マサイアス家討伐―前編―
残酷な表現がありますので、苦手な方はご注意下さい。
「ミカエリス将軍、マサイアス閣下はいずこにいらっしゃいますか?」
「閣下は今お休みになられた。どうした、ぞろぞろと。なにか急用か。」
「あ、そうですか。いや、急用ではないです。ただ、閣下のお顔を拝見したい…なぁ…と思っ…いや!すいません!!嘘です!!冗談です!!ごめんなさい!!」
「お前ら…それでもルグレスの精鋭部隊か…。」
そこにいたのは、ルグレス帝国が誇る精鋭部隊隊長4人。
マサイアス家討伐で生き残った数少ない生存者だ。
4人が4人ともマサイアス閣下に信頼以上の何かを持っているが、皇帝陛下と宰相閣下が怖くて。それ以上に、マサイアス閣下に嫌われるのが何よりも怖いのである。
辺りを漂う死臭。
滴り落ちる血の音。
一面を染めたのは血と、肉。
その凄惨たる光景を作り出したのは、年端もいかない子供。
俺達はその光景が信じられず、ただ立ち竦むしかなかった。
俺の名前はヴィクトール・ランカスター。ルグレス帝国軍の一部隊長だ。
だが、最近起こったクーデターで俺達、軍を統べるトップ…元帥閣下がたった10歳のガキに成り変わった。皇帝陛下は13歳、宰相までが15歳。一体この国はどうなるんだろうなー。そうのん気に思っていた。
だが状況は一変する。
陛下が、マサイアス家の討伐命令を勅命で出されたからだ。
俺は、そのマサイアス家っていうのがどういう事をしてたとかは知らない。だが、上層部のお偉いさん方の顔色はみるみるうちに青ざめていく。軍の准将や将軍クラスの軍人ですら必死になって陛下に懇願している。
「陛下!お止めください!!マサイアス家に討伐命令をお出しになるなど、単に兵の命を散らすだけです!!どうかお考え直し下さい!!!!」
「陛下!!お考え直しを!!」
あまりに必死の懇願に、俺達下っ端の兵にもさすがに状況が飲みこめてきた。
どうやらその『マサイアス家』っていう一族は、ヤバイらしい。聞く所によると、歴代皇帝お抱えの暗殺一家だという事だ。そんな危ない一族が一体何したんだ?
俺達の疑問や、必死に懇願している幕僚に一切答える事無く、集まった兵を一瞥した陛下の顔には、清清しいまでの笑顔が浮かんでいた。
「君達、皇帝たる僕の命令に従えないの?」
笑顔の裏に隠された魔王の言葉。
その言葉に、唖然として何も言う事が出来なくなった俺達を見て陛下は、後ろに控えていた宰相閣下に後を託して、お下がりになられた。
「これからお前達は、マサイアス家の屋敷に侵入し、それから、マサイアスの人間を一人残らず殺してこい。容赦はするな。女、子供、老人、手加減なんてすると死ぬのは自分だぞ。死にたくなけれれば、躊躇せず殺せ。」
女のような顔をした宰相がサラリと口にしたのは、あまりに驚くべき内容で、周囲の人間は俺も含めて、皆ぽかんと口を開けている。
我に返ったのはさすがに、幕僚クラスの人間が早かった。猛然と宰相閣下に抗議をし始めたのである。
「我らは捨て駒なのか!!」
「私達の命を何だと思ってるんだ!!」
怒声が広場を包む中、宰相閣下の後ろから小さな人影が現れた。
その小さな子供が徐に口を開く。
「貴様らは最初から殺されに行くつもりなのか。」
子供特有の高い声で問いかけられたことで、混乱の最中にあった広場を静寂へと導いた。
「これが我がルグレス帝国の軍だとは、甚だ遺憾だ。」
「ちなみに、今回のマサイアス家討伐には、クリスティン・マサイアス元帥が指揮を取る。遅れを取るなよ。」
唖然としたのは、俺達だけではない。
高官連中も言葉を失っている。
マサイアス家を討伐するために、マサイアスの人間が行くのか?しかも、こいつが元帥?
どっからどう見てもガキじゃねえか。
耳が隠れる程度の黒い髪に、ちっせぇ身体。なんでこいつが元帥なんだ?
