殺人鬼について
食事中、コロコロ変わる小春の表情を、佐助はつい夢中になって眺めていた。
一口口に入れた途端、満面に「美味しい」という感想を浮かべる。白米ですら極上の甘露のような顔で味わうのだから、調理した人はさぞ報われるだろうと思う。
昨日は恐怖と不安と困惑の表情しか見れなかった。今日は笑顔が見れて良かった……。
いけない。彼女に情など抱いてはいけないのに、いつの間にか視線が彼女に釘付けになってしまっている。
佐助は己を律するために、酢の物を口に放り込む。酸っぱい物は苦手だ。
「佐助さんは13歳の頃からこの屋敷に?」
「はい。身寄りのない俺を局長が拾って自宅に置いてくれました」
佐助の目が遠くを見るような眼差しになる。
小春は、きっと色々な事情があるのだと思った。
そういえば魔性討伐軍の隊員たちは、"殺人鬼"に家族を殺された人が多いって聞いたことがある。
ここで、殺人鬼とそれを退治する魔性討伐軍の説明を少ししておこう。
この世界には、あやかし・もしくは妖怪と呼ばれる人間ではない魔性の者たちが存在する。
あやかしと人間は、普段境界線を引いてそれぞれの世界で暮らしているわけではなく、人間の中に混ざって暮らしているあやかしも少なくない。
明らかに異形の者が町を歩いていると、さすがに人間たちも騒がしくするが、角の一本や二本生えている者がいる分には、すれ違いざまに一瞥するくらい。大して気に留めたりしない。
そんなふうにあやかしがいる現実を人々は受け止めて生活しているのだが、時折問題が発生することもある。
人に害をなすあやかしも存在するのだ。
その中でも、人を殺したあやかしたちは総じて"殺人鬼"と呼ばれる。
人を殺したあやかしは退治しなければならない。殺人鬼は見つけ次第討伐するべきと国は定めた。
その殺人鬼を退治するのが魔性討伐軍だ。
魔性討伐軍は、殺人鬼の調査、討伐を執り行う。小規模だが一応政府公認の組織だ。
統一郎が立ち上げたこの組織は、江戸の人々を凶悪な殺人鬼から守るために存在している。
話を小春たちの方に戻す。
「奇特な人もいるんですね……よく知らない赤の他人の私を拾い上げて衣食住を提供するんですから」
小春が統一郎の思い切りのよさに感嘆する。
「すごく懐の広い人なんですね。統一郎さんは」
「はい」
統一郎の善性を信じて感心している小春を見て、佐助は何とも言えぬ気持ちになる。
「あの……午後の予定なんですけど……」
小春が躊躇いがちに切り出す。
「私に屋敷のお掃除をさせていただけませんか」
「小春様がそういったことをなさる必要はありませんよ」
「与えてもらうばかりでは心苦しいんです。大した役には立てないけれど、私にできることがあれば何でもしたい……ですからお願いします。あと——」
小春が少し照れ気味に言う。
「私のことは呼び捨てで結構です」
「それでは馴れ馴れしすぎます。局長ですら小春さんと呼んでいるのに」
「統一郎さんにも、呼び捨てで呼んでくれるようお願いするつもりです。彼が帰ってきたら」
「落ち着かないんです」と小春。
「お客様のような態度を取られるよりかは、気安く家族のように接してくれた方が嬉しいです」
小春の昔を恋しむような表情に、佐助も彼女の心境を察して目を伏せた。
小春は家族のあたたかみに飢えていた。11歳という若さで家族全員を失って、以後孤独な暮らしを強いられてきた小春は、五年ぶりに誰かと食事を終え、こうして向き合って話している現状を夢のように感じていた。
「わかりました。貴女がそう望むなら」
「ありがとうございます! これからよろしくお願いします、佐助さん」
「よろしくお願いします。——小春」
彼女の名を口にした瞬間、温泉を流し込まれたように胸があたたかく満たされる感じがあった。
「用意をしてきますから、待っていてください」
佐助は逃げるように、掃除の支度をしに奥に引っ込んだ。
頬に手を当てると熱くなっていた。
熱が冷めるのを佐助はしばらく待っていた。
