桃井将軍
その昔、桃井の翁と媼と言う老夫婦が居た。貧しくは無いが、老いて子も無く寂しい暮らしをしていた。
ある時、媼は川辺で籠に入った赤子が流れ着いているのを見つけた。どうやら捨て子らしく、付近の者に聞いても親は見つからなかった。
大層哀れに思った老夫婦は赤子を連れて帰り、太郎と名付けて孫と思い育てる事にした。
太郎は病一つ無く成長した。なにより老夫婦には孝行を尽くし、小さい子が大きな子に虐められていると決して見過ごさず、自分よりずっと年上で大きな子にも立ち向かう事が、老夫婦を喜ばせた。
やがて立派な青年に成長した太郎は、ある日老夫婦になぜ実の子が居ないのかと尋ねた。すると老夫婦の答えは次の様なものであった。
はるか南の国に、罪人達を流す鬼界ヶ島と言うところがある。そこに昔、鬼童丸と言う剛力にして悪逆な盗賊の頭が流された。
鬼童丸はたちまち鬼界ヶ島の罪人達を従えて王を名乗り、次々と国を攻めては支配下に収めた。
朝廷は幾度となく鬼童丸討伐の軍を起こしたがことごとく敗れ、今や都でもいつ鬼童丸が攻め上ってくるかと恐れおののかれている。
桃井の家は朝廷に仕える武士の家であり、夫婦の息子も鬼童丸討伐の軍勢に参加したのだが、武運拙く敗れ、帰らぬ人となったのだと言う。
太郎は居ても立っても居られなくなった。なんとしても鬼童丸を討ち滅ぼして人々の恐怖を払い、世が世なら自分の父か兄であったかもしれぬ老夫婦の子の仇を討たんと決意した。
老夫婦は再び我が子を失う事を恐れたが、太郎の決意の前についに根負けし、残りわずかな財産を残らずはたいて太郎を鬼童丸討伐の大将としてくれるよう、朝廷に働きかけた。
朝廷はすっかり落ちぶれた桃井の家の嘆願にそれ程心を動かしはしなかったが、何より今は鬼童丸の征討こそが大事であり、それ程までに言うならばと太郎を鬼童丸征討の大将に任じた。
しかしながら落ちぶれた桃井の家の、しかも拾い子である太郎を大将と仰ぐ事を良しとする者は少なく、また誰もが鬼童丸には恐れおののいていたため、太郎の下に就いて共に戦わんとする者は、僅かに片手で数えられるほどしか居なかった。
すでに鬼童丸は数カ国を併呑し、配下の軍勢は何千何万か知れぬと言う。あまりの手勢の少なさに太郎の下に集った数少ない勇士もこれでは勝負にならぬと思ったが、当の太郎は全く意に介する様子も無い。
いわく、戦の勝敗は兵の多寡で決まるものでは無く、手勢が少なければ少ないなりの戦い方が有る。それに強大な鬼童丸の一党に立ち向かおうというならば、いたずらに数に頼るのではなく、むしろ数は少なくとも大義のために命を惜しまぬ勇士こそが必要である。都から鬼界ヶ島までははるばる千里もあるのだから、道々そういう勇士を募ればよかろう。そう言って意気揚々と出陣したのであった。
さて朝廷から鬼童丸征伐の大将に任ぜられた太郎が、道すがら共に戦う勇士を募っていると言う噂は瞬く間に広がった。誰もが日々勢力を拡大する鬼童丸には恐れおののいていたので、毎日の様に共に戦わんと申し出る者が現れた。
しかしそう言った者達は皆例外無く太郎の供回りの少なさに失望し、夜の内にこっそりと居なくなってしまい、一向に手勢は集まらなかった。
一行が備前の国に入った時、ぜひとも屋敷に招きたいと申し出る者が有った。鬼童丸征討軍と言っても、僅かな人数の旅の身にはありがたい申し出であったので、太郎は快くそれを受け、屋敷に招かれる事にした。
屋敷の主は乾忠義と名乗るこの土地の豪族で、鬼童丸征討を自ら望んだと言う太郎と一目会ってみたいと思い、屋敷に招いて酒を酌み交わし、語り合ったのであった。
乾は問うた、鬼童丸は悪逆無道にして剛力無双、しかも奸智に長けていると聞く。手下も多く今やその威勢は天を突かんばかりであると言う。
その鬼童丸を討つには貴殿の手勢はあまりにも心もとなく、これでは同心しようとした者達も心細さに負け去っていくのはやむなき事と思われるが、いかがなされるおつもりかと。
