実録レポシリーズ『バブみカフェ』
まだまだ蒸し暑い日が続く晩夏のある日のことであった。
私こと鹿角フェフは、とある筋より少々面白げなカフェがあると聞き執筆のネタになればと電車を乗り継いでここ大阪難波の地へとやってきていた。
南海難波駅より降りて向かう先は勝手知ったるオタク街。
いつもならば見過ごすような路地の片隅に、噂通りその店はある。
その店の名前は、『バブみカフェ』と呼ばれていた。
◇ ◇ ◇
鹿角フェフ実録レポシリーズVol.1
『バブみカフェ』
◇ ◇ ◇
地図を表示させていたスマートフォンを片手に恐る恐る店内を覗きこむ。
どうやらここが件の『バブみカフェ』で間違いないようだ。
外観はそこらで見かける少し大きめのカフェと大差はない。
オタク街らしく少々華やかで可愛らしい雰囲気がある程度か。
店先に出されていた看板には本日のオススメが書かれている。
従業員が書いたらしい丸い文字のメニューは好奇心をそそられるが、大体において「赤ちゃん」や「甘えん坊」「ママ」と言った謎の単語が散りばめられているのが強烈なインパクトを放っている。
そう、ここ『バブみカフェ』は大の大人が、若い女性にひたすら甘えることを主目的とした店だ。
もちろん甘えると言っても一切いかがわしいことは無い。
純粋に母と子の様にその優しさに包まれるのだ。
『バブみ』とは赤ん坊が発する喃語……バブーという言葉を用いた造語なのだが、正直にいうと正気とは思えなかった。
やはり興味本位でここへ来たのは間違いだったのだろうか?
強烈な後悔が襲う。電車賃もバカにならない。
さりとてこのまま帰るのも阿呆らしい。
こんな太陽照りつける蒸し暑い中わざわざやってきたのだ。
少しでも話のタネになるような出来事を体験しなくては割に合わなかった。
ふとそんなことを考えていると、唐突に喉が渇いてきた。
……仕方ない、休憩がてら少し飲み物でも飲もうか。
私は意を決して、『バブみカフェ』の扉を開けるのだった。
◇ ◇ ◇
「いらっしゃいませ。何名様ですか~?」
初っ端から出鼻をくじかれた。
出てきたのは割烹着を身にまとった少女だ。
はたして何歳だろうか、割烹着を着ているというよりは着られている感があり見た限りで相当幼いことが分かる。
「一名です……」
「ではご案内しますね。その前に、坊やは初めてのお客さんですよね? お名前は…………はい。"鹿角フェフ"ちゃんですね。では、甘えん坊フェフちゃんのおかえりで~す」
――おかえりなさ~い。
店内にいた同じ年頃の少女たちが一斉に歓迎の言葉を発してくれる。
微妙にむず痒いが、この程度で驚いていてはこれから先もたないだろう。
そう自分に言い聞かせ、少女の案内で席につく。
………
……
…
『バブみカフェ』は一般の喫茶店とは違って特殊なスタイルを有している。
それは一人の客に対して、一人の店員が専属で付くという一風変わったものだ。
故に担当の店員が非番の時は当然店舗を利用することはできない。
一見すると売り上げを伸ばす機会を損なっているようにも見えるが、逆にそれが受けているとこのことで、世の中不思議なことばかりである。
なおこの制度、何をトチ狂ったか『ママ制度』と呼ばれているらしい。
つまり今回私を案内してくれたミキちゃんと言う名の少女が私のママとなるのだ。
この空間において、鹿角フェフのママはミキちゃんであり、ミキちゃんはフェフママなのだ。
……狂気である。
ちなみにの話だが、聞くところによるとこの店の一番人気は「あいか」という名前の女の子らしい。
できればその少女に話を聞いてみたかったが、あいにくと今日は非番のようだ。
……しかし。私の妹と名前が一緒とは、奇遇なこともあるものだ。
世の中は意外と不思議なことに満ちているのかもしれない。
さて……。
避暑を理由に入店としたとはいえ、今回の目的は取材だ。
飲み物だけ飲んで退店するなど無意味にも程がある。
幸い目の前にはミキちゃんが俺を見つめながらニコニコと屈託のない笑顔を見せている。
早速彼女にこの珍妙なる店の詳細をいろいろ聞いてみようではないか。
「……ミキちゃんは何歳なのかな?」
「9歳ですよ~」
「そ、そう……」
些か犯罪チックなあれこれを感じるが、それは私が邪な気持ちでこのカフェを見ているからという理由だけだろうか?
