ペットが来た
***
佐助は、窃盗被害に遭った四軒目の家に向かった。未亡人がいるあの家である。
「度々すみません。魔性討伐軍の者です」
入り口のところでそう声をかけたものの、中から未亡人が出てくる気配はない。
扉を叩いて何度か呼びかけてみるが、応答なし。
留守か? そう思った佐助が踵を返そうとした時、家の中からくぐもった声が聞こえてきた。
「うっ……ぐっ……ふうぅっ……!」
苦しげにうめく声に、さては家の中で倒れているのではないかと頭をよぎる。
この家は夫婦二人暮らしだった。夫を亡くした彼女は、今家に一人きりのはずだ。
「ッ……! 失礼します!」
佐助は迷わず、玄関の扉を開いて中に入った。
その瞬間、目に飛び込んできた光景に固まる。
昼間話を聞かせてもらった未亡人が、男の上に乗っかって腰を振っていた。
ちなみにどちらも全裸である。
夢中になっていた二人はようやく佐助に気がついたらしく、繋がったままキョトンとしている。
佐助は衝撃的な絵面に、この後どうすればいいのかも頭からすっ飛んでしまった。
数秒間、三人の間抜け面が続いた。
***
佐助が困惑で頭をいっぱいにしている頃——。
小春は、狸が閉じ込められている牢屋に来ていた。
佐助を安心させるため、一旦は屋敷に戻ったもののすぐにまたやって来たのだ。
しかも、今度はおやつまで持って来て。
「こんにちは〜。まだお腹空いてるんじゃないかと思って、おやつ持ってきたよ〜」
誰もいないのに小声で言いながら、小春は鉄格子の間から真っ白いものを差し入れる。
大福だ! やったー!!!
狸はさっきの落ち込みぶりはどこへやら、有頂天になる。この毛玉はあんこが大好物なのである。
四軒目の家で殺人を目撃した時も、ショックを受けて化けの皮が剥がれても、口に咥えた大福だけは離さなかった。
「美味しい?」
「キャンッ!」
「すごい、返事した。本当に人間みたい——って普通の狸じゃないんだ。人間に化けることもできるんだっけ」
狸の動きがピタリと止まる。
「キューン……」
「どうしたの? なんか悲しそう……」
嫌なことを思い出した。
この化け狸、人間に化けることができない。化け狸の風上にも置けない化け下手である。
生まれて数年経つが、いまだにたった一つのものにしか化けられない。
そのたった一つの化け姿が、あの白くて丸っこい毛玉——ポメラニアンである。
『なんだその無駄に可愛いだけの姿は! ふざけてるのか!』
化け狸一族の統領である父狸に怒鳴られただけで、しっぽが出てしまった。
それを見た父は、数多い我が子たちの中で唯一の落ちこぼれであるこの末っ子狸を、一族から追放した。
化けられない狸はただの狸だ。
そんな捨て台詞を残して、父はまだ子どもである末っ子を捨てた。
狸の世界にウチの居場所はない。かといって、人間に混ざって暮らすこともできない。
ウチは一人ぼっちだ。
心細さに襲われて、じわじわと涙が浮かんでくる。
「ねえ。本当にあなたは殺人鬼なの?」
ううん、と首をブンブン振って否定する。
「やっぱりそうだよね。あなたはそんな酷いことしないよね。こうしてそばにいるとわかるよ」
信じてくれた喜びに、毛に覆われた体がポカポカしてくる。
心がホワホワする……。初めてだ、こんなの。
「あなた、名前はあるの?」
また首を横に振って返事する。
「そうなんだ。じゃあ、私が名前つけてもいい?」
え、と小春を見上げると、彼女は「そうだなあ……」と顎に手を当てて、もう考え込んでいる。
「あんこが好きだから『あんこ』とかどうかな? 結構可愛いんじゃない?」
「ねえ、あんこ」と呼ばれて頭を撫でられた時、孤独な子狸の心にあたたかな陽の光がさした。
自分の名前がほしい。一度でいいから誰かに名前を呼んでもらいたい。
願いが叶った喜びに満たされていると、無粋な声が降ってきた。
「小春?」
「あっ、佐助さん——」
あっ! いけ好かないやつが帰ってきた! ちくしょう!