それに対して太郎はいささかも弱気な様子を見せる事無く、次のように答えた。
いわく、鬼童丸の悪逆は今や噂だけで人々を震え上がらせ、老若男女貴賤を問わず誰もが生きた心地のしない日々を送っている。隣に住む者に恐怖におびえる日々を強いるだけでも罪深いと言うのに、遥か遠国の無数の人々までも恐怖させる事の罪は計り知れない。
聖人の言葉に義を見て為さざるは勇無きなりとある。今、これ程の大悪を見過ごす事に勝る卑怯は無く、なんとしても正義をもって悪を正さねばならぬ。
我が手勢は少なく、強大な鬼童丸の軍勢に対して勝ち目は少ないであろうが、正道を掲げて無道を許さぬと言う姿を世に示す事が大事なのであり、たとえ誰も勝てぬ力を持っているからと言って、無道が許されるなどという事があっていいはずは無い。
我と共に戦う者が最後まで集まらず、我が身があえなく露と消えたとしても、正道を持って無道に挑む事に意味が有ると信じている、と。
その夜、太郎の一行が寝静まってから、乾忠義は一族の者を集めて太郎に同心し、共に鬼童丸を討つために闘う決意である事を打ち明けた。
一族の者の中にはあまりに無謀であるとして止める者も決して少なくは無かったが、太郎はたとえ一人でも正道を掲げて戦うつもりであるのに、自分は姿も見た事の無い鬼童丸の噂におびえて生きるのは耐え難く恥ずかしい。故に自分は一人でも太郎に同行する、乾の一族はここに残る者に任せようと言った。
この忠義の言葉に居並ぶ一族の者達は、ここで一族の長である忠義一人を死に行かせる事は一族の恥であると思い、我も我もと同行を願い出た。
翌朝、太郎の一行が屋敷を去ろうとしたときには、女子供と老人を除いた乾の一族二百人が手勢として加えてくれるように頭を下げたのだった。
太郎は大層喜び、乾忠義の手を取って、鬼童丸を討ち果たす事が出来たら必ずその功に報いる事を誓ったのだった。
太郎の率いる一行は、乾の一族を手勢に加えようやく征討軍の体裁を整える事が出来た。もはやその手勢の少なさを見て去っていく者もおらず、進むごとに少しずつではあるが数を増やしていった。
そのうちに出雲の国に足を踏み入れた一行の前に、うら若く、見目麗しい女子が一人現れた。彼女は出会い頭に迷う事無く太郎の前に進み出で、桃井の太郎様、お待ちしておりましたと告げた。
はて私のそなたとは面識の無いはずだが、一体あなた様はどこのどなたで、何故私を待っていたのかと太郎が尋ねると、女は私めは出雲大社の猿女(巫女)であり、神託を受けて太郎様の御役に立つべくここで待っていたのです。と答えた。
高名な出雲大社の神のご加護が有るとはこれ程心強い事は無いと太郎は喜んだが、さて猿女を見れば美しい女子ではあるが見るからに儚げで、かの凶賊鬼童丸の征討に際してどの様な働きが出来るであろうかと太郎は訝しんだ。
出雲大社の神を疑う訳ではないが、貴方は一体どのように我らの役に立ってくれるのかと太郎が問うと、猿女は度重なる朝廷の征討軍が敗れた理由がお解りになりますかと言う。
鬼童丸が剛力で奸智に長ける事は聞き及んでいるが、なぜ朝廷の軍勢が度々敗れたのかは解らぬと太郎が答えると、猿女は私めはその理由を応え、なおかつ太郎様が鬼童丸に勝つ術を教える事が出来ますと言う。
鬼童丸を討つのに良策が有ると言うならぜひとも教えていただきたいと太郎が頭を下げると、猿女は滔々と語り始めた。
すなわちこれまでに度々送り込まれた朝廷の征討軍が敗れ続けたのは、ひとえに数の多さを頼み、策謀を巡らす事を軽んじたからだと言う。
それに対して鬼童丸は、手下の悪党どもを存分に使って村々を焼き払い、食物を奪い去り井戸には毒を投げ込んだ、そのため朝廷の軍勢は食う物にも飲み水にも困り果てた。
更に鬼童丸は決して正面切った戦いは行わず、山深くに隠れ夜の闇に乗じて襲い掛かり、追われれば霧か霞の様に姿をくらましてしまう。偽って降伏し鬼童丸自ら征討軍の大将の前に進み出て、いきなり首を取った事もあると言う。
