これらはすべて雨のために
1
「時間はどう?」
「まだ五分前。エリはいつも五分前にはいるね」
「十分前にいた方がよかった?」
私は雲一つない偽物のような青い空を見上げる。点々と黒い物体が数十台は旋回している。
「ご冗談を」
「遅刻するよりはよほどいい」
「今どき数分の遅れでどうこう言う人間なんていないよ。人間って寿命が延びると待ち合わせ時間もゆるゆるになるんだね」
「私は今どきの人間のじゃないからね」
「それにしても早すぎたかな?」
私より頭一つ低い少女がフリルの多い白いスカートを揺らして私に聞いた。
「何その格好。他になかったの?」
「いいでしょ?」
あどけない表情の少女はわざとらしい精密な笑顔を作った。私が溜め息を吐くのも気にしていなかったようだ。
「あ、来ましたね」
前方の道路に白いバンが止まり男性が降りてきた。
「いやいや、すみません、会議が長引きまして……」
やや日焼けをした彼は私たちに向かって何度も頭を下げた。身長は私たちよりも高い。恰幅が良いと言った方がいいだろうか。何かしらのスポーツをやっていたと言われても信じてしまいそうになるくらいだ。窮屈そうにスーツを着ている。
「いいですよ。予定の時間通りです」
「ありがとうございます。ニシミヤ先生、でよろしいでしょうか? 他にお呼びした方がよい、たとえば本名など……」
「本名もニシミヤです。それでかまいません」
「ええ、そうでしたか、それではニシミヤ先生……」
「先生は不要です。もう何も書いていません」
「そうは言いましても。私たちにとっては……」
申し訳なさそうに彼がまた頭を下げる。横にいた少女が割って入った。
「『先生』呼びを強制されるのも、『先生』呼ばないを強制されるのも、同じくらい面倒じゃない?」
「『先生』呼ばない?」
少女は私の苦々しい表情をきちんと読み取った上で、どうでもいいような顔をした。
「意味わからない?」
「また変な日本語を……。わかりました。どちらでもかまいません」
私が彼に向き直す。
「ありがとうございます。ではニシミヤ先生でお願いします。そちらは」
彼が少女を見る。
「アシスタントの『ハロー』です。お見知りおきを」
ハローと名乗った少女はその場でくるりと一回転した。フリルとツインテールが遅れて彼女に追従する。
「ええ、ああ、なるほど。ハローさん、よろしくお願いします」
「いえいえ」
「委員会からご連絡がありました通り、本日案内をいたしますサトナカと申します」
「はい、聞いています」
「それでは詳しい話を、メールの繰り返しになり恐縮ですが一応義務ですので、車の中でいたします」
「はーい」
「ハロー、人前ではちゃんとしなさい」
「はいはーい」
「だから……」
「ははは、ニシミヤ先生、かまいませんよ」
サトナカが笑った。
「ね、ね、早く乗ろう」
ハローが私の背後に回り背中を押す。
2
サトナカが運転席に座ってバックミラーで後部座席に座った私たちを見た。ずいぶん古風な車だと思ったがサトナカはハンドルを握っていない。滑るように車が動き出した。
「まずは重ねてありがとうございます。当時の人間を探すことも、協力を交渉することもずいぶん難しくなってきましたので……」
「ええ、そうでしょうね」
「我々、『復興委員会』は50年前に起きた『災害』以前にここに住まわれていた方に思い出、と言ったらいいのでしょうか、記憶をお聞きして、都市の再現を目指しています」
かつてこの街を中心に『災害』があり、街としての外観を残したまま、人口の半分が亡くなった。生き残った住民もこの街が汚染地域に指定されるとあちこちに散らばっていった。それからこの街は立ち入ることもできなくなった。
「それなのですが……、記録であればいくらでも残っているのではないですか?」
ミラー越しにサトナカが頷いた。
「はい、必要な記録はすべて集めています。公文書はもちろん、写真、映像、残っているものはなんでもです。もちろん、先生の小説も」
