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落日

引き続きラインハルト視点です。

クリスの頭に手を置いたまま固まった俺を見て、目の前の子供は更に首を傾げた。固まった当の俺は、クリスに言われた言葉を、必死に頭で理解しようとしていた。




マサイアス家。




皇帝の(いぬ)と言われている暗殺一家。


決して表舞台には出て来ない闇の一族。


彼らを使役出来るのは、歴代皇帝のみだったはず。


マサイアス家は、軍や官僚の中でも、上層部にいないと知ることが出来ない、秘中の秘。将軍であった父親から少しだけ聞いたことのある俺にとっては、完全に寝物語のようなものだった。


それなのに、まさか、俺の目の前にいるクリスがおとぎ話の中だけだと思っていたマサイアス家の子供だなんて、混乱しないほうがおかしい。



「ラインハルト?」


クリスに名前を呼ばれて、我に返る。無表情なまま、俺を見ていたクリスはその刹那、勢いよく後ろを振り返った。



「伏せろ。」


「は?」


「早く伏せろ。」



言われたまま急いで伏せると、俺の頭上を何かが通り過ぎた。一体何事だと後ろを振り返ると、壁に短剣が何本も刺さっていた。

状況が飲み込めずクリスを見ると、クリスは双剣を手に、二人の男と刃を交えていた。



「やはり生まれた時に殺して置くべきだったな。クリスティーナ。」


「父上、俺に(やら)せてください。皇帝を裏切ったばかりか、よりにもよって、クリスティーナは曾祖父様の双剣を持ち出した。万死に値します。」


「わかった。だが、ここではダメだ。屋敷に連れて行くぞ。」


「はい。」



クリスティーナって誰だ?クリスティンじゃないのか?

クリスと見知らぬ壮年の男と若い男の二人の男が繰り広げている、まるで剣舞のような攻防をただ呆然と眺めていると、クリスの鳩尾に峰が入った。


ぐったりと倒れ込んだクリスは、双剣をその小さな手から落とし、年若い男に担がれ、連れ去られた。

落とした双剣は、もう一人の男が如何にも大切そうに拾い上げた。男は、クリスから取り上げた鞘にキンッという金属音をさせ、双剣を鞘に納めてから、俺に一瞥をくれた後、姿を消した。



今までの喧噪が嘘だったかのように、辺りは静寂が戻っていた。


我に返った俺は急いで陛下とルーカス様がいる執務室へ、クリスが何者かに連れ去られた事を報告しに行った。



「陛下!クリスが何者かに連れ去られました!」


「へーぇ。そうなの?」


「早く探しに行かないと!あれじゃあクリスは殺されます!」


「だぁいじょうぶだよ。クリスだもん。」


俺の目の前でクリスが拉致されたのに、いつもはクリスを離さない陛下は至って平然としていた。

ルーカス様は優雅にお茶を飲みながら、書類らしき物に目を通していた。



「多分、夕方には戻ってくるんじゃない?ところでさぁ、今日の夕食何だろうなー。ねぇラインハルト、僕お腹空いちゃったからさ、メイドにおやつ持って来てって言ってくれない?」


「アレックス、今から間食すると、夕食食べられなくなるぞ。」


「だってお腹空いたんだもん。おやつ食べたーい!」


「お二人とも、何を言っているんですか!クリスを連れ去ったのが何者かもわからないのに、そんな悠長な!」



そこまで言って、目の前の陛下の顔が変わった。

口元は笑っているのに、紫の眼が全く笑っていない。

ルーカス様もお茶のカップを口から放し、書類からも目を上げて、冴え冴えとした視線を俺に寄越していた。



「連れ去ったのは、マサイアスの人間だよ。クリスの父君と兄君だね。多分、クリスはマサイアスの屋敷にいると思うよ。」


あれが…?

闇の一族の現当主と次期当主の剣を、クリスはあの曾祖父の物だった言う双剣で受け止めていた。もしかしたらクリスは、彼らより強いのではないのか?



