宿短子の正体
「俺を殺すか?」
死を覚悟しながら、短子はそう尋ねた。
もう体は動かない。佐助が自分を殺すのだとしたら、自分は抵抗できずに大人しく殺されるしかない——短子は諦めていた。
しかし、佐助の口から出たのは思っていたのと違う言葉だった。
「お前に聞きたいことがある」
そう言うと、彼は短子のそばに腰を下ろしたのだ。短子は目を丸くする。
「なぜ本気で戦わなかった」
短子の戦う姿に、佐助は強烈な違和感を覚えていた。
短子は、誰のことも殺そうとしていなかった。
統一郎の屋敷で、殺されそうになってすんでのところで助けられた佐助だからわかる。
短子は誰も殺さないように意識した戦い方をしていた。できれば誰のことも殺したくなかったのだ。
それに、天狗の一人が羽団扇を使用する許可を太郎坊に求めた時、今まで我関せずとばかりに見物を決め込んでいた短子が急に戦闘に参加し始めた。
——俺が勝たせてやるから羽団扇は使うな!
いよいよ太郎坊が羽団扇を取り出した時も、焦った様子で叫んでいた。
「もう一つ聞きたい。——あれほど殺しを避けて戦っていたのに、逆になぜ弟は殺そうとした?」
最後の力を振り絞って菊男のもとへ飛んでいった短子は、明確な殺意を身に纏っていた。
強い殺意と憎しみ。ここでこいつをやらなければという使命感。
それを感じ取った佐助は、なぜこいつはそんなに菊男を殺したがっているのだと疑問に思った。
「……もう言っちゃってもいいか。この状況じゃもう逃げられないし」
短子は、全てを佐助に打ち明けることにした。
「俺は人間じゃないんだ」
「——は?」
「宿家はあやかしの一族なんだ」
宿家のあやかしの持つ能力とは、他の生き物と自分の体を入れ替えることができるというものだった。
方法としては、相手の血と"現在の自分の体"の血を混ぜ合わせることで、相手と自分の体を入れ替えることができる。
ちなみに強制発動型で、条件を満たせば互いの意思とは関係なく入れ替わりが完了する。
「お前……それって……」
「うん。恐ろしい力だよね」
血から血へ。生物から生物へと体を乗っ取っていく。それを繰り返していれば、実質的に永遠の命を手にしたのと同じではないか。
たとえ、原典の自分の体が消えたとしても、精神だけは他の体に寄生し続けていれば無限に生き続ける。
寒気が背筋を駆け上る。
「俺も菊男もまだ一度も誰かを乗っ取ったことはないよ」
ここにいる短子が原典だとわかり、佐助は安堵した。
「この能力の凄いところはさ、入れ替わった者の能力が使えるようになるんだよ。そいつが積み上げたものとか生まれ持った才能とかも、宿家のあやかしは引き継げちゃうわけ」
「つくづくズルい能力だなって思うわ」と短子。
「俺は小春ちゃんの能力がほしかった」
「小春の?」
「うん。彼女は凄まじい才能を秘めていた」
宿家にはもう一つの能力があって、一目見ただけでその者の実力が大体わかってしまうのだ。
目の前の相手がどれくらいの力を持っているのか、自分との力量差はどの程度か。それがわかってしまう。
小春は目を見張るほどの才能を持っていた。
いくら凄い才能を持っていても、使い方を知らなければ何の意味もないのだが。
「永爽家の生き残りってわかって納得したよ。永爽家って言ったら、あやかしにはめっぽう強い退魔の一族だからね」
「お前は——彼女を強姦しようとしていたわけではないのか……?」
「はあああ!?」
何それ!? と思わず体を起こそうとして、木に挟まれていることを思い出す短子。
「あー……でもそっか……。あれを見たら、そんなふうに思ってもしょうがないか……」
短子が小春の唇を奪ったのは、彼女の舌を噛んで血を流させるのが最も手っ取り早いと思ったからだ。口を塞いでしまえば助けを呼ばれる心配もないし、武器を用いて血を出させるよりも容易である。
そのような合理的な理由から選んだ方法だったが……そういう解釈をされていたとは。
「いや〜でもちょっと考えればわかるか。乗っ取らなきゃってことで頭がいっぱいで客観性とか死んでたわ。うん」
——俺は彼女の体を奪うつもりだった。残念だったな、あと少しだったのに。
