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断章2

 憎い、憎い……。


 強い怨嗟の念は禍々しい炎となって全身にまとわりつく。


 全身にたぎる血と、湧き上がる熱。


 こめかみに矢を受けて馬上から落とされた男はすぐさまその首を奪われ晒し者となったが、怨念はその生をつなぎとめた。


 いや、生も死もあてはまらぬ怖ろしい存在へと彼の身を変化させていたのである。


 男の魂を慰めるため塚が立てられたが、その周辺では天変地異が巻き起こった。人々はそれを祟りと呼び恐れおののく。



 怨霊と呼ばれた彼は、憎しみに身をゆだねたまま三七〇年の時を過ごした。



 塚の周囲は祟りを恐れ誰も近づかなくなり、土地は荒れていた。申し訳程度に置かれた供物もそろそろ傷み始める頃で、塚そのものもだいぶ砂埃をかぶっている。


 漂う空気は重苦しく、怪談話で伝えられるような生臭い風でも吹いてきそうである。


 その日は曇天で、黒に近い灰色の雲が一層周囲の不気味さを加速させていた。


「よう、お前だな? 嵐や日照りを起こしているって怨霊は」


 自らを鎮める塚の側で休んでいた男に、野太く力強い男の声がかかる。男が声のする方を振り向くと、そこにはたくましい体つきの戦士が立っていた。


 古墳の埴輪のような鉄板の鎧を着崩し、角髪みずらと呼ばれる古代の髪型をしたその戦士は人懐こく笑っている。一見親しみやすそうに見えるが、どこか神々しい雰囲気を放っていた。


「その姿……どこぞの神か?」


「おうよ。俺はオオナムチ。出雲の王オオクニヌシと名乗った方がよかったか」


 あまりに堂々としたオオナムチの態度に、男は不機嫌そうに顔をしかめた。


「西の最果ての神が、こんな東の果てに何の用だ」


「たしかに本殿は出雲大社だがよ、俺は全国で信仰されているもんでな。この関東にだって、俺を祀る神社は山ほどある。俺が西にいようが東にいようが、そりゃあ当然のことだ」


 この地は自分が護るとでも言わんばかりの不敵さを、男は挑発と受け取った。


「ほう。記紀神話の英雄が、怨霊たる我を退治しに来たとな――面白い」


 因幡の白兎を助け、地底の王スサノオの試練に打ち勝ち、持ち出した剣と弓で地上の王になったと言われる英雄神オオナムチ。


 神話の時代よりその名を轟かせる戦士の登場に、男は恐怖するよりも先に胸の高鳴りを覚えた。


「武士の血が騒ぐわ。神と刃を交えるとは武人の誉れよ!」


「お、乗り気じゃねえか怨霊さんよ」


 分厚い胸板を拳でドンと打ち鳴らし、オオナムチは気合を入れて一振りの剣をその手の内に召喚する。


 古代の直刀はリーチこそ短いが肉厚な刃をもっており、長いながらも薄い男の刀とは対照的だ。負けじと男も腰の刀を抜き放つ。


 口元を片側だけつり上げて獣じみた笑みを浮べる男に対し、オオナムチの笑みはやはり人懐こい。


「医術と農耕を司り温和なことで知られる出雲王が、武による勝負を所望とな。後悔するでないぞ」


「誰が後悔するもんかよ。義父スサノオに鍛えられた国津神の王たる俺が、ただの怨霊なんかにゃ負けねえって」


「ほざけ!」


 咆哮とともに、男は刀を脇に構えて地を蹴った。


 逆袈裟に振り上げられた刀は閃光を放ちながら神を捕らえようとするも、オオナムチは鎧を着崩した利を活かして身軽に避ける。男は返す刀で再びオオナムチに切りかかった。


「真っ直ぐな太刀筋だ。正々堂々、もののふの道に則って国を護ろうとしたお前の生き様がよく出ているよ」


 男の剣先が描く三日月を幾度とかわしながらオオナムチが呟く。だがしゃにむに剣を振るう男の耳にその言葉は入っていなかった。


「ぬおお!」


 大上段から振り下ろされた男の刀がついにオオナムチに焦点を合わせる。


 身を翻す余裕のなかったオオナムチは慌てて片手剣でその一撃を受け止めた。


 刀身が火花を散らせ、鍔迫り合いは両手持ちの刀を使う男が有利。オオナムチは押されて体勢を崩すも、後退して男と大きく距離をとった。


 刀の間合いからオオナムチが逃れ、男は悔しそうに舌打ちをしながら刀を構え直す。


「確かに剣は強いじゃねえか。だがこれはどうだろうな?」


 オオナムチは剣をしまうと、今度は光り輝く一対の弓矢を取り出した。


「お前は弓も得意だったというが、こちらから一方的に撃たれちゃあひとたまりもないだろう。こいつは俺が地上の王になるために義父スサノオがくれたもんだ」


 白い光を放つ矢がつがえられ、ギリギリと音を立てて弦が引き絞られる。周囲の淀んだ空気がどんどん澄んでいき、張り詰めていくのを男は感じた。


「八十神を従えて王になるための、神殺しの武器、生弓矢いくゆみやだ!」


 輝く矢じりは吸い寄せるように男を捕らえて離さない。恐怖とも油断とも違う何か。不思議な力が男の足を止めているのだ。


 弓矢の放つ白い光は、まるで時を止めているようで。


 男は再び、自分自身が矢に貫かれる運命にあることを悟った。


 視界が閃光に包まれる。男は暖かさの中で、長くおぞましい怨嗟の鎖から己が解き放たれるのを感じていた。


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