【6両目】
★
「おうい」
不意に背中に声が飛んでくる。千尋だ。
「ん、どうしたの」
「もう少ししたら、森林鉄道の方の脇道に逸れるよ」
「りょーかい」
賢がプラプラと左手を振る。千尋の隣を歩いている洸太の表情は元に戻っていた。いったい千尋はどんな話で洸太を元に戻したのだろうか。
僕と賢がそれとなく歩く速度を落として後ろの二人と合流する。
「なぁ、なぁ、夕飯になるようなもの何持ってきた?俺、カニ缶あるぜ」
さすがは洸太。よくわからない。とはいえ、元に戻った彼を見て少し安心した。
「よくもまぁそんなもん持ってこようと思ったよなぁ。俺は、コンビニのおにぎり。安定の鮭だ」
千尋はコンビニのおにぎりは鮭しか買わない。もうずっとそうだった。なにせ、変なところでこだわりが強い彼を象徴するエピソードの一つだろう。
「あ、そこから脇道に入って。左」
千尋に指示されるがままに僕らは、左の草むらへと入っていく。地図上ではこの先に森林鉄道の廃線がある。
「こんなところ通るんだ。ここまでは来たことなかったよね」
「そうだなぁ。あの小屋ぐらいまでだよな、俺らが遊び場で使ってたのも」
だいぶ日が暮れてきて、森全体がオレンジ色がかってくる。日中声高に鳴き続けていたアブラゼミはいつの間にかヒグラシに選手交代をしていた。
夕暮れの森の中を僕らは進む。傍から見たら指名手配中殺人犯の痕跡を探しに行く途中だなんて見えない楽しげな道中である。
「おー!線路だ」
洸太がはしゃいでいる。僕らの前には少し薄暗くなってきた森の向こうに続いていく森林鉄道の線路が現れていた。
「暗くなってきたし、今日はこの辺でキャンプだな。使えそうな広場探そう」
千尋の音頭で僕らは線路周辺で使えそうな広場を探す。パキパキと小枝が折れる音や一帯に漂う樹木の匂いが自分が森の奥にいるんだという実感を加速させる。
「なぁ、このあたりはどうだ」
賢は大木に囲まれているものの、少し開けた場所を見つけていた。
「うん、ちょうどいいかも。ここにしよう」
千尋の許可が下りたところで僕らは荷物を下ろす。
「ふぃーなんだかんだ結構歩いたよなぁ。意外と疲れてるかも、俺」
賢がその辺から引きずってきた丸太に腰掛けて足を伸ばす。
「もう半分は来てるんだよね」
僕が千尋に聞く。
「ああ、あとはこの線路をもう少し言って川を渡ったらすぐ洋館があるあたりになるな」
「それなら頑張れそう」
おれもーと洸太が同意する。
「さて、このままじゃ暗くなるだけだから火、おこそうか」
「お!キャンプファイヤーか!いいねぇ」
「お前は一人で踊っておけ。とりあえず、囲むのにちょうどいい石と薪を集めよう」
千尋に言われるがままに僕らは石と薪を集めて、それらしく組み上げる。手から苔の匂いがする。軍手を持ってくればよかった。
「よし、点火っと。薪、切らさないようにしないとな」
「じゃあ洸太をファイアー担当に任命!」
「勝手に決めんなよー」
賢と洸太の漫才を千尋と僕が薪をくべながら眺める。いよいよキャンプらしく、冒険らしくなってきた。
いつの間にか辺りはすっかり暗くなってきて、僕らは各々持ち寄った夕食を食べる。洸太のカニ缶は意外と好評だったし、僕のマシュマロは洸太が3回ぐらい火の中に落としてダメにしたけど、楽しかった。
お腹も膨れて、パチパチと音を立てて燃える焚火を何となく眺めている時だった。
「さて!ここで賢に問題です!夏の夜といえばなんだー」
洸太が突然得意げに話しだす。
「ん、そうだなぁ。夏の夜と言えば・・・」
しばしの沈黙の後―――
「スイカ!」
洸太はわざとらしくコケる。
「なんでだよーー!夏の夜と言えば花火だろーーー」
と、もどかしそうに大声を出す。
「まぁ、待てよ。池口家の夏の夜はスイカだって決まってんだよ。じいちゃんがすげースイカ好きでさ。な、な、池口家の教育の賜物なんだよ」
「なんだよその教育。さすが、賢の家だよなぁ。たしかに、夏遊びに行くとしょっちゅうスイカ食ってた気がするわ」
千尋が楽しそうにしている。自然体の彼が見られるのは僕らの特権だ。
「それで!俺の話!」
洸太が無理やり主導権を引っ張り戻す。
「花火持ってきたんだ!打ち上げもあるんだ!やろうぜ」
嬉々としてリュックから花火を取り出し始める洸太を見て、はぁ、と千尋がため息をつく。
