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【5両目】



息が切れる。久しぶりにこんな全力疾走をした。ハイキングコースと時々通っていく家族連れや高齢の夫婦が、道端で息を切らせている僕らを怪訝な表情で見ていく。

「とりあえず、ここまで戻ってくれば安心だよね」

小刻みにせり上がってくる浅い呼吸をなんと抑えながら僕が言う。

「そうだな。仮に田所が誰かが小屋にいたってことに気が付いたとしても、ここまで追ってくるわけもないだろうしな」

千尋はすこし汗ばんでいるものの、冷静さを取り戻していた。

太陽はさっきまで真上にあったと思っていたのだが、少しばかり光岳の方に降りてきている。時計を確認すると、午後3時過ぎ。もう2時間も歩いていたんだ、と改めて実感する。とはいえ、夏の夕暮れは遅い。もうしばらくは歩いていけるだろう。ただ、時間的には引き返してくるハイキング客が多い中で、僕らはさらに先を目指す。

「さて、進むか。先は長いし」

賢が3人を促し、僕らは歩みを再開する。

ひとまず4人まとまって進んでいく。ま、しばらくすれば自然と2人ずつでばらけるのだが。

「なぁ、千尋」

おもむろに賢が話しかける。

「ん、なに」

「お前さ、高校どこ行くつもりなの?やっぱり、北高?」

北高とは県内屈指の進学校で、所謂「一番頭いいやつがいく高校」である。

「いや、まだそこまで考えてないよ。北は確かにいい大学には行けそうだし、悪くないんだけど、おれ、そこまでガリ勉になれる気もしなくて。それと、まだ、将来何になりたいかも決まってないし」

そうなのだ。千尋は学年でもトップクラスの頭脳を持ちながら、机にかじりつくように勉強をしている様子は一切ない。勉強量は人並み。でも、できる。千尋は所謂、天才肌を持っているわけだ。

「確かに。お前が机に必死に向かう姿は想像つかないし、似合わねぇな」

「だろ」

ふん、と千尋が笑う。機嫌がいい証拠だ。

「ま、洸太は動物園に行くとして、駿吾はどうするんだ?」

洸太を茶化すも、さっきから沈んだまんまの洸太はほとんど反応がない。賢は気が付かないふりをして僕と話す。

「え、僕は、そうだなぁ―――お父さんとお母さんからは公立高校にはいってくれって言わてるから、せてめ南高校には行きたいなぁ。大学に行かないと車掌には慣れないみたいだし。今のまんまじゃ無理だけど」

「南かぁ、あそこだってなかなか頭いいもんな」

「賢くんはどうする予定なの」

「ん、俺は工業かな。親父が行けってうるさくて。家を継がせたくてしょうがないんだ」

「もう、将来が安定してるんだし、俺からしたら羨ましいよ」

千尋が心底羨ましそうに言う。

まぁな、と言ってニヤッと賢は笑うけど、僕にはその笑顔が心からの笑顔には見えなかった。

「洸太はどうなのー?」

僕は以前静かなままの洸太に話を振る。

「俺は、ん、まだ決めてない」

だめだ、全然つれない。普段はガサツの塊みたいな洸太だが、意外と繊細なところがあるのだ。

「そっかぁ、じゃあ、なんか将来の夢とかはないの?」

「ううん、まだ、ぼやっとしてて分かんねぇんだよなぁ」

答えも歯切れが悪くてなんだか、話しているこっちまで元気を吸い取られそうである。

「洸太、いつまでしょぼくれてるんだよ。駿吾、いいって、しばらく放っておけよ」

賢が見かねてそう言う。まぁ、そっとしておいてやれって言うのを言いにくくて、遠回しにいっているんだ。彼なりの優しさだったんだろう。

「俺、ちょっと洸太と話してくるわ」

颯爽と僕と賢を先に行かせて、少し後ろを歩く洸太が千尋が向かっていく。千尋が誰かに積極的に干渉しようとしているなんて珍しい光景だ。

「お、おう、任せた」

賢も驚いた様子で、千尋を見送る。

「千尋くん、珍しいね」

「な、あいつらしくない。ただでさえ、人と関わろうなんてしないのに、ましてや相手は洸太だし」

ちらっと振り返ると、千尋と洸太は何かを話しているが小声で話しているからその内容までは聞き取れない。

「まぁ、千尋くんなら洸太くんのことも上手く元に戻してくれるよね」

「だな。でも、洸太は今ぐらい静かなぐらいでもいいんだけどな、本当は」

僕は賢のその発言に思わず吹き出してしまった。

「ところでさ、さっきの話だけど賢くんはお父さんの跡、継ぐつもりなの」

「おお、急に突っ込んでくるな」

「僕としては賢くんは何やかんや勉強できるし、進学を考えてもいいんじゃないかなぁって思っててさ」

「なんやかんやって、駿吾、サラッと失礼なこと言うな」

おっと、やってしまった。本当だ、悪気なんてなかった。

「い、いやぁ、別にそんなつもりは、その、ごめん」

「いいんだ、俺みたいな腕っぷしだ気みたいなやつだと、脳みそまで筋肉だと思われるからな」

さりげなく千尋に以前、言われたことを自虐ネタとして使う賢。そして彼は、歩きながら空を仰ぐ。つられるようにして僕も上を見る。

ハイキングコースもだいぶ奥地まできている。緑が深くて、空の青さは合間からちらちら見える程度だ。土の匂いと緑の匂いを改めて感じる。

「ま、正直言えば継ぎたくない」

見上げたままの賢が、空中に吐き出すように言う。

(やっぱり)さっきの表情はここにつながっていたようだ。

「継がないっていう方向はないの?弟だっているんだし」

賢には2つ年下の弟がいる。継ぐのは彼だって悪くないはずだ。

「まぁな。でもさ、俺が町のみんなから何て呼ばれてるかなんて、駿吾も分かるだろ。跡取り息子だの、次期社長だとか、4代目とかさ。もう、レールが敷かれちまってるんだわ。俺は生まれた時からそこに乗ってるからさ。継ぐ、継がないとかそういう感じじゃないんだよね。なんだろ、そういう空気ってやつ」

