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昨日のテストの出来は言わずもがな、まさに僕らしい結果に終わった。それは、先ほど校内の掲示板に貼り出しされていたクラス表と各々の点数によって証明された。
僕のクラスは、文字通り良くも悪くもない中級クラスになった。三年生になった今ですら、まともに進路を決めていない僕にはどのクラスになろうと全く問題なかった。今、僕が一番にやりたいことはかな美への復讐であるから、例え最底辺のクラスになろうが、僕は僕に対して何も含むところがない。含むところがあるのは、僕を捨てたあの女だけなのだから。
予想はしていたが、久坂部さんはやはり成績上位であり、僕とは違うクラスのようだ。その久坂部さんと同じクラスには中本の名もある。これについてはさすがに思うところもできてしまうが、この状況を利用する他ないだろう。久坂部さんが中本と同じクラスならば、久坂部さんから中本についての情報を聞き出しやすくなる。そうすれば彼らの関係も自ずと分かってくるに違いない。
「勉強は終わったってそういう意味だったのね」
昼休み。久坂部さんに呼び出された僕は、彼女と一緒に屋上で昼食を食べていた。
「嘘は言ってないよ」
「屁理屈を。素直にやってませんとか諦めてますって言えば私が勉強手伝ってあげたのに」
必要ないから言わなかったのだ。それに、恋人がいる人を自分から独占しようなどとは思わない。そんなことをしてしまえば、僕はかな美を奪った男と一緒になる。
「まあいいわ。休み時間に、中本君に旅行のことを訊いてみたわ」
「まさかとは思うけど、直接訊いたの?」
久坂部さんは目に見えて肩を落とす仕草をした。
「そんなわけないでしょ。楽しかったかどうかとかそんな当たり障りのないことからよ。凄く楽しかったと言ってたわ。大輔君が来られなかったのがとても残念だったとも言ってたわ。でも、肝心の旅行中の細かい話は何も教えてくれなかった。何して遊んだのかとかどんなお店行ったのかとかについては、全部曖昧な返事で返されのよ。どう考えても変よね」
そう言い終わると久坂部さんは彩り豊かな弁当の中身を箸で小突き始めた。
久坂部さんと中本は、今まで接する機会が多かったわけではない。そこまで親しくない人間に旅行の詳細を言いたがらないのはわからなくもないが、少なくとも久坂部さんも元々は旅行に誘われていた一人であり、中本もそれを知っている。彼氏との用事が先に入っていたため参加できなかったが、久坂部さんが羨ましそうにしていたのも中本は知っていたはずなのだ。それなのに旅行中のことをあまり話したがらないのはおかしい。
やはり、何かあったのだろうか。
「私の個人的な見解だけど、かな美さんと中本君は付き合ってると思う。女の勘ってやつかしら。でね、突然だけど、実は私、中本君のこともあまり好きじゃないのよ」
「藪から棒にどうしたんですか。あいつ、良い奴じゃないですか」
「これも私の勘だけど、彼、たぶん大きな挫折を味わったことがないのよ。全て自分の思い通りに進んでるとか思ってそうな残念なやつに感じちゃうのよね」
僕にはなぜそう思うのかが理解できなかった。
「でも、中本は家庭の事情でアルバイトが許されてるんですよ?てことは家庭の問題があるかもしれないじゃないですか」
「それなんだけど、正直私、それ怪しいと思うのよね。彼の家、どんな家か知ってる?私、何度か彼の家の近くまで行ったことがあるのだけど、凄く大きな家に住んでるの。しかも犬なんて飼っちゃって。とてもお金に困ってるようには思えなかったわ。あれでアルバイトをせざるを得ないぐらいにお金に困ってるだなんて言われたら、世の中の家庭のほとんどが生活できないぐらいにお金に困ってるわよ」
