新しい生活へ
***
「ここは……?」
「討伐軍の拠点です。隊員たちはここで暮らしています。局長の自宅も少々離れた場所にあります」
重厚な門をくぐった先に見えた広大な敷地に、小春は目を見張る。
入って右手に100人近くいる隊員たちを住まわせる巨大な屯所、左手に道場、奥に見えるこぢんまりした屋敷が、局長である統一郎の棲家だ。
ここがあの魔性討伐軍の拠点——政府公認の組織なだけあって立派……。
小春は隊員専用の医局に案内され、医者の診察を受ける。どこも問題なかった。
医局を出た後は敷地の奥——統一郎の屋敷に案内される。
屋敷には誰もいない。手伝いの者も何も置いていないらしかった。
「あの、勝手に入ってよろしいのでしょうか?」
「はい。貴女をここにお通しするようにと、局長に命じられているので」
隊員の中でも、統一郎の屋敷に好きに出入りすることを許されているのはほんの数人だ。
佐助は勝手知ったる様子で座敷に入って、行燈に火を灯す。
「……? あの、私の顔に何かついていますか?」
佐助が物言わずじっと見つめてくるので、小春は尋ねる。
最初に彼が私を見た時、その瞳には「どうして」とでも言いたそうな、予想外の事態に目を疑っているような狼狽が見てとれた。
しかし、今の彼の視線にはまた別の感情がこもっている。
今の佐助の眼差しには、労りと同情心、それと何故か懐かしさがこもっていた。
何故そんな眼差しを向けてくるのか。
「いえ……よくご無事でいらっしゃられたなと思い……不躾な眼差しでじろじろと申し訳ありません」
「いえ、そんな……」
小春は佐助の心情を想像する。
あと一分でも駆けつけるのが遅ければ、私はあの"殺人鬼"に喰われていた。
私を発見した時、彼は大いに戸惑い慌てたんだろう。無事に救出できたことをようやく実感できて、感慨深い気持ちになっていたんだろう。
自分が佐助の立場ならそう思うと、小春は佐助の眼差しにそんな結論を下した。
「あなたは……佐助様はいつから討伐軍に?」
「五年前。13の時に局長に拾っていただきました。あと自分のような者に"様"などとつけなくて結構です」
「では佐助……さんとお呼びしても?」
「お好きなように」
佐助さんは無口な人なのか、会話を広げようとする気はないみたいだった。
小春は佐助の全身をチラリと見る。
日に焼けた健康的な肌色。三白眼の中に見える小さな琥珀色。一文字に結ばれた口。剣術を鍛えてきたことが一目でわかるゴツゴツした手。
服の上からでもわかる体格の良さだった。統一郎には劣るが、佐助もかなり上背がある。
黒目が小さく吊り目なので険があり、黙っていると怒っているように見える。
佐助の容姿の中でなんといっても目を引くのは、炎のように赤い髪の毛である。
小春は赤毛を見るのは初めてだった。黒髪か白髪、せいぜい茶髪しか見たことのない小春は、チラチラと頭に視線をやるのを抑えられなかった。
「あっ……」
「なんです?」
「血がついています。耳のあたりに——」
佐助は血まみれの羽織から着替えて、体も一通り水に濡れた布で拭いたのだが、拭き残しがあったらしい。
「ああ、すみません。見苦しかったですね」
「ちょっ! ちょっと待ってください」
佐助が袖で擦ろうとしたので、小春は慌てて制止した。
「じっとしていてください」
小春が取った行動に、佐助は目を見張った。
小春は懐から手ぬぐいを取り出すと、それで佐助の耳の下あたりを優しく擦る。
その際、小春の体が佐助に接近し、顔が目の前にまできた。
「取れました——佐助さん?」
佐助が険しい顔をしているので、早合点した小春は頭を下げる。
「す、すみません。勝手に触って……ついやってしまいました。嫌でしたよね。ごめんなさい」
「嫌なわけがない!」
彼が初めて声を荒らげたので、小春はビックリする。
「驚かせてすみません。不快だったわけではありません。どうかお気になさらず」
佐助はそっぽを向いて早口に言う。
部屋の中が薄暗いせいで、彼の赤く染まった耳が小春には見えなかった。
