解呪
「佐助……さん?」
「小春? どうしてここに——」
「すみません。私、敷地内を見て回っていたんです。道場に入ってみたら、床が開いていたもので……気になって。勝手に入ってすみません」
小春があまり申し訳なさそうにするので、佐助は「いや、そんな……」とモゴモゴ言って、強く出られなくなる。
「ここは貴女が来るような場所ではありません」
罪人を閉じ込める光のささない場所に小春は似合わない。彼女をこんな場所に置いていることが、にわかに後ろめたくなってきた。
「そうだ、怪我はありませんか!? そいつに何か嫌なことされていませんか!?」
「だ、大丈夫です。それどころかすごく大人しくて人懐っこい子で」
「大人しい? 人懐っこい?」
知らない言葉を聞いたように、面妖な顔つきになる佐助。
こちらを威嚇している毛玉に目をやれば、唾を吐き出す真似をする。
「おにぎりだって人間みたいに手に持って食べるんです、この子」
ねっ、と小春が振り返ると、途端にすました顔になる。つぶらな瞳が憎たらしい。
「すごく賢い狸なんだわ。こんなにお利口な狸、私初めて見ます」
賢い、と言われた狸が小鼻をヒクヒクさせる。得意げな顔をした後、小春に見えないように舌を出して佐助をおちょくる。
「きっと道場に迷い込んで、開いた床からここまで落ちてきちゃったんだと思うんです」
小春は、迷い込んだ狸がそこら中弄り回っているうちに、牢屋に入って出られなくなってしまったのだと思っている。
小春は退魔の家に生まれながら、魔の知識に疎かった。
両親はいずれ小春にも詳しいことを教えようと思っていたが、そうする前に死んでしまった。
小春は自分の素養を何も理解しないまま、16年間生きてきた。
世の中にどんなあやかしがいるのかも、よくは知らない。
というか、11歳の時に引き取られた東雲家では、許可なしに外出することも許されずに家の外の者と話すことは叶わなかったので、一般常識や世間に対する知識などゼロに等しい。
ゆえに知らない。狸が人に化けてイタズラをすることなどありふれているというのに、そんな不思議な出来事は世の中に存在しないと思っている。
だから、このやけに人間くさい動作をちょくちょくするちんまりした毛玉を、ただの『とっても賢い狸』だと思っている。
「早く出してあげて。こんな寒い場所に長くいたら風邪を引いちゃう」
そう言うやいなや、くしゅんっ! くっしゅん! とわざとらしいくしゃみを立て続けにする化け狸。
うるうるした目で小春を見上げれば、狙い通り小春は憐れみを刺激された。
「ねえ佐助さん」
「わかりました。わかりましたから、小春は早く屋敷に帰ってください。この狸は俺が逃しておきますから」
小春はまだその場にいたそうにしていたが、佐助は強引に彼女を退散させた。
「おい」
「なんだよ」
小春がいなくなった途端、ぶりっ子の仮面を外す化け狸。
佐助のことを明らかに嫌っており、そっぽを向いてぶすくれている。
「彼女に何もしてないだろうな」
「してないよ。小春って言ってたな? あいつ、なんなんだよ。撫でられるのめっちゃ気持ちよかったんだけど。ウチ、知らない奴に触られるのとか嫌いなのに」
まだあたたかい手の感触が忘れられないかのように、くねくねと体を動かす狸。
「さっきも言ったが、かわいこぶっても無駄だ。殺人鬼は処刑される。この流れは変えられない」
「それそれ! それなんだよ!」
意義あり! というように、その場でピョンピョン跳ねる。
「ウチは殺してないよ! 濡れ衣だ!」
「何? どういうことだ。さっきはそんなこと言ってなかっただろ」
「言ってたよ! あんたが知らんぷりしてただけだろうが!」
四軒目の家だろ? 確かに盗みには入ったけど、ウチは人殺しなんかしてない!