中本とは親しいつもりでいたが、思い返してみれば僕は彼のことをほとんど知らなかった。僕は彼の家がどんな家なのかを知らなければ、どこにあるのかすらも知らない。学校には僕とは反対方向の電車で通っているということしか知らない。久坂部さんの言う大きな家というのがどれほどのものかは分からないが、本当にそんな家に住んでいてペットまで飼っているとなれば、学校にわざわざ断りを入れてまでアルバイトをせざるを得ないような状況下に陥ってるとは思えない。
「まあ、ならそれはそれでいいとしても、じゃあなんで中本が挫折を味わったことがないだなんて思うんですか。勘って言ったって、そう感じさせる何かがあるんでしょ?」
僕は中本を擁護する気はないが、決めつけの多い人は信用できない。全て自分の尺度で物事を考えて決め付けていく。そしてそれが常に正しいと思い、考えを曲げない。否定すれば酷く怒る。かな美がそうだった。
「そうね、言いたいことはわかるわ。勘と言っても理由もなしに言ってるわけではないわ」
久坂部さんは口に運ぼうとしていた形のいい卵焼きを弁当箱に戻し、箸を置いてから僕を真っ直ぐと見つめてきた。その真剣な眼差しは怖いぐらいにまっすぐと僕を見つめてくる。
「彼ね、聞いたところによると、中学生の時に百メートル走で県大会一位になっているんですって。別に、陸上部でもなければ走ることを練習していたわけでもないんですって。彼、中学生の時も帰宅部だったそうだから。しかも、その中学生のとき授業中はほとんど寝ていたのに成績は常に上位。この学校に入ってからはそれはほとんどなくなったみたいだけど、それのおかげかせいか、真面目な学生として先生からの評判も良くて、スタイルも良いし表向きの性格は良いから周りの学生からの評判も高い。でもこれって全部彼が努力した結果なのかしら。彼は普段通り過ごしていた。そしたら向こうから良いことがたくさんやってきた。私はそういう風に感じる」
久坂部さんのその眼差しと一緒に僕に向けられたその言葉は、まるで僕に怒っているかのように感じ、身が竦んでしまいそうになった。
「私、努力もせずに成功できるなんて思ってる人は嫌いなのよ。彼はそういう類の人間な気がする」
久坂部さんが流暢に話してくれたこの情報のどれ一つとして、僕は知らなかった。県大会で一位を取ったことがあるなど初耳であり、彼が中学生の時に所属していた部活動も知るはずがなかった。僕は表向きの、この高校の中にいる中本しか知らない。だから僕には中本が良い人としか思えない。もし、久坂部さんが言っているこれが全て正しい話で、久坂部さんの勘が正しいのであれば、僕は中本にも騙されたことになるのだろうか。
しかし、どうして久坂部さんはこれほどまでに中本に詳しいのだろうか。
気になったが、なんとなく察しはついた為、訊かないことにした。
「ところで、努力もせずに成功できると思ってる人が嫌いならば、僕も嫌われてるんですか?」
「あはは、冗談言わないでよ。そんなわけないでしょ。大輔くんは努力しないと成功しないって分かってる人でしょ」
どうしてそう思うのだろうか。
「だって、努力せずに成功できると思っているのなら、今日私と同じ教室にいるはずだもの」
授業も終わり、生徒玄関に着いた僕は中本を発見した。
いや、正しくは発見されたのかもしれない。まるで僕を待っていたかのように中本が僕の下足箱の前に立っていた。
「よっ、久しぶり」
先に話しかけたのは僕の方だった。
かな美とのことがあり、その疑いは晴れていないというのに、自分でも意外に思えるほど気さくに中本に話しかけていた。
「どした。僕の下足箱の前で。まさか愛の告白?」
「あぁ、うん」
驚かずにはいられなかった。
「え、マジ?」
「告白には違いないよ」
それを聞いて一気に血の気が引いた。嫌な予感がしたのと一緒に背中に冷や汗が湧き出てきているのがよくわかった。おそらく聞きたくないことが僕の耳に入ってくる。
逃げたい。そう思っても、まるで足の裏に根っこが生えたかのように脚はその場から動こうとせず、顔は押さえつけられているかのように中本を正面に捉えて離さなかった。
「実はかな美ちゃんと付き合うことになった」
僕は、最悪の一言を聞いてしまった。