天狗大戦1
麓から一キロほど離れた時、草むらから明らかに人のものと思われるガサガサという音が聞こえてきた。
隊員たちが息を呑んで身構える。
「姿を見せろ」
統一郎が静かだが不思議な圧力のある声で言うと、茂みの中から赤い棒がニョキッと飛び出してきた。
天狗の鼻先だ。
天狗は統一郎たちから距離を取りつつ、全身を見せていく。
通常の三倍ほど高さのある下駄を履いた足の先には、鷹のように鋭い爪がついている。薄汚れた服はところどころほつれたり破けたりしていて、真っ白な長髪は山姥のような荒れっぷりだ。
浮浪者に毛が生えたような身なりは、警戒心どころか憐れみを誘う。
天狗は元から赤みがかった肌を一層赤くして、ほとんど蛸のようになる。小柄なその体が小刻みに震え出す。
「来たか、魔性討伐軍!!」
その一声だけで、話し合いなど不可能なことが明白だった。
統一郎が抜刀した瞬間、天狗は地面を蹴り、天空へ高く舞い上がった。
魚が水中を自在に泳ぐように、天狗にとって空中は己の庭も同然。庭へ逃げおおせた天狗は、文字通り天狗の高笑いを響かせる。
「フハハハハ! 待っていたぞ、待ち侘びていたぞ。この時をずっと! 片時もその顔を忘れたことはなかったぞ、鬼頭統一郎!」
唾がこちらまで飛んできそうな気迫と大声だった。
「次郎坊の無念、今ここで晴らさん!」
天狗が背中についた両翼をはためかせると、台風のような強風が巻き起こり、山道でバランスを崩しそうになる隊員が数名現れる。
次郎坊というのは、愛宕山に棲まう天狗一族の首魁である太郎坊の一人息子である。
一年前、麓に降りて気に入った町娘を誘拐した挙句に癇癪を起こして殺してしまい、その死体を川に流した次郎坊は、殺人鬼として魔性討伐軍に倒された。
天狗は強力な力を持ったあやかしだ。愛宕山首魁の息子となればなおさら。局長である統一郎が出てきてまで退治するほどの大乱闘になった。
次郎坊との激しい戦いの末に命を落とした隊員が、一名いたほどだ。
息子を殺された太郎坊は、元から嫌い抜いていた魔性討伐軍に憎悪を抱くようになり、いつの日か必ず統一郎を殺してやりたいと考えていた。
「まずはその顔に小便を引っ掛けよう。次に鼻を捻じ曲げて口を裂き、もう誰が見ても人間とは思えぬほど醜い容姿に変えてやろう。仕上げに両手足を切断して、その姿を町中の人間どもに見てもらおうではないか!」
甘美な妄想に酔いしれるように、天狗はバサバサと翼をはためかせる。その度に強風が巻き起こり、木々が悲鳴を上げて枝葉が落ちていく。
隊員たちは手近にあった木の幹に捕まりながら、不安定な足場になんとか踏みとどまる。
「死ね!」
天狗が統一郎に突進していった時——。
「あっ……!?」
天狗の脳天を一本の矢が貫いた。
見開いた目のまま、地べたへ落ちていく天狗。
倒れた彼のそばに、一人の隊員が駆け寄る。
「死んでますね。でもいいでしょう。この赤ら顔は局長を殺そうとしたんですから。殺人鬼も同然ですよ」
生ゴミを見るような目で足元の敵を見下ろすと、喉元を力いっぱい踏みつける。履き物のあとが生々しく死体の首に残った。
殺人鬼は殺して構わない。
常にそう考えている隊員たちは、彼の行動を咎めようともしなかった。
ちなみにこの隊員、卵井純平という25歳の男で、隊員の中では珍しい弓使いである。高い視力と確かなセンスで、飛んでいる鳥も難なく落とす腕の持ち主だ。といっても、刀での戦闘も人並み以上にこなせる有能な人材である。
ちなみにこの卵井、数いる隊員の中でも統一郎に心酔し切っていて、しばしばその心酔ぶりが変態的な行動に現れる。
何はともあれ、これで戦闘は避けられないことが明らかとなった。
わかっていたが、統一郎が愛宕山へ向かうと決めたのだから、佐助を始めとする隊員たちは従うしかない。元より局長の決定に逆らう気が起きたことなど一度もなかった。
「お前らああぁ!!」
鼓膜が破れそうなほどの大声が頭上から聞こえたかと思うと、一人の天狗が目を三角にして地上にいる統一郎たちを睨んでいた。
「殺したな。また殺したな! お前たちはいつもそうだ!」
天狗は高い木の枝の上に降り立つと、ここではないどこかを見ているような目をして叫び散らす。
「『なんか自分たちと違う、なんか怖い、なんか嫌だ』という曖昧な理由で、すぐに俺たちを目に見えない場所まで追いやる! それで小さな問題を起こしたら、待ってましたと言わんばかりに斬る。羽虫でも殺すように何の躊躇も罪悪感もなく!」
「……小さい?」
統一郎がピクリと眉を動かす。
「今、"小さな問題"と言ったのか」
見上げているのにまるで統一郎が天狗を見下ろしているようにさえ思える、凄まじい怒気と圧力だった。あちこちから聞こえていた野鳥の声がピタリと止んだ。
「私の同胞はお前の仲間に殺された。この世に一人しかいない大切な同胞だった。これを聞いてもまだ"小さな問題"などと戯言が吐けるか」
それを言われても天狗はピンとこないのか、変わらぬ表情で統一郎を睨んで言い放った。
「安心しろ。お前もその同胞のもとへ送ってやる」
「ッ……! 局長!」
佐助が抜刀し、統一郎めがけて飛んできた岩を叩っ斬る。
頭上を見回せば、殺気を纏った天狗があちこちの木の枝に隠れていた。全員似たような顔、似たような背格好をして、そして全員同じ表情をしていることから、抱える感情が一つであることが理解できた。
隊員たちが一斉に抜刀する音が響く。
天狗の方から動き出したのか、それとも自分たちの方か。どちらでもいいだろう。
とにかく、いよいよ死闘は始まった。




