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【完結保証】のけものの幸せな結婚  作者: 絶対完結させるマン


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悪行ミルフィーユ

 短子が口の中いっぱいに苦虫が詰まっているような口調で言う。


 「俺が家を出ていってすぐのことだった。たまたま町で香澄を見かけた菊男は、嫌がる彼女を押さえつけて無理矢理家に連れ帰った。一目惚れだったんだとさ。それから親父にバレないように蔵に香澄を監禁して、気まぐれにやって来ては犯していった。そんな日々が四ヶ月くらい続いた頃、香澄の体に異変が起きた」


 蔵の中で監禁生活を送らされていた香澄は、とうとう妊娠してしまった。


 「親父も菊男を叱ったと思うんだ。なんてことをしたんだ、って。そこで怒らなかったら親じゃねえよ。俺は親父が普通のいい父親だったって知ってる。でも、親父が日に日に成長して強くなっていく菊男に手を焼いてたことも、菊男に敵わなくなっていたこともわかってたんだ」


 短子が家を出る頃には、宿家で最も強いのは父親ではなく菊男になっていた。


 「香澄から聞いたんだ。『結婚は絶対に認めない。その人を元の家に返してやりなさい!』って言う親父を、菊男が再起不能になるまでボコボコにしたって。しかもそれだけじゃ飽き足らず、門下生の前で公開処刑も同然の試合を持ちかけて……」


 威厳のある道場主として君臨してきた父親を、彼を尊敬していた門下生の前で完膚なきまでに叩きのめしたのである。


 「それから親父は別宅に籠るようになって、魂を抜かれたように暮らす日々を送る。香澄も身重の体ではますます逃げづらくなって……そうこうしているうちに、長女のはなが生まれた」


 菊男は子どもの世話は全て香澄に任せた。


 香澄は生まれてきた命を粗末にすることなどできず、満身創痍の体で娘を世話した。


 この頃になると、香澄は無理に逃げようとするのをやめて、なるべく菊男を刺激しないように、彼の言うことに大人しく従う素振りを見せた。


 彼女が従順になったのは娘のためだ。一人では生きることすらままならない赤ん坊を、鬼畜のような男から守るためである。


 身重であれば香澄は逃げないと考えた菊男は、蔵から彼女を出して本宅で共に過ごすようになった。


 子どもが香澄を縛る理由になると気づいた菊男は、昼夜問わず彼女を求め、彼女が第二子を妊娠することを望んだ。


 結局、元気いっぱいの赤ん坊に振り回されている間に次女を妊娠することになる。


 それからなつを産んだかと思えば、息つく間もなく三女のつばめを身籠る。大きいお腹で赤ん坊の世話をし菊男の淫欲にも応える日々は、彼女を元の面影もないほどやつれさせてしまった。


 「そんな生活にさすがに限界が来たんだろうな。俺が夜中、吉原の帰りに千鳥足で橋を渡ってると、橋の中くらいで思い詰めた顔して川面を眺めてる香澄を見つけたんだ」


 雪の夜のことだった。笠を目深に被り顔が見えない状態の短子が話しかけると、香澄は泣き崩れた。


 それから彼女は自身の境遇のことを話した。もちろん自身のいる過酷な環境の全てを話せるわけもなく、幼い子ども三人の世話でてんてこまいで誰にも頼れない、とその部分だけを抜粋して苦しい思いを吐き出した。