太郎とその一行はここで初めて鬼童丸の恐ろしさを詳しく知って恐れおののいた。と同時に、この卑怯と呼ばれる戦い方も国や民を守るための戦いで発揮すれば卑怯とは呼ばれず、むしろすぐれた軍略であると讃えられた事であろうとも思った。
全く人が為した事が善であるか悪であるかを決めるのは、行為そのものでは無く、どのような心をもって為したかで決まるものであると太郎は痛感した。
さて鬼童丸の奸智と恐ろしさは良く分かったが、これを討つにはいったいどのような策を採ればよいのか、今度はそれについて教えを乞いたいと太郎は言った。
それに対して猿女は、鬼童丸は確かに強いがそれはただ強いと言うだけであり、その強きを弱らせてこれを討つ事は難しくは無いと言う。
すなわち今や一大勢力と化した鬼童丸の一党は、ただ鬼童丸一人の力量によって保たれており、鬼童丸に並ぶ者も替わる者も居ない。ゆえに鬼童丸一人の首を取れば、その余は戦わずして降伏するであろうと。
なるほど確かに鬼童丸以前に流罪となった凶賊達をまとめ上げた男は居ない。鬼童丸さえ討てば全ての決着が着くと言うのはその通りであろう。ではどのようにして鬼童丸一人の首を討てばいいのかと太郎は問うた。
猿女が答えるに、これまでの軍勢が鬼童丸を討てなかったのはやはり数に頼りすぎていたからだと言う。
いくら剛力無双の鬼童丸と言えども、ただ一人で千人万人の兵とは戦えない。現に一度は捕らえられ、鬼界ヶ島に流されている事からもそれは明らかである。
それ故に鬼童丸は慎重にその身を隠し、相手が大軍と見るや島に引きこもって姿を現さない。鬼童丸が出るのは常に数少ない軍勢が相手の時か、何かしらの策略の有る時である。
翻って太郎の手勢を見れば、僅かに二百と数十。一見少なく心もとない様だが、少ないが故に鬼童丸も油断して自ら姿を現すに違いなく、そこを策を設けて待ち受ければ、鬼童丸を討ち果たす事も出来ようと言う。
太郎は猿女の言葉にすっかり感じ入り、彼女の助力を得られた事は万の軍勢を得るに勝ると喜んだ。そして鬼童丸を討ち果たした暁には、彼女を遣わした出雲大社の神に厚く礼物を捧げようと誓ったのであった。
太郎の一行はついに海を越え、筑前の国に至った。すでに手勢は三百に増えている。しかしもはや太郎にとって手勢の数など取るに足らない事である。
ここから先は南に行く程に鬼童丸の勢力が強くなり、どこに手下の賊が巣食っているか解らぬ状態だと言う。鬼界ヶ島へ至るにはその様な敵地を抜けなければならず、容易な事では無かろうと思われた。
ここで猿女は古くから敵地に攻め込んで大功を成した将は、皆その土地に詳しい者を先導役にして進んだのであり、それに習うべきであると進言した。
そこで太郎は触れを出して鬼界ヶ島までの道に詳しい者を探し求めた。すると雉子と名乗る一人の猟師が道案内を買って出た。
太郎は我らはこれより悪名高い凶賊鬼童丸の征討に赴くのであり、その道案内をした事が知れればきっとお主も無事では済むまい。なぜあえて危険を冒して我らの道案内を買って出たのか、と訪ねた。
それに対して雉子は、鬼童丸が威勢を振るわす様になって以来、人のみならず山々の鳥獣もどこかおびえた様子で元気が無く、猟をしてもすっかり昔の様な獲物には恵まれなくなってしまった。
これはひとえに鬼童丸の悪意が人間のみならず鳥獣までも害しているに違いなく、山で暮らす者達は皆困り果てている。今、太郎とその一行に助力するのは、人のみならず鳥獣山霊の総意であり、長老たちの話し合いの結果自分が選ばれてここに来たのであると言う。
これを聞いて太郎は、鬼童丸を討つ事は人のみならず全ての生き物精霊の願う事であり、必ず成し遂げなければならぬと決意を新たにした。またそれほどまでに多くの者に望まれているならば、きっとこの企ては成功すると喜んだ。
雉子は道無き道を飛ぶように駆け、また弓矢に巧みであるところを見せ、さらに太郎を喜ばせた。太郎は雉子に対し、お主が居なければ我らは鬼界ヶ島にたどり着く事も出来なかったかもしれぬと言い、鬼童丸を討ち滅ぼしたから必ず厚く礼をしようと言った。
