届かない言葉
「すばしっこいっす……! あんなに小さいのにすげー速い……!」
七男がヒーヒー言いながら追いかける。
「狸にしては逃げ足が速いやつだ。それは別にいいが、あいつわざと人が多い方を選んで逃げてやがる……!」
本来、佐助の足の速さはこんなもんじゃないのだが、行き交う人にぶつからないように走っているので、全然自由に動けない。
「みなさーん! どいてくださーい!」
七男が持ち前の大声を使って道を割ろうとする。しかし、通行人たちは状況を把握しきれておらず「なになに?」「何事だ?」とキョロキョロするばかりで、なかなかモーセのようにはいかなかった。
「うわっ!」
「なんすか!?」
「あいつ、今尻振って煽ったぞ。馬鹿にしやがって」
捕まえてみな〜? と言わんばかりに丸々とした尻をふりふりさせてみた化け狸に、佐助は舌打ちする。
離れたところから、こちらの様子を窺うように首を傾げると、あろうことかその場にゴロンと仰向けになった。腹なんか見せて、完全に舐め腐っている。
「チッ、仕方ないっ!」
「ええっ!? 副長!?」
佐助は、近くの家の屋根に飛び乗った。
なんの踏み台も足掛かりもなしに一っ飛びで移動した佐助を、七男が驚愕の目で見る。
人の家の屋根に乗るなどやりたくなかったが、逃したら洒落にならない。
「待て狸!」
余裕綽々だったポメラニアンが、途端に青くなってプルプル震え出す。
慌てて全力ダッシュするも、屋根から屋根へ飛び移る佐助の方が速い。
短い足をせかせかと動かしたが、涙ぐましい努力も虚しく、ポメラニアンはあっという間に追いついた佐助に捕まった。
着地した際に起こった砂埃にポメラニアンがむせると、化けの皮が剥がれた。
何とも小憎たらしいメスの子狸の顔が現れた。
「ウーッ! フーッ!」
「めっちゃ"離せ"って言ってるっすね」
「もう離さない。——おい」
佐助が少々の殺気を纏わせて睨むと、狸は威嚇をやめて固まった。
「お前は罪を犯しすぎた。盗みだけでなく殺人までも。お前もあやかしの端くれなら、人を殺したあやかしがどうなるかはわかるよな?」
「!!!」
狸が佐助の言葉に強く反応し、口をパクパクさせて何やら伝えようとする。
「なんだ。何が言いたい」
促してみるも、狸は声が出なくなったかのように口だけを一生懸命に動かしていて埒があかない。
伝わらない苛立ちから、狸は激しく暴れ出す。
佐助は手刀を作ると、それを適切な場所に振り下ろした。
***
気絶した狸が目を覚まして最初に目にしたのは、鉄格子だった。
「なんだここは! 暗い! 怖い! ジメジメするぅ……」
早くも泣きべそになる狸。いつもの習慣でまず化けようとしたが、その時異変に気付いた。
「化けれない!? なんでだ!? あの姿だけは失敗したことなかったのに! なんでだなんでだなんでだ!」
「うるさいぞ」
「ムッ!? その声は!」
石の階段を降りてやって来た佐助を、檻の中の狸は睨みつける。
「化けられないだろう。そこはあやかしを閉じ込めておくための特別な牢屋だ。そこに入れられた者の妖力を封印する効果がある」
ここは魔性討伐軍の道場——の下にある穴蔵である。
統一郎がこの拠点を手に入れた時に、地中にこのような場所を作った。工事に時間がかかっただけあって、なかなかよくできた空間だ。
道場の床の一部が開くようになっており、そこから石でできた階段を数段下りた先に牢屋があるこの空間に出る。
特製の牢屋は、大型のあやかしも閉じ込められるように大きめに作ってある。
「お前の処刑は明日の朝だ」
「処刑!? なんでウチが殺されなきゃいけない!」
「なんで、だと?」
ギロリと鋭い眼光で睨まれ、気の小さい狸はプルプル震え出す。
「人を殺しておいて、なんでもクソもあるか。ここ最近、裕福な家を狙って夜に盗みに入っていただろう」
「そ、そうだけど……確かにコソッと忍び込んで、食べ物もらったりお金取ったりしたよ。でも四軒目の家はさあ……。——、——。——!」
「は? 何の真似だ」
狸が黙ったまま、口だけをパクパクと動かしたので、佐助はおちょくられているのかと思った。
「だからさあ……。———!」
「またそれか。なんなんだお前は。ふざけてるのか」
わけがわからないのは、向こうも同じである。
なぜ佐助が自分の言ってることがわからないのか、不思議でならない。
お前みたいな薄汚い毛玉の言葉なんぞ聞く価値ない、と暗に伝えているのだろうか。
なんて嫌味なやつ!