ずっとそう叫んでいたのだが、佐助の耳にはなぜか届かなかった。
「四軒目に盗みに入ったら、嫁が寝ている旦那の首を絞めているところに出くわしたんだ! びっくりして動けないでいたら、嫁が戸棚から変な物を出してウチにふりかけてきて——」
粉状のものをふりかけると、ポメラニアンに変化していた化け狸は、元の茶色い毛玉に戻ってしまった。その時四軒目の嫁はにこりと笑って、
「当たり」
と言った。
その笑みが非常に恐ろしいものに感じられたので、ビビりの狸は文字通り尻尾を巻いて逃げ出した。台所から拝借した大福を口に咥えて。
「ウチは人を殺すなんて鬼畜がやることは誓ってしないよ! 盗みしかしてないと胸を張って言えるね!」
「威張れることじゃないぞ」
こいつの言ってることが正しいのか、佐助は半信半疑——いや9割くらいは疑いの方に傾いていた。
死から逃れたいあまり、口から出まかせ言っているとしか思えない。
そんなあやかしはこれまでもいた。状況証拠も物的証拠も十分に揃っていたから、犯人であることは疑いようがなかったけれど。
「本当なんだよ! 信じてってば!」
「さっきはなんで説明しなかった」
「だから説明してたんだって!」
狸にも、佐助が聞こえないふりをしていたわけではなくて、本当に自分が何を言っているのかわからなかっただけだとようやく理解できた。
「小春に頭を撫でられた時だ! なんか体からスゥーッと悪いものが抜けていくような感じがして、気分が良くなったんだよ!」
「小春が……」
佐助は顎に手を当てて考える。
こいつの言うことが正しいとすれば、四軒目の奥さんにふりかけられた粉状のものに、何かしらの効果があったのかもしれない。
その場合、あらかじめ自分の罪を泥棒に押し付けようと思って、特殊なその品を用意していたことになるが。
小春には退魔一族の特別な力がある。本人は自覚していないが。
この化け狸にかけられた術を、小春が知らないうちに解除したということなのか……。
——必ず犯人を捕まえてください。お願いします、隊員さん。
切実なあの様子も嘘だったというのか。いや——。
証拠なんてない。全部こいつが勝手に言ってるだけだ。言い逃れ説が有力だ。有力だと思いたい。
「信じてないな!? 本当なんだって! だから処刑なんて酷いことするなよ!」
「処刑……?」
頭上から舞い降りた声に、佐助はドキリとする。
「小春……なんで戻ってきて——」
「そちらで物を落としたんじゃないかと気づいて……それより処刑ってなんですか」
「……殺人鬼は処刑するのが決まりだということくらいは、貴女も知ってますよね」
それくらいの常識は幼子でも知っている。小春は頷いて「じゃあまさか……」と縮こまっている狸を見る。
「その子、殺人鬼なんですか……? 狸ですよ?」
「化け狸です。人間を始めとした様々なものに化けて、人々を困らせます」
何か言いたげに、フーフーと鼻息を荒くする狸。
「でも……」
小春は何とかならないものかと、頭を捻らせる。
「その子がやったって証拠はあるんですか!?」
「それは……」
「ないなら、ちゃんと調べてください。もし殺人鬼じゃなかったら……可哀想すぎるじゃないですか」
そうだそうだ! と狸は目で訴えかけてくる。
なぜか小春の前では言葉を発さない。
小春の前にあっては弱く、佐助は早々に降参した。
「……わかりました」
「ありがとうございます」
小春はホッと嘆息する。
「ところで落とし物とは何なんですか」
「櫛です」
小春は足元をキョロキョロと見回すと「あった……!」と言い、しゃがみ込んでそれを拾う。
その櫛は、見るからに高価そうな新品の物だった。桜の花びらの模様があって、いかにも小春によく合いそうな一品だった。
「統一郎さんからいただいた物なんです。見つかって良かった……」
「もらったんですか? 局長から?」
「はい。今日の朝、統一郎さんが仕事に行く前に渡してきたんです」
小春は統一郎が仕事に行く前にもう目が覚めていた。彼が屋敷を出る気配を感じ取ると、慌てて玄関まで参上してお見送りをしようとした。
佐助にしたのと同じように。
その時「本当は夜に渡そうと思っていたのですが——」と統一郎が櫛を渡してきた。
「こんなに良い物、私には勿体無いと思ったんですけど『若い女性なのだからこれくらい持っていてもいいでしょう』と。統一郎さんって本当に良い人ですね」
佐助は微妙な心境になった。
男が女に櫛を送る意味を、小春はわかっているのだろうか。
いや、わかっていない。この調子だと。
男が女に櫛を送るのには求愛の意味があるのだが、11歳からろくに世俗に触れてこなかった小春は知らないのだ。
統一郎の露骨なアプローチに、佐助は小春を思う彼の気持ちは本気なのだと実感して、暗い気持ちになった。