「クリスは戻ってくる。アレックスのものだからな。そうだろう?」


「当たり前だよ。」



そう言って、目の前の美しい二人は悠然と微笑んだ。



信じられない気持ちで陛下達を見ていると、陛下はお腹空いたーと言って部屋の外に出て行かれた。

残ったルーカス様は、再び、優雅にお茶を飲みながら突っ立っていた俺に静かに話かけた。



「どうした?」


「え…いや…お二方とも何でクリスが居なくなったのに、そんなに落ち着いていらっしゃる…」


「これで死ぬ位なら、初めからアレックスはクリスを手に入れてない。死んだら、所詮それまでの器だったと言うことだろう。」


「………。」



あんなに大事そうにクリスを抱えていたルーカス様ですら、クリスに対して非情なまでの突き放し方だった。

もはや、この二人には任せておけないと思い、何か手がかりはないかと部屋を出て行こうとした時、背中から冷ややかな声がかかった。



「どこへ行く?」


「お二方には任せておれません!俺が探しに!!」


「どうやって?」


「どうやってって、まず、マサイアス家の屋敷を探して…」


「だから、どうやって?」



はっと気が付く。


マサイアス家は闇の一族。

当然どこに屋敷があるのかなぞ、誰も知らない。


「で…でもっ!!」


「でも?」



ルーカス様が椅子から立ち上がり、ゆっくりと俺に近付いてきた。

逆行を浴びているので、顔が見えない。



だが、俺を畏縮させるほどの怒気に、俺は何も言えなくなっていた。



「屋敷を見つけ出したとしても、マサイアス家は皇帝の狗だ。お前が、おいそれと屋敷に侵入なんて出来ないぞ。仮に、マサイアスの敷地内に侵入出来たとしても、屋敷の中に入る前に、間違いなく首が飛ぶ。」


「ふっふっん!あそこに入れるのは、儂らだけだからのぅ。」



俺でも、ルーカス様でも陛下でもない声が、俺達に割って入った。

虚を突かれて、(しわが)れた声がした方を見ると、真白い髪の老人が立っていた。

一体何処から現れたのか、わからない俺と、その人物を知っているようなルーカス様は揃って、その老人を視線で追った。だか、老人は俺達じゃない誰かを探しているようで、おや?と素っ頓狂な反応をしていた。



「坊やはおらんのか?ここにいると思ったんだが…。こら、お嬢ちゃん、坊やは何処(いずこ)ぞ?」


「…誰がお嬢ちゃんだ。全く…なんで卿がここにいる。」


「おやおや、とんだご挨拶だのぅ。せっかく、儂の可愛い孫が浚われたと言うから来てみたら、とんだご挨拶だわぃ。で?坊やはどこだね。」


「ここにいるよー。」



後ろから、陛下の明るい声がした。慌てて陛下の方を見ると、お菓子が乗ったカートを押して、悪戯が見つかった時のような顔をしていらした。



「変わってないね、貴方は。やっぱり来たんだ、貴方が来るんじゃないかなと思ってはいたんだけど。あ、お茶にする?」


「おや、いいのかね。では少しだけ頂こうか。あぁ、坊や。皇帝になられたようで、遅ればせながらお祝いを申し上げる。マサイアス家から、儂が変わって祝辞を述べさせてもらうぞ。」


「うーん、祝辞はクリスからもらったからいいんだけどなぁ。」



ルーカス様が白髪の老人のお茶を入れて、お前もどうだと言われたが目の前の光景にいっぱいいっぱいだった俺は、手を振ってそれを固辞した。

それから、三人は親しげに雑談を始めていた。




またもう一人、マサイアス家の人間が…。


老人なのだが、全く一分の隙もない。


両手に黒い手袋をはめ、身の丈の半分程の長剣を脇に置いている。



まさか…。いや、あの人は行方不明だったはずだ…。

しかし話を聞いていると、どうにも目の前の人物が、俺が父親から聞いたことのあったマサイアス家の人間にしか当てはまらなかった。半ば愕然としたままそのおとぎ話の人物の名前を呟く。



