布団で語らう二人
***
「失礼します」
わざと固い声を作って、小春の部屋に入る。
風呂に入り寝支度を整えた小春が、佐助を待っていた。
布団の上に正座して。
「佐助さん。私のわがままを聞いてくださり、本当にありがとうございます」
「いや、その……」
正座したまま丁寧に頭を下げられて佐助は慌てる。俺は貴女にそんなことをされていい男じゃない。
小春が座っている布団から、少し間隔をあけて佐助の眠る布団が敷いてある。離れてはいるが、手を伸ばせば触れられそうな距離だ。
これほど近くに彼女がいる。
昔から心の奥底で密かに想ってきた彼女が。
汚泥にまみれた俺の人生の中で、ずっと輝き続けていた光。
俺にとって彼女は綺麗すぎて、近づくことすら恐れ多い。
もう昔のようには戻れない。
「佐助さん?」
過去に意識を飛ばしていた佐助は、小春の声でハッとする。
「失礼しました。少しボーッとしていました」
「今日もきっと大変なお仕事だったんですよね。お疲れ様です」
小春に労わられる度、喜びと苦しみが交互に襲ってくる。
全てをぶちまけてしまったら、この人は俺を罵倒するだろうか。
統一郎の右腕として優しいフリをして騙し続けていた俺を、なんて酷い人だと憤るだろう。
信じていたのに。良い人だと思っていたのに。この人でなし! と。
そうなったら、いっそのこと楽だ。
彼女に罵倒されて嫌われて、二度と彼女の前に姿は現さない。
彼女はきっと、どこかの知らない善良な男と幸せになるだろう。彼女ほどの人物を周りの人間が放っておくわけがないのだから。
そんな未来を夢想して、しかしすぐに佐助は統一郎の言葉を思い出す。
——立場をわきまえた振る舞いを常に心がけろよ。
自分の立場は痛いほどにわかっている。
あの方を裏切るマネなど絶対にできないことも。
自分が小春の人生に一切の爪痕も残してはいけないことも。
小春から目を逸らす。
下ろした髪の毛、風呂上がりのしっとりした肌。薄紅色に染まっている頬。白い首筋——など何とも言えぬモヤモヤした気分にさせるものから逃げる。
小春は、佐助の特によそよそしい態度に、やっぱり内心怒ってるのかな!? とハラハラしていた。
統一郎さんの部下という立場上、私の頼み事を断れないだけで、不快で不快でたまらないのかもしれない。
一日仕事で疲れて、ようやく夜になって思う存分羽を伸ばせるって時に、他人から同じ部屋で寝たいなんて言われて、内心ふざけるなと思っているんじゃない!?
佐助さん、優しいから口に出せずにいるんじゃない!?
小春が頭を抱えて唸り出したので、佐助は勘違いして「頭痛がするのですか。今薬を——」と立ち上がりかけたので、小春は慌てて止めた。
「大丈夫ですから。寝ましょう」
「……はい」
あ……また目を逸らした。顔も見たくないほど嫌われちゃったのかな。どうしよう。佐助さんみたいな良い人に嫌われたら、すごく落ち込むんだけど……。
小春が佐助に嫌われてしまったのではないかと煩悶している時、佐助もまた煩悶していた。
自分も湯上がり後であること、寝衣を着ていることを意識してしまい、本当にこれから同じ部屋で寝るんだな……と生々しく実感できてしまったのだ。
心臓がバクバクとうるさい。小春に聞こえやしないだろうかと、冷や汗が一筋つたう。平静を装うと顔面に力を込めすぎて、よりいっそう怖い顔つきになる。
その顔を見た小春は「やっぱり怒ってるー!」とショックを受ける。
「では……おやすみなさい」
そう言って、小春が布団に入る。
「はい。おやすみなさい」
佐助も答えて、自分の布団に入る。
目を閉じると、小春の呼吸音が聞こえる。
気にしないように意識するほど、五感が鋭敏になって小春の気配を感じ取ってしまう。
こんな状態が朝まで続くのか……?