「バカかお前は。こんな燃えそうなものに囲まれたところで花火やったらどうなるかなんて、サルでも想像つくぞ。ついにサル以下に転落したか」
いつもの毒舌が炸裂する。森の中でも千尋は通常運転だ。
「なんだよぉ。みんなが喜ぶと思って持ってきたのに。夏らしいこと、みんなでできたらいいなぁと思ってたのに」
すると僕らが想像していた以上に洸太がしょんぼりする。彼はみんなで花火をするのを本当に楽しみにしていたようだった。要は子供なのだ。
「い、いや、水辺があればよかったんだけど。それも、無いからさ。なぁ、悪かったよ、洸太」
バツが悪くなったのか千尋が珍しく弁明と謝罪をする。
「そうだよ、洸太くん。僕も花火したかった!お昼に言ってたリュックに入ってる秘密のものってこれだったんだね」
「なぁ、洸太、そんなにしょげんなよ。千尋も謝ってることだしさ」
僕らが代わる代わる洸太を慰める。
「それじゃあさ」
「ん」
洸太が口を尖らせて何か小さい声で言う。
「それじゃあ、千尋がさ」
「え、聞こえないって」
僕が聞き返す。
「それじゃあ、千尋が何か夏らしいことしてよ」
「え」
まったく予想していない方向からのボディーブローを千尋はノーガードでくらう。
「な、なんだよ、それ」
「いいじゃん、花火がだめなんだろー。頼むっ。夏らしいことしたいんだ」
「いいじゃんか、千尋。とっておきを頼むよ」
まさかの賢が参戦することで千尋の圧倒的不利な状況になる。千尋はなんとも言えない表情で僕を見たけど、当然僕が助けてあげることもできずに微笑みを返すしかなかった。
パチパチと焚火が音を立てて燃える。その四方を囲む僕らは無言で千尋を待った。
「いいかお前ら、俺はこのことを絶対忘れないからな。そして、」
怖い。いつも以上に千尋が怖い。
「それに?」
「それに、俺は途中で止めろと言っても絶対最後までやり切るからな。引き返すなら今だぞ」
いったい、千尋は何を始めようとしているのだろうか。千尋を除いた僕らは神妙な表情でうなずくと、千尋の次の句を待つ。
「夏らしいことだったよな、洸太」
「お、おう」
「夏の夜と言えば、決まってるじゃないか。怪談だよ、怪談」
「え、いや、それはまずい。やっぱり、やめーーふぉごふぉご」
最後まで言いかけたところで、洸太は賢に口をふさがれる。そう、洸太は死ぬほど幽霊やその他超常現象的な話に弱い。お化け屋敷だって入れないレベルなのだ。怖いのは苦手。要は子供なのだ。
「千尋、とっておきの奴をたのむ」
賢のその一言に千尋がニヤッと笑う。焚火に中途半端に照らされた千尋の顔は雰囲気満天だ。
こほん、と千尋が咳ばらいを一つする。
「これは、俺のじいさんから聞いた話なんだ」
いつも以上に感情の無い声で千尋が話出す。周りの温度が何度下がったように感じる。洸太は抵抗をやめて静かになっていた。
「俺も小さいころに聞いた話なんだ。じいさんが小さいころの話だから、ものすごく昔の話になる。でも、すげーリアルだったんだんだ。半分ボケかかったじいさんがあんなに覚えてるってことは、当時、相当印象的だったんだと思う」
「それで、どんな話なんだよ」
賢が風情台無しで千尋をせかす。
「まぁ、夜は長いんだし気長に聞いてくれよ」
パチッと薪が爆ぜる。夜が深まり、野鳥の声が森にこだまする。
「じいさんが小さいころってのは、トイレが家の外にあるのが普通だったんだ。ってことはだ、小さい子供にとって夜中トイレに行くって言うのは一大事だったわけだ。今みたいに当然外に街灯があるわけでもない、月明かりさえない日なら、文字通り真っ暗闇の中と外に出なきゃいけないわけだからな」
「おいおい、トイレの話とか勘弁してくれよぉ。おれ、今晩トイレ行けなくなっちまう」
「お前のトイレ事情は知らん。俺は最後まで続けるからな」
千尋は氷の精のように冷酷だった。
「そんなぁ」
洸太が萎んでいくのを僕と賢が視線を合わせて笑う。どこか共犯者めいた視線の交わり。
「それで、じいさんが確か、12,3歳ぐらい。ちょうど俺らと同い年ぐらいの時に体験した話だ。夏のある晩、じいさんは目覚めてしまった。まぁ、トイレに行きたくなったわけだ。我慢しようにも、陽が昇るまでなんて到底無理。その晩も観念して、暗闇のトイレに向かうことを決心したわけだ。ただ、その日はありがたいことに満月の夜。外はいつもにっ比べたら明るくて、よかったと安心していたの鮮明に覚えていたそうだ。そして、母屋の外に出て、砂利の敷かれた道を少し歩いてトイレに到着。当然、水洗式じゃなくて汲み取りのトイレだから臭いんだよな。それに今みたいにドアノブが付いてるカタチじゃなくて、スライド式の戸でそこに手をかけると、開かなかった。まぁ、そもそも立て付けの悪い戸だったからちょっと力を入れたら開くと思ったそうだ。でもな」