小春が縁側を雑巾掛けしているのを、信じられない思いで見つめる。
彼女が目の前にいること、一緒に暮らしていること、共に掃除していること。彼女に名前を呼んでもらえること。
全てが微睡のなか見る幸せな夢のようで、現実味を帯びていない。
「すみません、手伝ってもらっちゃって……」
「気にしないでください」
佐助は小春を一人掃除させるのは忍びなかったので、自分から手伝いを強く申し出た。
佐助と違い、小春は掃除に慣れていないようで、雑巾の絞り具合もいまいちだった。
彼女の育った環境を考えて、それもしょうがないか、と佐助は思った。
永爽家は、江戸随一の退魔の一族として名を馳せていた。
永爽家は、昔からあやかしが起こす問題を解決してきて、困っている市民を助ける稼業を続けてきた。
魔性討伐軍が殺人鬼を殺すことしかできないのに対し、永爽家は特別な力で魔性の者を操ったり時に使役することもできた。
魔除けの道具を売ったりお祓いを請け負ったり。永爽家はあやかしに対抗できるすべを持たない市民の強い味方だった。
広い敷地に大きな屋敷を持ち、使用人を幾人も雇い、裕福な暮らしをしていた。
そんな家に生まれた小春が、幼い頃から家事を仕込まれている可能性は極めて低い。
佐助はてっきり、分家の東雲家ではこき使われていたのだろうと思っていたが、この調子だとそういうわけではなさそうだ。
「あの家では子どもたちに話しかけることは禁じられていたので、使用人の方々にお仕事を手伝わせてくださいと頼んだんです。一日中何もしないでいるのはあまりに辛いから。でも……」
使用人に話しかけると、皆迷惑そうな顔をして離れていくのだった。
心根の優しい者は申し訳なさそうに眉を下げて距離を取り、意地悪な者は聞こえよがしに悪口を言って、日々の鬱憤を小春で晴らしていた。いじめてもよい小春に。
小春には決して優しくするな。少しでも情けを見せた者、小春に懐かれた者は、すぐにクビにする。
使用人たちは、雇い主である東雲家当主にそう言い聞かせられていた。
「だから私、いつも蔵の中の本を読んでいました。片っ端から……すぐに全て読み終えてしまったんですけどね」
あはは、と努めて明るく笑う小春を見て胸が締め付けられる。
佐助の渋い顔に気づいた小春は、慌てて言う。
「すみません、こんな暗い話聞いても面白くも何ともないですよね」
「貴女は悪くないです。謝る必要なんてない」
そう言うと、小春は目を細めた。
「佐助さんは無口ですけど優しい人ですね」
自分はそんなに良い人間ではない。貴女にそう言われるほどの価値なんてない。
今だって貴女に隠し事をしている。そうして何食わぬ顔で話している。
「雑巾はもっと絞っても大丈夫です。あとコの字を描くように拭いていくと、拭き残しをなくすことができますし楽ですよ」
罪悪感を誤魔化すように、自分が知っている知識を彼女に授ける。そんなことをしたところで、彼女を騙している罪は帳消しにできないのに。
佐助の胸中など知る由もない小春は顔を綻ばせて「そうなんですね。ありがとうございます!」と言うのみだ。
その笑顔を見て、佐助の胸はまたあたたかさと針を刺すような痛みに襲われる。
「佐助さんにとって、統一郎さんはどのような存在なんですか」
ふいに小春がそんなことを聞いてきた。
「すみません。なんだか二人の間に流れる空気というか雰囲気というか……それがちょっと独特なものに感じられたので」
「……恩人です。一生身を粉にして尽くしても返しきれないほどの恩があります」
そうだ。地の底を這うような暮らしから、絶望と諦念しかなかった人生から救い出してくれた彼には、自分なんかの命を何回差し出したところで返しきれない恩がある。
五年間続いた二人だけの暮らしに小春という存在が入り込んできても、自分のやるべきことは変わらないはずだ。
統一郎の望み通りの働きをすること。
たとえ懐かしい初恋の人を騙すことになっても。