「…クリストファー・マサイアス…」



黒い瞳が俺を映した。

彼が、ふっと口角を上げる、それで、その名前が彼の名だというのがわかった。



クリストファー・マサイアス。



マサイアス家最強の伝説。先々代皇帝の狗として、圧倒的な力と智謀で皇帝を裏から支えたという。

帝国の暗部に絡んだその名は、軍の中でもまことしやかに囁かれていた。

確か、先々代皇帝の時代は他国の侵略があったはずだ。



だが、その国は今や存在しない。



父親の話では、このクリストファー・マサイアスが暗躍していたと言われている。



「あ、あの…。」


「おやおや、ミカエリスの小倅か。お前の父も残念だったな。」



驚いて目を見張る。



「一度だけ、おぬしの祖父に会ったことがある。おぬしは祖父によう似ておるわな。腕の方はまだまだ小童だかのぅ。」


「祖父に…ですか。」


「ちょうどおぬしが生まれた時であったか。弛んだ顔で、陛下にデレデレと孫が生まれたと報告しておったわ。」



俺に見つめられながら、クリストファー殿は楽しそうに回想をしているようだった。


俺の祖父…。正直、物凄く厳格だった記憶しかない。遊んでもらったこともなく、言葉をかけてもらっても、怖くて俺は逃げていたように思える。


「祖父が…。家ではそんな素振りを見せた事がありませんでしたが…。」


「その分、王宮でのろけていたのであろうな。有名であったのだぞ、ミカエリス将軍はじじ馬鹿だと。」


「へーぇ。翁の時代はそんな楽しそうだったんだぁ。」


「飼い主が良かったからの。坊やはどんな飼い主になるかのう?」


「はははっ!あのさ、翁。誰に対して言ってるの?」



椅子に深く座り、くすくすと無邪気に笑った陛下は、やはり天使ではなく、悪魔のような邪悪さが垣間見える。


一体俺達は何をしでかしたのであろうか。

もしかしたら、ナバレル皇帝より恐ろしい魔物を引っ張り出したのではないのか…。




「さて坊や、そろそろ儂は行くぞ。クリスティーナはすぐに戻ってくるからのぅ。ただ、泣いておるやもしれぬが。」


「クリスティーナは泣けるのか?」


「僕も見たことないけど。」


「ふふふ、笑った事もないはずよ。儂がそう育てたからの。さぁて。少しばかりイタズラが過ぎた皇帝にに会うて来るかのぅ。ではな、坊やにお嬢ちゃん。あぁ、小倅もな。」



開かれた窓から出て行ったクリストファー殿は、現れた時と同様に音もなく姿を消した。



その場に残された俺達を照らしていたのは、部屋中を染めあげる紅い夕日だった。







「大丈夫。私は疲れていないぞ。」


「ご自分の体調管理も仕事ですよ、閣下。」


絶対に眠いはずなのに、がんとして休もうとしない閣下を見て、大仰にため息を付いた。全くこの人は昔から変わっていない。自分の事に無頓着すぎる。





あの後、クリスは陛下の言った通り、夕食前に戻っていた。





虚ろな目をしたクリスは、全身血まみれだった。





そして、クリスが浚われる前に俺が撫でたはずの長い美しい髪が、ばっさりと肩口辺りまで切られていた。



それに激昂したのが陛下だった。皇帝勅命でマサイアスの一家処分を決定した。

と言ってもクリスが戻ってくる際に、現当主の父親と、時期当主の兄を殺していたし、それに直接関われるのは、やはりクリスしかいなかった。



ただ淡々と仕事をしていく無感情なクリスを見ていて、胸が詰まった。


この子は、無感情なんじゃない。どうやって、感情を表したらいいかわからないだけなのじゃないのか?


多分、あの父親と兄の態度からして、愛されていたとは思えない。マサイアスの名を背負う者には愛なんて必要ないのかもしれない。

でも、誰かあの子を愛してあげないといけないんじゃないのか。



俺が守って、愛してあげたい。




そう俺の心の中に芽生えた瞬間だった。





クリスの短くなった髪を見てルーカス様も苛立ったご様子で、はけ口に、処刑前の前宰相を理路整然と、知識の深さ等で完璧に打ち負かした。


俺の仇だった前元帥と、俺の偽証をした男は、軍の連中になぶり殺された。

ミカエリス家の名は名誉回復し、俺は今、ミカエリスを名乗っている。そして軍の中でも昇格して、ミカエリス将軍の名前を継いだ。母と妹の墓前に、そう報告した。きっと二人も喜んでいることだろう。





将軍である、俺が守るべきは皇帝である陛下だ。





だが、俺は彼女を守ってあげたい。




皇帝の狗と呼ばれるこの子を。





「駄目です。今日は休んでください。これは、陛下のご命令です。」


無表情なこの子が、少しだけ不機嫌になるのがわかったが、気にせず背中を押して部屋に通す。

以前切られた髪は、今や切られる以前の長さに戻っている。


美しい絹の髪。


部屋に入る瞬間、スルリと俺の手の中を滑った黒髪。




彼女を手に入れたい。




だが、陛下と宰相閣下が黙ってはいないだろう。

彼らもクリスに執着しているから。





だから、俺はこの距離で満足だ。




君の背中を守るのは俺だ。

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