労働基準法がどうなっているのか非常に気になったが、そのことを素直に尋ねたら「フェフちゃんは難しい言葉知っていて偉いですね~」と頭をよしよしされた。
……仕方ない、追求はこれ以上はしないでおこう。
「じゃあフェフちゃんが飲みたいものをママに教えてくださいね。フェフちゃんの為に頑張って用意しますから」
ミキちゃんがメニューを広げながら私に見せてくれる。
9歳なのになかなか気が利いている。将来は良いお嫁さんになるだろう。
そんなことを考えながら、メニューにさっと目を通す。
何かさっぱりとした飲み物が欲しいのだが……、
「"おっぱいミルク"だって!?」
その飲み物の名前を目にした瞬間、思わず叫んでしまう。
あまりにも破廉恥な名前だったからだ。
なんと品性下劣なことであろうか?
おそらく、乳幼児に対するおっぱいとミルクを掛けてこんなネーミングにしたのだと思うのだが、
「フェフちゃん。注文は決まりましたか?」
「おっぱいミルクでお願いします」
間髪容れず答える。
これは確認せねばと使命感にかられたためだ。
決して邪な気持ちはない。
するとミキちゃんはまるで私の心を読んでいたかのようにサッと厨房へと合図をし、やがて厨房の奥より白色の液体が入ったガラスのコップをトレイに載せて持ってくる。
「はぁい、じゃあミキの特別おっぱいミルク。めしあが~れ♪」
「ほほぅ!!」
思わず声に出てしまった。
実際にミキちゃんのおっぱいではないと思うが、それでも何やらもやもやとした想いが込みあがってくる。
実にポイントがたか……いや、実にけしからん。
非常にけしからんシステムだ。現代日本の闇を現しているようだ。
これは今後別メニューを注文して検証する必要があるだろう。
私はまたこの店に来なければいけないという使命感に似た思いにかられた。
重ねて言うが、決してやましい気持ちではない。
……落ち着こう。少し興奮しすぎた。恥ずかしいことだ。
まぁよい。
とりあえずミキちゃんのおっぱいミルクをいただく。
最初から砂糖が入っているのかほんのりと甘いそれは、現代社会の荒波で冷え込んだ心にすっと染み渡ってくる。
ああ、ぬくもり度が高い。
破廉恥な店ではあるが、こういうのもありかもしれない。
私は自然とこの店が気に入っていた。
当然私の担当であるところのミキちゃんにも興味が湧いてくる。
「ミキちゃんは何でこの仕事をしているのかい?」
「えっとね、ママね、いろんな人に喜んでもらえたらいいなって。いろんな人に幸せになってほしいなって、そう思っているんだ」
「じゃあ別にこの仕事じゃなくてもいいじゃない? 人を幸せにする仕事は沢山あるよ?」
「ううん。この仕事じゃないとできないことが、それこそたくさんあるんだ」
「…………?」
はて? どういうことであろうか?
少し困ったようにはにかむミキちゃんは、まるで小さな子供へ言い聞かせるように私へと逆に質問を投げかけてきた。
「ねぇフェフちゃん。何か悩みがあるんじゃないかな?」
「えっ? どうしてそう思うの……?」
「だってフェフちゃんの表情、このお店に来た時からすごく悲しそうだもの。何か辛いことがあったんじゃないかなって……」
どきりと心臓が鳴った音がした。
「生きるってことは、いろいろと大変なことなんだよ、美希ちゃん」
気がつけば、思わずそう答えてしまっていた。
相手が9歳の少女だと見下してしまったのかもしれない。実に恥ずかしいことだが、私は彼女に図星を突かれたのだ。
年長者の言葉としてのそれは、ただの無様な誤魔化しだった。
「ねぇ、フェフちゃん。あそこのおじちゃん。どんな表情しているかな?」
「すっごい気持ち悪い笑顔しているよ、美希ちゃん」
彼女が指差す先を見やると「ママァァァァァ!!」と幼女に抱きつきながら絶叫する男性がいる。
なんと見苦しいことであろうか、だがそのだらし無く歪んだ笑みは男が幸福と安堵の絶頂にいることを如実に物語っている。
彼はあの場所で、今まさに救われているのだ。
「実はあのおぢちゃんも最初はフェフちゃんみたいに難しい顔をしていたんだ。けどね、みんなでがんばれ、がんばれって応援したら。いつでも笑ってくれるようになったんだよ」
「だから、私もフェフちゃんに笑ってほしいな……」
「いや、でも……」
「じゃあフェフちゃんのお仕事、美希に教えてくれるかな?」
「あっと……」
思わず言い淀んでしまった。
何故か自分のことを喋るのがとても恥ずかしくなってしまったのだ。
だがこのまま黙っていても話は進まない。
私は意を決した。
「小説を書いているんだ……」
「すごいすごい!」
「すごくないよ、有名になるほど売れている訳じゃないし。ああ、でもこの前ファンレターをもらったんだ。それはうれしかったよ」
「そうなんだ。それって凄いことだとミキは思うな! みんなフェフちゃんのことを応援しているんだよ!」
「でも私の書いた作品を頭おかしいとか、変態の極みとか、相変わらず狂ってるとか沢山いう人がいるんだ。私は普通の作品を書いているだけなのに……」
私の作品は大抵頭がおかしい評価をされる。
ごく一般的な、誰しもが持つ気持ちを文にしただけなのに。なぜ私の作品はあのような評価を受けるのだろうか?
