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生きた伝説―中編―

「ぐっ…!」


「まだバテるには早いぞ」



全く容赦のない双剣。操るのは若干13歳の子供。

だが、軍の中で頂点に立つ元帥の剣は俺が入隊して以来交えた中で、誰よりも重い。

無表情で無感情の顔からは、次の一手がどう繰り出されるかの予想が出来ず、かと言って自分から突っ込むのは確実に相手の罠に飛び込む様な自殺行為。いやはや、これで13の女の子だなんて恐れいってしまう。


剣を構え直した瞬間パンパンと手を叩く音がして、次いでミカエリスの声がした。



「閣下、ブリッグハウス将軍、そこまでです」


「ラインハルト」


「私が少し目を離した隙に…。全く、あなたも断ってくれればいいのに」


「それが出来れば苦労はしないさ。閣下、残念ですが…」


「わかった。仕方がないな」


額に汗をかき、息があがっている俺に対し、絹糸のような黒髪は相変わらず一筋の乱れもない。無表情な顔には疲れと言うものが見えないが、それはそれで末恐ろしいと思う。

閣下は双剣を鞘に収めると、ミカエリスに促される形で鍛錬場を後にした。少し物足りない感じもしないではないが、あれ以上やると俺も閣下も本気になってしまい、多分どちらかが…九割俺が死ぬまで剣を修めなかったはずだ。全く、ミカエリスも抜け目がない。


ふうと額に浮かんだ汗を拭ってぐるりと辺りを見回すと、俺と閣下の剣に見惚れたのか、恐ろしさに震えているのか――まあ後者だろうが――俺が振り返るなり息を止めていた面々がようやく溜まっていたそれを吐き出した。

ざわざわとしていたものがいつしか喧騒になったのは以外に早く、俺と閣下の手合いを見る事が出来なかった奴等に興奮して教えているのも何人かいたのが見えた。それにふっと笑って鍛錬場を後にする。



ミカエリスが呼びに来たと言う事は、多分閣下を止めたのは陛下。


彼女…皇帝の狗であるマサイアス家の飼い主であると共に、この国の絶対王者。

そして、俺の主でもあるアレクサンドロ皇帝。



ルグレス帝国将軍は総勢5人。

国の国境である東西南北を守護する将軍4人と、中央を守護する将軍1人で構成されている。その中で一番有名だったのは中央守護のミカエリス将軍だったのだが、俺が入隊してから直ぐにアルナージ村事件で失墜、その穴を無能の一言で尽きる男が埋めた。

配属当時中央軍に所属していた俺は、多少なりともミカエリス将軍にお会いする機会があったのだが、事件のあった時には既に配置変えをされていたのでその詳細はわからない。しかし、あの公明正大で不正を嫌うあの方がそんな野卑な事件を起こすわけが無いとミカエリス将軍を信頼していた軍人から、特に中級・下級仕官連中からの奏上は多かった。それがナバレル皇帝はおろか、当時の幕僚連中に一考すらされなかったのは、なんらかの力が働いているというのが俺達の中で囁かれた噂だった。


そんな黒い噂がある将軍連中だったが、南方守護の将軍が急死したというので俺がその穴を埋めるべく抜擢された。ブリッグハウス家の人間だったと言うのもあったのだろう、そうでなければ特権主義と選民意識に凝り固まった上層部に俺のような下官が上がれるわけがない。いくら手柄を立てようと、下級仕官がのし上がれるのは精々大佐までだし、中級で准将まで。ここに来ての家名での就任は正直言って、厄介だったと言うよりなかった。

しかし、俺と死線を潜り抜けて来た連中や俺の部下達は諸手を挙げて喜んだ。その光景があまりに異様だったので、ちょっとばかり引いたのは内緒だ。

なんでも、偉ぶった上層部に自分達と同じ釜の飯を食った仲間が入るのは嬉しいんだぞ!!と酔った勢いそのままに背中をばんと思い切り叩かれ、あまりの痛さに思わず呻くほどだったが、そんなにも他人の事で喜んでくれるこいつらがいるならと、将軍への就任要請にサインした。



就任式。

帝都の王城に将軍だけが着る事の許される軍服を着て、中に入る。城を守っているのも軍の連中のために「おめでとうございます」という祝いの言葉を笑顔でかけられる。その言葉に「ありがとう」と答え、就任式が行われる謁見室への廊下を歩いていた。



