3 申し込み
隙間時間のお供にしていただければ嬉しいです。
あの後レイチェル嬢が馬車に乗るのを見届けて僕は学院の寮に帰った。遅くなった時の抜け道が男子学生のためにあるのは公然の秘密だった。先生たちも学生の都合に目を瞑ってくれていた。僕のように働かないと在学できない者もいるからだが、不埒な理由だと容赦がない。停学や退学処分も過去にはあったようだ。
誰も話していないはずなのに何故バレるのかが学園の不思議で語り継がれていた。
女子の寮はもっと厳しい。門限破りは家に報告される。三度あると退学だ。
しかし女子学生は裏方の事務の手伝いが斡旋されている。羨ましい。
寮に帰った僕は食堂に行き、残して貰っていた冷めた夕食を美味しく頂いた。
苦学生で時間通りにアルバイトから帰れないことがある者への配慮だった。
一年生の頃は食堂に顔馴染みもなくアルバイトも時間がかかってしまうと夕食が食べられないことがよくあった。
一年生のある日、食堂で一人で倒れていた僕に声をかけてくれたのがみんなの母さんのようなバニラさんだった。
「腹が減って動けないのかい?残り物で何か作ってやるから待ってな」
太っ腹で体格のいい料理人に声をかけられ僕は救われた。それからは夕食を食べそこねる事はなくなった。神様のような人だ、ありがたい。
「毎年何人かは苦学生がいるからね。慣れたもんだよ、任せておきな。早く言えば良かったのに水臭いね」
それからは学食の壁にあるボードに印を入れるだけで良くなった。他にも助けられている奴はいた。
夕飯を食べ一息付くと僕は父親に手紙を書くことにした。今日の出会いとリンドバーグ男爵家に婚約を申し込んで欲しいと。
もちろん契約であることは伏せた。彼女の為に。
父は驚いて領地から一週間で飛んできた。
学院の応接室で僕は公園で偶然彼女に会って一目惚れをし、婚約を申し込んだら頷いて貰えたとそれらしい話をした。
父は当然驚いていたがリンドバーグ男爵令嬢のことは調べあげて来ていた。
婚約が破棄されたこともリンドバーグ商会のこともだ。厄介なことに引っかかれば伯爵家が潰れるのは間違いのないことなので必死だったそうだ。
「まずは先触れを出して相手の都合に合せ申し込みに行くとしよう。父さんは近くに宿を一週間程取るよ」
「急で悪い。僕もまさか婚約したい相手が出来るなんて思ってもみなかった」
「まあいいさ、クリスは就職も決まっているし頭もいいんだ。リンドバーグ商会に迷惑はかからないだろう。それに元婚約者のセントルイス家は子爵家だ。格なら負けていないからな」
「うん、冤罪をかけてまで無かったことにしたかったらしいから。彼女にとって良い方向に持っていけたらと思ってる」
「酷い話だな、解消できる内に言い出せばまだ良かっただろうに。まあ、お前が幸せにしてあげなさい。金がないのはご存じなのか?ほらデートの時とか困るだろう」
「うん、知ってる。お金は期待して無いと思うよ」
僕は気楽な感じで言った
「金持ちのお嬢さんだぞ、付き合っていけるのか?何処かで綻びが出たりとかするんじゃないか」
「婚約破棄の後で後妻か修道院に行かされるって言ってたから覚悟はあると思うよ」
「同情したのか。お前ももう十八歳になるんだ。口は出すまい。しっかりやれ」
父が自分を納得させるように言った。
一週間後僕たち親子はリンドバーグ家に結婚の申し込みに行った。
国で勢いのある有名な商会の屋敷は品のある佇まいながら壮大な大きさだった。
(お金があるって凄い。門から玄関まで歩いて行けないじゃないか。こんなところのお嬢様と契約結婚なんて早まった?ええい、男は度胸だ)
僕は就職用に買っておいた吊るしのスーツを着て薔薇の花束を抱え訪いを告げた。父は型は古いが仕立ての良いスーツを着ていた。
出迎えてくれたのは渋みのある上品な雰囲気の家令だった。
「ようこそおいでくださいました。お待ちしておりました。どうぞこちらへ」
案内されたのはシンプルだが質のいい家具の設えられた応接室だった。
父より少し若いだろうか、いかにも仕事が出来ますという感じの中年男性とあの日出会ったレイチェル嬢がにこやかに迎えてくれた。
「急な訪問をお許しいただき申し訳ない。倅がお嬢様に一刻も早く結婚を申し込みたいと言って聞かないもので、こうしてお邪魔をいたした次第です」
「どうぞお座りください。話は娘から聞いております。世間的には瑕疵の付いた娘ですが何一つ疚しいところのない身だと断言できます。家としては願ってもない申し入れなのですが、そちらはよろしいのですか?」
メイドがお茶を淹れるとさっと下がって行った。
「今まで女性に関心の無かった息子がどうしてもと言うのです。何の問題がありましょう。しかし息子の稼ぎでお嬢様が満足されるかどうかいささか不安が残ります」
「なに、持参金を持たせますのでご心配には及びません。それにそちらにはそれなりの支援をしたいと思っております」
「ありがたい話ですが・・・息子を売る様な真似はしたくないのです」
「そう言われるのは分かっておりました。こうは考えていただけませんでしょうか?娘の嫁ぎ先が裕福なのは親にとって安心です。この話は娘のためです。もし破談になれば勿論速やかに援助は打ち切らせていただくということで、契約書も交わしましょう。それにそちらで黒い石が出ているようではありませんか。そのことについても話し合いがしたいと思っておりました」
商売人らしい合理的な考え方をリンドバーグ男爵が告げた。
「そういうことなら問題はありません。喜んで契約書を交わしましょう」
二人の父親は握手をした。
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