知らぬが仏
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「こちらは貴女のために呉服屋から取り寄せたものだそうです」
佐助はたとうに包まれた着物を順々に見せていく。五つあるそれは、どれも派手すぎないが控えな華やかさがある品だった。
まるで小春のようだな、これを身に纏った小春はきっととても——。
つい甘美な想像をしてしまい、佐助は己を戒める。
「こんな良い物をわざわざ——申し訳ないです。受け取れません、こんな素晴らしい物。この部屋に置いてもらっているだけで、ありがたすぎるくらいにありがたいのに……」
これを受け取っても、同じくらい価値のある物を返せるものだろうか——そんな心の声が聞こえてくるようだった。
「どうか受け取ってください。それがあの人の望みです」
佐助が頭を下げると、小春は慌てた。
「わかりました。わかりましたから……顔を上げてください」
「はい。では俺は部屋に戻ります」
「佐助さん」
「なんですか」
「おやすみなさい。また明日」
——また明日ね。
幼い小春の声が頭に響く。
あの頃とは二人とも変わってしまった。
特に俺は。
清らかで汚れのない彼女と俺は住む世界が違う。
いや……そもそも生まれた星の下が違っていた。
「佐助さん?」
「……いえ。何でもないです。おやすみなさい」
佐助が襖を閉めて立ち上がると、いつからそこにいたのか、統一郎が闇の中目を光らせて佐助をじっと見ていた。
「何の御用でしょうか」
「そう身構えるな」
感情の読み取れない声色でそう言うと、統一郎はくるりと踵を返した。
「仕事の話がある。私の部屋に来い」
「はい」
絶対にそれを伝えに来ただけではない。見張っていたのだ。小春に変なことを言わないか。
緊張を顔に出さぬよう気をつけながら、佐助は統一郎の部屋に入った。
「近頃町内で窃盗が増えているのは、お前も知っているだろう」
佐助は頷く。
窃盗の中でも、家に忍び込んで食料や金品を強奪する不届者の報告が最近増えていた。
数ある噂を聞く限り、それらは同一犯で、しかもあやかしらしい。
「一昨日、いよいよ殺された者が出た」
家探ししている最中に、家の者が犯行現場を発見してしまったのだろう。
人を殺したあやかし——殺人鬼となれば魔性討伐軍の出番だ。
「明日からお前に調査を任せる。七男も連れていけ」
「承知しました」
「可能な限り早急に捕まえろよ」
「言われずとも」
佐助の目には、殺人鬼に対する憎悪が燃えていた。
「まあ私の見立てでは、さほど手間取らない案件だよ。お前の手腕にかかれば秒で片付くだろうな」
統一郎は軽く笑うと、佐助に下がるように伝えた。
しかし佐助は下がろうとしない。
「少しお聞きしたいことが」
「なんだ」
「東雲の当主を殺す必要はなかったのでは」
殺人鬼ならともかく、なんの罪も犯していない人間が死なねばならない理由はない。
佐助はそう思っていた。
たとえ、東雲家の当主が褒められた人間ではなかったとしても。
「私もあいつを殺すつもりはなかった」
統一郎は渋い顔になる。
「だがあいつは禁忌を犯した」
「彼女を嫁がせようとしたことですか」
佐助がそう言うやいなや、統一郎の表情がとても小春には見せられないものに変貌する。
佐助は、上司の激情がおさまるのを待っていた。
「本当は殺人鬼どもを片付けてから、小春さんを迎えに行くつもりでいた」
しばらく時間が経った頃、統一郎が言う。
「しかし我慢ならない。あんなことをされては——」
東雲家の当主と京士郎に化けていた殺人鬼への憎しみは、まだ新鮮だった。
「あなたでもそれほど心乱されることがあるのですね」
「まあな。彼女は特別なのだ。私にとって唯一無二の大切な女性だ」
統一郎の気持ちがわかってしまうことが、佐助には辛かった。
「質問に答えてくださりありがとうございました。では失礼いたします」
「待て。お前に聞きたいことがある。……小春さんのことだ」
佐助の心臓が跳ねる。
「随分彼女のことを気にしてるな」
「それは……あなたが世話をしてやれというから」
「本当にそれだけか?」
心の奥を覗き込むように、鋭い眼差しが突き刺さる。
顔には一切出さなかったはずなのに。この人は本当に鋭い。
「はい。誓ってそれだけです」
「そうか。今はその言葉を信じておこう。だがな、くれぐれも"余計なお節介"をしようなどといらぬ気を働かせるなよ。——わかっているだろう」
真実を伝えたところで、お前に彼女を救えるわけがないと。
統一郎が口に出して言わない部分も、佐助は感じ取れた。
「はい」
彼女は知らない。自分の家族が恐ろしい虐殺計画を企てていたことを。
彼女の中で、永爽家の人間は優しい家族でしかない。だったら、その認識だけを抱えたまま生きていく方が幸せだ。
心から信頼していた親や兄弟姉妹が、実は罪人だったなんて知りたくないだろう。自分だったら絶対にそう思う。わざわざ知りたくない情報を教えてきた相手を憎むはずだ。
それにここを出たところで彼女には頼れる人も、場所もない。
統一郎は優しい。その優しさの背後にどんなに暗いものがあろうとも、小春に安心と豊かな生活を提供している事実は揺るがない。
小春にとって統一郎は、地獄から拾い上げてくれた救世主なのだ。
たとえその地獄が統一郎によって創られたものであっても。
「知らぬが仏というだろう」
統一郎は最後にそう言った。
知らなければ幸せでいられたこと——心当たりのある佐助は、よくできたことわざだと思う。
やはり俺にはできない。彼女にこんな思いを味わせることなんて。
自分の無力さを痛感しながら、かといってどうすればいいのかわからない佐助は、今日も様々な感情を抱えて眠る。
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