「良かったですね、エリ、ああ、ニシミヤ先生」
左にいたハローが私に向かって言った。エリは私の名前だ。
「別に嬉しくはないよ」
「またまたあ」
ハローがぽんぽんと肩を叩いた。
「フィクションですよ。偽物です」
私はかつて作家だった。まだ人間が単独で物語を作ることに意味があった、たぶん最後の方の時代の話だろう。いわゆる少女小説、青春小説と呼ばれたジャンルで私は小説を書いていた。多くは私が青春時代を送ったこの街を舞台としていた。今は老人ホームで悠々自適な生活を送っている。
「ええ」
サトナカがまた頷く。
「わかっています。我々が求めているのは、その『偽物』です。丹念に作り上げられたフェイク、それが必要なのです。事実だけでは都市は再現できない、人間が持っている、その偽物が、人間が求めている街の『それらしさ』を作るのだと我々は結論づけました」
「そうですか」
「フィクションを作る能力は当時は人間が優勢でしたから。私は今も物語は人間が作るべきだと思っていますよ、AIはどうも味気ない。AIに権利をというのも……。ああ、これは失礼」
「いいですよ」
サトナカに返したのは笑顔のハローだ。
少女のような格好をしているハローはアンドロイドであり、中身は自律型のAIだ。私の暮らしのサポートをしている。私のことはこのハローが一番よく知っている。彼女は私の小説を一字一句違わず引用することだってできる。とはいえ、彼女は外側は有機体なのだから、普通にご飯を食べるしトイレにも行く。脳や骨格の構造がちょっとだけ異なるだけだ。
「最近はそういう意見も少なくなりましたね」
今はもうAI、とりわけアンドロイドなしには社会は成り立たない。自律型のAIには条件を課した上で一定の権利を与えるべきであるという意見もある。
「この仕事をしていますと、どうしてもそういう意見をお持ちの方と話す機会が多くあります。それに影響をされているのかもしれないです」
「ねえ、サトナカさん」
「はい、なんでしょうか」
「これは、本当に『復興』なの?」
ハローが素朴な声で聞いた。
「それはどういう意味でしょうか?」
「情報を集めたからって移住をするわけじゃないんでしょ」
「実際に住むことはまだ制限されていますからね。長期滞在の『災害』の影響もわかりませんし。今後も現実の方はかなり難しいでしょうね。だからこそのプロジェクトでもあります」
「それって復興っていうより、観光でしょ。この都市をテーマパークにするつもり? 無人の都市を見世物にしたいだけで」
「こら、ハロー」
「エリが話を聞いたときに言っていたことじゃない。私が代わりに言っただけでしょ」
「ここで言うべきことではない」
サトナカがわざわざ運転席からこちらに振り返った。
「そういう反応があることも承知しています。当時の生き残り、それからその前に街を出た人々数千人に依頼をしていますが、現にそれで記憶の提供を断られることも多々あります。それでもニシミヤ先生は承諾しただいた。理由をお聞きしてもよいですか?」
「大層な理由はありません。制限区域になっているこの都市に私も死ぬ前に来てみたかったですし、結果がどうであれ、この街が忘れ去られないというのは、私にとっても、そうですね、少しは意味があるような気がしました。喉の小骨を取りにきたようなものですね。でも、サトナカさん、私の小説を読んでいるということは……」
「ええ、ニシミヤ先生が、この街に複雑な感情をお持ちなのはわかります。我々はポジティブなものだけではなく、ネガティブなものもありのまま収集していますが、先生のような両者が混在するような感情を表現してあるものはとても貴重です」
「それならいいですが」
私は書いている小説では、少女がこの街の日常から抜け出し、最後には他の都会に旅立つ話が多い。その中で、主人公は、街へのネガティブな心境を吐露する。私も同じように進学を機に東京に引っ越しをした。都会へ逃げてきたのだ。私が都会で暮らしている間に残された両親は『災害』で亡くなってしまった。
