父殺し
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菊男の態度は思っていたよりも好意的で、佐助たちを大広間に通して「今家内に茶を淹れさせていますから」と言うほどの歓待ぶりだった。
「魔性討伐軍の方々には、日頃から感謝しているんです。我ら江戸の民のために、体を張って恐ろしい殺人鬼と渡り合い、江戸の治安維持に貢献してくださっている。殺人鬼の話を聞くことが減ったのも、あなたたちが活動を始めた五年前からです。本当にいつもありがとうございます」
そう言って深々と頭を下げたので、佐助は逆に本題に入るのが恐ろしく感じられた。
もっと居丈高な態度でこられた方が楽だった。
「応援ありがとうございます。私たちは必ず殺人鬼を根絶やしにしますのでご安心を」
統一郎は見る者の頭の芯を蕩けさせるような優美な笑みを浮かべると、続いて眉を下げて心苦しそうな顔になった。
「今日は菊男さんにとても言いにくいことをお伝えに参ったのです。——落ち着いて聞いてください」
統一郎は、我が屋敷で面倒を見ている若い娘に短子が暴行未遂したことを、重たい口調で告白した。
話を聞いた菊男は口元を押さえ、絶句している様子。
その時、部屋の隅から大きな音が響いて、三人の視線が一つ所に吸い寄せられた。
広間の入り口で、20代前半と思われる若い女性が顔面蒼白で立ち尽くしていた。
足元には割れた茶碗が散らかっている。飛び散った熱い茶が畳に染み込んでいくのも構わず、女性は菊男のもとに駆け寄る。
「さっきの話、本当なんですか。短子さんがそちらのお嬢さんに乱暴をしようと——それは本当に確かなことですか」
ブルブルと震える唇で菊男に言い募る女性に、佐助は見覚えがあった。
昼間見た女性——菊男の妻だ。
「おい香澄。失礼だぞ。討伐軍の方々が嘘を言うはずがないだろう」
「ですが……ですが……」
菊男の妻——香澄は口をモゴモゴさせていたが、菊男が有無を言わせぬ口調で「下がりなさい」と言うと、ビクッと肩を振るわせた。
「大事な話の最中だ。茶はいいから部屋に戻りなさい」
「ッ……! わかり、ました……」
香澄は俯くと、広間を出るまで誰とも目を合わせようとせずに、退散していった。
「話の腰を折ってしまい、申し訳ない。それで兄の件ですが——」
菊男は畳に両手をつくと、そこに額をめり込ませるが如く深々と頭を下げた。
大きな誠意を感じさせる、立派な土下座だった。
「この度は私の身内が取り返しのつかない行為をしてしまい、申し訳ありませんでした!」
広い屋敷中に響き渡るような大声で、菊男は謝罪した。
「ここに兄はいませんので、代わりに私で憂さを晴らしてください! どんな罰も受け入れますので——」
「落ち着いてください。兄弟とはいえ別の人間。あなたがそこまで気に病む必要はないのです。それに幸いにも未遂だったわけですし」
「……そう言っていただけて、ありがたい限りです」
菊男は頭を上げると、短子に思いを馳せて顔を歪めた。
「あの愚兄とはとうに縁を切って、どこでどのように生きようが死のうがどうでもよいと思っていました。もう関わることはないのだから、と。……そう思っていたんです」
菊男は意味深な口調でそう言うと、立ち上がる。
「あなた方にお見せしたいものがあります。ついてきてください」
***
「ここは私の父が住まいにしている場所です」
菊男は、少し離れた場所にある別宅の前へと、二人を案内した。
「父は道場を私に継がせてからはこの別宅に籠って、静かな隠居生活を謳歌していました」
菊男は玄関を開けると、靴を脱いで家に入っていく。佐助たちにもそうするように促した。
「ここが父の寝室です」
菊男は父の寝室の前に来ると、一気に襖を開けた。
統一郎と佐助は部屋の惨状を目の当たりにして、言葉を失う。
部屋の中央に大きく見開かれた両目を天井に向けて、仰向けに倒れている中年の男がいた。
「父です。……殺されています」
菊男は亡骸の隣に跪くと、冷たくなった父の手を取って、自身の熱い涙を注いだ。
「私もさっき発見したのです。夕食の時間をとうにすぎても本宅にやって来ないから、どうしたのかと様子を見にきてみたら……気が動転して何が何やら。この後に取るべき行動はわかっているのに、もう助からないと悟ってしまうと、体が鉛のように重たくなって……」
