マサイアス家討伐―中編―
残酷な表現がありますので、ご注意下さい
「あーあ…閣下に会いたかったなー。」
「いきなりなんだ。」
俺の隣にドカッと座った男をチラッと見た。
そいつは、俺と同じく、マサイアス家討伐の生き残り。あの討伐で生き残ったのは、最初の人数の1/10にも満たない。
その生き残りは、軍の上層部に組み込まれている。現に俺と隣に座った男も、元帥直属の精鋭部隊を率いている。
「ミカエリス将軍に追い返された。くそー、ミカエリス将軍め!自分が閣下の側付きだからってさ、独り占めはずるいよな!そう思わない、ヴィクトール!?」
「…いや…て言うか、お前…後ろ…。」
「え?後ろがなに?」
「愉しそうな話をしているな、お前…。そういえば、帝都の清掃作業に人数が足りないと宰相閣下が仰っていた。お前、行ってこい。」
そこにいたのは、噂のミカエリス将軍。せっかくの男前な顔が歪んでる。
その覇気に蹴落とされたあいつは、青い顔をして転がるように王城の門を出て行った。
ふと視線があったミカエリス将軍に、まぁ座れば?と隣の空いた席を進めた。
「何で俺が、あいつにあんな事言われるんだ。」
「そりゃあ…ラインハ…いや、ミカエリス将軍が閣下にべったりだからでしょう。」
ムッとしたのか、眉間にシワを寄せた。
「今は敬称無しでいい。閣下にべったりって何だよ。俺は俺の任務を遂行してるだけだろう。」
「まぁなぁ。でも、元帥閣下から遠い奴らからしたら、お前はべったり張り付いているように見えるんだよ。ま、宿命だと思って耐えろ。で、閣下は?」
「くそっ…。あぁ、閣下はお休みになられた。最近忙しくてらっしゃったからな。こんなに忙しかったのは、あの一件以来か…。」
「…そうだな。」
知らずに付いたため息がやけに大きく聞こえた。
あの一件。
つまりは、マサイアス家討伐の事である。
全てを見ているようで、何も見ていないその双眸。
血のように紅い瞳。
俺はその眼に捕らわれる。
「誰かと思ったらミハエルか。成長していると思ったら、肝心な所で無駄口を叩いて機会を不意にする。まるで昔と変わっていない。」
無慈悲に、そう新しい元帥は呟いて、ミハエルを木に縫いつけている剣を徐に引き抜いた。
次の瞬間、俺は思わず、地に落ちるミハエルの体を抱き止めていた。
小さな体を抱き寄せて、改めて思う。
――こいつらは普通じゃない――
命を助けようとしたのに、これを拒否して俺を襲ったミハエルも、そのミハエルをあっさり一撃で仕留めた元帥も。生者の命を奪うことに、躊躇いや罪悪感、拒否反応がまるで感じられない。
現に、俺を再び襲おうとしたミハエルは子供らしい笑顔を浮かべていたし、眼前の元帥はこの状況に眉をピクリともしない。
確かこいつもマサイアスじゃなかったか?
だったら…
頭を過ぎった不穏な考えを急いで打ち消した。
その時、頭上から声がかかった。
「いつまでそうしているつもりだ?」
「…お前…ミハエルと知り合いか…?」
後々、考えてみれば愚かな質問だったと思う。だが、この時はそれを言うのが精一杯だった。
俺の質問に、元帥は淡々と、無関心に、まるで取るに足らないモノかのように答えた。
弟だと。
「ヴィクトール!無事だった…か……どうしたんだ、その子供…。」
ザックが慌てて駆け寄って来たが、俺の腕に抱かれたミハエルを見て目を見張っている。よく見ると、側にゲイリー、ブリッグハウス将軍もいる。どうやら、森での殺戮は収まったらしい。
「ソレがこの森の狩り人だ。ここは、コレの遊び場兼狩り場だからな。余所者が足を踏み入れたら、躊躇なく排除せよと言われている。まぁ、今回排除されたのは自分だったが。」
単調な口調で、事務的に話す元帥を見て、俺は何かがキレる様な音を頭の片隅で聞いた気がした。
気がつくと俺は、元帥に掴みかかろうとしていた。
しかし、それに素早く気付いたブリッグハウス将軍に羽交い締めにされ、どうにも出来ない身体をただ闇雲に動かし、目の前の小さな子供を睨み付けた。
「おま…お前!!この子はお前の弟なんだろう!?弟を自分で殺しておきながら、なんでそんな態度でいられるんだよ!?」
俺が抱いていたミハエルと同じくらいの小さな身体。その身体に宿っていた命を、こいつはいとも容易く奪った。
俺の剣幕に驚いていたザックが流石に慌てて諫めようとするが、俺は構わず元帥に怒鳴りつけていた。羽交い締めにしていたブリッグハウス将軍も力を入れ直し、それにゲイリーも加わって、俺は二人掛かりで抑えつけられていた。
そんな状況なのに、この元帥は微動だにしない。ただ黙って、俺の罵声を受け止めているだけだ。
その体勢に益々苛立った俺は、思わず口走った。
「この人形が!」
その言葉に眼の色を変えたのが、側にいたラインハルトだった。
静かに、だが、間違いなく苛立った声で俺の目の前まで来て凄んだ。
「貴様、今の言葉を取り消せ。」
「嫌だね。だいたいお前も、元帥のお守りか?野心家のラインハルト少佐も落ちたもんだな?」
「なんだと!?」