——初めて会った時から、いいなと思っていたんだ。ほしくてほしくてたまらなくなった。
短子が言ったことを思い出す。
確かにこいつは、小春の体を奪おうとしていた。
でも、それは俺が想像していたことではなくて——。
「そう……だったのか」
喉の奥につっかえていた異物を無事に吐き出せたような心持ちで、佐助は急に息を吸うのが楽になった。
疑問が一つ解消されたところで、また新たな疑問が生まれてくる。
「お前はどうして彼女の体を——彼女の能力を欲したんだ」
「菊男を殺すためだよ」
サラッと言った短子に、なぜ、と彼の顔を見て——その表情に声が詰まった。
「お前……泣いて……」
「あー……なんかもうダメだね。顔面に力入んないや」
両腕が不自由なので、短子は溢れる涙を拭うこともできずに無理に笑おうとするが、どうにもうまくいかなかった。
佐助はもう短子の顔を見ないように、明後日の方向を見つめた。
肩から上までしか動かせない短子が、ポツポツと事情を説明する。
それは、この二年間見てきた彼のおちゃらけた態度からは想像もできないほど、弱々しく頼りない声だった。
この男はこんな声が出せたのか、と佐助は思った。
「俺と菊男は双子なんだけどさ。同じ日に生まれてきたってのに全然違ったんだよね。俺は菊男の出涸らしみたいなもん。力も才能も何もかも、あいつが持っているものの全部を俺は持ってないんだよね」
幼い頃から、優れた弟との差を常に意識させられる人生だった。
「菊男との勝負で一回も勝てたことないんだ。というか勝負にすらならないって言うのかな……お前も見たでしょ?」
佐助は頷く。菊男に突進していった短子が一瞬で地面に叩きのめされたのを見て、圧倒的な実力差を感じ取っていた。
「劣等感を刺激されたってのもあって、14歳の時に俺は家を出ていった。それからはもうフラフラとだらしない生活の始まり。家のことなんて知るかーって感じで、こっそり様子を見に行くことすらしなかったね」
短子の父も、出ていった息子を呼び戻そうとすることはしなかった。ちなみに母親は子どもたちが幼い頃に病気で死んだ。
「俺は何も知らずにのほほんと過ごしてたわけよ。五年間、あの人がどんな目に遭ってたのかまったく知らずに、馬鹿みたいに酒呑んで女と遊んで……自分一人、ケラケラ笑って生きてたんだよ」
怒りと情けなさを含んだその口ぶりは、佐助にも馴染み深いものだった。
ああ、そうだ。強い自己嫌悪に苛まれている時だ。
そんな時の俺とまったく同じ口調で、こいつは話しているんだ——。
「菊男は結婚して今は四人の子どもがいるんだけどさ……」
知っている。短子が子どもたちと遊んでいるのを笑って眺めている菊男の妻も。
短子の無邪気で優しげな顔を佐助は思い出す。
「長女が今6歳。次女が5歳。三女が4歳——そんで一ヶ月前に長男が生まれた」
長女のはな、次女のなつ、三女のつばめ。そして、まだ赤ん坊である長男の菊之助。
「お前さ、今こう思わなかった? 立て続けに三人も生まれて大変だなー、って」
確かにそう思った。
しかし、そんなこともあるだろう、とあまり深くは考えなかったのだが——。
「菊男は妻を身動き取れなくしたかったんだ。子どもをたくさん産めば産むだけ身軽な体じゃなくなっていくだろ? 肉体的にも精神的にもさ」
子どもを持つ女性が、いかに社会的、肉体的、精神的に"動きづらくなる"かは佐助もよく知っていた。
「菊男は香澄が自分のもとから逃げないように、子どもを使って支配していったんだ。『子どもがいれば逃げられないだろ』って考えだった。実際それは当たっていた。香澄は子どもたちを置いて自分一人逃げるなんてできない人だったから。かといってたくさんの子どもを抱えて生活するなんて、身売りしたって難しい……結局あいつの思惑通り、あの家に留まり続けるしかなかったんだ」
「どうして……」
どうして菊男は、そこまで妻に逃げられることを恐怖しているのだろう。
だって噂では二人は激しい恋に落ちて、何とか菊男の父親を説得した末の結婚、という情熱的な馴れ初めの夫婦ではないか。
「香澄は、菊男が14歳の時に誘拐してきたんだ」