その時、屋敷の戸が開かれる音がした。
「お待たせしました」
統一郎が小春に軽く頭を下げ、蕩けるような微笑みを見せる。
「思ったよりも時間がかかりました」
「あの……どうして私をこのお屋敷に招いたのですか?」
気になって仕方ないことを切り出す。
「小春さんはあの家に——五年間過ごしてきた親戚の屋敷には帰りたくないのでしょう?」
「……はい」
「帰る必要はなくなりましたよ」
「え……?」
「先ほど東雲家の当主と話してきたのです」
東雲家というのは永爽家の分家にあたる。
すなわち東雲家の当主とは、小春の引き取り手である珠生の父親のことである。
「小春さんをうちで引き取りたいと言ったら、すんなり了解を得られました」
ニッコリと笑む統一郎に「ちょっ、ちょっと待ってください」と小春。
「私が局長さんのお屋敷に? む、無理です。そんなのご迷惑でしょうし。私何もできないですし、きっと大してお役に立てません」
「役に立とうなんて、そんなこと考えなくていいんです」
統一郎は俯いた小春の手を取ると、労わるようにそっと撫でさする。
「当主と話していて、小春さんがあの家の者からどんな扱いを受けてきたのか大体わかってしまいました。事情を知った以上、貴女をあの家に帰すなんて鬼畜の所業は、私には到底できません」
統一郎のにこやかな表情が暗いものに変わっていく。
「後ろめたく思う必要はありません。小春さんはただ笑って過ごしてくれるだけでいい。私は貴女が元気でいてくれるなら、他に何も望みません」
「どうしてそこまで……」
「どうして、ですか」
統一郎は口元を押さえると、動揺したような照れたような表情になった。
「貴女に惹かれているからです」
「えっ!?」
「昨晩、月夜の中に佇む貴女を見かけた時、私の心がささやいたのです。この女性こそ、私がこの世で最も愛せる存在だと。一目惚れ……というやつですね」
「そ、そんなことを——」
「わかっています。急にこんなことを言っても貴女を困らせるだけだと。受け入れてくれ、とは言いません。貴女はただ貴女のままであってくれればいい。私の気持ちに応えようとする努力などは不要です」
保護して何不自由ない暮らしを提供する代わりに自分の妻になってほしい。
そう要求されるのかと想像していた小春は、統一郎の言葉に安心すると同時に疑心を抱く。
「それでは局長さんは、純粋な好意と親切心で私を引き取ろうと……?」
「はい。私は何の見返りも求めません。ただ——そうですね」
小春の髪を一房手に取って、統一郎はうっとりと言う。
「私のことは、どうか名前で呼んでいただきたいです。統一郎、と」
「統一郎様……」
「様はいりませんよ」
統一郎は満足げに笑むと、あとは——と付け加える。
「時折こうしてお話ができればと思います。貴女ともっと話したい。貴女のことを色々教えてください」
「それくらいならいくらでも。それが私にできるせめてもの恩返しとあらば……」
でも、本当にこれでいいの?
小春は予想していなかった急展開に、頭が混乱状態だった。
あの家に帰らずに済んで嫌な嫁入りもしなくて済むなら、こんなにありがたいことはないけど……。
でも、こんなに私だけに都合の良い展開でいいのかな。なんだか幸せすぎて怖い。
長年不遇な環境に浸かってきた小春は、突然開けてきた未来に現実味を持てなかった。
そんな小春の戸惑いを見抜いた統一郎は「すぐに慣れてきますよ」と励ます。
「今日は色々あって疲れたでしょう。ゆっくり休んでください」
統一郎が佐助に目くばせする。彼の意を察した佐助は、小春を別室に案内する。
12畳ほどの広さの部屋には布団が敷いてあった。奥に文机と姿見、右手に押し入れがあった。
「ゆっくり体を休めてください」
「はい。おやすみなさい、佐助さん」
「…………おやすみなさい」
佐助は、何かをぐっと堪えるように表情筋に力を入れる。
小春の顔を見ないように、小春に顔を見られないように「ではまた明日」と素早く襖を閉めてしまう。
彼はその足で真っ直ぐ統一郎の元へ向かった。