「あなたが今度の南方将軍?」



その声が聞こえたのは、まさに謁見室へ扉の前。一緒にいた上官や、俺の部下達が振り返ってその声の主を確認すると、一斉に膝を折った。

そこにいたのは、まさに天使のような子供。銀髪・紫眼のキラキラとしたその子供は、見る者すべてを虜にするような可愛らしい笑みを浮かべ、こちらを興味深々と言った感じで見ていた。

そう、この子供は…そう思い至った瞬間、俺も皆と同じく膝を折っていた。



「アレクサンドロ王子、このような場所でいかがなさいました」


「今日南方将軍の就任式だって兄上から聞いたんだ。兄上は同席出来るのに、僕が出来ないのはおかしくない?」


「王子はまだお小さくていらっしゃいますから」


「僕はもう8歳だよ!!」


「まだ8歳でいらっしゃいますよ」



笑いながら聞きわけのない子供を窘める様にしている上官の言葉に、ぷくっと可愛らしく頬を膨らませた王子は、今日の主役である俺を見ると目に見えてご機嫌になったようで、たたたっと俺に駆けて来ると興味深々と言った感じでじーっと見ていた。



「お初にお目にかかります。私はこの度南方将軍を拝命いたしますことになりました、ウェストン・ブリッグハウスと申します。是非お見知りおきを」


「おめでとう、ブリッグハウス将軍。僕はアレクサンドロ、よろしくね」



にっこりと笑んで握手を求められたので、それに答えるべく手を差し伸ばす。その瞬間、俺は何が起きたのかわからなかった。可愛らしい天使は俺にガバッと抱き付いて、耳元でボソリと呟いたのだ。



「現皇帝を見限って、僕の駒になる気はない?」



目を見開いてその言葉を反芻する。

駒とは一体何の事なのか、そして、その言葉を口走ったこの王子の本性が今皆に晒しているものとは全く別のものではないのか…。まさに今言った言葉は、天使と称される王子から発せられたとは一概には信じられない。この子にとってはナバレル皇帝は実の父で、しかも溺愛されているとの評判もある。そんな年端もいかない子供が発してもいい内容ではなかった。


まさに悪魔のような一言。


そういう矛盾した疑問を抱いたまま、俺から離れて去って行ったアレクサンドロ王子を呆然として見送っていると、中に入るぞという声がかかった。

そして俺は、王子の言葉の意味を深く理解することになる。



目の前に立ったナバレル皇帝は、まさに暗愚と言うに相応しい人間で下劣極まりなく、そしてそれを諌めるでもなく、ただそれを当たり前のように受け止めてその行いを止めようともしない皇太子に唖然とした。

近くにいた女官の身体にむやみに触ってみたかと思えば、その彼女を貶す言葉を吐き、さらにはその私生活を人前で晒し出す。かと思えば、近くにあったデカンダに入った酒を執務中でありながら平気で飲み、盛大にゲップをしたかと思えば、飲み終えたデカンダを下官に投げつけ流血させて喜んでいた。

皇太子はと言えば、我関せずを言った風情で目の前の光景を知らないふりをして平気そうな顔をしている。更にはナバレル皇帝に恫喝されて泣き出した女官に対し、「煩いから出ていけ」と慰めの言葉もかけない冷徹ぶり。


これが本当に俺が護るべき皇帝家の人間か?

そう考えるのは至極自然で、つい先程アレクサンドロ王子に囁かれた言葉が脳裏を駆け巡った。



『現皇帝を見限って、僕の駒になる気はない?』



こういう事だったのかと理解するなり、案外とすんなり腑に落ちた。

この皇帝は駄目だ。そして、その跡を継ぐべく皇太子も人の痛みをわからないようではいずれはナバレルと同じ徹を踏む。絶対にそうだとは言いきれないが、可能性は高い。むしろならないほうが奇跡なのではないか。


ナバレル皇帝と、皇太子に可愛がられているというアレクサンドロ王子。

もし自分があの言葉の通り、王子の駒になるのであれば彼の人となりを知らなければ駒にはなりえない。

就任式を終え、正式に南方将軍をなって任務地に赴く前にもう一度王子に会うために登城した。



案内されたのは、白亜の廊下を渡りきった突き当りにある小さな温室。そこは美しい薔薇や百合が並ぶような優雅なものではなく、小さな花が無造作に咲いているような本当に小さなものだった。