佐助は、普段自分がどうやって眠っていたのか忘れてしまった。
もういっそのこと、自分の首に手刀を振り下ろして気絶してしまおうか。
自分で自分を攻撃する狂人になってしまうが、このまま隣に小春を感じながらじっとしているよりも、よほど安らかに眠れる気がする。
うんそうしよう。今すぐそうしよう。
横向きに寝ていた佐助が手を構えた時だった。
「あの」と小春が話しかけてきた。
「なんだかソワソワしてしまうので、少しお話ししながら眠りませんか?」
寝落ち会話を提案してきた小春。
「俺は面白い話などできませんよ」
「いいんです。私が佐助さんと話したいだけなんですから。——今日は何をしてきたんですか?」
佐助は今日町であったことを思い出して、梅干しを食べたような渋い顔になった。
「今日は騒がしい日でした」
「そうですよね。襲撃なんて、やっぱり討伐軍の方は大変ですね……」
「そうでなくて。いや、そっちも騒がしい一件でしたけど。見回りに出ていたら、騒がしい奴が騒がしいことをしていたんです」
佐助は、どうしようもなくだらしない男が、自業自得でピンチに陥っていたことを語った。
「あれは死んでも治りません」
「ふふっ。なんかいいな」
「え? 今の話のどこに良いと思える箇所が?」
「あっ、違うんです。もちろんその絵師様は困った方ですが……その人のことを話してる佐助さん、楽しそうだったから」
「楽しそう……? 気のせいですよ。確実に」
短子に対して呆れることはあれど、喜びや楽しさを感じたことなどない。少なくとも佐助はそう思っていた。
しかし、小春は「良かった」と言う。
「佐助さんにも、そんなに気安く話せる友達がいたんですね」
「やめてください。あいつは断じて友人などではありません」
「そうなんですか?」
小春は「私、友人同士がどんな感じかよくわからないので……」と特に悲しそうでもなく淡々と事実を述べた。
佐助の心臓が、キュッと締め付けられたようになる。
「私、男性同士の友情のことなど全然わからないですが、佐助さんがその宿さんって方のことを、嫌っていないことくらいはわかります」
「なぜそう思うんです?」
「だって佐助さん、どこか宿さんを認めているような口調だから」
まあ、あいつにも美点がないわけじゃない。汚点が印象的すぎるだけで。
「俺、言いがかりをつけられたことがあるんです」
始まった短子とのエピソードに、小春は真剣に耳を傾ける。
「部下の誕生日に何か渡そうと思って、雑貨屋にいた時のことでした。『ここに置いてあった商品がなくなってる。お前が盗んだだろう』って店主に指を指されて怒鳴られたんです」
店にいた客たちの視線が、一気に佐助に注がれた。佐助の赤い髪を見た客たちは、納得がいったように目を見合わせた。
佐助が店内を見渡せば、確かについさっきまでそこにあった高級そうな簪がなくなっている。
「その時、慌てて店を出ていく男の後ろ姿が見えました。きっとあいつだと思い、店主にそのことを手短に伝えて追いかけようとしたのですが——」
店主にこう叫ばれて、一瞬固まってしまった。
——殺人鬼の孫の言うことなんて信じられるか!
「……佐助さん? 大丈夫ですか?」
「はい。少しボーッとしてしまいました」
店主の口汚い罵倒のことは話さずに、佐助の語りはそれからの流れへと移る。
——おっちゃん、ごめん。その商品、俺が持ってる。
暖簾を上げて短子が登場して、店にいる全員に聞こえるような声量で言った。
——酔っ払ってたから、めっちゃボーッとしててさ。精算するの完全に忘れてた。ごめんごめん。ほらお金。
短子は詫び代のつもりなのか、元の値段の二倍近い金額をポンと店主に渡してみせた。
店内の雰囲気は元に戻りつつあったが、佐助には短子が嘘をついているとわかった。短子は今店に来たところなのだから。
「それから急いで店を出ていった男を追いかけて——詰め寄るとあっさり白状しました」
「やはりその人が盗ったんですね」
「はい。店の前に戻るとあいつが待ってました」
——俺が返しておくから。
そう言うと、お礼を言おうとする佐助を無視して店に入ってしまった。「やっぱ気に入らないから返品するわ」と言う短子に困惑する店主の気配が感じられた。
「良いお話ですね。佐助さんは本人だけじゃなくてお友達も優しいんですね」
「いやだから友達では……」
それに俺は優しくない。善良なんかじゃない。
俺が貴女を気遣うのは、あの方の命令で——。
「でも酷いですね」
小春が布団の中で頬を膨らませる。
