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作者: 飛水静
掲載日:2025/10/28

「無い、やっぱりない」

オルゴールがなくなった。

私が小学生の頃に、手先の器用な姉が作ってくれたオルゴール。なぜ作ってくれたかはもう忘れたけれど。

 就職にあたり引っ越しをして、家財一式の入った段ボールをあらかた開け終え、すべての設置がおわってから、ふとあの音色が聴きたくなった。


「あんたの部屋にも、優子の部屋にも無かったよ」

 引っ越して早々に親に電話をかけるのは、ホームシックじみていてなんだか恥ずかしいと思いながら頑張って聞いてみたというのに、めぼしい成果はなかった。

 私の姉は優子なんていう名前をしてるくせに全然優しくない。自分勝手で、あのオルゴールも思いつきで作ったのを私にくれただけに違いない。

「また年末に顔出すから。オルゴール、探してくれてありがとね」

「年末ねぇ。優子はまぁ今年も帰ってこないとして、あんたもいなくなると寂しいよ。」

「…お姉ちゃん、さいきん忙しいからね」


 私の姉は芸術家だ。正確に言えばアニメ映画の監督をしている。

 彼女の処女作が大ブレイクしてから急に家を出て、それからうちには一度も帰ってきていない。まぁ、テレビで見るかぎりではそこそこ元気にしているようなので、私も家族も大して心配はしていない。


 芸術家ってのはどうしてみんなこうも不器用なんだろうか。彼女は幼少期から変な子どもだった。家族ともほとんど口をきかずにずっと絵を描いていた。小学校でも成績は2とか、3とかばっかりで、地頭のよさでなんとか1になるのを回避している感じだった。

 そんな優子でも、小さい頃の私にとっては尊敬する姉だった。私も真似して絵を一緒に描いたりしては親に見せて楽しんでいた。


 姉は中学校に入ってから、急に友人を増やして、みるみるおしゃれになった。

「インプットが足りん、インプットがっ」

 とかなんとかよく分からないことを言って、男女や隠キャ陽キャも関係なく話しかけだしたり、参考書を買い込んで勉強をしだしたりで優等生になったのかと思えば、校則で禁止されているバイトをやろうとしだしたり、ピアスを開けようとしたり、それがダメだと言われるとボランティアをするなんて言い出して、人が変わったとしか思えない豹変ぶりだった。


「これ、あげる。この鍵で、開けてみな」

 そう素っ気なく言って、姉はオルゴールを手渡し、またすぐなにかの勉強に戻った。

 オルゴールの箱は、アクリル絵の具だけで着彩したとは思えないほど高級感のあるみごとな装飾で、ご丁寧にニスまでほどこしてあった。

 鍵はいかにも小学生女児が好きそうな、ハートのプラスチックの宝石が埋め込まれた金属でできていて、私はそのオルゴールと鍵がいざなう非日常感にとてもわくわくした。

 そろそろと鍵を箱に差し込み、ひねってみると、中には機械むき出しのミニサイズのオルゴールが入っていた。中のオルゴールのネジを回してから箱の蓋を閉めて、ながめて楽しむものらしかった。

「すごい、すごい、鳴らしてもいい?」

「いいよー」

 収録されていた曲は、スピッツの“空も飛べるはず”だった。なぜその選曲だったのだろう。姉は話してくれなかったのでよくわからない。



「先輩って、このまま一生こんなつまんない会社で働くつもりっすか」

 今の会社に勤め始めてから、はや3年目。新人の後輩にねぎらいのコーヒーを奢ると、突然そんなことを言われた。

「つまんないって…いちおう君もここを志望して入社してきたんでしょ?」

「そうっすけど、ココは一旦社会経験積むための踏み台ってか、やっぱ転職っすよ、自分の人生自分で動かさなきゃ。つまんない人間のまま終わっちゃいますよ」

 つまらない、か。この職場で同僚や上司と働くうちに、それなりにやりがいも生まれてきていたところだったが。

 私は小学生のときから、姉とは違ってつまらない人間だった。少し絵を描くのが好きで、目立つのが苦手で、勉強はふつう。姉を知る中学校の先生たちが、妹はどんな人間だろうと入学式で話しかけてきて、次第に興味をうしなって、授業でも当てられなくなっていくというのは幾度となくあった。

 取り柄がないとか、姉よりつまらないとか。そういうことは大して気にしていないはずなのだが、どうしても姉と同じ高校には行きたくないとか、姉の作った映画を一度も観れていないとか。そういう大人になった。


