佐助と統一郎の出会い
ある女が鬼に誘拐されたあげく、妊娠させられて子を産んだ。
その子どもというのが佐助である。
佐助の家にはいつも金がなかった。金だけじゃない。愛も余裕も笑顔も、いわゆる"家庭"らしいものが一つもなかった。
父はいつも腹を立てていたし、母はそんな父に怯えて奴隷のようになっていたし、自分はいつも一つしかない部屋の隅に膝を抱えて、この世の全てを恨んでいるような目つきでボロボロの壁を睨んでいた。
父はいつも父——佐助にとっては祖父である男の悪口を、飲みすぎた酒と共に吐いていた。
どの家にもその家独特の匂いというものがあるが、佐助の家ではそれが父の匂いだった。酒と嘔吐物の匂いだ。それが家中に染み込んでいて、決して抜けない悪臭となっているのだった。
佐助の祖父は殺人鬼だった。橋の上から皆がよく見下ろせる河原で処刑された。
殺人鬼。それは人にもあやかしにも疎まれ、死を望まれる存在——殺人鬼はあやかしの汚点であり、殺人鬼になることはあやかしにとって最大の罪である。
それは決して一代の命で償えるものではない。末代まで続く汚点だった。
佐助は殺人鬼の孫としてあやかしたちから見捨てられ、かといって人間たちの中に溶け込むこともできない存在として生まれた。
半分は人間の血、半分はあやかしの血を持ちながらも、佐助はどこにも存在を受け入れられない。そういう星のもとに生まれた生命なのだ。
ずっと一人で隠れながら生きていくしかないのだと思っていた。
統一郎に出会うまでは。
5年前の月夜の晩。佐助は牢屋にぶち込まれていた。
明日になれば処刑されるということで、自分自身のろくでもない生涯を思い返していたところに、このようなあらゆる罪人の業が染みついた場所には似つかわしくない男が入ってきた。
——戦慄するほど美しい男だった。
佐助は呆気に取られて、床に尻をつけたまま男を惚けたように見上げていた。
そんな佐助に、統一郎は言った。
「鬼頭統一郎。全ての殺人鬼を滅ぼす男の名だ。覚えておけ」
「それがあんたの名前か?」
「そうだ」
「殺人鬼を滅ぼす? 何夢みたいなこと言ってるんだ。というかこれから死ぬってやつに覚えておけとか、むちゃくちゃ言ってんじゃねえよ」
「夢みたいなことではないし、お前も死なない。私が死なせない」
「は……? 死なせないってどういう——」
「佐助。お前が生まれてきたこと、お前が母親を絞め殺したこと、父親を殴り殺したこと——その全て、お前のせいではないよ」
佐助は、あまりの衝撃に一瞬声が出なくなった。
「私には全てわかっている」
「なんだよ。会ったばかりのあんたに俺の何がわかるっていうんだよ……」
「わかるさ。お前が母親思いの良い息子だったことは」
「違う! 俺は良い息子なんかじゃなかった!」
佐助はつい統一郎の言葉に噛みついてしまう。
母に対する哀れみと罪悪感が、雪崩のように心に押し寄せる。
『苦しい……辛い……もう死なせて……殺して……殺して。ころして……佐助……おねが、い……』
病に侵された母は朝から晩まで煎餅布団と一体化しながら、ずっと佐助に同じことを頼み続けていた。
何日も何時間も、母の頼みごとは変わらないのだった。
この先何年生きていても、病気が治る見込みがないことは明白だ。母は虫の息だった。
佐助の名前すら言わずに、もはや『殺して』以外の言葉を紛失してしまった母の姿に佐助はたまらなくなり、とうとう母を楽にしてやった。
首を絞めて殺してから佐助はその場を微塵も動けずに、放心しているうちに夜が明けていた。
朝日が家の中に差し込んで来た時、家の戸が開いた。
半年ぶりの父親の帰宅だ。
父親は働きもせずにあちこち遊び歩くのが習慣だった。母が病気になってからは、佐助の雀の涙ほどの稼ぎをぶんどって遊びに出掛けていた。
「金が足りなくなったからさっさと出せ」
父親は開口一番にそう言って、佐助に手のひらを向けた。
「なんだそいつ。死んだのか」
