
ヘイカーは、ウェルスの結婚式の時に見せていたリゼットの寂しげな顔を思い出す。もしかすると、あの時もロレンツォが原因だったのかもしれない。ロレンツォと結婚式を挙げたかったと考えて、あんな悲しい表情になってしまっていたのかもしれないと。
そう思うと、ヘイカーの胸の奥はチクチクと痛んだ。リゼットのあんな顔は見たくない。その思いもあったが、自分は蚊ほどにも相手にされていないことを、まざまざと感じてとってしまって。
そんなヘイカーの顔を見て、カールが再び頭をグリグリと撫でつけてくる。
「今晩、うちに泊まりに来い。明日の朝、リゼットはうちでメシを食う予定だからよ」
なんのかんのとカールは自分を応援してくれているのがわかって、ヘイカーは頷いていた。
そしてカールに言われた通り、彼の家に泊まった次の日。
「おはようございます、カール殿」
食卓に着いていたヘイカーは、その声に目を見広げた。
リゼットの声では、もちろんない。
そこにはリゼットの元恋人、ロレンツォが爽やかな笑顔で立っていた。
「おお、ロレンツォか。久しぶりだな。どうした?」
「いえ、リゼットに誘われて来ただけです」
「そうか。まあ朝はせわしないが食ってってくれ」
「ありがとうございます」
カールとロレンツォの会話を聞きながら、ヘイカーは絶句し混乱した。
ロレンツォは、リゼットに誘われて来たと言った。こんな朝早くから一緒にいたという事は、昨晩から一緒にいたということだろうか。リゼットの家に一泊したのだろうか。リゼットとロレンツォは、終わったはずではなかったのだろうか。
隣では、ロイドの妹アイリスが目をキラキラさせてロレンツォを見ている。アイリスはちょっとミーハーなところがあり、ロレンツォに憧れている。そんなアイリスをロレンツォがレディ扱いしているのを見て、ヘイカーは吐き気がした。
そのロレンツォがヘイカーの視線に気付き、顔をこちらに向けてくる。
「ヘイカー、なんでお前がここに? それにその格好……士官学校に通ってたのか?」
「今日、リゼットがここに来るっつったら、昨日から泊まりに来たんだよ。こいつはロイドと同じ高校三年で友人同士だ」
カールに答えられ、ヘイカーは眉に皺を寄せた。泊まりに来いと言ったのはカールなのに、勝手に人の気持ちをバラすような発言はしないでほしい。
「ってことは、お前ももう今年で十八か。来年は騎士団に入るのか? 北水チーズ店はどうするんだ?」
ロレンツォに問われ、ヘイカーは渋々答える。
「父ちゃんはまだまだ現役だかんな。一応騎士団に入るよ。折角士官学校を出るんだ。騎士になってガッポガッポ稼がねぇと、割に合わねぇっての」
まだエイベルとは話し合っていないが、了承してくれるだろう。なにせ、一般の高校とはつぎ込んだ額が違う。
「さ、ご飯できたわよ! ロイド、アイリス、ヘイカー、運んで頂戴!」
アンナに呼ばれて、ヘイカーたちは席を立った。
キッチンに行くと、リゼットがおかしな手つきで目玉焼きを皿に乗せている。
「……はよ、リゼット」
「ああ、おはようヘイカー。悪いけどこれを運んでくれる?」
見た目はそれほど酷くないが、これはどんな味がするのだろうか。さすがに目玉焼きくらいはまともに作れるのだろうかと思いながら、運ぶ。
そして全員が席に着き、ファレンテイン流の祈りを捧げてから食事を始めた、その時。妙な味わいが口に広がってくる。やっぱりな、とヘイカーは当然のことのように受け入れていた。皆は一様に顔を苦らせていたが。その目玉焼きは甘いにも関わらず。
「っう」
「……」
「これは……」
「アンナ、この目玉焼きはだれが作った?」
「リゼットだけど……どうしたの? ちょっと焦げてはいるけど……」
そう言いながらアンナも口をつけ、そしてやはり顔を歪めた。
「リゼット、砂糖を使ったわね。しかも大量に」
「ええ、この間は砂糖を入れていたから」
「この前作ったのは、甘い卵焼きでしょう。目玉焼きには塩よ」
「そ、そう……そんな気もしたんだけど……みんな、ごめんなさい」
リゼットがしゅんと肩を落とす。
リゼットには、これが精一杯なのだ。どの組み合わせがどんな味に仕上がるのかの想像力が、まったく足らない。だから平気で砂糖と塩を間違えたりする。
絶対味覚を持つヘイカーにはあり得ない間違いだが、それがリゼットという女なのだ。それにこの間食べたぐっちゃくちゃの料理や、生肉生野菜の盛り合わせに比べれば、上出来の品である。
「ウマいよ。焼きプリンみたいで、うまいじゃん。いいよ、これで」
ヘイカーがそう言ってのけると、皆は顔を見合わせ、そして視線は再び甘い目玉焼きに戻った。
「……ま、食えねぇことはねーか」
「う、うん、私、甘いの好きだから、大丈夫よ、リゼット!」
「今日は食べるけど、次はちゃんと塩で頼むよ」
「わ、わかったわ」
皆口々にフォローし合い、甘い目玉焼きを口に運んでいく。それでもリゼットはまだしょげかえっていたが。
(リゼットの作る料理くらい、オレが全部食ってやるよ)
皆がいる前で、その言葉は言えなかった。二人きりだとしても、言えたかどうかはわからなかったが。