小さい町だ。池口家の大きさは町の誰もが知っている。僕だって、賢が彼が言ったように町のみんなから呼ばれていることも知っている。もう、この状況自体が抗うという選択肢を彼から奪ってしまっている。

「確かに、空気ってあるかも。でも、なんだろ、僕には賢くんにもっと活躍できるところがあるような気もするんだよね。こんなことを言うのはすごく無責任な感じもあるんだけど」

無責任なのはわかっていた。だからこそ、僕は賢の目を見て言えずに、頭上の緑を見たまま言ったんだ。

「いいんだ。ありがとな。まぁ、俺だって、やりたいことがないわけじゃないんだ。もう少し、じっくり考えることにするよ」

「え、やりたいことって何?」

「ナイショだ。恥ずかしくて教えらんねぇよ」

久しぶりにちょっと照れた賢を見た。その悪戯っぽい表情は彼が真実を語っていることを証明するには充分すぎた。

「えー、お願い!僕にだけ。みんなには内緒にしておくから」

「ダ・メ・だ。これはまだ口に出せない。その時が来たらちゃんと話すからさ」

「わかったよ」

その時とはいつなのか、この時の僕はなにも分からないまま、賢に言いくるめられたのだった。

不意に何の動物ともつかない野生動物の鳴き声が響く。

「そういえばさ」

賢が話題を変える。

「ん」

「紫苑って動物が好きだったよな。特に、この森の動物」

「うん。僕らの中では一番好きだったと思う。たぶん、森に来た回数は一番少ないはずなのにね」

「そうだな。でも、だからこそ、一番好きだったんじゃないかな。手が届かないからこそ、みないな感じで。最後にみんなで来たのは小5の時だったよな」

「うん。虫取りに来たあの時だね」

紫苑を誘いだしたのは僕だったか、賢だったか、はたまた他の誰かだったのか。それが5人で入る最後の森になるとは誰も思っていなかった。ただ、もしかすると紫苑はわかっていたのかもしれないけど。

「駿吾は紫苑と最後に何を話したか覚えてる?」

「え」

「俺は覚えてる。ベッドの横で話したんだ。俺が一人でお見舞い行った時。たぶん、1週間ぐらい前だったと思う。あいつ、いつもよりもさらに真っ白、いや青白くて、腕もこんなに細かった」

そう言って賢は、人差し指と親指で輪を作る。

「それでさ、俺、いつも通り、学校であった事を紫苑に話してたんだ。洸太が先生にまた怒られたとか、駿吾が6年生に囲まれたところを千尋と俺で助けたとか、まぁ、いろいろ。それを紫苑はコロコロ笑いながら聞いていた。でさ、帰り際に訊かれたんだ、あいつに」

「―――なんて訊かれたの」

「賢くんは、生まれ変わりって信じる?って」

紫苑は自分の命がもう長くないことを知っていた。だから、僕らよりもうんと死と向かい合ってその先を考えていた。だからこそ、そんな質問をしたんだろう。

「俺さ、すぐに信じるとも、信じないとも答えられなくてさ」

真っ白な病室の中央。たくさんの機械につながれて、半透明な緑色のマスクをつけられた紫苑。たった一人でそんな質問を投げかけられた賢の気持ちを想像するだけでも苦しくなる。僕は無言の相打ちを打って、賢の次の句を待つ。

「で、俺の答えを待たずに紫苑が言ったわけ、『僕は信じてないんだ。僕がここで死んだら、僕はここまで。次はなくて、僕は僕のままこの世界を自由に飛んで回るんだ。だから、怖くない』って。俺、その時は紫苑がなんでそんな夢も希望もないことを言うんだって、怖くなった」

紫苑の言葉を再現した賢が一瞬、紫苑に見えたような気がして、僕は一瞬クラッとする。

「でさ、俺は、『そっか、それじゃあ、また来るよ』ってだけ言って帰ったんだ。きっと、紫苑はあの時が最後になるって分かってたんだろうな。それからすぐだったから、さ」

次に僕らが紫苑のもとに行ったのは、彼が危篤になったっていう知らせを紫苑のお母さんから受けた時だった。

僕らが駆けつけた時はもう彼の意識はなく、僕らは一人一人、届いているかもわからないまま紫苑に何か声をかけた。そしてすぐに、部屋に出入りする病院の人たちの動きが慌ただしくなって、紫苑は逝ってしまった。

あの日の病室のアルコール消毒の匂いは今でも時々、鼻の奥でするんだ。不意に。そう、紫苑が「僕を忘れないで。僕を思い出して。僕を殺したのは駿吾くんなんだから」って言っているかのように。

忘れられるわけもない。紫苑の存在は僕らの十字架。僕の十字架。

「紫苑は、幸せだったのかな」

僕が独り言のようにつぶやく。

「わかんねぇけどさ、そうだったらいいよな」

「うん」

――――沈黙。野鳥の声、風の囁き。紫苑の大好きだったこの森の声が聞こえる。




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