「マサイアス家の屋敷はここからそう離れてはいない。気を抜いたら、殺されるぞ。わかったか。」
そう、ガキが言っても誰も従おうとしない。俺だってそうだ。
誰も付いて行こうとしないのを見て、宰相は一言。
「陛下の言葉を忘れたのか。これはルグレス帝国皇帝陛下の勅命で行われる討伐だ。おとなしく元帥の言葉に従え。」
鬱蒼と茂った森の中を進む。
周りの皆の顔は一様に厳しい。元帥の傍には、ラインハルト少佐と、少数の護衛らしいのが付いている。
自分は護衛付きかよ…。そう思っていた時に、前方から荒々しい声が聞こえた。
「やっぱりおかしいだろう!!なんでこんなガキが元帥なんだ?!なぁ、お前だって思うだろ!!」
「あぁ、そうだとも!!」
「そうだ、そうだ!!」
声が静かな森を俄かに騒がせ始めた。
元帥のガキは一切表情を変えない。それどころか、こいつは俺達の前に姿を見せてから一度も表情を変えない。無表情のままだ。
「おい、すかしてねぇで何とか言えよ。お前、元帥なんだろ?そんなちいせぇナリで笑わせてくれるよなぁ!」
胸倉を捕まれて、元帥のその軽い身体が宙に浮いた。だが、少佐や護衛が動く気配がない。
苦しさも、冷ややかさも、全く無い目で胸倉を掴んでいる男を一瞥したガキが、手を上げた。
瞬間、男の首から血が吹き出した。
一体何が起きたのかわからないのが大半。それから一拍遅れて、悲鳴が起こった。
血を吹き出した男の手の力が緩むと、宙に浮いていた身体がふわりと地面を踏んだ。
「下衆が。」
男は絶命していた。
「反抗する者は他にいるか。マサイアス家に着いてから死ぬか、今ここで私の手に掛かって死ぬか。早いか、遅いかの違いだ。」
「…閣下。」
少佐が眉を顰めて、辺りをぐるりと見回した。
「あぁ、気付いてる。こんな事をしている場合ではない。来たぞ、死ぬなよ、お前達。」
ガキがそう言うや否や、そこから俺達に対して怒涛の攻撃が始まった。
誰がどこから狙っているのかわからないまま、ただ闇雲に逃げて攻撃の手をすり抜る。周りの仲間がどんどん死んでいっている。
大佐以上の奴らですらそれは例外ではなかった。
「はぁはぁっ…どこから狙ってきてやがる…。」
ガサリと草わらから音がして、急いで持っていた剣を構えた。
「待て!俺は味方だ…って、ヴィクトール…生きてたか!」
「ザック…!お前も無事だったか!」
そこにいたのは、ザック・ガエルニクス。俺と同期入隊の別の部隊長だ。こいつも必死になって逃げてきたんだろう、よく見ると、軍服は土まみれで、顔には幾筋もの血がついている。
「おい…一体これは何なんだ…。なんで俺達が狙われてるんだ…。」
「わからん。わかってるのは、死にたくなかったらこの森から出なきゃいけないって事だけだ。お前、出口を見つけたか?」
「いや…。元帥達ともはぐれちまったしな…。あのガキ…陛下も宰相も一体何考えてるんだ。他の奴らどうしただろうな。」
「そういえば、ザックの部隊はどうなった。」
「全員死んだ。ヴィクトールんとこは?」
「…お前んとこと同じだ…。」
出口を求めて、二人で歩き始めて周りを見渡す余裕が出来た。
改めて周囲を見ると、見知った顔や、お偉方がそこここに死に顔を晒している。不憫に思ったが、弔ってやることも出来ないまま、ただ安らかに天に召される事を祈った。
歩いているうちに、生き残っている奴らと合流した。最終的には、最初にいた人数の半分位の人数が俺達と行動を共にし、出口を探す。
「おい、あれ出口じゃないか?」
誰かがそう声を上げると、どこからともなく歓声が上がる。
我先に出口へと殺到すると連中を呆然と見ていると、俺達の周りに殺気を感じてザックの脇をこずいた。
「…ザック…気付いてるか…。」
「…あぁ。」
「すみません、ランカスター隊長、ガエルニクス隊長…ですよね。この纏わりつく殺気…これ始末しないと、またさっきの二の舞になります。」
「お前は?」
「アイン小隊所属のゲイリー・ストーンです。」
ゲイリーと名乗ったそいつは、自分の部隊は既に全滅し生き残っていた別の部隊と行動していたが、出口付近の殺気を感じて、同じく気づいている俺達に話しかけたと言った。
「この殺気…また来るぞ。」
後ろからかかった声に振り返ると、そこには俺も知っている人物が立っていた。
ウェストン・ブリッグハウス。
ブリッグハウス将軍は先帝時代に、先帝の放蕩を諫めた。そのため将軍の地位を剥奪され、今は国境近くの辺境の地で国境警備をしていたはずだ。
戦略上手なだけではなく、人望厚く、徳高い将軍がお労しい…と将軍職を罷免された当初は嘆かれたものだ。