 新進気鋭のアニメ監督として脚光を浴びた姉は、一発屋では終わらず、そのまま活躍を続けている。

 ちかく新作が出るらしく、私はまた観ないだろうと思った。ところが、あの後輩がめずらしく私を誘ってきた。

「あのスタジオ・ユーコの新作っすよ!観に行きません?」

 同僚が忙しそうだったから誘ったとかごちゃごちゃ言っていたが、ようはうまく友達が作れていないんだろう。この職場をばかにするようなことを言っているのだから当然だ。

 とはいえ少しばかり気の毒だったので、上映中は目をつむってやりきるつもりで誘いにのった。



 涙が溢れてとまらない。

ストーリーはありふれたものだった。開かなくなってしまったオルゴールを抱え、自信のない少女が魔法の鍵をさがして旅をし、そのなかで成長していく。

 観客たちは、いつも通りの破天荒で、予測できない展開を求めていたせいか、なんだか物足りなさそうな顔で映画館を出てくる。

 同じように後輩も、私にさっそく批判を聴かせようとして、ぼろぼろと涙を流れるがままにする私にぎょっとして、口をつぐんだ。

 彼は私が泣き止むまで、ちらちらと様子をうかがいながらも黙っていて、自販機でコーヒーを買ってくれた。


 あの少女は私だ。何も奏でられなくなった、何を奏でたかったのかも忘れてしまった、今の私だ。そう思った。



「ただいまー」

 その年のおおみそか、この演歌歌手は観なくていいからとか言って親が風呂に入ったり皿洗いを始めたりしたタイミングだった。

なんの連絡もなく姉が帰ってきた。

「ちょっとおとうさんっ、優子が帰ってきたよ!あったまってる場合じゃないわよ!」

 母も父もばたばたと居間に集まって、やれ蕎麦をゆでろだの布団を用意しろだの騒がしくなった。テレビではいつのまにか演歌歌手が歌い終えて、母の好きなアーティストが歌い始めていた。



「…お姉ちゃん、おかえり」

「ん、ただいま」

 紅白歌合戦のトリはなんとスピッツで、でも赤組が勝って、除夜の鐘が無事に鳴って。

 歯を磨いて、二人並べた布団にあぐらをかいて、姉と向き合った。テレビで見ていた世界的な監督が、私の姉で、目の前にいる。気まずいようなよく分からない気持ちだった。

「これ、返すわ」

 おもむろに姉が取り出したのは、あのオルゴールだった。

「あっ、これ…お姉ちゃんが持ってたんだ」

 なぜかはわからないがすごく安心した。

「今年出した新作の構想に使おうと思って。なんか親もあんたも出かけてたから勝手に借りたんだよね。年末に返せばいっかなって」

 一声かけてほしいものだ。やっぱり優子は自分勝手なままだった。

 でも不思議と怒りはわいてこなかった。

「開けていい?」

「どーぞ」

 今見ると少しかわいすぎるデザインの鍵を、そっと箱に差し込んだ。

 箱はきちんと開いた。

「鳴らしてもいい?」

「いいよー」

 慎重にねじを巻き、手を離すと、聞き慣れたスピッツの“空も飛べるはず”が流れ出した。

「あのさ、気になってたんだけど、なんでこの曲なの」

「あれ、言わなかったっけ。あんたがそのときくらいから絵描くの急にやめちゃってさ。

なんか元気なさそうだったから、空とぶ鳥みたいに好きにすればいいじゃんって思って、作った」

 そうだった。そのころに、クラスメイトに言われたのだ。もうこの歳で絵を描いているのなんて恥ずかしいよと。

たったそれだけだけど、それから絵を描かなくなったと思う。

 好きなことがなんだったのか、自分で鍵をしてしまっていたのだ。

「今日帰ってきたのさ、これ返したかったのもあるんだけどさ。私の新作、見た?」

「見たよ。泣いた」

 姉はその言葉の意味をはかりかねるようにしばらく黙ってから、また口を開いた。

「元気出た?」


 あの映画の最後、少女のオルゴールは開いた。だが中には、何もなかった。

 それでも少女は、これまでの旅を回想して、これからの未来を考えてから、

その箱はもういっぱいに満ちていて、私はこれからそれをみんなにくばって生きていくのだと言った。


「幸せだったんだって、気づいた」

 なんの疑いもなくそう言えた。

 私のなかの幸せの箱は、周りには見えないけれどちゃんと満たされていて、ただ、開け方が分からなかっただけなのだ。

 あのにくめない後輩にも、鍵ができたらいいなと思った。


「それだけ聞けたら満足だわ」


 次の日姉は朝食をとった後すぐまた家を出て、帰ってこなかった。またすぐ制作に取り掛かるのだろう。

 年明けに会社に行くと、あの後輩が珍しく私よりも早く来ていた。

「俺やっぱ、もうちょいやってみるっすわ」

 どうやら彼女ができたらしく、同棲しているマンションの支払いのためだとか言って、もう少し頑張るらしい。おめでとう。



 また平凡な日々に戻ったけれど、私の心は穏やかだった。

 オルゴールという鍵は私のなかで、優しく鳴り続けていた。

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