孤独な子狸改め、あんこは早速威嚇する。何の脅威にもなっていない、鼻で笑ってしまうような迫力である。
「ここには来ないでくださいと言ったでしょう」
「すみません……」
佐助は威嚇しているあんこに歩み寄ると、
「すまなかった」
と頭を下げた。
「お前の言っていることは正しかった」
「佐助さん、じゃあこの子は——」
「ああ、こいつは殺人鬼じゃない」
最初からそう言ってるだろ、とほっぺをプクーッと膨らませるあんこ。
佐助は、四軒目の未亡人の浮気現場(夫はすでに死んでいるので厳密に言えば浮気ではないのだが)を目撃して悟ったのだ。
別の男と結婚するために、邪魔な旦那を殺したのだと。
衣服を整えた未亡人に何か隠してることはないかと問い詰めると、あっさり真実を吐き出した。
「夫が邪魔になった奥さんは、夫を殺害してその罪を誰かになすりつけられないかと考えていた。そこで近所が次々に被害に遭っている泥棒のことを聞いて、次はうちに入るだろうと予想したんだ」
外観が立派な家から順に狙われていってる。次は自分の家だ! と泥棒がやってくる時を今か今かと待っていた。
夜も眠らずに、じっと一人で耳を澄ませて訪れを待っていた。そのうちガタリと音がして、待ち侘びた侵入者が来たことに妻は歓喜する。
泥棒に悟られぬように、そっと隣の部屋に行き、眠る夫の首を絞める。夫婦仲は冷め切っていて、とうに寝室は別になっていた。
あらかじめ眠り薬を飲ませていたので、途中で起きる心配はない。絶命を確かめた時、背後の気配に気がついた。
見たことのない犬種の犬が、自分を見て怯えた顔をしていた。
よくよく見れば、狸の尻尾が出ている。さてはこの化け狸が連日の窃盗の犯人かと妻は合点した。
妻は戸棚から特別な伝手で手に入れた薬を取り出すと、それをあんこにふりかけた。
「薬を振りかけられた者は発見した悪事を誰にも話せなくなる——その薬にはそんな効果がありました」
「そんな恐ろしい物が出回っているんですか……?」
「どこから購入したのか、今隊員たちが未亡人に取り調べしているところです」
犯罪の口封じのために作られた薬であることは明白だ。そんな物が出回っているとしたら、早急に何とかしなければならない。
あの未亡人のことだから、すぐに白状しそうだが——。
「じゃあ、あんこは解放してくれるんですね?」
「あんこ?」
「あっ、この子の名前です。私がつけたんですけど……」
「名前なんてつけたんですか」
そんなことするべきじゃない、と言いたげな顔に、小春はおずおずと切り出す。
「あの……佐助さん。この子、帰る場所がないんですって。さっき訊きました」
嫌な予感がする。佐助は眉間の皺を濃くした。
「うちで面倒見ることってできないんでしょうか?」
ほら来た!
佐助の顔に『無理です、嫌です、反対です』とくっきり書かれているので、小春の決心はポッキリ折れそうになる。
しかし——。
「キューン……」
あんこがとびきり切ない声を出して小春の手に擦り寄ったので、小春の胸はギュンッッッ!!!と締め付けられた。
「佐助さん、お願いします! 世話はもちろん私がやりますし、絶対迷惑かけないようにしますので!」
「いや、でも……」
「いいじゃないか、佐助」
聞き慣れた美声の乱入に、佐助はハッとする。
「局長……なぜここに」
「仕事が思いの外早く終わってな。お前がここにいると隊員たちから聞いてやって来た」
佐助は彼の顔色を窺う。
怒ってはなさそうだ。小春をここに入れたと知ったら、機嫌を損ねるかと思ったが。
統一郎は、ニコニコと胸の前で腕を組んでいる。
いや、これは——。
「その狸だろう? 殺人鬼じゃないなら良いじゃないか。なかなか可愛い顔してるじゃないか」
「いや、しかし……こいつは手癖が悪いやつでして……」
「私がちゃんと躾けます!」
「ほら、小春さんもこう言っていることだし。彼女がここまで強く希望しているのだから、私は叶えてあげたい」
統一郎は、あたたかい眼差しを小春に向けている。
孫に甘い爺さんみたいだな——佐助はそんなことを思った。
ちなみに統一郎は、自分のことは呼び捨てにしてよい、と小春に言われたのだが、"小春さん"呼びを継続している。
——適切な頃合いというものがありますから。
統一郎はそう言った。私には私のタイミングがある、ということらしい。その時が来たら呼び方を変えると。
「私はいっこうに構いませんよ。この狸も小春さんに懐いているようですし。引き離すのは可哀想です」
「統一郎さん……!」
「佐助。どうしても嫌なのか?」
小春が期待の眼差しで見てくる。
統一郎のにこやかな表情の中に、圧がこもっている。
「……わかりましたよ。この狸はうちで飼いましょう」
「ありがとうございます、佐助さん!」
小春が満面の笑みを浮かべる。佐助は眩しさにキュッと目を閉じる。
こうしてあんこは牢屋から出され、小春に抱っこされて統一郎の屋敷に向かった。
佐助はほとんど密室の薄暗い空間の中で、統一郎と二人きりになる。
「いいんですか。あの狸は盗人なんですよ。それ以前にもどんな過去があるのかわからないのに小春のそばに置くなんて。何か起こったら——」
「その"何か"が起こらないようにするのが、お前の仕事だ」
突如片手で肩を掴まれ、壁に押し付けられる。
背中にゴツゴツした岩肌を感じて、佐助は「やはり怒っていたのか」と思う。
小春の手前怖い顔ができなかっただけで、内心は結構頭に来ていたらしい。
「あの毛玉はお前が監視しろ。小春さんに害を及ぼすようなら、即刻処分するんだぞ」
わざわざ耳元で囁かれた低い声に、佐助の毛穴がゾワゾワと開く。
佐助の返事は決まっている。
どのような命令であろうとも、統一郎に返す言葉はいつも同じだ。
「承知しました」