千尋はいったんそこで区切る。
「でも?」
賢が続きを促す。僕らはもうその話の世界にすっかり入ってしまっていた。
「でも、開かなかった。つまり、使用中、先客がいたんだ。それでじいさんは扉を叩いて言った『漏れてしまいそうだから、早くしてくれ』と。」
おじいさんのセリフの部分が嫌に芝居がかっていて生々しい。僕らは千尋の声に集中する。
「しかし、扉の向こうから反応はなし。それでもう一度扉を叩いた『おうい、聞こえてるんだろ』と。そうしたら、しばらくの沈黙の後、『次はお前か』って声がして『はい』って答えると、『待たせてすまない。すぐに済む』という声が聞こえたそうだ。父親の声にも年上の兄の声にも聞こえたそうだ。でも、その声がしたっきり、反応はなくなり、扉は開かないままで、仕方なくじいさんは裏の林で立ちションをして寝たそうだ」
「それ、お父さんが腹痛くてトイレに籠ってただけじゃないの」
「お前じゃないんだからさ、洸太」
洸太の茶々入れも無残に蹴散らされてしまう。
「翌朝、じいさんは朝食の場でその話をすると、家族の誰も夜中にトイレには行っていないと言うんだ。それでも誰かがいたんだと言い張るじいさんに対して、父親、あぁ、ひいじいさんが怒って、『でたらめばかり言うんじゃない。そんなことを言っている暇があれば一つでも多く勉学に励め。この件は二度と口にするな』って怒鳴られたって。そのうえで、恐らく獣の仕業じゃないかってことになったんだ」
「どこにトイレのカギを締める獣がいるんだってな。無茶苦茶な話だな」
賢があっけらかんとした表情で言う。
「じいさんも、当然そう思った。だから、仮に獣だったとしても正体を突き止めようと思ったんだ。じいさんの寝室はトイレに続く砂利道に面していて誰かが通れば音で分かる。だから、夜を徹して待ったんだ。そして、あの日と同じ午前2時を過ぎたころ、ことは起こった」
僕はごくりと息を飲む。
「ざっ、ざっ、ざっ、と砂利を踏む音がして、少しだけ障子を開いたんだ。するとそこには」
また、千尋が意味深に話を区切る。
「おいーそこで止めるなよ」
賢がニヤニヤしている反面、洸太は静かになっている。千尋はふふっと不敵な笑みを浮かべて話しを再開する。
「少し開けた障子からはいつもの砂利道が月明かりに照らされていた。そして、その狭い間から左右をできるだけ見渡したんだけど、人影はなし。それで、今度は大きく障子を開けた。そして、トイレの方を見ると」
「見ると?」
「トレイの扉がちょうど閉まるところだったんだ。間違いなく、誰かが爺さんの部屋の前を歩いて、トイレに向かって扉を閉めた。動物がなせる業じゃないのは子供でも分かった。それを見たじいさんは、家族全員の寝ているところを確認して父親を起こした。『誰か、家族でないものがトイレを使っている』と。あまりの、じいさんの取り乱しように、観念したようにひいじいさんはじいさんを連れてトイレに向かった。そして、戸に手をかけると、するりと開いたんだ。お約束通り、誰もいない。じいさんはまたこっぴどく怒られたっと」
「なんか、おじいさんかわいそうだね」
僕はなのひねりもない感想を口に出していた。
「まぁな、でも、本当にじいさんがかわいそうになるのはこれからなんだ。それからも何度か、じいさんは砂利道を歩く音を聞いた。日によってはトイレのドアを閉める直前に人影らしきものも見た。でも、もう父親には言えなかったんだよな。一回ものすごく怒られてるし、なんせ世闇に紛れての話だから自分の見間違いの線も捨てきれなかった。そして、決定的な事件が起こったんだ」
「なぁ」
洸太が久々に口を開いたかと思うと、すでに消え入りそうな声だ。
「ん」
「もうやめないか、その話。俺が悪かったよぉ」
「ダメだ。俺もここまで話したら最後まで話さないと気が済まないからな。すまんな、洸太」
千尋はやっぱり無慈悲だった。
「もう俺、ちょっと泣きそう」
洸太の語尾が少し震えていた。僕はそれとなく洸太の隣に移動しててフォローに入る。