「ありがとうございます。今日いただいた記憶はシステムでまとめられ、追体験できるように整備されます。またそのときには確認をお願いします」
「ニシミヤアトラクションだ。人気出るかな」
「今日が有益なものになるように祈っています」
「ねえねえ、サトナカさん。あれは何をしているの?」
左の窓を開けてハローが空中を漂っているドローンの一つを指した。
「ああ、あれはマッピングの補正をしているのです。まあパトロールですかね」
「攻撃能力は?」
「攻撃? ないですよ、せいぜい通報するくらいです」
「何を通報しているの?」
「不法侵入が多いですね。入っても得るものはまだないとは思いますが……」
「ふうん、現実の方は本当に誰も住んでないの?」
「国の管理下に置かれていますから。検問を越えないと車が入ることはできませんし、ナビでも封鎖エリアに指定されていますからね。ただ……」
「ただ……?」
「実態として、百人程度が住んでいるのではないかと言われています」
「言われている?」
気になったことはガンガン聞いていくハローの精神性、AIなのだから精神というのもおかしいが、は見るものがある。私がハローをセットアップしたときにそうなるように設定したからだ。好奇心旺盛で、人見知りをせず、私に対しても遠慮なく発言する友達が私は欲しかったのだ。
それは、誰を模したものだったのだろうか。
「現状、現実でこの地域に立ち入ることができるのは『復興委員会』のみです。警察や自衛隊には検問をしてもらっています。復興委員会は荒事はできませんからね、そこをついて、道路上の検問を避けて街に入る人が確認されているのです」
「彼らはどうして、こんな不便な……」
街は機能停止している。食料を調達するのも自給自足ではないと難しいだろう。海があるから魚は手に入るか。
サトナカが左の口端を上げた。
「どうでしょうね、コンタクトが取れないので彼らが元の住民かどうかもわかっていません。いずれ再調査をしなければいけないとは思いますが、優先順位が低いです。復興委員会には彼らを詰問したり排除したりする権限がありませんし、何より彼らは街を利用はしているものの破壊していないのですから」
「テーマパーク化に反対している人達なんじゃないですか? そういう団体があるんでしょ?」
「ハローさんの言う通り。この『復興委員会』の行為を好ましく思っていないグループがあるというのは確かです。人がまた住めるようにするのが都市の復興であり、当時の再現をする『復興委員会』の行為は欺瞞であると。そうでなければ、すべてを更地にするべきであるという意見もあります」
「ずいぶんと極端だなあ」
「極端な発想をするのは人間の欠点です」
「美点だと言う人もいます。私にはどちらでも意味はないと思いますが」
二人に聞こえるくらいのギリギリの小ささで私が言った。
「AIはもう少し中庸な意見を出してくれますね」
サトナカにハローが反論する。
「そうですか? 設定してくれさえすれば何とでもなりますし、情報次第ではどうとでも返しますよ。私の意見を決めるのは、所詮扱う人間です。でもそれって、人間と同じですよね? あ、そう言ってしまうのもAIだからですよ」
「ハロー」
「エリ、私は不満を言っているわけじゃないですよ」
「それならよし」
サトナカが空笑いをする。
「ははは。……ただ、文句を言う彼らは実際に住むまではしないですね」
「どうしてわかるのですか?」
「こういう批判は大抵当事者以外が言っているだけです。こちらが把握している主要なメンバーはこの街の住人ではなく、また親族にも関係がないこともわかっています。テーマパークとして反対するかはともかく、それは、ええ、思想的なものは別として、税金の無駄使いではないか、という方が強いのでしょうね。私が必要と思っていないものに税金が使われるのがもったいない、という何百年も続くお決まりの発想ですね。税金を使う以上、『成果』を求められるのは仕方ないと思いますが、そもそもこのようなことを民間ではやりませんからね」