 短子は気づいたら「だったら俺が協力するよ」と言っていた。香澄の境遇があまりに大変で哀れに思えたからだ。


 育児に疲れ果てた若い母親を手助けしてやりたいという思いやりから、自分にできることはしてあげたいと思っていた。


 笠を外して香澄に顔をさらすと、化け物でも見たような顔をされたので事情を尋ねると、菊男の話が出たのでたまげた。


 偶然声をかけた女が弟の妻だったと知り、短子は困った。家出中の身なのに実家の敷居を跨ぐわけにはいかない。


 しかし、地獄に仏を見つけたような顔の香澄を前に、今さら「やっぱこの話はなかったことに……」なんて言えない。


 結局、香澄に自身の身の上を明かした上で、自分のことは菊男たちには秘密にしてほしいと頼んだ。香澄は頷いた。


 菊男が14歳、香澄が18歳の時に結婚したと聞いて、何も知らない短子は燃えるような恋だったのかと想像した。


 暴君の素質を見せていた菊男が、まだ若すぎるという理由をねじ伏せて父に結婚を認めさせたことは容易に想像できた。


 立て続けに三人も子どもができるなんて、よっぽど仲が良い夫婦なんだな。


 短子はそう信じて疑わなかった。いつまでもフラフラして誰か一人に絞らない自分に比べて、弟は立派だとさえ思っていた。


 菊男が一方的に香澄を搾取していることに気づいたのは、短子が香澄のもとにコソコソ通うようになって二ヶ月ほど経ってからである。


 ——あなたみたいなお嫁さんがいてくれるなら、兄として安心だよ。


 縁側で長女のはなの髪を結んでやりながら短子がそう言うと、香澄はグッと喉元に込み上げる何かを堪えるような表情になった。


 その表情で、香澄が菊男を愛していないことがわかってしまった。


 いよいよ香澄を放っておくことなどできないと短子は思った。


 何か力になれることがあったら遠慮なく言ってほしいと短子は言った。


 しかし、香澄は重すぎる事情を打ち明けることなどできず、これまで通り会いに来てくれるだけで十分すぎるくらい幸せだと力なく微笑んだ。


 そう言われてしまえば、短子も深入りはできないのだった。


 実際、短子が来るようになってから、香澄の心労はだいぶマシになった。菊男の乱暴さは変わらないが、少なくとも孤独感はだいぶ薄れた。短子が来てくれることが、辛い日々の中の貴重な楽しみになっていた。


 子どもたちも短子に懐いた。実の父親にはぎこちない態度で接するのだが、見た目は瓜二つとはいえ中身は大違いの短子には、おじちゃんおじちゃん、と懐くのだ。


 香澄とその子どもたちと過ごす時間は、短子にとっても至福のひと時で、気づけば香澄の元へ通うようになって一年以上が経過していた。


 香澄が四人目の子を孕んだのは、短子と出会って三ヶ月経った頃だった。


 子どもができたと言う彼女に「おめでとう」と当然の祝いの言葉を返せば、彼女の瞳から溢れるのは涙。


 ——この子は何にも悪くないってわかってるけど、なんでできちゃったんだろう、って思っちゃうの。


 香澄は、初めて菊男の思惑を告白した。


 あの男は自分に逃げられるのを恐れているのだと。攫ってきて強引に妻にした女だからと。身軽になったらすぐに逃げられると思って、だからやたらと子どもを産ませたがるのだと。


 ——つばめを産んでからなかなか妊娠しなかったから、もう妊娠しないんじゃないかと思ってホッとしてた。


 実家は頼れないのだと言った。一人目の妊娠が発覚した時点で、子どもがいるならくっつけるしかあるまい、と世間体を気にした両親に結婚を後押しされた。親にも見放された香澄は絶望した。


 短子は絶句するしかなかった。いくらなんでも弟がそこまでの鬼畜に成長していたとは。


 動揺の次に短子の胸を占めたのは、弟への強い怒りだった。


 どうにかしてやりたい。菊男から香澄を逃してやりたい。


 しかし、腹を撫でる香澄を見てハッと我に返り——なんとも表現しようのない苦い気持ちになった。


 香澄は男児を出産した。娘の時はろくに顔を見ようともしなかったのに、男子の誕生には食いつきを見せた菊男は、香澄に「でかした!」とまで言った。


 男児は菊之助と名付けられた。


 長らく別宅に引きこもって、息子夫婦には無関係です、というような態度を取っていた菊男の父も、息子を抱きに香澄の元を訪れたほどだった。


 「親父は最後に会った時と比べて、香澄がすごく痩せてやつれているのを見て仰天したんだな。とても24歳のようには見えない、って言われたって。それで香澄は親父に打ち明けたんだ。無理やり子を産まされていることを……」