顔も怖いし嫌なやつだ。死んじまえ!
「まったく反省していなさそうだな」
ヤバい。最後のは声に出てしまった。
慌てて口を押さえるも、もう遅い。
佐助は立ち上がると、冷たい眼差しで下手人ならぬ下手狸を見下す。
やめろよう。そんな目で見てくんなよう。
涙目で見上げる狸。もう帰りたい。帰る場所ないけど。
「可愛こぶっても無駄だ」
佐助が顔を逸らして、吐き捨てる。
「……まあ反省などしていない方が良心が痛まなくて良いか」
最後にそうつぶやくと、佐助は地上に戻っていった。
「えっ、おいおいおい! このまま放置? 朝まで? 待て待て待て! 戻ってこい! せめて食べ物持ってこい! お腹すいたよお……」
キュウウ。
一旦腹の虫が鳴り出すと、堰を切ったようにグキュー、キュルルル……と切ない音を立てるフカフカの毛に覆われた腹。
子狸は鼻をスンスンと鳴らす。
「あんこ食べたい……あんこ……」
鉄格子を恨めしく睨んで、つぶらな瞳からポロポロと涙をこぼす。
明日になれば死ぬのか、と思っていると、際限なく涙が出てくる。
「一度でいいから、誰かに名前を呼んでもらいたかったなあ……」
牢屋の中の狸の独り言を聞いた者はいなかった。
いや、一人いた。
「なにここ……牢屋!? ……って狸!?」
小春が物々しい牢屋を前に、口元を押さえていた。
なんだ? さっきの意地悪なやつの仲間か? でも着ている服が違う……。
小春は魔性討伐軍の拠点とはどんなものか気になって、統一郎の屋敷を出て散策していたのだった。
道場に誰もいなかったのでこっそり入ってみたところ、床の一部が開いているのを発見して、好奇心に駆られて降りてみればこの通り。ジメジメとした暗くて冷たい場所に、物々しい牢屋が構えていたというわけだ。
佐助は隠し扉を戻すのを忘れていた。彼にしては珍しいうっかりミスだった。
「大丈夫? なんだか弱ってるみたいだけど……」
小春は、目の前の相手が化け狸だと知らない。心配そうに力なく丸まっている毛玉を見ている。
喋るのも面倒くさいので何も言わずにいると、腹の虫がまた鳴った。
「お腹減ってるの? そうだ!」
小春が懐から取り出したものを見た狸は、半開きだった目をこぼれ落ちんばかりに見開いて、キラキラと輝かせる。萎れていた毛皮も一気に立ち上がる。
握り飯だ!
名無しの子狸、小春の持っている握り飯を食べたいあまり、鉄格子があることを忘れて飛びかかる。頭をゴツンとぶつけて、キャン、と間抜けな声をあげる。
「大丈夫? よっぽどお腹減ってたんだね……ほら、食べていいよ」
小春が、鉄格子の隙間から握り飯を差し入れる。
短いしっぽを振り回して、ガツガツと食べる狸。
「ふふっ、人間みたいに食べるんだね」
握り飯を手で持って食べる狸を、小春は頬をゆるゆるにさせて見ている。
この子狸は、化け狸なので犬食いはあまりしない。人間の真似をするのが大好きな化け狸は、普段の動作も人間らしくなってしまう。
しかし、この子狸は一つの姿にしか化けることができないのだが。
小春の手が、スッと狸の頭にのびた。
瞬間、化け狸にまとわりついていた何かがスッと消えていくような、すっきりした感覚が訪れる。
ここ三日間、何となく優れなかった気分がみるみる良くなっていくのを感じる。
人間に触られるのは嫌いなはずなのに、狸は小春に頭を撫でられるがまま、借りてきた猫のように大人しくなっていた。
なんだこれは。あたたかい。心地良い。いつまでもこうして頭を撫でられていたい——。
いつの間にか、自分から頭を押し付けるように小春に擦り寄っていた。
小春は感激に堪えるように口元を押さえている。
小動物に甘えられることほど、心がほっこりすることはない。
小春は目の前のかわゆい毛玉に、実家で飼っていた特に彼女に懐いていた愛犬のことを思い出した。
家族と一緒に殺されてしまったけれど。
小春は、すっかりこの狸に愛着が湧いていた。
「誰だ?」
警戒するような重くて低い声が、頭上から聞こえてくる。
全身の毛を逆立て、歯を見せてシャーッと威嚇する狸。
小春はやって来た人物の名を、こわごわと口にする。