サトナカは何度も聞かれてきただろう言葉をよどみなく言ったので私が返す。
「それなら私も彼らとさほど考えは違わないですね。都市は人がいて、生きているから成り立つのであって、無人の、あるいは観光客が滞在するだけのものを税金で再生することに意味はあまりないように思います。その点では、テーマパーク化に反対する彼らの道理もそれなりに通っていると思います」
「利益が出るの?」
サトナカはハローの質問にわざとらしい苦笑の顔を作った。
「公益事業ですからここでは単体の収益はあまり気にしていません。まあ、税金泥棒とまでは言われたくはないですがね。ここで得た知見はシステムとして他の地域、あるいは同様の『災害』が起こった他国に売ることは考えられているようですが……」
「が?」
「私にはよくわかりません。私はここの復興の手伝いができればそれでいいです。主義主張よりは、生活の手段の方が……、おっと公務員がそんなことを言ってはいけませんね」
それがサトナカの本心なのかはわからない、たぶん、ここに連れてきた元住人の緊張をほぐそうとしているいつもの手なのだろう。
「それでは、最初の地点につきました。ドアを開けますからお足元にご注意を」
3
最初にハローが、続いて私が車から降りた。
「海ですねえ」
ハローがなぜか感慨深く言った。
「ええ。先生の小説の最初の舞台ですね」
三人の眼前には横に長い砂浜と穏やかな海が広がっていた。
「はい」
「いいですね、いいですね、海なんて初めて見ました!」
「あ、ハロー!」
私が言うよりも先にハローが駆け出し波打ち際まで走って行く。ハローは波に合わせて水に浸からないよう前後に動いている。
「エリ、エリ、早く早く!」
少し離れた位置で小さな身体のハローが手を大きく振って私を呼んでいる。私がサトナカを見ると彼はそれを認めるようにまたもや頷いた。私がハローに近寄っていくとサトナカもワンテンポ遅れてついてくる。湿った砂を足元で感じる。不思議な気分だ。もう何十年も触れてこなかったのに、『ある』というのが懐かしさを呼び起こさせる。
「入っていい? 入っていい?」
「車が汚れてしまうからダメだよ」
「それならご心配に及びません」
「それもそうですね。ハロー、気をつけて!」
「はーい」
ハローが両手でスカートを摘まんで楽しそうにじゃぶじゃぶと足で水を蹴飛ばしている。
「楽しい方ですね」
「ええ」
サトナカに返す。
「ニシミヤ先生の過去のインタビューなども見させていただきました。失礼ですが、その印象から少し冷たい印象を持っておりまして、ハローさんのようなタイプを利用されているとは意外でした」
恐縮して言うサトナカがなんだか面白かった。
「私が小さい頃は、あんな感じでしたよ」
いや、そうか?
私は私を元にしてハローを作ったのだろうか。
「そうでしたか、いやはや」
サトナカがポケットからハンカチを取り出して額に当てている。嘘くさいその動作がかえっておかしかった。少なくとも、偽物こそがそれらしいものを作るのだと復興委員会が思っているのは間違いなさそうだった。
「それで、私はどのようなことをすればいいんですか?」
「視覚を共有させていただいても?」
「ええ」
左のこめかみのそばでピピッと音がした。
「ニシミヤ先生の視線で映像を記録いたします。あとは思ったことをただ言っていただければ」
「昔話でも?」
「大歓迎です」
私ははしゃいでいるハローを見て、それから海から先端だけが出ている岩を見た。
「私は本当のところ、海が好きではありませんでした。一度浸ってしまえば、二度と起き上がれないような気がしていました。海水浴にも気乗りではなく、親が連れていこうとするのも嫌がり、行ったときは水に触れないようにして砂を掘って遊んだふりをしていました。今のハローのようなことはしませんでしたね」
「なるほど、先生の本ではよく海で遊ぶ女の子たちが登場していましたね」
