メタリック青いの
俺が以前参加した「お前の大胸筋は何色だコンテスト」の優勝賞品として受け取ったこの卵は、いったい何の卵なんだろうか。鶏の卵よりも一回り大きく、無味無臭、そして最大の特徴は金属的な輝きを放つ青いボディだ。およそ生物学的にありえない色をした卵だ、一瞥しただけでは中に生き物が入っているとは思えない。しかし卵という形状は何かを内包していることを約束してくれているようで、俺の好奇心を昂ぶらせる。ましてや受け取った時に「◯◯の卵ですよ」と聞かされているのだ。中に何かが入っているのは間違いない。まぁ肝心の「◯◯」の部分は喧騒に紛れて聞き取れなかったのだが。ボディビルダーは声が大きいんだ。
そこで俺はこの卵を割ってみようと思う。この卵がもしも受精卵で中に生き物が入っていた場合は可哀想なことをしてしまうが、それでも俺は中身が気になる。なあに、鶏の卵のように黄身が出てきたなら飲み干してしまえばいいだけのことだ。そう軽く考えて机の角に打ちつけてみたが、まるで割れそうもない。二度三度と繰り返し打ちつけてみても傷ひとつ入らないんだから驚いた。面白い。やってやろうじゃないかと自慢の八十キロオーバーの握力をもってして握り締める。しかし、硬い。卵は綺麗な楕円形を保ったままだ。この右手はリンゴすら易々と潰せるというのに、この卵はそれを上回る硬さを持っているというのか。
こうなると俺も男だ。男には意地ってものがある。何としてでもこの卵を割り、中身を確かめなければ気がすまなくなってしまった。
手始めに十キロのダンベルを落としてみる。ダンベルは卵に弾かれ派手な音を立てて床に転がった。卵は曇りひとつ無い光沢をたたえている。次はボディプレスだ。机から勢いをつけて飛び降りる。俺の百キロ超の肉体が卵目掛けて落下する。硬い卵の先端が俺の腹筋に突き刺さった。地味に痛い。卵は相変わらず割れる気配もない。いよいよ本気を出さねばならないようだ。
さりとて俺も馬鹿ではない。脳味噌まで筋肉になっているとからかわれることもあるが、あれはひどく悲しいことだ。俺にも知恵はある。このまま圧力をかけ続けてもこの卵は割れないだろう。ならば別のアプローチが必要だ。
例えば高温には耐えうるのか。キッチンに行き鍋で湯を沸かすと卵を沈めて蓋をした。普通ならゆで卵ができるだろう。なのにこの青い卵ときたら五分待っても十分待っても変化がない。今なら割れるかと思い卵を持ち上げると滅茶苦茶熱い。とても熱伝導の良い卵だ。もしかすると見た目通り金属製なのかもしれない。金属だったら熱した後すぐに冷やせばヒビが入るんじゃなかったろうか。昔テレビで見た知識を実践すべく、卵を冷蔵庫に入れて三十分待ち、取り出してみる。今度はキンキンに冷えていた。熱伝導率が本当に高いらしい。でも肝心のヒビは少しも見当たらなかった。じゃあこれはいったい何なんだ。少なくとも俺の知っている金属ではない。
このままでは気になってトレーニングに身が入らないではないか。こうなったら思いつく限りの方法を片っ端から試してやろう。
電子レンジに入れても何も起こらない。
包丁で叩いても刃こぼれした。
ヤスリで削っても削れない。
金槌でも駄目。釘を打っても駄目。
焚き火に投げ込んだら滅茶苦茶熱いだけだった。
車で轢いても、いや転がって車では轢けなかった。
犬に噛ませても歯がたたない。俺が噛んでも右に同じ。
引きずって町内を散歩してもそ知らぬ顔。
バッティングセンターでホームランしても割れない。
ボーリングでパーフェクトを達成するまで投げても無駄。
カラオケで間近で大音量を浴びせても変わりなく。
泥水に落としても汚れひとつ付かず。
銭湯でゆっくりお湯につけてやってる時は何をやっているのかわからなかった。
ネオジウム磁石にも反応せず。
海に投げても波に乗って帰ってきた。
砂浜にいた子供たちが踏んづけている亀と取り替えてもまるで駄目。
お姫様が履こうとしているガラス製の靴と交換しても何も起きず。
オオカミに飲ませて漁師に腹を撃ち抜かせても銃弾を跳ね返し。
鬼の金棒で滅多打ちにされてもビクともしない。
一緒にゲームをしても一人の時と変わらず。
助手席に乗せてドライブしても機嫌を伺うことすらできず。
