漆黒と紅に彩られた双剣
残酷な描写があります。苦手な人は回れ右してください。
ルグレス帝国新皇帝アレクサンドロには二人の側近がいる。
後世では正しかったと判断されているが、クーデターを起こし玉座を簒奪した事実は動かしがたい。
前皇帝の処刑後、腐敗していた内政を牛耳っていた者達を徹底した粛正で一掃。新たな改革を推進する新体制は帝国民の圧倒的な支持を得た。
しかし、反感を持った高官や軍内部では火種がくすぶっていたのも確かだった。
その火種を大火へと煽ったのが、ルグレスの隣国ザフィーラ国。
争いが勃発したのは、国内における粛正の嵐が止んだわずか一年後だった。
ザフィーラは、隣接していたガザエル公爵に内通を持ちかけ、公爵は甘い蜜に抗う事無くあっけなく陥落。
協力を結んだ公爵は前皇帝時代、勅命を授ったと嘘をつき圧政に喘ぐ領民から更に税収を搾り取っていた為クーデター後、大将位から将軍へと降格させられ不満を募らせていたテイラー将軍に協力を依頼。ガザエル・テイラー両名は自領に配置している兵を挙兵。すぐさまザフィーラ軍と同時に帝都近くの街まで侵攻したのである。
皇帝陛下が住まいし王城のある帝都ヴィネガントに配置されている倍近い兵に、帝都陥落は間近だと誰しもが思っていた。
しかし、帝都ヴィネガント侵攻まであと5日というところで突如としてザフィーラ軍が乱れ始める。
ザフィーラの背後にあるアイギス王国が、突如としてザフィーラを攻撃し始めたのである。
元々、ザフィーラとアイギスには以前から婚姻による同盟関係が結ばれており、協力をすることはあっても攻撃されるという事は全く考え難い事であった。
皇帝軍に挟撃される形になったザフィーラ軍は、すぐさま自国に撤退。
残されたガザエル公爵とテイラー将軍の軍はあっけなく瓦解し、敗走した。
「何故我らが負けたのだ…」
敗走し、逃亡途中のガザエル公爵が忌々しげに顔を歪め、ぼそりと洩らす。
「よくわかりませぬ。あの様に都合良くアイギスが出て来てくるなぞ予想だに出来ません。ザフィーラとアイギスの間で何かがあったとしか思えませぬが…」
今にも雨が降り出して来そうなどんよりとした天気の中、逃亡する両軍が森で身を隠しながら進んでいると、その前方に人が佇んでいた事に気が付いた。
黒の長い髪が一つに結わえられ、背中に垂れている。
背は大きくなく、どちらかと言えば華奢な身体をしているようだ。
そこまで認識した瞬間、周りの兵士から悲鳴が上がる。
何事かと声をした方を見回せば、辺りはすでに血の海と化していた。
既に原型が人間であったのかすら判別出来ない程、身体中を切断された兵士があちらこちらに散らばっている。
既に息のある兵士は誰一人残っていなかった。
長年軍で戦を経験したテイラーですら、このような光景を未だかつて見たことが無く、ただただ唖然とした。我に返った瞬間、胃の内容物がこみ上げる。
それをなんとか堪え、蒼白のまま隣のガザエル公爵を見ると完全に腰が抜け、顔面からは完全に色を失い、失禁していた。
「な…なんだこれは…一体何が起こったんだ…一体……」
既に公爵を気にかける事が出来ない中、ガチガチと歯を鳴らせながら呆然と呟く。
「ガザエル公爵とテイラー将軍だな。」
この凄惨な光景に似合わぬ少し高めの幼い声がした方向に視線を移すと、そこにいたのは虐殺が起きる寸前に見た人物。
漆黒の長い髪を持つ華奢な子供。
さっきはよく見えなかったが、貫けるような白い肌をしている。よく見ると、皇帝アレクサンドロに負けない程の美貌を持っている。しかしながらその顔には一切表情が浮かんでいない。
その双眸は血のように赤い真紅。
その姿に思わず息を飲んだ。
両手に握っているのは、とても外見からは想像がつかない、血まみれの双剣。
双剣の血と脂を払い、子供がおもむろに口を開いた。
「お初にお目にかかる、ガザエル公爵、テイラー将軍。私はクリスティン・マサイアス。陛下の使いで参った。」
その言葉に将軍が目を見開く。
「マサイアス…?まさか…貴様…マサイアス元帥か!?」
「いかにもその通り。」
「貴様が!?貴様なんぞガキではないか!!何故私のように武功を上げた将軍が、貴様の様なガキの下に就かねばならん!!」
「宰相といい、このような子供を元帥職に任命した皇帝は一体何をお考えなのだっ!!」
正気を取り戻した公爵共々、烈しい言葉が投げつけられたマサイアスは、未だに眉一つ動く事がない。
激昂していた二人だが、あることに気付いて、再び蒼白となった。
「まさか…この仕業…全部お前がやったのか…。」
「全てではないが、ほとんどは。」
「閣下ってば、俺らにほとんど残してくれませんでしたからね。俺ら手応えなくてガッカリです。」
あはははと、マサイアスの部下ラインハルトがその場に似合わぬ軽快な笑い声を上げる。
唖然とした二人を一瞥したマサイアスは、再び口を開く。
「陛下の勅命だ。お前たちをヴィネガントへとと連行する。処分については陛下が現在お考えになっていると宰相から聞いているが、覚悟はしておけ。ガザエル公爵。いくら先帝の御身内であろうが、その点は考慮されまい。温情を期待しても無駄だ。おそらく極刑だろうな。」
「なっ…なんだと!?」
「そして、テイラー。お前は私が管轄している軍に所属しているのは理解しているか。」
「ぐっ…私は貴様なんぞの部下になった覚えなぞないわ!!」
マサイアスにべっと唾を吐き、憎々しげに睨みつけたが次の瞬間、ラインハルトらマサイアスの部下達が、一斉に将軍の首筋に自分の剣を当てる。
「貴様!!閣下、大丈夫ですか!?」
「気にするな、ラインハルト。あぁ、テイラー将軍、それだけ威勢が良いのならば、ここから帝都までの道程を走って帰るだけの体力もあるな。テイラー。これから4日間ひたすら走れ。休むことも歩くことも許可しない。おい、お前達これから帰都するぞ。お前達は4日位不眠不休で平気だな。私達と公爵は騎乗し、テイラーは腰に縄を繋げて走れ。あぁ、ラインハルト。お前の馬にテイラーの縄を繋げておけ。」
「御意。」
「なっ…!!おい、待て!!ここからヴィネガントまでだと!?馬で走ったとしても、一体どれだけかかると思ってる!!」
「4日で着く。行くぞ。」
その言葉を合図に、マサイアスの部下達が暴れる将軍の腰にすばやく縄を掛け、ラインハルトの騎乗している馬に縄を繋ぐと、そこに乗っている人物は帝都に帰るべく馬の脇腹を蹴った。
マサイアス元帥率いる精鋭軍が帰還したのは、宣言通り4日後。
すっかり憔悴しきった公爵と共に皇帝の前に引きずり出されるはずだった男は、既に顔面からだけではなく、身体のあちこちのから血を流し、肉が垂れ、骨まで露出した姿であった。
息は既に無かった。
皇帝アレクサンドロの冷徹で麗しい紅い剣。
元帥クリスティン・マサイアス。
当時若干13歳。
皇帝陛下の信頼厚く、帝国軍の頂点に立つその人に、底知れぬ恐怖を感じながらも、抗いがたい尊敬と敬意を抱く軍人が増えた出来事であった。