ちなみに直近の短編は「妹しか出てこないテーマパークで働く男」の話だ。
ご覧のとおり至って普通の話題なのに、狂気に満ちていると言われた。心外である。
「大丈夫だよ。美希はちゃんとフェフちゃんの良さわかってるから。フェフちゃんが頑張ってること、知ってるから」
慈母の瞳で私を慰めるミキちゃんは、まるで母親のようだった。
ああなんて包容力だろうか、気がつけば私は彼女に抱きしめられ頭を優しく撫で上げられていることに気がついた。
「ねぇ、フェフちゃん。辛いときはね、辛いって言っていいんだよ?」
「大人だからとか、男の人だからとか、そういうので頑張らなくていいんだよ。甘えたいときは甘えちゃっていいんだよ……」
「うっ、あ……」
もう限界だった。
私の心の堰は、彼女の言葉によって決壊しようとしてた。
張り詰めていた心が、虚勢と肥大化したプライドで塗り固められていた本心が、彼女の優しい言葉によって溶かされていく。
「うう、このままちゃんとできるかと思うと不安なんだ。ちゃんとみんなを喜ばせているかって思うと。また変態って言われるとどうしようって思うんだ。
でも変態って私に言うのなら嘘でも女子中学生を自称して欲しい」
「うんうん。辛いよね、大変だよね。女子中学生に変態って言われたいよね。
大丈夫。大丈夫だよフェフちゃん。フェフちゃんは出来る。フェフちゃんは有名になれるよ。
きっと女子中学生にも変態って言われちゃう。ミキが言うんだもの、絶対だよ」
「うう、ミ、ミキちゃん……」
もうダメだった。
これ以上はダメだった。ああなんたることか、休憩がてらに入っただけなのに、真実ここは私にとって心休まる癒やしの世界ではないか。
取材だなんて邪な考えでこの店に来てしまったことが今は悔やまれる。
彼女は、彼女こそは……、
「ミキちゃん……」
「ねっ、フェフちゃん。ミキのこと……、
――ママって呼んで欲しいな」
「マ゛マ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛!!!!!」
私のママだったのだ……。
現代人の闇は深い。
日々ストレスに晒され、毎年数万という自殺者が出るこの限界社会においていつだって人々は心の平穏を求める。
数少ない人々の救済、癒やしの場、それこそがここ『バブみカフェ』だったのだ。
………
……
…
「はい、フェフちゃん。お釣りになります♪ あとポイントカードもあるんだけど……」
「もちろん作るよ……、ママ!!」
ああ私の帰る場所はここだったのだ。
晴れやかな、あらゆる憑き物を落とされたかのような晴れやかな気分で私は『バブみカフェ』を退店する。
私の手には一つのカード、先程ママより手渡されたものだ。
☆バブみカフェ めんば~ずか~ど☆
名前 :鹿角フェフ(かづのふぇふ)
ママ :ミキ
そう書かれた真新しいカードは、太陽の光を反射してこの世の何よりも輝いていた。
次の日お店に行ったら『バブみカフェ』は風営法違反でしょっぴかれていた。
ちなみにミキちゃんは保護観察処分になったらしい。
9歳で前科持ちとはロックだなぁと思った。