「だからフィクションです。同級生たちのように私はできませんでした。ただ、どうしても私を連れていきたい子が一人だけいました。その子がいるときだけ、私は渋々ついていきました」
「それは本の」
「そうです、彼女が主人公で、私がそのヒロインです。彼女がどうして私のことを連れていこうとしていたのかは、物語では色々考えましたけど、答えはわかりません」
「どうしてですか?」
「本になる前に『災害』で亡くなりました。とてもきれいな遺体で、彼女が煙になっていくのを私はぼうっと見ていました。もう五十年も前なんですね」
私はかつてそばにいた、人懐っこい、犬のような、あのときは親友といってよかったあの彼女を主人公に本を書いた。本とは逆に現実で街を出たのは私で、彼女は家族の都合で街に残った。私たちをわけたのはたったそれだけのことだと私は思っていた。上京当初こそ連絡はしていたものの、しばらくして彼女からの反応が悪くなり『災害』が起きる前には疎遠になっていた。もしかしたら反応が悪くなったのは私の方かもしれない。記憶が霞むくらい昔の話だ。
「そうでしたか」
「こういうお仕事をされていれば、そういう話もたくさん聞いたでしょう?」
「ええ、はい。それはもう」
「ありふれた話ですみません。類型化できそうですね」
「いえ、違います」
柔和そうなサトナカが力強い口調で言った。
「私は『災害』後に生まれたのでみなさんのような感覚はどうやっても理解しきることはできません。ただ、私はあの『災害』で41,584人の方が亡くなったことを知っています。彼ら、彼女たちはひとかたまりの犠牲者ではありません。一人の死が41,584件重なっているのです。ご遺族もお一人お一人が犠牲者とつながる貴重な存在であることを知っています」
「……そうですね」
「公務員の定型的な言葉かもしれませんが、私はそれでもこの言葉を忘れていませんし、みなさんの話を聞くにつれ、その思いは強くしています」
「ありがとうございます」
「いえいえ」
「サトナカさん、次に行きましょう。ここでお話できるのはこれだけです」
「わかりました。車に戻りましょう」
「ハロー! 戻るよ!」
波に水平になり大きく足を上げて行進をしていたハローに声をかける。
「えー、エリはまだ入ってないじゃん」
「いいんだよ、私は。もうおばあちゃんなんだから」
4
私たちは海の近くにある私が過ごした高校の中に入って、私たちの足音すらしない廊下を歩いた。ハローは珍しいのかドアを引いて教室に入り、ぐるっと回って出てくるのを繰り返していた。今暮らしているときには思い出すことも少なくなっていたのに、こうして学校にいるとするすると芋づる式に記憶が蘇ってきて、私は色々なことを話した。サトナカは相づちを打ったり、簡単な質問をしていた。やはり思い出すのはクラスメイト、とりわけ彼女のことだった。
私たちは車に乗り、また別な場所に移動した。
「ここにいた動物たちはどうしましたか?」
私たちは街の外れにある小さな水族館に入った。私たち以外に誰もいないし、水槽には何も入っていない。
「『災害』で死ななかったものは迅速に別エリアの水族館へと移送されました。その子供達もその水族館で見られますよ。むしろ人間よりも被害が少なかったですね」
「そうですか」
サトナカの言葉で私が明らかに安堵しているのがわかった。まるで生物なら人間よりも動物の方が優先されるべきであると思っているかのようだった。私は本当にそう思っているのだろう。『彼女』はおろか両親でさえも『災害』で亡くしたというのに。
「再現時にはいくつかの水槽については魚を入れる予定です。大型の哺乳類、トドとかも準備できればいいのですが、そのあたりシミュレーションがまだでして。トド、覚えていますか、あの文字を描く……」
「ええ、覚えていますよ。懐かしいですね」
「それも再現できればと思っています。目玉になりますからね」
「あの観覧車」
私は水族館に併設されている小型の観覧車を指さした。