「どうして店主さんは、佐助さんが盗んだって決めつけたんでしょう。佐助さんがそんなことするわけないのに」
「…………。俺の見た目が怖いからとかじゃないですかね」
上背があって体格がよくて目つきの悪い男。佐助は自身の容姿に威圧感があり、気弱な人々を怖がらせることを自覚していた。おまけに——。
「こんな血のような色の髪、気味悪いでしょう」
「えっ?」
思ったよりも暗い声が出てしまった。小春の困惑が伝わってきたので、佐助は慌てて「なんでもありません」と言おうとするが。
「気味が悪い? 綺麗の間違いじゃなくて?」
今度は佐助が困惑する番だった。
小春は佐助が自虐する理由が本当にわからない、というように小首を傾げていた。
「初めて見た時に思いました。佐助さんの髪は炎みたいで綺麗だって。暗い夜を照らしてくれる焚き火のように頼りになるあなたにピッタリの色だって、今は思っています」
言葉を咀嚼するのに時間がかかった。
彼女の言動には打算なんてない。子どもの頃と同じで、思ったことをそのまま口に出している。
湯船に体を沈めた直後のように、熱いものが全ての毛穴から入り込んでくる多幸感に包まれる。
しかし、彼女から与えられる幸福や胸を打つ言葉は、多幸感の後に必ず罪悪感もくる。
何も知らない彼女を騙している後ろめたさは、消えることはないのだと思った。
彼女は俺が殺人鬼の孫であることも、この家に連れてこられた本当の理由も、自分の過酷な人生が敷かれたレールの上を歩かされていたものだとも知らない。
知らない方が幸せだと思う。全てを知ってしまった時、彼女の笑顔は消えてしまうだろう。それは耐えられなかった。
だから自分は、本心を隠して彼女の近くに控え、危険が降りかからないように守るしかない。
俺なんかにできることなんて、それくらいがせいぜいなのだから。
「私も宿さんに会ってみたいです」
「人生、出会わない方が良い人間がいます。あいつはその筆頭です」
「ふふふ」
小春が随分嬉しそうなので、佐助は怪訝に思う。
「佐助さんが誰かのことをそんなふうに言うなんて。意外な一面を知れて、なんだか嬉しいです」
「口が悪くなりすぎましたね。すみません」
「そうじゃなくて。一つ佐助さんについて詳しくなれて、それが私にとって嬉しいんです」
「……俺のことなど知っても、何も良いことなどありませんよ」
「そんなことはないと思います。私はあなたのことをもっと知りたい」
ああ貴女は——。
貴女は自分の発言にどれほどの影響力があるのか、わかっていない。
ろくに世間を知らずに育ったせいか、聞いているこっちが恥ずかしくなるセリフを、平気な顔して吐けるのだ。
なんの力みも目論みもなく、純粋にそう思っていることが感じられる小春の口ぶりに、佐助は心の繊細な部分をそっと撫でられたような気分になる。
「……今日はすみません。襲撃があった時に貴女のそばにいなくて。一人で怖い思いをさせて」
佐助は続ける。
「襲撃があったと部下の急報を受けて、真っ先に貴女の顔が思い浮かびました。どうか無事でいてくれ、と屋敷まで走っている間、ずっと願い続けていました」
小春の命が永遠に失われるかもしれないと考えただけで、体の芯から一気に冷えていくような、何とも言えない恐ろしさを覚えたものだ。
「貴女のことは俺が守ります。今後二度とこんなことが起こらないようにいたしますから、もう怖がる必要はありません」
「…………」
なんの反応もないことを怪訝に思った佐助は、半身を起こして小春の様子を窺う。
「寝ている……」
寝つき良っ!
佐助は長々と決意表明した自分が気恥ずかしくなり、頭から布団を被った。
早くあんこが帰ってきてくれないかと、この時ばかりは佐助も思った。
***
翌日。小春の目覚めはすこぶる良かった。
佐助と一緒だったおかげか、昨夜は一度も悪夢を見なかった。
「ん……?」
聞こえたうめき声に横を見れば、佐助が何度も目を擦ってこっちを見ていた。
「どうして小春がここに——あ」
昨夜のことを思い出したらしい。佐助はガバリと体を起こすと、居住いを正す。
「おはようございます」
「おはようございます、佐助さん」
佐助の寝起きからの素早い動作がツボに入り、小春は笑みを浮かべながら挨拶する。
佐助は、ぼうっとその眩しい顔を眺めていたが、やがてハッとしたように立ち上がる。
「顔を洗ってきます」
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