そこにいたのはアレクサンドロ王子だけではなく、レイエス公爵家の三男坊であるルーカスもいた。確かルーカスという子供は、年に似合わぬ博識で文官たちも舌を巻くほどの頭の回転の良さから王子の友人という立場になっているはずだ。そして、ルーカスはもう一つ特筆すべきものがあった。

それは驚くべきほどの秀麗な美貌を持っているということだ。少し長めの金髪を無造作に一つで束ねた髪に、エメラルドのような美しい碧眼。今でさえ優雅な貴族令嬢のように見えるのに、大人になったらさぞかしその美貌の虜になるであろう者が続出するだろう。これで男なのだから、生まれてくる性別が違ったらさぞかし傾国の美女になったであろうと思う。


思わずそんな事を考えていると、王子が口を開いた。



「やあ、南方将軍。そろそろあっちに行くんだって?」


「お久しぶりです、アレクサンドロ王子。はい、明後日にはあちらに行く予定になっています。」


「そう、あ、こっちはルーカス・レイエス。レイエス公爵家の息子だよ。」


「はい。お初にお目にかかります、先ごろ南方将軍に任命されたウェストン・ブリッグハウスです。以後お見知りおきを」


「始めまして。ルーカスです」



美しい笑顔の仮面を被ったままのルーカスが一歩近づくと、後ろから物凄い殺気がした。ぞわっと鳥肌が立ち思わず帯刀していた剣を抜いて殺気の方向を探すと、呆れたような声がルーカスから発せられた。



「クリス、お前もこっちに来い。大丈夫だ、こいつはアレックスに何もしない」


「おいで、クリス。君も将軍に紹介しないといけないからね」



がさりと後ろの草木が揺れたと思ったら、そこから現れたのは小さな人影だった。



「将軍、紹介するね。クリスだよ。クリス、始めましては?」


「…はじめまして…」



ぺこりと頭を下げた子供をまじまじと見てしまうのは当然だ。あれだけの殺気を発した根源が、こんな小さな子供だなんて信じられない。

長い黒髪、真っ白な肌。それに、一際目を引く紅い眼。尚且つ、子供特有のコロコロと変わる表情が全くないので、人間でなく精巧に作られた人形にしか見えなかった。

そんな子供が先程の殺気を放った張本人だとは…。信じられない思いで目の前の紅い目の子供を見ていると、ルーカスが口を開いた。



「南方将軍がここに来たって言う事は、貴方も俺達と同じですか」


「俺達?」


「そう。アレックスの駒になったのは俺もだが、このクリスも同じだ。少し違うのは、クリスは駒ではなく狗だと言う事です」


「イヌ…?」


「クリスの家名は『マサイアス』。軍に所属していた貴方なら、知っているでしょう。『皇帝の狗』」



マサイアス。

昔俺が一度会った事のある、あの方もまたマサイアス家の元当主。ほとんど伝説に近い、いや、俺の二つ名の『生きた伝説』というものは全く意味をなさないほどの伝説を持っている。

そう、クリストファー・マサイアスに俺は昔会った事がある。



そしてあの方は何と言っていた。



『今の皇帝に仕えるのは、お前にとっては残念かもな。それよりだったら、次代の坊やに忠誠を誓った方が良かろう。これはワシの忠告だ。大人しく聞いておけよ、僕ちゃん』



『まぁまぁ、そんなに短気になるな。…しかし本気でうちの孫はどうだ?まだ赤子だが大した器量になると思うのだが…』



そう、確かにこう言っていた。

あの方はこうなるであろう事を全てを見通していたのか。あの時に言った言葉『次代の坊や』というのは皇太子の事だと思っていた。しかし、彼が言っていたのは皇太子ではなく、目の前の天使のような子供の事。


しかも、赤子って…。



「女の子…?」



ぼそっと呟いたはずが、その言葉を耳聡く聞いたのか王子とルーカスの両名に物凄い目で睨まれた。一体なんだ。



「なんでそれ知ってるわけ?パッと見でわかるわけないんだよね」


「将軍、誰から聞いた」


「あ、いや、あの…」


「ワシだ、ワシ」



後ろから飄々とした声が聞こえた。

この声は…

しかし、名前を呼んだのは俺ではなく、目の前にいた紅い目の子供だった。



「クリストファー様」


「久しいな、坊やに嬢ちゃん、それにクリスティーナ」



クリストファー・マサイアス。

一体何故ここに?

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