「『災害』時にも動いていたようです。もう手が入っているので動かせますよ」
「え、いいじゃん。エリ、乗ろうよ」
ハローがそう言って私の袖を掴んだが私は首を振った。
「高所恐怖症なんだ」
「あんなの高所に入らないじゃん!」
「いいから、乗りたいならハローだけ乗りなさい」
「それはさすがにつまらなすぎ~」
私は水族館から離れたところにある街の両端を繋ぐ橋を見ていた。それにサトナカが気がついたようだ。
「あそこまで大きいとですね、なかなかメンテナンスも難しく、復興の予算も厳しく、頑張ってみますが現実では通行止めのままになるかと思います。何か思い出が?」
「ええ、夏にあそこでお祭りがあって、花火を見たのを思い出しました」
「ああ、それは他の方からも聞いています」
「そういえば、それも彼女と一緒だったと思います。そう、二人でリンゴ飴を食べて、橋のそばにいて、昔は花火だけでドローンショーなんてなくて、ああ、どうして今まで忘れていたんでしょうか」
どうしてだろう。
彼女を思い出そうとすると凛々しい横顔ばかりだ。それかあの後ろ姿。真正面の顔は全然思い出せない。写真はあるはずだからそれを見ればわかるはずなのに、記憶の中ではぼやけてしまっている。
私の目の前では夜空にカラフルな花火が打ち上がっている。もう存在しない、彼女との記憶の断片だ。
「こうして案内をしていると、ふいに記憶を思い出される方も多くいらっしゃいます。それはそれで、案内をした甲斐があったというものです。夏祭りはやはり優先的に再現した方がよさそうですね」
5
擬似的に揺られた車で私がのけぞる。
「エリ、どうしたの?」
「ん、いや……」
ハローが私を下から覗き込んだ。
「心ここにあらずって感じ。そりゃ心はここにないわけだけど」
「それは……」
「ニシミヤ先生、気分でも悪くされましたか? どこかで休憩でも取りましょうか? 次が最後の予定ですが、ここで中断してもいいですし、ご迷惑でなければ後日でもかまいません」
「大丈夫です」
「わかりました。移動だけ時短しましょう」
「ありがとうございます」
サトナカが膝の上に置いていたタブレットを操作する。窓から見える景色がぼやけていく。存在しない加速を脳に感じる。一瞬で私たちは目的地に着いた。車から降りて全景を見る。
「みなさん、最後はここにお連れしています」
山の街が一望できる展望台だ。眼下には少ない平地にぎゅっと集まるようにしている建物と、海に面した工場、一台の車も走っていない道路、公式には誰もいない街。とうに棄てられて、いずれ忘れ去られていくのに、無理矢理復元されようとしている街。それは果たして正しいのだろうか、みんなが忘れるなら、それはもうそれでいいのではないか。
ハローが望遠鏡に両目をつけてぐるぐると回している。ハローの視力なら望遠鏡と同じ精度が出せるはずだ。
「とはいえ、街の全体像を見て何か思い出が想起される方は少ないです」
「結局、思い出というのは非常に個人的で、ミクロでしかありえない、ということでしょうか」
ただ、私はずいぶん前にいなくなってしまった彼女のことを思い出している。思い出せるうちは真に死んだことにはならない、だろうか。それはさすがにセンチメンタルすぎる。いなくなったものはいなくなったものだ。私が彼女の話をしたことで、ここで再現される彼女は、それはもう彼女ではない。
「そうでしょうね、神は細部に宿るというか、ちょっと違いますか、みなさんの話を聞く限りはそうだと思いますね」
「サトナカさん」
「はい」
「雨は、降らせることができますか?」
「雨、ですか。ちょっと現状ではそこまでの演算がうまくできていなくて、どうしてですか? 何か雨に思い出でも……、あれ、ちょっと待ってください」
サトナカが左手で自分の耳をおさえた。
「ん?」
「すい……ま……せつ……わるく……」
「エリ!」