一行は雉子の案内で深い山の中を抜け、鬼童丸の手下に見つかる事無くついに鬼界ヶ島の対岸まで至った。
鬼界ヶ島を前にして太郎は、乾忠義・猿女・雉子と共に鬼童丸を討つ策略を話し合った。何せ相手は剛力無双をうたわれた名うての豪傑である、なまなかな事では討ち取る事は出来ぬであろう事は、想像に難くなかった。
ここでまた猿女が一計を案じた。すなわち夜の間に自分一人が船で島唯一の浜に上陸し、島の賊共に見つかって囮となる。
その間に太郎の一行は、島の裏手より上陸して不意打ちを掛けるという物である。島の周囲は険しい絶壁であるが、雉子ならば上る事も出来るであろうという事だった。
太郎は猿女一人を賊共の前にさらして囮にするなど、その様な危険な事はさせられぬと反対した。しかし猿女はもとより自分は鬼童丸を討つ事に力を貸すためにここまで来たのであり、危険を厭う気は無いと言う。
また鬼童丸の前で手下風情が勝手な事をできる訳も無く、美しい女子が居れば必ず丁重に献上するはずであり、しばらくは身の危険は無かろうともいう。
太郎はなおも渋ったが、他に良策が有る訳でも無く、猿女の策を取る事にした。夜の内に密かに船を出して二手に分かれ、猿女は浜に上陸して船が沈んで流れ着いた風を装い、太郎の一行は島の裏手に上陸した。
朝日が昇り周囲が見える様になると、太郎の前に現れたのは見上げる様な絶壁であり、これを登るには翼を生やして飛ぶしかない様に思えた。
しかし雉子はその様な崖をいともたやすくよじ登り、崖の上から縄を降ろして見せた。縄を伝ってよじ登った太郎の一行は、猿女の策の甲斐あってか賊に見つかる事無く、島の奥深くに忍び込む事が出来た。
鬼童丸を探す太郎達は、なにやら楽しげな声がする事に気付いた。声のする方をのぞいてみると、広間に多くの賊共が集まって宴会を開いている。賊共は縛り上げられた猿女を囲んで酒を飲み、料理を喰らっていた。
上座に座る一際大きな体の男が鬼童丸に間違いないと太郎は見た。手下どもが機嫌を窺う様に頭を下げている。
できればすぐそばまで近づいて襲い掛かりたかったが、広間にこれ以上身を隠せそうな所は無い。太郎は皆と顔を見合わせて覚悟を決め、太刀を抜き放ち雄たけびを上げて鬼童丸とその一党に向かって突撃した。
突然の事に何が起きたのか解らず、賊共が逃げ惑う。しかしさすが鬼童丸はがばと立ち上がり、大太刀を抜き放って雷鳴の様な大音声で手下どもを叱責した。
向き合ってみれば鬼童丸は見上げるような大男で、肩をいからせ鋭く酷薄な目つきで周囲を睨みつけている。顔は浅黒く髭面で、無数の刀傷が肌を裂いている。
ガラガラと音がするので何かと思えば、何と腰にいくつものしゃれこうべを鈴なりに結び付けていた。
太郎はもしやあの中に桃井の老夫婦の息子も居るのかもしれないと思うと、怒りに身が震え涙がとめどなくあふれ出た。そして名乗りを上げながら猛然と鬼童丸に戦いを挑んだ。
太郎の手勢に不意打ちを受けて一度は浮足立った賊共であったが、鬼童丸の叱責を受けて気を取り直し、武器の有る者は武器を手にし、無い者は手当たり次第に物を引っ掴んで反撃をしてきた。
その中でもやはり、鬼童丸の武勇は一際抜きんでていた。大太刀が一振りされるごとに恐ろしい唸りを上げ、挑みかかった武者の体は壁まで弾き飛ばされて叩きつけられる。左手で人一人を悠々と持ち上げ、頭の上で振り回し周囲の者に投げつける。
そのあまりのすさまじさに誰もが恐れおののいたが、太郎は怯む事無く挑みかかり、乾忠義もそれに続く。何とか二人掛かりで鬼童丸と互角の立ち合いを繰り広げるが、鬼童丸は一向に疲れる様子も見せない。
乱戦の最中、猿女が声を上げて雉子を呼んだ。雉子がすかさず敵を掻い潜り猿女の縄を解くと、猿女はあそこから鬼童丸を狙えと高台を指さした。