香澄はこのことをまだ知らないのだという。自分が教えなかったのだと。妻にこの重大な発表をすることすら心に浮かんでこなかったと、菊男は言った。
「呆然自失としているところにあなたたちがやって来て。兄の悪行を聞いて、ハッとしたのです。よもやそこまで堕ちてしまったかと。ようやく父を殺されたことに対する正しい感情が湧いてきたのです。ええ、憎しみが」
「それはつまり……」
「はい。父を殺したのは、短子——私の兄です」
「根拠はあるのですか?」
ずっと黙っていた佐助から、そんな言葉がポロリと出てきた。
統一郎は、少々意外そうな目で佐助を見る。
「通ってきたならわかると思いますが、この別宅は道場からよく見える位置にあります。訪ねてきた者がいれば、誰かしらの目に留まる位置に」
菊男の言う通り、道場とは目と鼻の先にこの小さな家はある。
家の窓から道場の様子が窺える。今は夜だし誰もいないが、昼間は道場で鍛錬にいそしむ者たちが時折別宅に視線を向けているだろう。
「私は今日の昼間は町に出かけていたのです。帰ってきたのは門下生たちが帰る頃である夕暮れ時でした。帰っていく彼らに挨拶しながら家に入ろうとした時、一人の門下生が妙なことを言ったのです」
昼間に別宅の方を訪ねていましたよね、と。
「そんなはずはない。見間違いじゃないかと言ったんですが、門下生は『いや。確かに先生でしたよ。髪型も背格好も先生そっくりでしたから』と自信満々に言いきりました。私にそっくりの誰かと聞いたら、当てはまる人物は一人しか思い浮かびません」
双子の兄。ずっと疎遠だった彼が父の屋敷を訪ねてきた——なんのために?
「夜になり門下生の言葉を思い出して胸騒ぎがしました。それで父の様子を見に行ったんですが——」
玄関のところで声をかけても返事が返ってこなかったので、菊男は急いで家に上がり、断りもせずに寝室の襖を開けたのだと言う。
「父と兄の間に何があったのかはわかりません。ただ、最終的には父はこれで殴り殺されたのだと思います」
菊男は父親の頭上に置いてあった手文庫を手に取ると、そこにこびりついている血痕を指差した。
手文庫は結構な重さで、確かにこれで相手の頭部を殴れば絶命させられるだろうな、と佐助はまだ新しい血痕を睨んで思った。
「あとこれはついでなのですが——父の部屋に見覚えのない物を見つけたのです。昨日私がここに来た時はなかったと思うのですが……」
菊男が散らかった文机から取り出した物を見て、統一郎と佐助は目を見開いた。
「それは……」
何やら角の生えた生き物が描かれたラベルが巻いてある、独特な瓶に入れられた粉末状の薬。
それこそが魔性討伐軍が探し求めていた薬だった。
あんこが振り掛けられたという、薬を振りかけられた者は発見した悪事を誰にも話せなくなる危険極まりない道具。
「多分、兄が忘れていった物だと思います。あなたたちにはこれがなんなのかわかりますか?」
「いいえ。わかりませんが、ひょっとしたら私たちが探していた物かもしれない。すみませんが、こちらで預かって調べてみてもよいでしょうか」
「ええ。構いませんよ」
統一郎と佐助は目を見合わせる。
これが近頃町に出回っている薬ではないかと、そんな直感を二人とも感じていた。
さっそく帰って調べてみなければと、二人は屯所にある医局に向かうことにした。その前に奉行所に立ち寄って、菊男の父が殺されたことを伝えに行くつもりでいた。
「私は兄に会わなければいけません」
帰り際、菊男は憤怒を堪えるような表情で言った。
「会って聞かなければいけない。なぜ父を殺したのか。なぜ殺人や婦女暴行に手を染める悪党に堕ちてしまったのか。それを知らない限りは、この胸に起こる荒波は鎮まらないと思うのです」
宿家には、すぐに奉行所の者が調査にやってきた。死体の状態を調べられ、何者かに頭部を殴打されて死亡したことに間違いはないと診断された。
すぐに短子の住まいが検められたが、物が極端に少ない短子の住居に家主はすでにいなかった。
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