ハローが慌てた表情でこちらに走ってくる。その背後から黒い物体が真っ直ぐに向かってくる。ハローが私の正面から抱きついて私を押し倒す。背中が地面に着く前に反転してハローが背中を打ち付けた。
「う、うう……」
「大丈夫、エリ!?」
存在しない衝撃が頭に響く。私の前を過ぎていったのは空で旋回していた監視ドローンだ。ドローンは地面で数回バウンドして静かになった。
「こち……でも……」
立っていたサトナカの姿が揺らぐ。
「え、これ」
「わからない! 攻撃を受けている!」
ハローが耳元で叫んだ。
「でも……、ここは……」
「関係ない! 穴を開けられている! 情報を飽和させるつもりだ!」
すでに立っていたハローが倒れている私の手を引っ張って起き上がらせる。
「きょう……しゅうりょう……」
「サトナカさん!」
サトナカの身体がバラバラになって砂のように落ちていく。
「まだ来る!」
いつの間にか空にドローンが集合していて、大きな雨雲を作っていた。これがさっき見て私がサトナカに言いたかったことだ。雨雲は大きくなり、空いっぱいに広がっていく。みるみるうちに雨が振り出し、稲光が世界を点滅させる。思わず私は展望台の手すりに手をかける。
建物が崩れて、海面が泡のようになっていく。山頂だからこそ見える景色だ。元々の色とは関係なく、極彩色に地面がボコボコに隆起している。世界が、街が終わっていく。当然違うものだが、まるで『災害』を再現しているようだった。
私はそれをとてもきれいだと思った。
ずっと、私が見たかった景色だった気がする。
今、彼女がそばにいたらその手を。
「エリ! 離脱するよ!」
手を掴んだのはハローだ。
「でも、このまま私は……」
終わっていけばいいのに。
「うるさい! このままだと脳神経にダメージを受ける!」
ハローが私の両頬を手で挟んだ。ハローの鼻が私の鼻にくっつきそうだ。
「ここは偽物だ! ここに私もエリもいない! 彼女もいない!」
「ハロー……」
「目を瞑って!」
私のまぶたの裏に見えたのは彼女の笑顔だった。
ハローが叫ぶ。
「いち、に、さん!」
ハローが頬を叩いた。
6
「目が醒めた?」
ベッドから身体を起こす。
「ちょっと、頭がふらふらする」
「もう少し休んだ方がいいよ、おばあちゃんなんだから」
ベッド横のイスにハローが座っていた。彼女はあっちの世界とは違って成人女性の身体つきをして、大人しそうな顔をしている。今までそんなこと一度も思ったことがなかったのに、ハローにどことなく彼女の面影が見えて、私は何度も首を振る。
「サトナカからメールが来ています」
「開いて」
年相応の弱々しい掠れた声が喉から漏れる。しわしわの手でハローから私はメガネを受け取って掛けた。画面にあっちの世界のままのサトナカが映る。メガネのツルから声がした。
「このたびは私どもの不手際でご迷惑をおかけして大変申し訳ありません。どうもシステムにウィルスが混入していたようで、おそらくは例の団体が仕掛けたもののようです。さしあたりいただいた情報は保存できましたので、それはこちらで処理いたします。のちほど組み上げたものをお送りしますのでご確認をお願いします。セキュリティの問題はこれから検討しますが、街の再現が完了しましたらご招待をいたしますので、そのときはまたよろしくお願いいたします。ああ、ええと、報酬は不要というお話でしたが、今回の件もありますし、こちらの特産である果物をお送りしますので、ハローさんとご一緒にお食べください。それでは何かありましたらご連絡ください」
サトナカが画面から消えた。
「だってさ」
ハローが言って、私のメガネを取った。私が目頭をおさえる。
「どうする? 完成したらまた行く? 所詮ヴァーチャルだけど……」
「どうかな、私が生きているうちに完成するなら、一度くらいは行こうかな。私のアトラクションも気になるしね。そのときはハローも一緒にね」
「私は全然いいけど……」
「けど?」
ハローが笑っている。やはり彼女とは似ても似つかなかった。
「とりあえず、届く果物が楽しみだね」