「大丈夫だって。昔の話だしね。ここではそんなこと起きないからさ」
「それはわかってるけどさぁ」
そんな尻目に千尋は話を進める。
「その日は夜中までずっと暑くて、じいさんは一睡もできてなかった。もしかしたら、別の何かのせいで眠れなかったのかもしれないが。そして、あの時間が来たんだ。ざっ、ざっ、ざっ。砂利を踏む音。じいさんは恐る恐る障子を少しだけ開ける。すると、バッと!!」
千尋が急に大きな声を出す。僕の隣で洸太がビクッとして、思わず僕の腕をつかんでいた。
「(ご、ごめん、シュン)」
小さい声で僕に言うと、すぐに何も無かったように離した。
「おいおい、急に脅かすなんてずるいなぁ。俺でもびっくりしたわ」
賢は相変わらず楽しそうにしている。まったく肝が座ってる。
「目の前にいたんだ。顔から血を流した男が。障子を挟んでじいさんと血走った目を合わせるようにして。じいさんは反射的に障子を閉めた。そして、砂利道を歩く音がトイレの法王に向かっていったんだ。そして、じいさんは何を考えたのか後を追ったんだ」
「すげぇな。さすがは千尋のおじいさん」
「賢、どういう意味だよ」
「好奇心旺盛だなぁってこと」
「褒め言葉として受け取っておくよ。ま、それで、玄関から出るとトイレに向かった。扉はいつものように閉まっている。そして、ノックして言ったんだ『おうい、誰かいるのか』って。すると、最初に話した声と同じ声で『次はお前か』って声が返ってきた。だから、じいさんは答えたんだ。『いいや、違う」と。そしたら、今度は二回目の返事の声が返ってきた『どうしてだ』って。それでさ、まぁ、どうしてもなんもないから、ちょっと返事に困ってると、もう一回『どうしてだ』って聞かれたと思ったら、声が止まらないんだよ。しかも、内側からドンドンと戸を叩きながら『どうしてだ、どうしてだ、どうしてだ、どうしてだ、どうしてだ、どうしてだ、どうしてだ、どうしてだ、どうしてだ、どうしてだ、どうしてだ、どうしてだ、どうしてだ、どうしてだ、どうしてだ、どうしてだ、どうしてだ、どうしてだ、どうしてだ、どうしてだ……』」
千尋が壊れた人形のように繰り返していく光景はもはや狂気を感じさせるには十分すぎた。そして、不意に千尋の声が止まる。僕らは声を出すことも忘れていた。
「そして、声は不意に止んだ。じいさんはしたくもなかった小便までちびりそうになったって言ってたな。辺りが静かになったことに安心したじいさんは、身体も肝も十分に冷えたから母屋に戻って寝ようと来た道を引き返そうとしたところで、不意に肩をつかまれて振り返えると目の前にさっきの目が血走った血だらけのおじさんがいて『次はお前だぁぁぁ!』」
「うあぁぁぁぁ!!」
千尋以外の僕ら三人が悲鳴を上げていた。
「って絶叫されたところでじいさんは気絶したらしい」
「ば、ばか!何大声出してるんだよ」
賢がさっきまでの余裕はどこへやら。汗だくになっている。
「いや、この方が怖かっただろ」
洸太の震えは止まらないし、もう遠慮もなく僕の腕をつかんだまま離さない。僕は当然動けないままだ。
「それで、じいさんは朝方トイレに起きてきた父親に起こされるまで外に倒れていたんだ。ことの顛末を話すと、ひいじいさんはじいさんを近くの家族ぐるみでお世話になっている神社に連れていってお祓いを受けさせて、祖のあとで観念したように土地にまつわる話をし出したんだ」
千尋の話を要約すると、おじいさんの住んでいたその地は、昔、都内でも有名な罪人の処刑場として使われていた土地で時々何かが起こるとは言われていたそうだ。そして、その事件を機におじいさんたちは今のお家に引っ越しを決意したそうだった。
「つまりさ、次はお前かっていうのは」
「処刑されるのが『次はお前か』ってことだったわけだよな」
少し冷静になった賢が合の手を入れる。
「そう。引き込まれて変えてって来れなくなった者も過去にはいたって」
「じゃあさ、『待たせてすまない、すぐに済む』っていう最初の声はどういうことなの」
「駿吾、よく覚えてるな。それは俺もじいさんに聞いたよ。あれは、罪人の方じゃなくて、処刑人の方の霊だったらしい。どちらの魂も土地に沁みついてしまって、今でも時々噂になるらしい。まぁ、じいさんも今になってもあそこには行きたくないって近くを通るのも嫌がるみたいなんだ」
しばしの沈黙。