映画館でも料金が倍になるだけで。
食事に行っても食べさせる口が見当たらず。
旅行をしても一人旅と同じで。
呑み仲間にもなってはくれず。
観覧車のてっぺんで花を渡しても返答はなかった。
最後の方は遊んでいたようなものだった。いつの間にかこの卵に愛着が湧いていたのかもしれない。しかし本当にどんなことをしても中身を見せてはくれないらしい。それだけが少々残念だった。
遊園地からの帰り道、卵を抱えながら歩いていると眼鏡をかけた女性が茂みから現れた。
「こ、こ、こんばんは! あ、あの! 突然こんなこと言うのも、あ、アレだと思うんですけど、あの、私、ずっとあなたのことを見ていて、私、あの、あなたのことが好きです!」
これには俺も驚いた。初対面の女性からいきなり告白を受けるなんて、人生で初めての経験だった。
「しょ、初対面じゃな、ないんです。私、あの、悪いとは思ってたんです。でも、あの、抑えられなくて。あなたが青い卵と、散歩とか、食事とか、旅行とか、行ってるとこ、全部、見てました」
「え、本当に? それはちょっと恥ずかしいな」
「でもでも! 私、あなたのこと素敵だなって、思ったんです! あなたを見ていると、本当にその卵のことを大事にしてるのが伝わってきて、それで、私、あなたのことが好きになっちゃって。だから私と、お、お付き合いを、していただけませんか!」
女性が深々と頭を下げると同時に、俺の視界が光に包まれた。どうやら胸に抱えた卵が光を発しているらしい。これはもしや、ついにこの時が来たのかもしれない。あれほど頑固で頑丈で決して割れることのなかった卵の表面に、大きなヒビが入っている。そのヒビは次第に大きくなり、殻を落とし始めた。中に生き物がいるのだ。俺と女性に見守られ、ついにその正体を現す。
「おめでとうお二人さん! カップル成立ですね!」
現れたのは、とてもじゃないがあの卵に収まるはずもないサイズの女の子だった。と言っても俺よりは小さい。女の子の背中からは長く伸びた青い羽根が生えている。
「青い鳥って聞いたことないですか? 幸せを呼ぶ青い鳥です! ついにご主人様にも幸せが訪れたようなので生まれてきました!」
「青い鳥……。まさかあの卵が青い鳥の卵だったなんて……。でも、幸せを呼ぶ鳥、ですよね? 幸せが訪れてから生まれるって遅くないですか?」
「小さいことを気にしていたら皺が増えますよ!」
そうか。俺はずっと青い鳥の卵を割ろうとしていたのか。どおりで割れなかったわけだ。あの卵は割れる瞬間を今か今かと待ち続けていたんだ。力づくで割ろうとしても、そりゃあ無理な話だ。
「そ、そうだ。話の続きなんですけど、私とお付き合い、していただけますか?」
「あ、ああ。そうだったな」
突然二人の女性が現れたもので面食らってしまったが、男たるもの決断せねばなるまい。今まで自分の筋肉のことしか頭になかった俺は、女性と付き合った経験など皆無だ。しかしそうも言ってられない。片や俺に好意を抱いてくれている女性だ。無下にすることもできないが……。
「でも俺は、忘れられないんだよ。君と過ごした時間が。確かに酷いこともした。割ろうとして躍起になってたんだ。でももう二度と酷いことはしない。お願いだ。君との思い出が俺の中で大きくなりすぎて離れないんだ」
「は? ……もしかしてそれ、私に言ってます?」
「そう、君に言ってるんだ」
「いやいやいや。……え? 無理です」
「そこをなんとか。俺の大胸筋は暖かかったろう?」
「なんでそこで大胸筋がでてくるんですか! 嫌ですよ! ゴリゴリマッチョはタイプじゃないです!」
俺の青い鳥が羽根をばたつかせながら逃げていく。青い鳥を逃してはいけない、昔話がそう言っていたことを思い出す。
「いやー! ちょ、くんな! こっちくんな! 怖い!」
「待ってくれよ! 俺を受け止められるのは君しかいないんだよ!」
「私だってあなたの全てを受け止めてみせます! 待ってください! 話を聞いてください!」
三つの影が夕暮れの町を走り抜ける。俺は今幸せだ。ストイックに一人で生きてきた俺にとって、二人との出会いはまさに最高の戦利品だった。これだからボディビルダーはやめられない。