言われた通りに雉子が高台によじ登ると、なるほど距離と言い高さと言い狙いを付けるには絶好の位置であった。猿女は縛り上げられて賊共に囲まれながらも、冷静に周囲の状況を窺いこの場所に見当を付けていたのである。
雉子が得意の弓を引き、鬼童丸の眉間を狙ってはっしと矢を放った。矢は見事に鬼童丸の左目に突き立った。
これにはさすがの鬼童丸もたまらない。痛みにのたうちながら右手で遮二無二大太刀を振り回す。その太刀を掻い潜って太郎は鬼童丸の懐に飛び込み、渾身の力を込めて胸に刃を突き立てた。
ごぼごぼと溺れる様な呻き声を上げる鬼童丸、そこへすかさず飛び掛かった忠義が首を討ち落とし、高々と掲げて凶賊鬼童丸は桃井太郎の手に掛かって討ち取られたぞと叫んだ。
鬼童丸の無敵を信じていた手下どもは、これで一変に元気を失ってしまい、信じられないと言う様な顔をしながらも次々と武器を捨てて、ついには一人残らず降参してしまったのであった。
鬼童丸を討ち取った太郎達は、鬼童丸の首と各地から奪い集めた夥しい財宝を持って島を出た。
そして首を掲げて各地を回り、もう鬼童丸の脅威に怯える事は無い事を知らしめ、財宝を残らず鬼童丸に苦しめられていた人々に配って回った。長い夜が明けた思いの人々は、口々に太郎とその一行の事を讃えて止まなかった。
都に帰ってもやはり太郎達は盛大な出迎えを受ける事となった。しかし意外にも朝廷は太郎に対して冷たかった。
朝廷にしてみれば何度も送った征討軍はことごとく敗れ去り、ろくな手勢も与えずに送り出した太郎が鬼童丸征伐を成し遂げたと言うのは、面目を潰された形であった。
太郎にしてみれば鬼童丸征討を申し出たのは決して功名のためでは無く、人々の恐怖と苦しみを除かんと言う正義心と、桃井の老夫婦の息子の仇を討たんとの思いであったので、何の恩賞も無い事は構わなかった。
しかしながらこれでは鬼童丸征討に尽力してくれた乾の一族と猿女と雉子に対して、厚く礼をすると言う約束を果たす事が出来ない。
そこで桃井の老夫婦に事情を打ち明け、家も土地も売れるものは全て売り払って彼らへの礼に当てる事にした。
しかしもはや桃井の家に財産らしい財産は無く、米も買えずに僅かに黍三俵を用立てるので精一杯であった。太郎はこの黍を一俵ずつ配って礼としたのである。
乾忠義は鬼童丸征伐の大功の有る太郎が、この様な状況に甘んじて良いはずが無いと発奮し、一族を上げて今後も太郎の配下に加わりたいと申し出た。そして失った財産の代わりに一族総出で新たな田畑を開き、桃井の家を助けるために尽力した。
その頃、朝廷では異変が相次いでいた。御所に雷が落ちて火災が起き、夜な夜な不吉な鳴き声がどこからともなく聞こえ、病に倒れる者が相次いだ。
一体これは何の祟りかと貴族達が恐れおののいて居る所に、出雲大社から猿女が訪れて言上した。
すなわちこれは今や童も歌に歌って知らぬ者は居ない桃井太郎の大功に、何ら報いる事をしない朝廷に対する天神地祇の怒りであると。
太郎の功に何も報いる事をしない事に関しては、朝廷の中でもあまりに酷いのではないかと思う者が少なくなかったので、この言葉はすぐに受け入れられ、正式に恩賞を下す故に急ぎ参内する様にとの命が太郎に下った。
太郎が改めて朝廷に参内すると、太郎は雉子を伴って参内し、雉子は見た事も無い獣を連れていた。そしてその獣を献上すると言う。
果て一体この獣はなんであるかと詳しい者を呼び寄せて鑑定をさせると、これは麒麟という瑞獣であり、決して殺生をしない生き物であると言う。
麒麟がこうして太郎の手の者によって捕らえられたのは、鬼童丸を討ち人々の苦しみを救った太郎の徳を讃えるために天が遣わしたものであり、それがこうして朝廷に献上されるのは、長く太平の世が訪れるであろう事を示す実にめでたい事に違いないと言う。
これに朝廷は大層喜び、厚く恩賞を与えて桃井の家を再興させ、太郎を将軍に任じてその功績を顕彰した。
かくして桃井将軍太郎の武勇伝は長く人々に語り継がれ、また彼が再興した桃井の家も武門の名門として長く栄えたと言う。