ガッと胸ぐらを掴まれたが、そこに冷静な声が割って入った。
「止せ、ミカエリス。」
「っ…失礼しました。閣下。」
元帥から止められたラインハルトだが、呼ばれた名前にみんな驚いた。
中でも一番驚いていたのは、ブリッグハウス将軍だ。
「…ミカエリス…?ミカエリスって…ラインハルト、お前…ミカエリス将軍家の…?」
「息子だ。」
息子…と呟くブリッグハウス将軍の力が弱まった。その隙をついて、元帥に掴みかかろうとした。
しかし、その瞬間、俺の喉元にミハエルに突き刺さっていた剣が突きつけられる。
俺を見ているその双眸は血のような――紅――
「言いたい事はそれだけか?」
「ぐっ…てめぇ…!」
「弟と言っても、私はミハエルと一緒に育った事はない。ミハエルだけではない。私は一族から疎まれていたからな。第一、今から行くマサイアスの屋敷だとて、先日足を踏み入れたのみだ。」
「…え?」
「その時、父と兄を殺してきたが、今回はその敵討ちとばかりに私を狙ってくるはずだ。それが隙になるとも知らずにな。」
「なんと…。」
そう呟いて絶句しているブリッグハウス将軍だが、俺は更に混乱していた。
こいつは、弟だけじゃなく、父と兄まで殺したのか。
「お前…それでも人の子か…?」
「それが?」
「それがって…。何でそんなに無関心なんだよ…。」
理解出来ない、この子供の言葉がわからない。
「父と兄、弟を殺した。それがどうした。あれらは、マサイアスの人間だ。端から親子としての情はない。」
「だからって…」
「マサイアス家は皇帝の狗だ。私を育てたクリストファー様はよく言っていた。『マサイアスの名を持つ者には感情はいらぬ』と。ミハエルと言い、兄といい、感情に左右され過ぎた。だから隙が出来る。皇帝の狗の名を背負うんだ、生半可な気持ちでは皇帝を支えきれない。」
「それで、貴方は感情が?」
ザックがぼそりと呟いた。
「私のこれは生まれつきだ。クリストファー様から『お前は秀逸だな』と御墨付きを得てるしな。」
「秀逸って…駄目だ。俺には理解できん。」
「理解されようとは思わないし、してほしいとも思ってない。私を理解しているのは陛下と宰相だけでいい。」
そう言って元帥は歩みを進めて、森の出口へと向かう。
呆然としている俺を一瞥したラインハルト少佐…いや、ミカエリス家の息子はそのまま元帥の後を追って消えた。
「…あの元帥はまさにマサイアス家の人間だな…。いや、皇帝の狗と言った方が正しいか。しかしまさか、こんな所でミカエリス家の息子と会うとはな。いやはや…来て良かったと言うべきか…。」
「え?ちょっと待って下さい、将軍。僕達はここに有無をも言わさず連れて来られたんです。将軍は違うんですか?」
ゲイリーが俺達も引っかかった言葉を聞き返した。
その質問に、苦笑しながら歩きながら話すと言って、将軍の後に着いていった。
「将軍ではないんだ、ウェスで良いって言っただろう。俺や他の奴らは、強制的にこの討伐に参加したわけではない。そもそも、強制的に連れて来られた奴らは、前皇帝側に付いた軍幹部が率いていた部隊だろう。違うか?」
「…確かに…。俺達の上官はナバレル側に付いて、あの愚王に言われた通りに民を虐げて、自分達は甘い汁吸ってましたから…。」
「だろう。今回のマサイアス家討伐は、その腐敗した軍幹部を一掃する為に行われると俺達…辺境に飛ばされた元は帝都在留軍人の奴らの中で言われていたんだ。まぁ、マサイアス家がアレクサンドロ皇帝の逆鱗に触れた事も起因しているらしいが。」
「そうなんですか…。」
「あと、これはあくまでも噂にしか過ぎないが、この討伐で生き残った人間が新しい軍の上層部に立てるらしい。それで、集まった奴らもかなりいるらしいが…。」
そんな噂があったのか。
知っていたかとザックを見ると、視線を逸らした。ゲイリーも同じく視線を逸らす。
知らなかったのは俺だけなのか。
そう思ったら、なんだか力が抜けた。
下らない内部抗争に俺は巻き込まれた上、今や殺されそうになっている。馬鹿馬鹿しすぎて、腹が起ってくる。
絶対に生き残ってやる。
それは出世がどうとかという問題ではない。
ただあの紅い目の人形を、王城に帰った後に皇帝の目の前で殴ってやりたいからだ。
舐めやがって。
命をなんだと思ってやがる。
『マサイアスの名を背負うには感情はいらぬ』
ナンダ、ソレ
なんだ、それ
なんだ、それ!!
そんなのは完璧、お人形じゃねーか!!
人を殺す事しか知らない、殺人人形。
そんなのは俺は認めない。
あの子供が認めて欲しいとは思わないと言っても、俺はそんなのは絶対に認めない。
なんだかわからない激情に突き動かされながら歩みを進めていると、いつしか森は途切れ、俺達の目の前には聳え立つ大きな屋敷があった。
館の壁には蔦が絡まり、ひっそりと静まり返っている。
あたかも、今から起きる惨劇を予見したかのような静寂。
「行くか。」
ブリッグハウス将軍…いや、ウェスのやけに低い一言で俺達はその屋敷に足を踏み入れた。