口の端から涎を垂らしてぐったりした母親を見て、父親は言った。顔の周りを飛び回るハエを仕留めた時のような、なんの温度も感慨もこもっていなかった。
「この家の臭さもこれでマシになるな。今まで病人くさいったらありゃしなかった。悪臭のもとが死んでくれてせいせいするわ」
プツンと糸が切れる音がした。
気づけば父親を押し倒し、立て続けに拳を振るっていた。父親の抗議も聞かずに、佐助は血に濡れた拳を父が静かになってからも一定の間隔で奮い続けていた。
通報によってやってきた奉行所の人間に取り押さえられなければ、佐助は拳が壊れるまでそうしていたことだろう。
親殺しは重罪だ。たとえどんな事情があったにしても、世間から同情の目で見られることはない。そういう風潮が蔓延っていた。
奉行も佐助を極悪犯罪者と呼び、斬首を言い渡した。
「やはり血は争えんか。殺人鬼の血が入っているお前は所詮ケダモノなのだ」
そう言われた瞬間、死んだように虚空を見つめていた佐助は、全身の血が逆流するような激情に呑まれた。
手を後ろで縛られた状態で奉行に飛びかかる寸前、側近の者に食い止められた。
拘束されているとはいえ、怪力の佐助を抑え込むのに10人ほど必要となった。
ようやく大人しくなった佐助が牢屋にぶち込まれて、大体一時間が経った頃、統一郎が来たというわけだ。
「俺は何もできなかった……日に日に衰弱していく母とは対照的に俺は成長していく一方で。力が強くなって、人間離れした強さを手に入れて。ますます親父に似ていった。そんな俺を母は憎んでいた」
誰にも必要とされない存在。誰にも祝福されない命。
どうして良い息子だと言えるだろう。
「俺は生まれてこない方が良かったんだ。生まれないことが唯一の親孝行だった。本当はとっくに死んでいるべきだった。居場所なんてどこにもないし、俺を必要とする者はいないんだから——」
「ここにいる」
統一郎はしゃがみ込むと、檻の向こうの佐助と目線を合わせる。上等な着物の裾が汚い床につくのも厭わずに。
「私にはお前が必要だ、佐助。居場所なら私が用意する。私が必ずお前を解放してやろう。お前の生きる理由を私が作ってやる」
この男は何を言っているのだと、佐助は耳を疑った。
「あんたはなんなんだよ……」
「だから言っているだろう。全ての殺人鬼を消し去る男だと」
統一郎は身を翻して、その場を去っていく。
五分もしないうちに戻ってきた。
彼は鍵で牢屋の錠を外すと「お前の釈放が決まった」と言った。
「は!?」
「ついてこい」
「いやいや! 意味わかんねえよ! なんだお前。どんな妖術を使った!?」
「そんな怪しげなものは使っていない。奉行に話を通しただけだ。『あの男は私が責任持って預かるから、解放していただきたい』とな」
「佐助」統一郎は彼の名を呼ぶ。
「これからは私のもとで働け。私の計画に尽力すると約束しろ。お前自身が憎んでいるその力を、必要としている者が大勢いる」
殺人鬼の血がもたらすこの力を必要としている者が——?
統一郎は佐助の目を見て深く頷く。
「私がその筆頭だ。偉大なる目的のためにお前の力を貸してくれ、佐助」
頼む、と言って膝をつく統一郎。
佐助の人生で、他人にそんなことをされたのは初めてだった。
ここまでされて、求められたことなど。
だからつい統一郎に言われるまま、彼の屋敷についてきてしまった。
風呂と食事をもらって、しっかりした着物と寝床を用意された。
自分だけの部屋も、新品の着物も履き物もあたたかい布団も、自分には一生縁がないと思っていた。
「殺人鬼を滅ぼす。だがあいつらはどこぞへ身を潜めていて、なかなか捕まらない。組織が必要だ。殺人鬼を捕まえて然るべき処置を行う組織が——私はその組織を作り、お上に存在を認めさせる」
魔性討伐軍——佐助は対殺人鬼専用警察とでも言うべきその組織の、記念すべき一人目の隊員となった。
隊長の統一郎と佐助。二人だけの組織には、次第に志を抱く者が集まり、組織としての力をつけていった。
そして魔性討伐軍は、永爽家を襲撃したことでお上にも認められた正式な組織となった。