 さすがにひどいと感じた父親は、折を見て菊男に忠告することを香澄に約束した。


 「頭にきたんだろうな。菊男は親父を殺したよ」


 佐助は目を瞑り、嘆息する。


 短子は父親を殺していなかった——。


 「親父のことが心配になったんだ。菊男に道場主の立場を奪われて、長年築き上げてきた自負とかそういうのもズタズタにされて、ずっと自分の部屋に篭ってる親父のことが」


 だから、いつものように子どもたちと遊んだ後、こっそり父の様子を見に行くことにした。


 父親が昼寝を習慣にしていたことを思い出し、この時間なら寝ているはず、と目星をつけ、ちょっと顔を見ることができればそれで良いと、父のいる別宅に忍び込んだのだ。


 寝室の襖を開くと、両目をかっ開いて天井を見上げている父がいたので、短子は心臓が止まるかと思った。


 確かに気配はしなかったはずなのに、と気配感知能力にはそれなりの自信がある短子は狼狽えたが、徐々に異変に気づく。


 父が死んでいることを悟り、真っ先に菊男が犯人だと思った。


 幼い頃から散々見てきた菊男の癇癪、暴力性を持ってすれば、いつか殺人を犯してもおかしくないと想像していたからだ。


 実際、香澄に対してとても心があるとは思えない行いの数々を重ねている。


 短子はただ動かなくなった父親の姿を見て、呆けたように「親父……」と呟くばかりだった。


 こうして、6年ぶりの親子の対面は、片方が死者となった状態でなされた。


 「その時、玄関の方から音がして、慌てて押し入れに隠れたんだ。——菊男だった。犯行現場に戻ってきたんだ」


 菊男は自分が殺した父親を面倒くさそうに見下ろすと「どうするかなー」と荷物の置き場所に困っているという感じの軽い調子で、頭をガシガシかいてから言った。


 ——ま、後で川にでも捨てに行くか。みんな殺人鬼のせいだとか思ってくれるだろ。


 短子が唇を噛んで憤懣に耐えていると、耳を疑うようなことが菊男の口から紡がれた。


 「菊之助の体に"引っ越す"のは、あいつが何歳くらいの頃がいいだろうな」


 短子が言葉の意味を理解しえないうちに、


 「俺もまだ若いし、20年くらい先がちょうどいいか? でも万が一俺よりも強くなったら面倒だしな……大人になるまでに家出されるかもしれないし。……よしっ! 子どもの頃のうちに引っ越しておくか」


 とペラペラ独りごちる菊男。


 菊男は奪うつもりだ。


 よりにもよって自分の息子の体を、である。


 菊男の口調には、一切の葛藤も躊躇いもなかった。そうすることに少しの罪悪感も感じておらず、そのアイデアを思いついた自分を得意に思っているまでありそうな、どこかウキウキした雰囲気だった。


 短子が狭い押し入れの中で体を縮こめて戦慄していると「師範ー!」という明るい声が玄関の方で聞こえてきた。


 「早く戻ってきてくださいよ〜。みんな待ってますよ!」

 「ああ、今行くよ」


 菊男が部屋を出ると、勝手に家に上がってきた弟子が「何やってたんすか?」と廊下で菊男に尋ねる。


 師弟の距離感とは思えない。まるで悪友のようである。


 「話の途中で消えるのやめてください。しかも盛り上がってきたところで」

 「悪い悪い。ちょっと便所がてら親父の様子を見にきてさ」

 「親父さんどうでしたか?」

 「ん? ああ。昼寝してた」


 しれっと嘘をつく菊男。


 「みんな師範を待ってますよ。奥さんを縄で縛ってこれから、って時に厠に立っちゃうんですから」


 ——は?


 「お前ら、好きだなあ。そういう話」

 「そりゃ、そういう話を聞かせてもらいたくて、わざわざ通ってきてるんですもん。鍛錬なんて正直オマケですよ」


 下卑たニヤケ面が見えてくるような声だった。


 こいつらが香澄のことを話題にするだけで、彼女が汚されるような感覚だった。


 「昨日は大いに盛り上がったよ。久しぶりに縛ってヤッたんだけど、それだけじゃ物足りないような気がして、つばめの前でやろうとしたんだ。3歳のガキの前でだぞ? 面白そうだろ? そしたら香澄のやつ、普段は大人しいくせに嫌だ嫌だと身を捩って泣きながら抵抗して。面白かったなあ……今度ははなの前でヤッてみるか」


 そう話している菊男からも、それを聞いている門下生からも、興奮と劣情の気配を感じ取った。


 菊男と香澄は近所でも評判のおしどり夫婦で、特に旦那の方が妻にメロメロという、羨ましい美形夫婦として噂されてきた。菊男は事あるごとに門下生たちに惚気話をしていると。


 しかし、惚気話とは極限まで美化した言い方で、実態は穢らわしい猥談でしかなかった。


 道場は、その猥談を楽しみに通う不純な門下生たちが大半で、真面目に鍛錬に取り組む者は菊男も含めて誰もいなかった。


 菊男たちが去ったのを確かめた短子は、押し入れから這い出した。


 そうして倒れている父親の顔を見て、血が出るほど拳を握りしめた。


 自分が今ここで聞いたことを奉行所に知らせれば、菊男は父親殺しの犯人として捕まる。


 しかし、調査されれば菊男があやかしであることも明るみになってしまうはずだ。


 香澄の顔を思い浮かべて、次いで三人の娘たちと生まれたばかりの菊之助を思い浮かべる。


 菊男が捕まれば、彼女たちは殺人鬼の家族として扱われる。


 「殺人鬼に対する風当たりの強さは、お前ならよく知ってるだろ。本人だけじゃなくて家族まで人殺しのような目で見られるってことも」

 「……ああ。本当に、よく知っている」


 佐助は、統一郎に拾われる前、どこにも居場所などなかった自身の惨めな暮らしを思い出す。


 身内から殺人鬼が出てしまえば、世間の冷たい眼差しは近親全員に向けられる。


 夫が殺人鬼として処刑されれば、どれだけ香澄たちの立場が危うくなるか。菊男の罪を明るみにするわけにはいかない。だから——。


 「殺すしかないって思ったんだ」


 強い意志を感じさせる口調だった。

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