「ブリッグハウス将軍…。まさか貴方までいらっしゃったとは…。」
「もう将軍ではない。その呼び名は最早私のものではないよ。集まってるのは俺だけではない。以前、活躍していた奴らがわんさか集まってるぞ。…しかし、まさかマサイアス家が討伐されるとは…。元帥はマサイアス家の人間だろう。一体何があったんだ。」
「すみません…聞いてもいいですか…。」
「何だ?」
「あの…マサイアス家って皇帝お抱えの暗殺一家なんですよね…?」
ザックの問いに、渋い顔をしたブリッグハウス将軍が、頷く。
「俺達も詳しい事は知らんが、マサイアス家はこの国の創生期から、皇帝に徒なす敵を裏で一掃してきた。別名、皇帝の狗。有名なのは先々代皇帝の狗…クリストファー様だな。」
「それ…僕おとぎ話だとばかり思ってました…。」
ゲイリーの呟きに俺達は三者三様の反応だが、同意した。
クリストファー・マサイアス。
軍に所属する者だったら一度は耳にするその名前。
何でも、先々代の頃、一人で国を滅ぼしたと言われている。まさかそんな事出来るわけないと一笑に伏していたが、事実らしい。
その時、前方から悲鳴が聞こえた。
「始まったか。お前達、名前は?」
「俺はヴィクトールです。こっちはザック。こいつはゲイリー。」
「俺の事はウェスでいい。殺気の元を辿るぞ、いいか、気を抜くなよ。」
そう言って、ブリッグハウス将軍は剣を構えたので、俺達も気を引き締め、殺気の根源を探り始めた。
殺気を辿って森を進むと、まだ小さな子供がぽつんと倒木の根元に腰掛けていた。
黒い髪と黒い眼。年はまだ10歳前後と言ったところか。
何でこんな所に子供が?そう思って、その子に声をかけた。
「おい、お前どうしたんだ?こんな所で迷子にでもなったのか?」
首を振るばかりで一向に答えようとしないその子に困っていた時、いきなりその子供が攻撃してきた。
ナイフを持って、俺を斬りつけようとしている。しかし、所詮子供。体格差と経験の差がそれを凌駕した。
ナイフを取り上げ、急いでその子供の首根っこを掴みあげた。
「お前…っ!何でいきなり襲う!!」
「離せ!」
じたばたと暴れるその子をどうしようかと考え倦ねていると、疲れたのか、急に大人しくなりはじめた。
「お前、まさかマサイアス家の子供か?」
「…だったらどうした…。殺すんだったらさっさとしろよ。」
「お前なぁ…。そんな小せぇくせに殺すとか言うんじゃねぇよ。せっかく見逃してやろうとしてんのによ。」
その言葉に驚いたのか、子供は慌てたように俺と視線を合わせた。
黒い眼が俺を凝視している。
「おっさん、バカ?」
「なっ!おっさんって何だ、おっさんって!!俺はまだ25だっ!しかも、バカって何だよ!!」
「だって、森であんたの仲間を殺したのってオレだし。それなのに逃がすってお人好しなバカしかいないじゃん。」
やっぱりそうか。
薄々感付いてはいた。こいつが森で動いてたんだろうと言うことは。だが、あれはこいつの意志ではなく、大人に命令されたのだろうと言うことも何となくわかった。
「そりゃああれはやり過ぎだな。だけど、お前の意志じゃないんだろ?率先してやってたんなら、俺も許さねぇけどな…。」
「…本当におっさんってお人好しだな…。」
「だから、おっさんじゃねぇっつってんだろ!俺にはヴィクトールって名前があんだよ!ほら、お前も名前、教えろよ。」
「……ミハエル…。」
「そうか、ミハエルっつーのか。じゃあミハエル、早いとこ逃げな。もうマサイアスの家に戻るんじゃないぞ。」
掴んでいた首もとを放してやる。
ぱたぱたと服を払って、俺を真っ直ぐに見たミハエルはにっこりと笑った。
「ありがとう、ヴィクトール。…やっぱりあんたお人好しだよ。」
そう言うや、ミハエルが再び鋭い刃物を持って俺に襲いかかってきた。
生憎距離が近すぎた。俺が剣を構える時間がなく、腕で防ごうと顔を背けて腕を上げた。
だが、その切っ先は俺に届く事は無かった。
再び目をミハエルに戻すと、ミハエルは剣で胸を木に張り付けられて、死んでいた。
口から一筋の血を流し、今まで黒い眼が覗いていた瞳は閉じられている。
胸に刺さった剣をよく見ると、装飾のされていない単なる普通の剣に見えたが、触るのが憚られるほど剣から禍々しい物が感じられる。
せめてそれだけでも抜いてやりたいが、触れないほどの禍々しさだ。
「…ミハエル…。」
呆然とその名を呟いて、膝を付いた。
いつの間に現れたのか、隣には元帥が立っていて、しゃがみこんだ俺を上から見下ろしていた。
「子供でも殺せと言わなかったか?」
感情が無い口調と、その無表情な顔を見て、俺は思わず寒気がした。